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魔法の運動・一周年 [大家族]

ふと今日は、「魔法の運動」と題してブログを書いて丁度丸1年経過したのだと気付いた。
今でも鮮やかに思い出す。今日と同じ暑い日で、散歩途中、ジャスコ店内休憩所で一休の時、
頭上のTVがやっていた「ためしてガッテン」を聞いたのがスロージョギングの始まりだった。
“中高年の血糖・血圧・尿酸値等を下げ、ボケ対策にもなる魔法の運動!”というご託宣に
感激して、翌日の'09.06.17から実践しはじめた。

'09.08.26のブログで「SJその後・・・」と題し、SJ(スロージョギング)の70日間の総括をした上で
70日間で42日間もSJができた事に感謝し、真夏中の疲れを癒すために中断を宣言している。
'09.11.18のブログでは、“SJは歩数増産に欠かせない。若干心臓に負担が掛かる様なので
'09.08.25以来一旦休止していたが、ついに再開か?”と控えめな再会宣言?をしている。
'09-12-18のブログ「私の健康管理」で、11-18~12-17までの試走結果をまとめると共に
スロージョギングの本格再開宣言をした。'09.11.18~年末まで、30日/44日の実施率だった。

今年に入って5月までの実績は、02.01、02.28、04.01、05.01、06.01のブログに掲載した。
6月の今日までの実績を含めて、年初からの実施回数は、123回となっている。従って
この1年間のスロージョギング実施日数の総計は、足し算が間違ってなければ、195日となる。
この1年間通算のスロージョギング実施率は、約80日間の中断期間も含めて、5割3分4厘である。

こんなことを仰々しく書く人間をバカだと思うだろう。世の中には立派な人がたくさん居て
私のこんな成績など物の数ではない。しかし私の様に子どもの頃は虚弱体質で、おまけに
移り気な性格で、熱しやすく醒め易い人間にとっては良くやったと自分を褒めてやりたい。
継続で一番の障害は膝関節の痛みと心臓が苦しくなることだった。走り方を随分と工夫した。
最近、SJ中の呼吸法を、“呼”の時間を長く、“吸”の時間を短くする腹式呼吸を始めたら
心臓の負担を余り感じないで、できるようになった様に思う。合唱の発声にも良いようだ。

水木しげるは、若い頃を思い出して、「趣味はカネがないから散歩しかない」と書いている。
私の場合、古希を迎える年頃だが、水木しげると同じく「カネがないから趣味は散歩」。だが
水木しげると違って、“しかない”、ではなく、“散歩やSJができて、有り難い!”という
感謝の気持でいっぱいである。虚弱体質だったり根性なしだったりで、世の中は思った通り
行かないが、成功者をうらやんでも仕方ない。貧乏力で明るく生きることだ。如何なものか。
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民主党の裏切り [歴史]

昨日、今日と国会の代表質問に対する菅首相の答弁を聞いていて、実に情けない!と思った。
普天間問題や小沢隠しなど守りの部分では官僚作成の答弁用原稿の棒読みで、経済問題等の
攻めの部分では、調子のいい超党派財政再建などで、無責任発言を行っていた。
国民の支持(世論調査における内閣支持率や参議院選挙における民主党への投票率)を背景に
参議院選挙によって一定の支持を得れば、9ヶ月以上は政権を維持できると考えているのか?
確かに、鳩ポッポに比べると菅は大人に見える。だが比較対象の鳩ポッポが酷過ぎることを
勘定に入れないといけない。小沢だって議員辞職したわけではない。

民主党の問題は余りにも多岐にわたる無責任政治体質であり、従って分かり易く議論し難い。
従って、此処では「普天間問題」に限って、その無責任体質を論じて見たいと思う。
そもそも沖縄問題と言うのは大変に根が深い。沖縄は、慶長14年(1609)まだ豊臣政権時代
薩摩藩が植民地化した。しかし薩摩藩は中国政府を刺激せず、沖縄を介して中国、そして
米国や欧州とも間接的に取引し、また砂糖産業などで裕福になった。明治12年(1879)
琉球政府を廃して沖縄県とした。しかし沖縄は日本本土の文化・伝統とも異なっていたことが
戦後(昭和27年:1952)日米安保条約発効と共に、沖縄を切り離す事に、多くの日本人が
苦しみを感じなかった大きな理由だった。昭和47年(1972)に沖縄は返還されたが、
いま振り返ってみると、政治的なショーであった一面が強かったように思う。

沖縄は、第二次世界大戦終末の米軍上陸による大きな被害だけでなく、封建時代や、戦後でも
様々な苦役を強いられてきているのである。そのような人々のことを真に思うのであれば、
鳩ポッポのようなマネは出来ないだろう。余りにも無責任な発言を重ねておいて、最後には
勉強不足だった!元の辺野古に戻します。ハイさようなら! ・・・は余りにも酷過ぎる。然るに
日本国民のこの非情さ!はなんだ?こんな酷い目に会わされた沖縄の事など忘れた様に
菅首相や民主党を大勢が支持するとは!日本人の真心、思い遣りの精神は何処に行った?

代表質問に立った人々は、鳩ポッポを補佐する立場にあった当時の菅副首相や担当大臣だった
岡田克也・前原誠司・北澤俊美その他の人々の責任を追及していたが“カエルの面にションベン”
厚顔破廉恥なのは国民の支持があるからだ。沖縄が日本では特別な地域であるとはいえ
此処まで沖縄の人々の心をもてあそんだ民主党政権を支持するとはどういう神経をしている?
自己中心の我が身を省みよ!日本人の真心よ甦れ!民主党にお灸をすえよ!如何なものか。
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「ゲゲゲの女房」12週 [物語]

今週からテーマは「連合艦隊再建」。時はオリンピックで東京中工事だらけの昭和38年(1963)
茂(向井理)は、「悪魔くん」の原稿料で、セッセとプラモデルを買い込んでくる。
女房の布美枝(松下奈緒)は、怖い顔をして旦那を責める。怒るのも尤もだと思う。
布美枝の主張する将来を見据えた“リスク管理”は重要である。しかし酒もバクチもしない
旦那のプラモデル製作程度の道楽ぐらいは許容されて良い様にも思うが、どうだろうか?

ところでドラマの中で、茂(向井理)の、あの片腕のない姿の演技は大したものだと思う。
いつかはボロが出るだろうと思って見ていたが、最近では演技に益々磨きが掛ってきた。
あれは左腕を曝しで胴体に巻き付けているのだろうか?それにしても胴の左右の均整がとれてい
る様に見えるが、撮影する方向によって腕を前にしたり、後にしたり細かに切替えているのか?
いずれにしても向井理は、普通の役以上に大変な苦労をしている?彼は、その苦労をどんな思い
で経験しているのだろうか?私は、その経験に立ち向かう彼の心の姿勢によっては、大きな収穫
を得ることができるのではないか?と思っている。勝組は、経験の仕方で勝ち取るもの?

余談だが女優・松下奈緒は怒ると能狂言の‘般若の面’に似た瞬間がある。昔の人は、女性を
「外面如菩薩、内面如夜叉」と断じたが、彼女の場合、「外面はたまに夜叉の如し」でも、「内面
はつねに菩薩の如し」? 私は、松下奈緒は素晴らしい女優だし、好演していると思う。ちなみに
‘般若’とは、恐ろしい鬼女のことを指すと共に、真の悟りを開く尊い智慧のことも意味する。
‘般若の面’は、創作者の名前にちなんだ呼称のようだ。洒落で付けたのだろうか?数百年間
呼称が定着したのは仏教語「般若」の意味を知らないからではなかろう。鬼女の面と尊い智慧と
の間には、合理的関係はないが、日本人の直覚に訴える何かが有った?現代女優・松下奈緒は
苦しい生活の中で、智慧を授かろうと生きる古風な女性を懸命に演じて本当に好感がもてる。
向井理も左腕のない人を、演技で表現するという苦労を淡々とこなして、素晴らしい。
最近のTV小説で、久々に大器を予感させる大物新人デビュではなかろうか?如何なものか。

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「ゲゲゲの女房」11週② [物語]

今日は、NHKTV小説「ゲゲゲの女房」第11週“貧乏神をやっつけろ”の最終日だった。
貧乏神をやっつける結末を期待したが、マンガ「悪魔くん」の刊行で盛り上がったのが関の山。
新たな火種が予告された。この「悪魔くん」は、零細出版社社長の戌井(梶原善)から出版する
事になった。戌井(梶原善)は、大ホームランになると長編物語でいくことにする。しかし、
武良布枝原作でも書かれているが、全5巻構想にもかかわらず人気が振るわず3巻で終わった。
戌井(梶原善)のモデルになっている東考社の桜井昌一氏は、水木しげるマンガの代表的な
キャラクターのモデルにもなっている。ゲゲゲの夫婦にとって、苦難の時代を行きぬいた同志
である。桜井氏は、「悪魔くん」のことを、“これはすごい作品ですよ。・・・売れないからと
気に病む事はありません。”と夫妻を励ましたという。ちなみに「悪魔くん」出版は1963年

さて、「悪魔くん」の原稿を出版社に届け、無事原稿料を貰った茂(向井理)は、戦艦「長門」
の模型を購入して帰る。予告では布美枝(松下奈緒)が不平を言う場面がチラリとあった。
武良布枝原作でも模型の話は出てくる。ミルク代にも事欠く時に始めた‘連合艦隊再建構想’は
境港での幼少時代の思い出につながっている。茂が、様々な記憶を呼び戻し、噛みしめる事に
よって自分の運命を受け入れ、切り開いていく様子が伺える。そういう風に捉えれば、結婚は、
茂、布美枝にとって、どれほど大きな転機であったかが伺えるのであった。

武良布枝原作では、最初‘連合艦隊再建構想’に不満だった布枝も、酒もバクチもやらない夫に
これくらいの気晴らしは仕方がないと模型作りを手伝ったという。この模型作りが相当進んだ
所で、今回放送の精巧なプラモデルへの切替りとなったわけだ。この模型作りの事に関して、
“赤貧の中でよくそんなことをしたもんだと言われてしまいそうですが、水木も私も模型作りを
している間だけは、貧しくて厳しい生活のこともお金の算段も忘れて熱中しました。”
“無邪気な顔で一生懸命になっている水木と一緒にいるのも楽しくてたまりませんでした。”
と書いている。貧乏生活の美しさは、夫婦・家族が支えあって生きている美しさである。

現代日本は貧乏を「悪」と決め付けている。不自由、心配、不勉強などが理由である。しかし
本当にそうだろうか?不自由、心配、不勉強は金持にもついてくる。貧乏とか金持とかで善悪を
決め付けることはできない。問題はどう生きるかという「プロセス」である。ウソやお愛想で手に
入れた成功や成長はそのツケがきっとくる。貧乏な中で、「貧乏力」を発揮して生きる方が、金持
として、地位や財産に汲々として生きるより、ずっと素晴らしい生き方だと思う。如何なものか。
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「ゲゲゲの女房」11週 [物語]

6月も中旬となり、随分蒸暑くなってきた。暦では梅雨の入りだが今日のところはお天気だ。
初旬から始まった田植えもこの週末か来週末がピークになるだろう。

さてNHK・TV小説「ゲゲゲの女房」では、貧乏神に取付かれそうな夫婦が、小さな赤ン坊を抱え
悪戦苦闘の毎日である。電気を止められて蝋燭で仕事をする。しかし心の余裕か、蝋燭が風で
消えた時に夜空の星の美しさに見とれたりする。赤ちゃんは良く寝る良い子で手が掛らない
らしい。原稿料は3万円が3千5百円に値切られ、電気代を支払うとミルクを買う金もない。

水木しげるの短編マンガに「貧乏力」というのがある。
“運命だ、天命だなどと言っているうちは、貧乏力は生じない”、“こんなに働いてなぜ貧乏
なのか!というイカリが貧乏力を生む。” 貧乏力は一種のエネルギーだそうである。
貧乏力で頑張って、〆切り恐怖力なども加わって金持ちになっても、正体不明の恐怖みないな
ものが横に座っていた。人を簡単に幸福にしない役割をもつ「心配神」というのがいるらしい。
貧乏力で貧乏神を追払っても「心配神」が近づいた主人公は、「貧乏力」で幸福になる!と
叫び、ザ・エンドとなる。作者・水木しげるは「貧乏力」を高く評価している様にみえる。

ならば、「貧乏力」の源泉となる「貧乏神」とは、非常に大切な存在なのではないか?
どうもそうではないらしい。「貧乏神」は異次元の存在で、触らぬ神に祟りなし!
「貧乏神」という水木しげるの短編マンガの話は悲惨である。「貧乏神」は死ぬまで離れない?
従ってどうも貧乏には擬似貧乏と本貧乏の二種類あると考えられる。一方は「貧乏力」に
よって脱出できるが、もう一方の貧乏は、「貧乏力」も湧いてこず、貧乏神に取り付かれた
状況と言う事である。境港には水木しげるロードがありたくさんの妖怪がいたが、なんと
貧乏神だけはいなかった。あな恐ろしきは「貧乏神」!近寄るまいぞ、近寄るまいぞ!

水木しげる著「水木しげるさんの幸福論」の中に、“幸福の七カ条”というのがある。
その第七条は、“目に見えないものを信じる。” 貧乏でも「貧乏力」を備え、鍛えていけば
星の美しさにも人の情けにも気づくことができ、そこそこに生かしてくれることに感謝できる。
個人で抱えきれないリスクを組織や社会が支援してくれれば良いが儘ならぬ事もある。個人
としてギリギリのところまで、例えば「貧乏力」でリスクに挑戦する事も大切だ。社会支援
ばかり頼っていると、本当に「貧乏神」に取付かれてしまうのでは?如何なものか。
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救国論? [物語]

本日発売の「文芸春秋」7月号の藤原正彦著、「一学究の救国論 日本国民に告ぐ」を通読。
いよいよ来るものが来たか!というのが私の読後感想である。昨日の西部邁氏の記事は、まだ
民主主義の潜在的問題の指摘と受取るだけの許容巾があった。藤原正彦氏の記事は明らかに
右傾化の主張である。普天間問題で米国の高官達が日本の右傾化を心配していたが、案の定?
日本人は読まれてしまっている。サッカーでも何でも読まれた手を打っていては勝てっこない?

この記事の論旨を大掴みに見てみよう。日本独自の良さを歴史書や明治時代の外国人の残した
日本に関する評判などを引用して、日本の素晴らしさを強調。次に、現代日本の惨状の原因を
アメリカの占領政策のセイにする。そして、日中戦争、日米戦争の正統性にまで言及する。
更に、日本文化が持つ普遍的価値を主張した上で、新憲法を作り、正統な軍隊を拡充しなければ
日本を救えない、という筋書きである。

幾つか記述内容に問題がある。まず、指摘したい事は現状を他人のセイにするな!という事。
日本人の美徳か欠点か知らないが兎も角、何でも他人のセイにする性癖は国際社会には通用し
ない。占領政策を非難している件は、「文明論や国際法が通用しない戦争」の現実を知らない
書斎人のたわごとに過ぎない。戦争はしないにこした事は無い。やるなら勝つ戦争をすべきだ。
弱い犬がキャンキャン吠えて、“独立自尊のために戦争は不可避だった”、等と世迷言をいって
強い犬にかみ殺されたような戦争をし、塗炭の苦しみに堕ちる位なら戦争しない方が良い。
次に、「日本が独立文明を築いた」というハンチントンの説は、決して良い意味ではなく、孤立した
仲間外れの国という意味である。現代のような情報化社会で日本のような大国が特殊な存在
と分類されることがどういうことなのか?数学バカではわからないだろうなぁ~!

幕末から明治にかけての外国人の日本評に関しては、ご都合主義としか言い様がない。沢山の
辛らつな批評も存在している。チャンバレンの評なども、何処から仕入れたか知らないが、彼自身も
結構辛らつな批評をしている。戦前は禁書になったものもある。彼の著書、「日本事物誌」に
“日本人の特質”という項があるが、自分の意見はいうと損だと断って、他の外国人の賛否両論
を併記した。この中で面白い一節がある。明治以降、日本が外国からの侵略を免れたのは、
「日本人の環境に対する敏感性、即応性」だという。また、「形而上学的、心理学的、倫理的
論争に興味を欠いている」、というのもある。私のいう危急存亡の時(リセットされた時、例えば
明治維新や敗戦後)には素晴らしいにも拘らず、天下泰平になると百家争鳴で衆愚政治に
陥る要因が、どの辺りにあるかがわかるような気がする。

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民主党は文明の敵? [社会]

散歩途中図書館で「正論」7月号の西部邁(1939.3.15-)著【文明の敵・民主主義を撃て】を
読んだ。民主主義の潜在的な欠点に便乗している民主党の政治を批判しているのだろうが、
難文で論旨を掴みかねた。批判倒れになっている?世間体があり明確にものが言えない?
批判だけでは、大学者の沽券にかかわるから難しく書いたのだろう。私の勝手な推測では、
民主主義の潜在的欠点に便乗している民主党は文明の敵。だから撃て!ということではないか?

昔、英国のチャーチル元首相は「民主主義は最悪の制度」と発言したことがあるが、それには
「これまで試されてきた全ての政治制度を除いて」という注釈が付く。民主主義よりもマシな
政治制度を、人類は今だ考えつかない愚か者である。だから「利」だけでなく「義」が必要に
なるのである。国家リスク管理の根本に「義」が必要で「義」とは〔否利己〕だ。民衆に「義」
即ち、否利己的モラルがなければ、封建社会・民主社会にかかわらず、衆愚政治に陥る。

上杉鷹山政治の最大のポイントは、1773年、上級家臣や老臣たちの反発を招き、鷹山に対して
反旗をひるがえした時に、果断な処置を取った事である。「伝国の辞」の第三条
“国家人民の為に立ちたる君にして、君の為に立ちたる国家人民にはこれなくそうろう。”
「君」がそうならば、武士階級は当然、人民のために立たなければならない理屈。だから
果断な処置を取れたのである。今の民主党が、小沢一派を果断に処置できないのは、まともな
理念が無いからでは?菅首相の“最小不幸の社会”って何なの?「最大幸福」の言い換え?
理工系は最適化などという数字で計れる事しか考えないが、それは「利」の計算である。
「義」の大切さが分かってない。菅首相には、国家のリスク管理に必要な「義」のために、
果敢にリスクに挑戦することを期待したが、“最小不幸”では夢も希望もない。

上杉鷹山や菅新内閣の事例からも明らかなように、衆愚政治は一般庶民だけの問題ではない。
治安、防衛、外交、教育など国家の任務に携わる人間(政治家・官僚その他のエリート)たちが
民衆の耳目を開かせる力がなく、時代遅れの上級武士同様に愚鈍で強欲な事が問題である。
文明の敵とはどういう意味か?衆愚政治による日本民族のモラルの崩壊であり、国家の
リスク管理の崩壊である。戦前の日本が、あんなバカな戦争に突入したのは、正に文明の敵・
衆愚政治に陥っていたからだった。新内閣支持率は、何処が良いのか分からないが高い?
この様子では参院選で民主党を大敗させる事はできそうもないから、今となっては手遅れか?
結局また変な連立政権で、党利党略の行方定めぬ日本沈没の航海へでるのか?如何なものか。
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国家のリスク管理 [歴史]

故ケネディ大統領に、日本の政治家の名前を挙げてもらったら、「上杉鷹山」を挙げたという。
上杉謙信・直江兼続の系譜を継ぐ米沢藩の殿様である。上杉鷹山(1751-1822)は、1760年
上杉家に養子に入る。1766年元服。1767年(17歳)家督相続して、藩政改革を行う。改革で
画期的な成果を上げながら1785年(35歳)で引退する。上杉鷹山は素晴らしい改革者だが
ただそれだけではないから、故ケネディ大統領の心に届いたのである。

引退に当たって、跡継ぎである養父の実子・治広に与えた有名な「伝国之辞」は、
鷹山の先進的で素晴らしい政治理念を遺憾なく表現している。
1.国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして、我が私(わたくし)すべき物には之なく候。 
2.人民は国家に属したる人民にして、我が私すべき物にはこれなくそうろう。
3.国家人民の為に立ちたる君にして、君の為に立ちたる国家人民にはこれなくそうろう。

「伝国之辞」は、リンカーンの「人民の人民による人民のための政治」で有名な演説(1863)に
先立つこと約80年である事に注意したい。恐らく鷹山自身のオリジナルだろう。国家リスクは
人の物まねや口先ばかりの政治理念ではなく、先進的な新しい理念なくして管理できない。
普天間の問題にしても、いつまでも自民党のセイにしても仕方がない。沖縄基地の苦悩は、従来型
リスク管理では律しきれない。自民党以上の実力と先進的政治理念で取組まねば解決しない?
然るに、福祉、環境などの概念の後追いばかりで、何時までも税金、年金、借金のゴタゴタに
振り回されている。立派な政治家なら問題の本質に迫れ!然らずば、一般庶民と何ら変りない。

無能な国会や政府なら、樽床伸二議員の主張する少人数国会や小さい政府で充分ではないか?
小さな政府・大きな政府、民営化・国営化、という議論の前に、我々現代人が抱えるリスクの
新しい姿・形を予測し、回避すべきリスク、挑戦すべきリスクを将来に備え仕分けすべきでは?
その具体的管理をしっかりと立案し実行していくのが、国家(国会・政府)の役割では無いか?
リスク管理の基本はモラル教育であり、まともな国家の善良な国民は家庭や宗教で教育される。
例えば年金問題でも制度改革前に、年金制度が直面している新リスクの正体を見極めたのか?
旧態依然のリスクならば制度改革は専門家に任せておけばよいのである。役人や政治家或いは
国民のモラルの問題ならばいくら制度をいじってもダメだ。その仕分けは出来たのだろうか?
国家のリスク管理は、企業の商品開発のように選挙民の御用聞きでできるものではない。
先進的な理念、優秀な人材、更に卓抜した見識で国民を納得させて行うもの? 如何なものか。
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菅新内閣期待? [歴史]

従来の自民党内閣でも、新内閣発足時には、結構、新内閣支持率は上昇している。
安倍内閣の最終支持率が25.5%に対して、福田新内閣の支持率は、60%近かった。
自民党支持率は、安倍内閣末期は、10%代に対して、福田新内閣発足時は、約38%だった?
6/6の朝日新聞によると、民主党支持率が、普天間の辺野古移設発表以降うなぎのぼりだ。
辺野古で落ちた20%から、鳩山辞任で28%、菅新代表選出で、33%と上昇気流である。
安倍さんから福田さんに代わった時の自民党支持率変化と比べると、少し劣るようではあるが。
これらのことを考慮に入れて、菅新内閣の支持率は? 55%? ご祝儀相場で60%強?

我々国民は、一体、国会議員や政府に何を期待しているのか?
樽床伸二議員が、民主党代表選挙で国会議員の大幅削減を掲げていた。確かにこれも国会議員
しか出来ないことだが、治安、外交、国防など国家のリスク管理を行うことが基本である。
様々なコンクリート投資も、そういった観点がないといけない。無駄使いの管理等は、本来は
役人やNGO等に任せておくべきなのだ。制度を変革するならまだしも、高給取りの国会議員が
事業仕分けして、国民もそれを見て喜んでいるようでは、国家もお仕舞だ。

日本では、江戸時代以来、自己革新をしたことがない。江戸時代は自己革新をしてきたが、
黒船に即ち薩長に敢え無く負けた。日本人は明治維新をまるで「金の牛」のごとく崇拝して
いる。これは司馬遼太郎などが大きく影響している。しかしこれは“木を見て、森を見ない”
たぐいの話である。根本は、西欧の武器商人が薩長土らの若者たちを情報操作し、武器を与え
江戸幕府を崩壊させたのである。もちろんその裏には米・英の政治的魂胆があったのである。
その延長線上に日中戦争があり第二次世界大戦がある。明治以来のこの負債を背負って象徴的
なのが、沖縄である。諸外国がこういう観点から日本を見るとき、日本が、如何に自己認識に
疎く、また個別のリスク管理は兎も角、国家全体としてのリスク管理がいかにできていないか
を見通している。少し厳しい言い方になったが、「維新」崇拝はみっともないと思う。

明治維新や戦前の人々は、結局、大悲劇を起こしてしまったが、まだリスク管理をしていた。
戦後だって、それなりのことをやってきた人々はいた。しかし鳩山は結局リスクから逃げた。
菅新内閣に期待する事は、国家としてのリスク管理をやるという立場で、リスクから逃げず
リスクと向き合って欲しい。国家を滅ぼすようなリスクはとってはならないが、それなりに
リスクに挑戦?「核密約」の曝露など国内人気取り?小さい!小さい! 如何なものか。
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普天間問題'10.06.05 [歴史]

NHKのTV小説「ゲゲゲの女房」では長女が誕生した。TVを見ながら、物語の中で赤ちゃんが
予定より早く生れたことや、生れた瞬間の亭主の仕草などで、あの時はこうだったあぁだったと
物語そっちのけで、自分達の時のことに、花が咲いて随分と盛り上がった。

お金が無くても小さな幸せがあればいい。しかし世の中には、難病や病気に苦しむ、或いは
不幸な過去を背負って、小さな幸せさえ、感じられないという人々も沢山いるのだ。
沖縄の普天間基地も危険な状況の中、一刻も早い移転を必要としながら、移転先が決まらず
耐え難きを耐えている人々が居る。
今夜「追跡!A to Z:菅新政権 信頼は回復できるのか」というNHK番組は見応えがあった。
普天間問題は危険な状況にある普天間基地を移設するという改善案の遂行で解決する。
そのために、自民党時代、県内移設で、県、市町村各自治体も、合意の上で、辺野古に
決まっていたという。ところが、鳩ポッポが「県外、国外」と騒ぎ立てた。この事を番組では
“パンドラの箱を開けた”或いは、“マグマに穴を開けて噴火させた”と表現していた。

普天間問題の背景には、沖縄の悲しい過去がある。第二次世界大戦で唯一米軍が上陸して
多大な犠牲を払ったのみならず、戦後27年間(1972年迄)占領されていたのである。
現在の日本における多大な基地負担の理由も、そこにある。「核密約」も、沖縄返還と
密接にかかわっているのである。沖縄返還後、38年経っているのに何ら改善されていない?
との印象もあるが、米軍の沖縄基地は、南北朝鮮、南北ベトナムの対立(北は中国が支援)
に対して韓国、日本、台湾、フィリピン、インドネシア、オーストラリア等のために一定の
役割を果たしている。現在の韓国軍艦船の魚雷沈没は北朝鮮によるものと言うが、南北朝鮮
の対立は、決して火が消えてしまっているわけではない。いずれにしても、西側に敵対する
誰かが、沖縄基地問題に火が付いたことで、西側軍事同盟の弱体化を値踏みしているのだ。

菅新首相は、日米合意を既成事実として、沖縄を簡単に説得できると考えているようだが
そんなに簡単な問題ではなかろう。「覆水盆に帰らず」、政権与党の責任の重さをジックリと
感じてもらうしかない。現在の米軍の沖縄基地は日米だけの問題ではなく、近隣の西側諸国
及び、世界中の平和の問題がかかっている。イランやアフガニスタン、アラブとイスラエルの
対立など、世界中に戦争の火種は絶えない。日本が中国と同盟すれば沖縄基地は要らない?
米国と中国を天秤にかける大胆な政治主導?何やらきな臭い香りが! 如何なものか。
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