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相撲界と丸暴 [歴史]

丸の中に暴と書いて丸暴と読む。警察が目の敵にしている暴力団の事だ。先週の「週刊朝日」に
相撲界と丸暴との関係が載っていた。丸暴幹部が一般販売されない土俵際の特別席で相撲観戦
した問題は、野球賭博の前哨戦だったのか?それはさておき丸暴幹部がなぜ特別席を好むか?
警察幹部の話では、「テレビ中継で画面に映り易い。相撲中継は刑務所でも観戦できるので
服役中の組員らにアピールしているのだろう。」という。組織内情報伝達としてアイデア賞?

その記事によると、名古屋に本拠を置く丸暴さんが相撲興行とかかわっているようだ。
相撲界と丸暴(昔はやくざといった)とは、江戸時代から地方巡業ではお世話になっていた?
そういう面では芸能界も例外ではない。神事とやくざとの関係も深い。神社等の祭礼の出店
(香具師:やし)と、その仕切りもやくざさんだった?(“ごくせん”、“男はつらいよ”参照)
だから浅草・三社祭りなどで刺青や神輿乗りなどの問題もあったのだと思う。
刺青という風習は、私自身はなにか暗いイメージがあって嫌いだが、刺青=やくざ=悪、という
短絡的思考も余り好きではない。FIFAワールドクラスサッカーの選手には、人種的に関係なく
刺青をしている人も多い。

私の好きな「サスペンスもの」の「ハマの静香は事件がお好き」は、「横浜猫の手商会」を
経営しながら、前科者を立ち直らせる女社長・ハマの静香(片平なぎさ)の物語である。
社員の一人元ヤクザ・自称通天閣のトラこと朝日虎之助(赤井英和)は、ことあるごとに
「やくざにもええやくざと悪いやくざがおるんじゃい!わしは任侠道を行くええやくざじゃ」
と息巻いている。私は、彼の言い分にそれなりの真実を感じるのである。世の中、殆どの事は
きっぱりと善悪、白黒付けられない。良いやくざにもまた良いのと悪いのが居る。そしてそれは
人に固有のものでもなく、時と場合によって変わる事もある。

日本人は、昔から社会の荒くれ者を上手に使っていた。やくざ組織も、岡っ引組織も、
江戸火消し組織も、さまざまな工夫を凝らして、悪い事に加担せず、良い事に加担するように
荒くれ共を上手に捌いてきた。「日本人の歩み寄りの心」をうまく引出していたのだと思う。
現代は、利己心と自立心、“歩み寄りの心”と“古臭い心”、潔癖性と合理性等の仕分けなしで
古い体質を現代的に再構築しなければならない。社会を革新しなければならないという。
それは見世物で自分の気に入らない予算を削減する民主党政治の様なものではなかろうか?
各人それぞれが、小さな独裁者になっていないか?我が身を省みてはどうか。如何なものか。
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