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民主党は文明の敵? [社会]

散歩途中図書館で「正論」7月号の西部邁(1939.3.15-)著【文明の敵・民主主義を撃て】を
読んだ。民主主義の潜在的な欠点に便乗している民主党の政治を批判しているのだろうが、
難文で論旨を掴みかねた。批判倒れになっている?世間体があり明確にものが言えない?
批判だけでは、大学者の沽券にかかわるから難しく書いたのだろう。私の勝手な推測では、
民主主義の潜在的欠点に便乗している民主党は文明の敵。だから撃て!ということではないか?

昔、英国のチャーチル元首相は「民主主義は最悪の制度」と発言したことがあるが、それには
「これまで試されてきた全ての政治制度を除いて」という注釈が付く。民主主義よりもマシな
政治制度を、人類は今だ考えつかない愚か者である。だから「利」だけでなく「義」が必要に
なるのである。国家リスク管理の根本に「義」が必要で「義」とは〔否利己〕だ。民衆に「義」
即ち、否利己的モラルがなければ、封建社会・民主社会にかかわらず、衆愚政治に陥る。

上杉鷹山政治の最大のポイントは、1773年、上級家臣や老臣たちの反発を招き、鷹山に対して
反旗をひるがえした時に、果断な処置を取った事である。「伝国の辞」の第三条
“国家人民の為に立ちたる君にして、君の為に立ちたる国家人民にはこれなくそうろう。”
「君」がそうならば、武士階級は当然、人民のために立たなければならない理屈。だから
果断な処置を取れたのである。今の民主党が、小沢一派を果断に処置できないのは、まともな
理念が無いからでは?菅首相の“最小不幸の社会”って何なの?「最大幸福」の言い換え?
理工系は最適化などという数字で計れる事しか考えないが、それは「利」の計算である。
「義」の大切さが分かってない。菅首相には、国家のリスク管理に必要な「義」のために、
果敢にリスクに挑戦することを期待したが、“最小不幸”では夢も希望もない。

上杉鷹山や菅新内閣の事例からも明らかなように、衆愚政治は一般庶民だけの問題ではない。
治安、防衛、外交、教育など国家の任務に携わる人間(政治家・官僚その他のエリート)たちが
民衆の耳目を開かせる力がなく、時代遅れの上級武士同様に愚鈍で強欲な事が問題である。
文明の敵とはどういう意味か?衆愚政治による日本民族のモラルの崩壊であり、国家の
リスク管理の崩壊である。戦前の日本が、あんなバカな戦争に突入したのは、正に文明の敵・
衆愚政治に陥っていたからだった。新内閣支持率は、何処が良いのか分からないが高い?
この様子では参院選で民主党を大敗させる事はできそうもないから、今となっては手遅れか?
結局また変な連立政権で、党利党略の行方定めぬ日本沈没の航海へでるのか?如何なものか。
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