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閑話・スポーツと政治② [社会]

私は、イビチャ・オシム前サッカー日本代表監督の「文芸春秋」6月号記事を読んで俄かサッカーファンに
なったという人間だが、昨夜のポルトガル7‐0北朝鮮の試合を見て、戦略的ディシプリンの
恐ろしさが分かったような気がした。こんな大量得点差になったのは、ポルトガルが
グループリーグ突破のために、幾らでも点数を欲しい所だからである。それにしても余裕が
出来るとこんなにピタリと当て嵌まるのかと、改めて戦略ディシプリンの凄さを思い知った。
怒涛の得点ではポルトガル選手のアシストが光った。ポルトガルのエース・ロナルドなどの
ミドルシュートの得点率が高いからこそ必死で防戦し、ゴール前のアシストが有効なのだ。
日本選手はシュートするが確率が低いから、相手側も余裕でアシスト対策を配慮できる?

これを「消費税増税」政策を例にして、政治の世界に当てはめて考えてみよう。
「消費税増税」をシュートとして、得点(政策の成立)に結びつける戦略的ディシプリンは?
確かに、自民党も「消費税増税」と言っている。アシストしてくれているのである。
しかし相手ゴールは、国民が守っているのだから、国民が納得するような秘策が必要だ。
世論調査では「消費税増税」そのものの賛否は拮抗しているものの若干賛成が上回っていた。
菅首相は、これを好機として、「消費税増税」に言及した。

戦略的ディシプリンとして整っているように見えるがどうか?私の意見は、これは、
似非(えせ:似て非なる)戦略的ディシプリンだと言いたいのである。 なぜか?
菅内閣は、これを、前が空いた!さあシュートだ!と、勘違いし「消費税増税」に言及。
ところが、途端に内閣支持率が、59→50%に急落(昨日の朝日)。慌てた菅首相どのは
“「消費税増税」は、2,3年先、あるいはもう少し先”、と表明?(今日の新聞より)。
このような事実関係から、政治家として、自己の発言の重みに責任感がないからである。

イビチャ・オシム氏が、日本チームに戦略的ディシプリンがないという意味は、自らの判断の回避
他人の判断に従属、責任の回避ということ。「消費税増税」に言及するというのは
小出しに出したり引っ込めたりする話題ではない。政権がそれ程、惜しいのなら、軽々に
口にするものではない。戦略的ディシプリン実践のサッカーは、これがダメならアレ式の
無責任ボールたらい回しサッカーとは一線を画する思想である。
民主党政権のように、政権ばかり欲しがり、国民の顔色ばかり見る政党がウヨウヨ出来て
そんな政党間で政権をたらい回しされたのでは国民は堪らない。如何なものか。
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