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夏越祭と季節感 [閑話]

今日は、年に二度ある「大祓い」の日、「夏越(なごし)祭」ともいう。大晦日も「大祓い」の日
である。こういったことから、古代日本では6ヵ月ごとに年をとる習慣があったという説もある。
本来は旧暦の6月晦日と12月晦日が大祓いの日だった。今年だと8月9日と2月13日に当たる。
夏と冬の厳しさの峠を越したという、安堵感から発する感謝の祭りではなかったか?と思う。
太陽暦では、これからの厳しい暑さ、寒さへの心構えを改めて再確認すると捉えられるだろう。

暦上の様々な行事は俳句歳時記に多く取り入れられているが、例えば「夏越祭」も、上述の様に
同じ夏とは言っても、新暦と旧暦では随分と季節感が異なる。「端午の節句」などは、旧暦だと
今年は6月16日に当り、新暦では「春」、旧暦では「夏」と、季節が跨ってしまう。
旧暦の行事を新暦に引越しさせる時に、こういう問題を踏まえて、本来の意義、発祥の理由等を
考慮して日付を考えなかったのか?俳句の世界では、こういう問題をキッチリと整理し、誰でも
わかりやすくなっているのだろうか?「端午の節句」は私の歳時記では「夏」になっているが、
それは旧暦時代の人々の季節感である。旧暦→新暦の切替は日本では明治5年(1872)
からという事になっている。(必ずしも全て切替っているわけではないようだが。)しかし、
既に148年を経過しており、新暦による季節感が定着した人々が大勢できている事実も無視でき
ないのではなかろうか?まあ、この種の問題は大勢に影響ないということだろうか?
この様なことを曖昧なままにしておくのが日本人の特質ではないか?

日本の曖昧さを追求すれば、相撲界の野球賭博、古くは朝青龍の暴行問題、官僚天下り問題
箱もの行政等、掘返せばいくらでも出てくる。それに限らず旧暦と新暦の問題にも見られる様に
日本人は生活習慣のあらゆる局面に、曖昧さを残している。それにもかかわらず、現代日本は
曖昧さを残さず、全て白黒付けたがる傾向が強いように思われる。

この様な傾向が強められる要因には、犯罪の多発、凶悪化など道徳的退廃や国民の欲求不満が
あるだろう。そういった観点から厳しい犯罪の取締りも必要だろう。しかし一方において、
それは犯罪という症状への対処療法でしかない。道徳的退廃を未然に防止することは警察権力
では限界がある。それにもかかわらず、このような活動が国家権力と国民感情の複合作用で
強められ、ある種の運動になっていくならば、それは冷戦時代の米国の“赤狩り”や中国の
“文化大革命”にも匹敵する様な愚行になりかねない?と心配されるのである。
マスコミなどに猛省を促したい。如何なものか。
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消費税増税とリスク管理 [社会]

今回の参院選挙では消費税10%?増税が争点となる?と思っていたが、国民の冷たい反応に
菅首相は、二転三転、うやむやにしようとしている様に見える。この機会に私なりの日頃の
問題意識を整理してみた。
先ず始めに、少子・高齢化で福祉費が嵩むから増税するというが、いくら増税すれば済むのか?
金融危機以後、現在も輸出に頼る日本経済の構造改革を求められる中、歳入増対策に見込みは
あるのか?増税だけで根本的対策になるとは考えられない。増税に至る主要な原因は何か?
民主党は、政権政党としてはっきりとしたリスク負担の大きさを示す責任がある。

仕分けで国家財政が立て直せない事は民主党の変節で明らかであろう。小さな政府や福祉費の
抑制なくして国家財政が健全化されない事は明らかである。民主党は公約違反をしたのだから
今回の参院選でお灸をすえるのが当然だと思う。それでもそういう無責任な政党を応援する人は
どんな災難が降ってくるか分からないことを覚悟せよ!それがリスク管理だ。
元々小泉政権の政策によって日本の景気は回復していた。金融危機による衝撃で、小泉改革が
否定されたが必ずしも間違っていたのではない。二番底は民主党政権の無策によるものである。
今改めて消費税増税をいうなら、小泉政権以上の景気回復をしてから言ってもらいたい。
それは谷垣自民党にも言っておきたい。然るに政治家は能がないから、国民がそれを望まない
から仕方ないと考える。そして垂れ流し増税は国民の希望を叶える唯一つの道という。
そこで国民の一部は、官僚制度改革を行う事で未来を開くという“みんなの党”に投票しようと
考えるに至っている。これは小泉改革の一つの方向である「小さな政府」志向であり、国家財政の
健全化では避けて通れない道筋だから結構なことだと思う。

私は日本の問題を、「必要なリスクテイクをしない体質にある」と思っている。世間には石橋を
叩いても渡らない安全第一人間から命知らずの冒険家まで様々な人間が居る。ただ現代日本は
安全主義人間が世界の列強に比べて相対的に多く、しかも「安全主義だからリターンも低い」と
いう自覚がなく、何か自分達に問題が発生すれば、全てお上のセイにする傾向にある。
日本のサッカーが、恵まれた環境にあるのに頭打ち傾向にあったのも、リスクテイクをしない体質
が災いしていると言われてきた。だが苦節12年,岡田代表監督はリスクを覚悟してチームを
引っ張ってきた。そして選手たちも、一人一人がリスクを背負ってチームのための最善とは何か
を常に追求し、練習に、そして試合に、全力で取組んできた。今日のパラグァイ戦に勝つぞ!
投票者はリスクを負わない政治家を捨てるべきだ! 我々は覚悟をもって投票を!如何なものか
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岡田武史代表監督の偉業 [希望]

寝てから見るか?見てから寝るか?2010年ワールドサッカー・本大会1次リーグE組の
決勝トーナメント出場を賭けた日本・デンマーク戦が、日本時間3:30に開始された。
私も起きて見るつもりだったが、少し寝過ごして、試合開始後17分の本田のフリーキックを
寝ぼけ眼で見た。驚いた!正に目の覚める様な35mのロングシュート!一挙に目が覚めた。

これはテレビ観戦せねばと、妻の安眠を妨げないように階下に降りてジックリ見た。
そして間もなく前半の30分に今度は右の遠藤が28mのフリーキックを決めたではないか!
一説では、遠藤が本田に蹴らしてくれと提案したか、本田が前の壁が遠藤の右に有利だから
遠藤に蹴る様に提案したか?兎も角、遠藤が蹴りたいと言い、本田が譲ったという。
此処にもオシムの戦略的ディシプリンが体現されていると感じた。スタッフも含めチーム員が
最善を求め、コミュニケーションし、議論し、提案し、納得の上で責任覚悟、リスク覚悟で実践する。
これぞ、本当の戦略的ディシプリンであり、スポーツマンシップだろう。

後半戦は、ヨン・ダール・トマソンがペナルティキックを阻止されながらおしこみ1点差に
なったが、後半42分、本田の絶妙のアシストで、途中出場の岡崎が会心のゴールを決めた。
ディフェンダーを引き付ける動きも戦略的ディシプリンだ。岡崎は本田のゴールを貰ったような
ことを言っていたが、そんなことはない。本田は戦略的ディシプリンを実践したまでの事。岡崎も
戦略的ディシプリンを実践し、本田をフォローしてキッチリ決めた。高く評価されるべきだ。

本大会前の強化試合ではセルビア、韓国、イングランド、コートジボワールに連戦連敗。
監督の進退問題も浮上した。昨年のオランダとの親善試合で中村俊輔が蹴るべきフリーキック
を本田が直訴して蹴ろうとした事が波紋を呼んだという話もある。マリッジブルーではないが
大試合を前に、選手やスタッフ間での揺らぎもあったろう。だが岡田監督はぶれることなく、
自分のチームコンセプトを進化させ、実現できるチーム作りを粛々と進めてきたのだろう。
ワールドカップでは、公式戦で初めて本田を1トップに抜てきし、カメルーン戦に臨んだ。
結果的に作戦は的中した。本田は信頼を獲得のみならず、チームリーダの風格さえ備わって
きた。「出る杭は打たれる」の譬え通りチーム内に不協和音が出てくる可能性もある?
しかし決勝トーナメント出場は、岡田監督のチームコンセプトの妥当性が証明されたのだ。
オシム前監督から継承して2年半の道程は苦難の連続だったが、決勝トーナメントの初戦突破
こそ真の前進。年功序列を超えて、未知の世界を開く試合を勝利で飾ろう!如何なものか。
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相撲界と丸暴 [歴史]

丸の中に暴と書いて丸暴と読む。警察が目の敵にしている暴力団の事だ。先週の「週刊朝日」に
相撲界と丸暴との関係が載っていた。丸暴幹部が一般販売されない土俵際の特別席で相撲観戦
した問題は、野球賭博の前哨戦だったのか?それはさておき丸暴幹部がなぜ特別席を好むか?
警察幹部の話では、「テレビ中継で画面に映り易い。相撲中継は刑務所でも観戦できるので
服役中の組員らにアピールしているのだろう。」という。組織内情報伝達としてアイデア賞?

その記事によると、名古屋に本拠を置く丸暴さんが相撲興行とかかわっているようだ。
相撲界と丸暴(昔はやくざといった)とは、江戸時代から地方巡業ではお世話になっていた?
そういう面では芸能界も例外ではない。神事とやくざとの関係も深い。神社等の祭礼の出店
(香具師:やし)と、その仕切りもやくざさんだった?(“ごくせん”、“男はつらいよ”参照)
だから浅草・三社祭りなどで刺青や神輿乗りなどの問題もあったのだと思う。
刺青という風習は、私自身はなにか暗いイメージがあって嫌いだが、刺青=やくざ=悪、という
短絡的思考も余り好きではない。FIFAワールドクラスサッカーの選手には、人種的に関係なく
刺青をしている人も多い。

私の好きな「サスペンスもの」の「ハマの静香は事件がお好き」は、「横浜猫の手商会」を
経営しながら、前科者を立ち直らせる女社長・ハマの静香(片平なぎさ)の物語である。
社員の一人元ヤクザ・自称通天閣のトラこと朝日虎之助(赤井英和)は、ことあるごとに
「やくざにもええやくざと悪いやくざがおるんじゃい!わしは任侠道を行くええやくざじゃ」
と息巻いている。私は、彼の言い分にそれなりの真実を感じるのである。世の中、殆どの事は
きっぱりと善悪、白黒付けられない。良いやくざにもまた良いのと悪いのが居る。そしてそれは
人に固有のものでもなく、時と場合によって変わる事もある。

日本人は、昔から社会の荒くれ者を上手に使っていた。やくざ組織も、岡っ引組織も、
江戸火消し組織も、さまざまな工夫を凝らして、悪い事に加担せず、良い事に加担するように
荒くれ共を上手に捌いてきた。「日本人の歩み寄りの心」をうまく引出していたのだと思う。
現代は、利己心と自立心、“歩み寄りの心”と“古臭い心”、潔癖性と合理性等の仕分けなしで
古い体質を現代的に再構築しなければならない。社会を革新しなければならないという。
それは見世物で自分の気に入らない予算を削減する民主党政治の様なものではなかろうか?
各人それぞれが、小さな独裁者になっていないか?我が身を省みてはどうか。如何なものか。
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相撲界の野球賭博 [希望]

相撲界の野球賭博事件が勃発した。良く知らないが野球賭博も古い話題のようだ。
この種の話題は芸能界など他にもありそうだが、相撲界は他に比べて大きく扱われている?
私は、相撲界の事件が話題になるたびに、ある戯曲とその演劇、そして歌のことを思い出す。
相撲取りを志して果たせず、やくざになった男の物語・長谷川伸原作「一本刀土俵入り」だ。
親方に見放されて帰る当てとてない力士崩れの若者を同情し援助した酌婦お蔦。その10年後
悪いやくざに困り果てるお蔦たち家族を、かつての若者(駒形茂兵衛)がやくざになりながら
恩を忘れず10年前の恩返しをするという話である。

自分の事に精一杯で人の事など考える余裕もない時代、身を省みず若者を助けるお蔦の情け。
自分は人を思いやるのもおこがましいやくざになりながら、10年前の感謝の気持を忘れずに
命を懸けてお蔦の家族を助ける駒形茂兵衛。日本人はこの二人の心に感動し涙したのである。
「三丁目の夕日」の時代(昭和30年代前半)までは、こういう物語が受け入れられていた。
それは古いことを忘れてしまうのではなく、現在の我が身と引き比べて、自分をおいても人を
助ける心の尊さを思い出すだけの感性が、当時の人にはまだあったという事である。

「相撲界は古い体質だから、もっと現代に相応しい改革をするべきである。」という意見は
大変もっともであるが古くからあっても日々新たなものもある。尊い心を思い出す感性だ。
人間は、皆自分中心で生きている。お蔦や茂兵衛のような心を常に持つことはできない。
それでも思い出す感性くらいは持って我が身を省みれば、もう少し住みやすい社会になる?
相撲界における問題の対応の仕方が、いつも何か腑に落ちなかったのだが、それは日本人の
心の基盤、精神の基盤には触れないで、形にこだわる議論だったことに気付いたのである。

西欧では精神と肉体(行動)は一体と考えられ、西欧的合理主義、論理主義一辺倒の制度が
形成された。その背景には一神教的教理に従う精神の基盤があるからだ。しかし日本は?
日本は多神教的教理を背景にしており、精神基盤は一枚岩ではない。日本の道徳に一貫性が
あったのは、様々な事象から我が身を省みる「日本人の歩み寄りの心」の働きだった。
現代日本では、それを浪漫主義、日和見主義、他律主義として軽視し忘れ去ろうとしている。
「日本人の心」の基盤が揺らいでいる今日、日本人の将来は、厳しいものがあるだろう。
これからは、生きる上での精神の基盤が一枚岩でない現実を踏まえた議論が必要だと思う。
その様な観点から“様々な事象から我が身を省みる”重要性も再検討すべき?如何なものか。
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閑話・スポーツと政治② [社会]

私は、イビチャ・オシム前サッカー日本代表監督の「文芸春秋」6月号記事を読んで俄かサッカーファンに
なったという人間だが、昨夜のポルトガル7‐0北朝鮮の試合を見て、戦略的ディシプリンの
恐ろしさが分かったような気がした。こんな大量得点差になったのは、ポルトガルが
グループリーグ突破のために、幾らでも点数を欲しい所だからである。それにしても余裕が
出来るとこんなにピタリと当て嵌まるのかと、改めて戦略ディシプリンの凄さを思い知った。
怒涛の得点ではポルトガル選手のアシストが光った。ポルトガルのエース・ロナルドなどの
ミドルシュートの得点率が高いからこそ必死で防戦し、ゴール前のアシストが有効なのだ。
日本選手はシュートするが確率が低いから、相手側も余裕でアシスト対策を配慮できる?

これを「消費税増税」政策を例にして、政治の世界に当てはめて考えてみよう。
「消費税増税」をシュートとして、得点(政策の成立)に結びつける戦略的ディシプリンは?
確かに、自民党も「消費税増税」と言っている。アシストしてくれているのである。
しかし相手ゴールは、国民が守っているのだから、国民が納得するような秘策が必要だ。
世論調査では「消費税増税」そのものの賛否は拮抗しているものの若干賛成が上回っていた。
菅首相は、これを好機として、「消費税増税」に言及した。

戦略的ディシプリンとして整っているように見えるがどうか?私の意見は、これは、
似非(えせ:似て非なる)戦略的ディシプリンだと言いたいのである。 なぜか?
菅内閣は、これを、前が空いた!さあシュートだ!と、勘違いし「消費税増税」に言及。
ところが、途端に内閣支持率が、59→50%に急落(昨日の朝日)。慌てた菅首相どのは
“「消費税増税」は、2,3年先、あるいはもう少し先”、と表明?(今日の新聞より)。
このような事実関係から、政治家として、自己の発言の重みに責任感がないからである。

イビチャ・オシム氏が、日本チームに戦略的ディシプリンがないという意味は、自らの判断の回避
他人の判断に従属、責任の回避ということ。「消費税増税」に言及するというのは
小出しに出したり引っ込めたりする話題ではない。政権がそれ程、惜しいのなら、軽々に
口にするものではない。戦略的ディシプリン実践のサッカーは、これがダメならアレ式の
無責任ボールたらい回しサッカーとは一線を画する思想である。
民主党政権のように、政権ばかり欲しがり、国民の顔色ばかり見る政党がウヨウヨ出来て
そんな政党間で政権をたらい回しされたのでは国民は堪らない。如何なものか。
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閑話・スポーツと政治 [閑話]

当地(岡山)の暦では日出4:51、日入19:21で昼間が一番長い14時間30分。夏至である。
残念だが曇天で日没がよく分からないが、日が長いのは何か生命力が溢れている様でいい。

世の中はFIFAワールドクラスサッカーで騒がしい。今日の散歩で見かけたスポーツ紙では‘大スポ’
だけが、「大逆転 藍優勝」の文字が躍っていた。これは夕刊紙だからできたのか?
宮里藍(25)が、米ニュージャージー州ドルチェ・シービュー・リゾートで20日に行われた
米女子プロゴルフツアー第11戦「ショップライトLPGAクラシック」で大逆転優勝をした。
ツアー今季4勝目、通算5勝目の快挙を成し遂げた。

私は、宮里藍が今期3勝目をあげた時に、優勝とオチョワ引退に感情が溢れて、優勝スピーチで
オチョワの引退に涙した事に、心配し、違和感を唱えた。しかし私の老婆心は杞憂におわった。
今期4勝目をこんなに早く達成した宮里藍の成長に、改めて、絶大な拍手を送りたい。
今回の勝利は、米国本土における初勝利でもあり、またこの優勝によって、世界ランクも
申ジェ(22:韓国)を抜いて1位となった。この様な素晴らしい出来事であるにもかかわらず
宮里藍は、大きなアクションを見せず、つねに平常心でプレーする藍らしい穏やかなVシーンだ
と新聞に書いていた。ひょっとすると、私の老婆心が届いたのか?と思いたい。
「世界ランク1位」は男女を通じて日本ゴルフ界初の快挙?世界ランキングは
樋口久子の時代にはなかったろうが、岡本綾子の時代にもなかったということだろうか?

野球は世界の頂点に立ったが、サッカーは世界の頂点は遠そうに思うがどんなものだろう。
日本人は野球向きの体質で、サッカーには向かないのではないか?この間、本田が言っていた。
日本人はゴール前でパス回しばかりしていて、シュートを打たないと。勿論、世界レベルの
日本代表にそんなことはない。海外在住の日本の子ども達と当地(外国)の子ども達の試合を
そのテレビでやっていたが、本田のいう通り、技量に格段の差がある。

政治というのも、サッカーと同じところがあるように思う。日本人の体質には合わない?
お互いに譲り合っている内に年をとる。年功序列的に、政治の役割分担が決まるようになる。
リーダシップをとって組織を引っ張っていくというのも、サッカーのゴール前のたらい回し
見たいになる。それをやめて、能力主義を真似ると、民主党のように張子の虎みたいな人が
実権を握って立ち往生してしまう事になる。どうすればいいのだろうか?如何なものか。
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「ゲゲゲの女房」12週② [物語]

テーマ「連合艦隊再建」の今週は、原稿料を貰った茂(向井理)が戦艦長門のプラモデルを
買って帰った所から始まったが、「悪魔くん」の中止以後経済状況はますます逼迫していた。
風邪を引いた布美枝(松下奈緒)が使う鼻紙も買えない体たらくで、茂(向井理)は一時
漫画家廃業を考えたりした。最初文句を言っていた布美枝(松下奈緒)も、段々、二人仲良く
プラモデル作りを楽しむようになり、今日は家族で耐えて漫画家業を支えていく決心をする。

今週は東京オリンピック前年(昭和38年:1963)という設定になっていた。武良布枝原作の
「ゲゲゲの女房」では、長女誕生が、昭和37年(1962)クリスマス・イブだから当然か。世の中は
所得倍増計画で庶民生活も向上し、東京オリンピックで浮かれているというのに、水木夫婦は
昭和36年(1961)正月に結婚後、全く甘い新婚生活等ないまま赤貧洗うが如き生活が続く。
水木しげるが一生に一度だけ漫画家廃業を考えたのも1963年頃、長女のミルクを買えない程
の苦境に立ったときだという。今日の話では、廃業は鼻紙を買えないからとなっていたが。

昨日のNHK番組「朝イチ」に“プレミアムトーク 向井 理”というコーナーがあって、彼の
魅力的な側面を見せてくれた。その中で、向井 理が、「見合い結婚」について聴かれた時
“二人(水木しげる夫妻)が、日々、愛を育んでいくことを実感して、お見合いもありかな
と思いました。”と答えたのを聴いた。感心した。現代は何かというと相手に不平不満で即
離婚というのが多い。何処に耳目がついているのか?何処に心があるのか?と疑いたくなる。
宇宙飛行士・山崎直子夫妻の話を聴いて感心したことがある。女房の方が「自分も至らない
かも知れない」と譲歩したという。離婚で失うものが少ない方が折れる事は大変なことだ。

人生は毎日の経験の積み重ねである。向井理は28歳、松下奈緒は25歳、二人ともお若いのに
実にしっかりしている(松下奈緒の素晴らしさは“「ゲゲゲの女房」奮戦記” (文芸春秋
・2010年5月号)を読んで感心した)。こういう二人を“スカシてる”等という風潮が以前は
有ったが、最近はどうなのだろう?真ともなことがバカにされず尊敬される世になることが
大切である。ゲゲゲの夫婦は金持になったから尊敬されるのではなく、貧乏でも真っ当な
生き方をして、毎日の経験から素晴らしい智慧を授かったから尊敬されるのだ。

今日の最後で藍子が立って歩くシーンは、家族が成長し支えあう明るい将来を予感させた。
東京オリンピックの年こそ、水木家の開運の年?あと少しで貧乏脱出? 如何なものか。
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支持率V字回復の裏 [社会]

06.25付けの「週間朝日」の“ホリエモンの近未来予測”に、「驚くほど多くの人たちが
国にぶらさがって生きています。(そういう人たちが)国の構造を悪くしているのです。」と
書いていた。そういうぶら下がり人たちが選挙の票固めをしているので国会議員体質も首相
体質も変わらない。体質を変えるためには、首相の大統領制が必要だという主張であった。

この様なホリエモン的視点で見た場合に、民主党(菅)内閣支持率のV字回復はどう見える?
票固めをしている人とは、一般庶民ではなく、それなりの既得権者で、既得権を守るために
国にぶら下がっているとすれば、民主党は、利権目当ての支持者をどの程度抱えているのか。

民主党or内閣の支持の確定票組は、利権期待組も考慮すると次の様に分類できると思う。
1.中核人:“確定票の中核を担う” 議員からの見返りを直接的に期待できる
2.惑星人:“確定票の外郭を担う” 中核人を介して、間接的見返りを期待できる
3.衛星人: 中核人・惑星人との有無に関係なく、社会的・政治的に支援している

中核人は確信犯だから、良くも悪くもどうしようもない。しかしその数はそう多くはない?
ホリエモンのいうごとくぶら下がり人が多いという事は、惑星人が想像以上に多いのか?
自民党時代には現実に相当な範囲まで広がっていたのかもしれないが、ホリエモン指摘の
芋づる式利権クラスターは、政権交代によって崩壊または大打撃を受けたのではなかったのか?
だから、菅内閣支持率のV字回復は、小沢下ろしを好感した「3.衛星人」によるものと
解釈できないこともない。その場合、労働者などが中心となっているのだろう。

しかし小沢隠し等と騒がれている事態をそんなに素直に信じられるのか?どうもオカシイ。
民主党の問題は何も解決していないにも関わらず、菅内閣支持率がV字回復した理由を
見返りの期待できない内閣は支持しないが、見返りを期待できそうな内閣なら元に戻るという
自民党時代の利権政治が今も健在であると考えれば、実にスムーズに理解できるのである。
政権交代は、決して新しい政治ではなく、看板を塗り替えた古い政治でしかないのである。
小鳩退任は参院選勝利のためのシナリオで世論を騙し、確定票組をうまくまとめたわけだ。
従って、今回の菅内閣支持率のV字回復は、玉石混交、呉越同舟の複雑な思いの結果という
ことになる。今度の参院選挙は、衛星人たちが真面目に民主党の問題を考えるかどうかを
占う試金石と考えられるのではなかろうか。如何なものか。
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逃げの民主党 [社会]

異例づくめの通常国会の幕切れである。終盤国会をどう乗り切るか?菅首相の手腕が問われる
はずだったが、菅内閣は支持率のV字回復を背に、臭いものに蓋をして参院選挙を最優先した。
国会審議を逃げても庶民はよくわからないから影響は小さい。それに比べ予算委員会を開けば
新井国家戦略相の事務所費問題が映像化され選挙中何度も放映され、選挙に不利と読んだ?
政府与党が自党議員の問題を、国会審議を逃げてまで隠蔽するという党利党略は、国権、即ち
国民の権利を軽視するのも甚だしい。「鉄は熱い内に打て」、「膿は早い内に出せ」という
ことを知らないのか?このような見え透いた党利党略が罷り通る背景を考えてみた。

民主党が政権政党になって何が一番変わったか?それは労働組合員が与党になったことだ。
兎も角労働組合と言うのは、少なくとも私の経験では公明党等と同じく上層部の言いなりに
投票する傾向にある。それだけでなく親戚・知人にまで応援をお願いする。それはまた
人間的信頼関係が濃密なので、無党派層には浸透力があり、信用して投票してくれる。
この傾向は野党時代なら与党の批判票だから、まあ大目に見ることができた。しかし
与党になっても、この傾向が継続されて、体質改善されてなければ問題である。
今回の支持率のV字回復も、労組幹部のてこ入れが有った?しかも従来、与党に批判的だった
女性票が父ちゃん達の政党だからと甘くなっていることが、それに拍車をかけているのでは?

日本の労働者は、官僚や教職員、大企業の社員でも、忙しくて新聞やTVニュースさえ、ロクに
読んだり、視聴したり出来ない状況であることが予想される。民主党の逃げ、目くらましに
容易に騙されてしまう可能性が大である。自民党時代は自民党と既得権者への利益誘導のため
一般庶民が騙された。しかし民主党は身内である労働者を騙している。外国の何とか党幹部が
肥え太るために、一般党員が騙されたのと似ていないだろうか?労働組合幹部は既得権者へ?

私の考えでは、現代日本の様なリスク管理では、どの様な政治をしようと国民の大半が満足
できる政治をする事など不可能?満足も感謝もない大方の金持ちを見れば分かるではないか?
菅首相は声高に消費税増税を謳い、目立つ反対もないのは、労働組合が賛成しているから?
庶民に消費税増税をして、企業の所得税減税を抱き合わせるからだ。最少不幸等は絵空事。
結局、自民党時代と同じように既得権者を肥え太らし、おこぼれ期待をするだけである。
労働者が政権内部に組み入れられた事は大変喜ばしい事であるが、そのことが、衆愚政治に
直結してしまう恐れを持っている。労働者よ、君達個人はどうする?如何なものか。
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