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Do楽ゴルフ! [希望]

気温は左程低くはないのだろうが、風が冷たく水洟が落ちて煩わしかった。
以前、NHKの「ためしてガッテン」だったと記憶しているが、鼻水をすする癖は
耳の奥に耳垢を溜め込み、それが巨大化して耳鳴りの原因になり、最後は脳にまで
達する塊となって、大事に至るという事を聴いた。(以下のURL参照)
http://www9.nhk.or.jp/gatten/archives/P20120912.html
改めて上記の記事を読むと、鼻水すすりの問題は、耳管開放症患者に限定され、
健康な人が鼻すすりをしても、鼓膜に影響はないという事らしい。
兎も角、私は耳鳴りがする事があるので、鼻水すすりをしない様、心掛けている。
散歩中や、ゴルフ練習時は、鼻をかむ時間が惜しくて、水洟が落ちてしまうのだ。

さてゴルフだが、以前も書いたかも知れないが、ゴルフは健康の為にやっており、
楽しみではない!と思っていた。一種の心身鍛錬の手段だということである。
今までは、ゴルフプレイがある水準であれば、それ以上の上達は望まなかった。
しかし、齢70も過ぎて双冬を経験し、めっきり体力の減退を実感して、最近では
ヒッチャキになって、筋トレや山坂の上り下り、ゴルフ練習場通い等々で頑張っている。
その理由は、期待水準のゴルフプレイを維持できない不安が大きいからである。
なんとか期待水準を維持したいという思いで、恥も外聞もなく、無我夢中である。
精神的には切羽詰まっていて、楽しむ余裕など全くない状況だ。

そんな中、今日、練習場に行って、ふとしたキッカケで大切な事を思い出した。
それは30~50ヤード程度のアプローチ練習の最中に気付いたのだ。気付きの動機は、
「藤田寛之シングルへの道」第5回 実戦型50~70ヤードのビデオを思い出しながら
練習したことである。その時に、言葉や理論ではなく心身で体得できたのだ。そして
2013年 WGC-キャデラック選手権の3日目17番ホールでグラエム・マクダウェルが、
難しいチップインイーグルを決めた時の映像を思い出し、自分の体感と共に納得できた。
体得したポイントの駄目押しの確認は、7番アイアンで練習した時のフルショットが
従来の飛距離に戻った事であった。練習球も尽きる寸前だったのでそれで打止め。

表題は「ゴルフを楽に、楽しくやろう!」という意味。藤田寛之の番組名を捩った。
ゴルフは体力勝負じゃあない!勘・骨を楽しみながら、楽にやれば良い?
楽に楽しみながらでも、期待水準の維持はできるのでは?と楽観的になった。
ふと気が付くと、ゴルフが好きになっているではないか? 如何なものか
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戦う相手は誰? [希望]

この数日、好天が続いている。従来、冬はゴルフを含むスポーツのシーズンオフ。
従って以前の冬はゴルフの素振りを偶にする位で、冬場は筋トレと散歩だけだった。
しかし昨年後半、体力の衰えからか成績が芳しくなく、従来怠け者の私も
いよいよシーズンオフも本気でゴルフ練習をしようと決心した。
今日も素振り100回とチョッピリだがアプローチの練習をした。(風が冷たいため)

コースは12月上旬以来ご無沙汰し、練習場も正月ボケでサボっていた。
しかし例年に比べ、素振りはほぼ毎日やっており、鋭い振りになってきた。
(と自分で自画自賛?)ところが先日、今年はじめての練習に行ってガッカリ。
確かに良い当たりをする様になったが、飛距離は半年位前の良い時と同じ?
結局、毎日の筋トレや散歩、素振り等は、筋力の衰えを何とか食止めているだけ?

そこで改めて「老いとの戦い」は、「自分との戦い」であると思った。
私のいう「自分との戦い」とは、一般的な‘克己’や‘精神コントロール’といった
意味合いとは少し違う。自分と向き合い、ぶつかり合って、本音の自分を追いかける。
自分が成長したい方向、進みたい道、そのために自分が何をしたいのか?
心底からの叫びを聴き届けることである。

私は、2012-10-02のブログ「梅ちゃん先生・余話」で、
「人それぞれ、自分の道を拓くべし」という事を読み取ったと書いた。
 そしてその方法もまた、物語の中で、概略、以下の様に述べられていた。
1.感謝の気持で様々な経験から学べ
  梅子(堀北真希)が父親の教えを感謝で受止めていた。自己を束縛する側面の
  ある父親の忠告からも、優しさを学びとることが、感謝の気持で可能だったのだ。
  様々な経験を感謝の気持で受止める時、負の経験からも素晴らしい教えを読取れる。
2.逆境に立向い、苦労に打ち勝つこと
  信郎(松坂桃李)や竹夫(小出恵介)も、挫折や苦労を重ねたが、そこを柔軟に
  乗り切った。二枚腰、三枚腰の粘り。それは除けても逃げないことでは?
  その秘訣は、土俵を割らないこと、道から外れないこと。苦労を楽しむ様になる事。
私が今、ゴルフに打込む?のは、ゴルフの成績を良くする事が真の望みではない。
「老いとの戦い」で心底の叫びを聴き、私独自の老いの道を開拓すること。
それこそが、私の大切な生き方、私の真の望である。 如何なものか
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宗教の問題?道徳の問題? [希望]

私は、2012-12-27のブログ「ゆとり教育再考」において、
道徳や宗教の教育問題を考え直すべきだと書いた。
しかしそれは、教師が生徒に上から目線で指導するという様な教育ではない。
昨日のブログ「神はいるか?いないか?」にも書いた様に、
「神」の存在は他人事ではない。
即ち宗教や道徳の問題は、上から押付けられるものではなく、自らの人生を
有意義に、或いは充実したものにする為に、大切な問題なのだと思う。

私が最近読んでいる本に、次ぎの様な事が書いてあった。
1.世の中の行いが乱れるから、仁愛や正義が強調される様になった。
2.人が、欲望に走り、狡猾になったから、だまし合い、疑い深くなった。
3.家族が不和になったから、孝行や親の慈愛が強調された。
4.国家の運営が乱れるから、忠義が強調される様になった。
この内容を読むと、「道・徳・仁・義・信」という概念が生まれ出たのは、
世間や国家の運営の為に、政治的に考え出されたものだという事がわかる。
従って、今迄の道徳や宗教の教育は、地域や国家の運営の為に行われてきた。

民主主義、自由主義の社会というのは、そういう古い体質の社会からの脱皮?
古い社会・古い体制に反抗したのは、そういう上から目線の押付けられた生き方や
道徳ではなく、新しい社会の新しい人間の生き方を創造する為ではなかったのか?
然るに現代は、古い社会・古い体制以上に、人間は「獣」に成り下がっている?
それは、新しい社会をつくるという名目で古い秩序を破壊するだけで、新しい社会も
また、古い社会以上の出世主義、拝金主義の上塗りをしているだけだからでは?

もう一度言う。
民主主義、自由主義の社会というのは、そういう古い体質の社会からの脱皮では?
古い考えに束縛されない民衆が主体というのは、古い社会の道徳からの脱皮では
あっても、健全な社会の為に、新しい秩序を維持する必要がある。一人一人が、
宗教や道徳の問題を、自分の事として取組む心構えが大切である。決して「獣」に
成り下がって良いという事ではないと思う。皆でつくる新しい社会の秩序の為の
新しい道徳や宗教に関する教育とは、そういう自主的な個人の活動を促進する事。
また皆が考え議論して有意義な考えを生み出す為の場づくりでは?如何なものか
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ゆとり教育再考 [希望]

私はゆとり教育のど素人故、ゆとり教育再考を経済再生最優先にする現政府に期待する。
無理かも知れないが、日教組の呪縛から解放された新政府だからこそ再考を促したい。
ゆとり教育の目的は大きく間違っていなかったが、やり方の変更によって学習効果が、
科目等で変動する事もあった?問題は学習効果の変動より、OECDの学習到達度調査
(PISA)や国際数学・理科教育調査(TIMSS)等の国際比較に一喜一憂する日本人体質。
ゆとり教育の目的に、もう一度立ち返って、再考する必要があると思う。

ネットの情報によると、今政権で首相に返り咲いた安倍晋三は、2007年「教育再生」と称し
ゆとり教育の見直しに着手する事を求めたという。PISAやTIMSSによる国際的学力比較が、
更に落ち込んだ為らしいが、実に底の浅いものの考え方である。
ゆとり教育は、校内暴力、いじめ、登校拒否、落ちこぼれなど、学校教育や青少年にかかわる
数々の社会問題が背景にあった。いじめ、登校拒否、落ちこぼれなどは、一層深刻さを増して
いるのではないか?学力も、高いレベルになれば、詰込みで達成できる問題で無い事は自明。
安倍晋三が騒いだ直後の2008年の国際的学力比較では、成績の下げ止まりや、向上が
認められたという。国際的学力比較は、本当に何を比較しているのか?
日本が過去に優秀だった理由は何だったのか?よく考察する必要がある。

日本人は、すぐに国際比較をして一喜一憂するが、道徳教育、宗教教育に関しての国際比較
論争を聞いた事がない。これは、第二次世界大戦で、「天皇神格化」のもと、多大な犠牲を
払ったからであろう。しかし今や大戦の悲劇は、原爆以外、忘れ去られようとしている。
原爆だけが被害者ではない。原爆被害者以外の膨大な被害者の痛み悲しみを決して忘れない
為にも道徳や宗教の教育問題を考え直すべきだと痛切に思うこの頃である。

宇宙飛行士の人は、本来、自然科学知識尊重、合理主義者が多いが、宇宙飛行の経験で
宗教的になった人も多い。そこで、「宇宙に神はいたか?」という面白い小話を披露したい。
知っている人も多い? 以下は小話
 世界初の宇宙飛行に成功したガガーリンの帰国歓迎会、当時のソ連のフルシチョフ首相が
「宇宙に行って神を見たか?」と質問。返事は「はい、見ました」。それを聴いた首相は
「そうか。私もそうだと思った。しかしこの事は誰にも言うなよ!」と言った。
 さてガガーリンはその後ローマ法王にも会った。その時、法王は「宇宙に神はいたか?」と
質問したが、返事は「ノー」。なにせ首相に口止めされている。それを聴いた法王は、
「そうだろう。私もそう思っていた。但し誰にも口外するなよ!」と言った、とさ!

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有村智恵メジャー初勝利+感謝の涙 [希望]

PN2012090901001615_-_-_CI0003.jpg今日は、日本女子プロゴルフ選手権(滋賀タラオCC)最終日で、朝食時から生放送のTV(スカイ・Aスポーツ+)を、前半9ホールで放送が終了するまで見てしまった。それには理由があった。私が最近視聴しだしたゴルフレッスン番組が、日本女子プロゴルフ選手権初日からの生放送や再放送と被っていて、録画したものによって部分的に知っていたからである。選手に関して殆ど無知な私だが、録画視聴している内に、有村(1987年11月22日-)が、既に12勝もしていながら、メジャーに勝っていない事を知って、有村の動向が気になっていた。昨日の16番(パー5)で有村は、正確なショットに乱れが出て、ラフに入れボギーとし、優勝争いの相手・吉田弓美子がバーディで、1打差に迫られた。しかし上がりの17番、18番で連続バーディとして、再び3打差にして最終日を迎えた。この勢いなら、有村の勝利の確率は高いと思ったが、今日の放送中、解説者が、しきりに有村が優勝を意識しすぎ緊張で崩れるのではないか?と、心配していた。兎も角、前半戦は、吉田が出だし連続バーディに対して、有村は我慢のゴルフ、8番でボギーを叩き、1打差に迫られた。後半は、15:30からの地上波放送(録画撮り)になり、中休みとなった。

私は、有村に関して殆ど何も知らなかったが、出身は熊本市。小学校時代は水泳選手。
小学4年(10歳)からゴルフを始めて、中学3年生の時に全国中学校ゴルフ選手権を制覇。
憧れの宮里藍を慕って東北高等学校に進学。在籍時、東北女子アマチュアゴルフ選手権や
東北ジュニアゴルフ選手権を制した。2006年高校卒業、プロテストで断トツの成績で合格。
その後のプロ活動は、昨年までの獲得賞金額:約3億6700万円、優勝回数:10回
今年と今回の優勝で、13回の優勝実績などを見ると、超エリートゴルファであった。
 
しかし後半戦のテレビ観戦での優勝インタビュが泣かせた。最後の部分を以下に引用
「最後に今日、久々に家族が来てくれたので(間がある。感情がこみ上げてくるのがわかる)
 えーえと~ 昨年の大会に手首を痛めて出る事が出来なくて、(涙につまる)すごく
 悔しくて、色々な人に迷惑を掛けて、申し訳なくて、その時にとにかく家族が一生懸命
 私の事をサポートしてくれて、今、このコースで全く心配が要らない位まで手首も回復
 して、こんなに沢山の人がいる前でゴルフができて、すごくすごくうれしい事だと思って
 います。あの~本当に皆ありがとう!!」涙溢れるインタビュだった。
文章の流れも良くないし、決して上手なインタビュではないが、気持が込められていた。
今回メジャー制覇は、なるべくしてなったものかもわからない。しかし今回のインタビュで
言った「ありがとう」という魔法の言葉は、有村自身が体験した中から掴み取った彼女自身
の宝物だと思う。感謝の涙は実に美しい! 如何なものか
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お水取りと日本人の心 [希望]

今日は、奈良・東大寺二月堂のお水取りの日である。「お水取り」というのは、
今日深夜(13日の午前1時半頃)、若狭井(わかさい)という井戸からご本尊の観音さまに
お供えする「お香水(おこうずい)」を汲み上げる儀式が行われる。
この行を勤める練行衆(れんぎょうしゅう)の道明かりとして、大きな松明(たいまつ)に
火がともされる。このため「修二会」は「お水取り」・「お松明」とも呼ばれる様になった。

「お水取り」は神聖な宗教儀式である「修二会(しゅにえ)」の付属的なものだったが、
庶民は、水と火の神聖な儀式によって、修二会の意味を直感的に捉えたのではなかろうか?
そこで修二会の宗教的な意味は何なのだろうか?(詳しくは東大寺ホームページ参照
 http://www.todaiji.or.jp/contents/function/02-03syunie3.html

修二会は、天平勝宝4年(752)、東大寺開山良弁(ろうべん)僧正の高弟、実忠和尚が
創始されたという。その縁起というのは中々興味深いが、現代人には難解というか、想像に
絶するというか、この辺りが現代人と古代人との断絶する領域ではなかろうか?私は、
能もなく「夢のお告げ」的な解釈をしたが、兎も角修二会は、実忠が天上界の諸天衆から
苦心惨憺して、教えてもらった十一面悔過(けか)という行を修する法会であるという。

さて、十一面悔過とはどういう行か?本尊・十一面観世音菩薩に対して、
日常に犯した過ちを懺悔(さんげ)する行である。仏教では、人間の心を蝕む根本的な
三つの煩悩を毒に喩えて三毒と呼ぶ。すなわち、貪欲(むさぼり)・瞋恚(いかり)・
愚癡(教えを知らないこと)の三つで、略して「貪瞋癡(とんじんち)」ともいう。
古代人は三毒を原因として、心身から発する言葉や思いを通してさまざまな罪過を犯し、
罪過の蓄積で災禍を生むと考えていた。だから悔過即ち、懺悔をする事によって、
災禍の無い世界の実現と同時に、幸福をも呼び込もうとしたのである。

私は、お水取りの儀式を通して、古代人(奈良時代)の心の美しさをしみじみと感じる。
彼らは、人災はもとより天災まで、自らの心の内に原因を求め、己の不徳を恥じたのだ。
お水取りの儀式は、そういう彼らの心に、罪過を祓い清める行として、素直に感じ取れた
のだと思う。そしてまた修二会は、創始以来、1260年の間「不退の行法」として、一度も
欠かさず続いているとの事である。その事を考えると、古代と現代では個別的には断絶も
あろうが、日本人の「心」は今もなお、その美しさを保ち続けているのではないか?
今の世の中、貪瞋癡が目立つが、多くの人々は懺悔している? 如何なものか
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歴史的転換点と健康 [希望]

年も押し詰まり、ブログ(円(MADOKA)の集い日誌)を書き始めた年・2007の12.3のブログで
どんな事を書いたかを見てみた。それは「夕日物語アレコレ・終章」という題で、映画「Always 続・
三丁目の夕日」を見た感想をまとめたものだった。今、この映画を思い出させてくれた事に、
何か運命的なものを感じた。現代の日本人が、過去を振り返ったとき、昭和30年代前半は、
最も輝ける時期であり、時代の大きな転換点だった。映画「Always 三丁目の夕日」は、
そういった深い意味があるのではなかろうか?

最近私が勉強している免疫の基本を解説する本には、いろいろ思い当たる事が書いてある。
例えば、1960(昭和35)年までは、日本にダイエット本は一冊も存在しなかったという。
この頃から高度経済成長が始まり、交通機関の発達、マイカー、電化製品等で運動不足に。
そして高たんぱく、高脂肪の西洋食品志向になる。冷蔵庫の普及で、いつでも食べられる様に
条件付けられ、食いすぎになった。運動不足と食いすぎは、昔は怠け者のすることだった。

もう一つは、がん細胞に関する見解・治療に関する事である。昭和30年代の日本人医学者には
西洋医学と違う見解を持つ学者がいた。自然医学の世界的権威・森下敬一博士が昭和40年代
初めに「ガンは血液の浄化装置である」という理論を打立てたという。血液を浄化しない限り
手術や放射線、抗がん剤でガンを抹殺しても、また新しい血液浄化装置を作る。それがガンの
再発や転移という。ここ35年間で医師数は倍増以上、医学も長足の進歩を遂げ、ガン治療法も
格段に進歩したが、ガン患者数は約2.7倍に激増しているという。
西洋医学のガンに関する見解・治療は森下博士の理論以来40数年経過した今も変ることなく
ガンは日本人の死因の断トツ一位に居座っているそうな。

ガン医学に関して、その正否を云々できる資格はないが、様々な事を考え合わせると、
昭和30年前半という時代の転換点について、もう一度深く受止めるべきではないかと考える。
明治維新以来、西洋に追いつき追い越せは多くの間違いがあったとはいえ、無教養の後進国・
日本だったから致し方なかった。しかし現代は豊富な知識があり、日本人には森下博士の様な
独創的な人々も沢山いる。何時までも西洋を後追いせず、自らの力で進むべきではないか?
西洋人には、自分達を生み育てた社会の根本的過ちに気付く事は至難の業だろう。西洋社会
以外で先進国に一番乗りした日本が、その過ちに気付き、是正した社会を築かなければ、
誰が築けるというのか?時代や環境など、自分以外のものに責任をなすりつけるのではなく、
日本人一人一人が行いを改め、生き方を正して時代の流れを改めなければ誰が改めてくれる
というのか?目先の幸福に囚われ、惰性で時代に流されて良いのか?如何なものか
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幸福感と幸福度 [希望]

昨日は音感を例に、景気感、幸福感等の感覚の重要性と共に、相対感覚と絶対感覚の相違、
絶対感覚の重要性等を述べた。様々な感覚を正しく身につける事が大切である。
昨日の説明では不十分だった幸福感とそれを感じやすくする要素である幸福度を考える。
その為に、最初に音感と、音感を豊かに育て音楽を楽しむための要素・音階を例に話す。

西洋的音感は、西洋音楽に幼い頃から親しみ聴き慣れ、訓練して育て、体得してきた。
西洋音楽に馴染みのなかった日本の古い世代や、私の同世代にも、絶対音感は愚か、
相対音感もない「音痴」が居た。西洋音楽を聴く機会が少なく、西洋的音感を獲得できる
機会がなかったからだ。西洋音楽的音痴が、日本的音楽(謡曲、民謡、浪曲等)でも
音痴かどうかはわからない。

西洋音楽の音階は物理的な「音」という世界で、西洋的・合理的方法で発明(発見)された。
日本を始め世界各国、各民族の音感と民俗音楽の要素(西洋音楽の音階に相当するもの)は、
西洋的・合理的に発明(発見)されていないかも知れないが、各々、何らかの要素はある?
しかし現代の趨勢では、西洋的音階の音楽、即ち西洋音楽によって、各国・各民族の音感は
征服されつつあるのではないだろうか?それは、人間共通の音感に対して、西洋音楽が他の
民族音楽より楽しませてくれるからだ。しかし最近、民俗音楽も見直されてきた。

そこで幸福感も音感同様、西洋的合理主義による幸福度が世界各地を席巻しているか?
答えは残念ながら違うといわざるを得ない。西洋的幸福度の中の「物質的幸福度」という
要素だけが突出しているが、精神面・心理面の「幸福度」に関しては、西洋以外の国々
のみならず、西洋自身も破壊されつつあるのではないか?

音感に関しては、確かに西洋の合理主義が優れていた。また物質的に豊かになるためには
合理的方法は有効であった。しかし物質的な豊かさは、過剰になると人を不幸にする事も
明らかになっている。西洋的合理主義が、役に立つ局面もあるが、それを「金の牛」に
する事は、大きな間違いである。ブータン王国が、幸福度を構築するという考え方は、
西洋文明の行き詰まりを打開する大きな手掛かりになるだろう。世界中の人々は
今や経済追及、勢力争いをしている場合ではない。戦争のDNAを消滅させるために
西洋文明の悪しき習慣を改め、非西洋社会の智慧を傾けて、それぞれの実情に合わせて、
幸福感の要素である「幸福度」を明らかにしよう!そして地域、国家、民族の幸福感を
充実させる事こそ、大切ではないか? 如何なものか
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組織と個人・(4) [希望]

「組織と個人」という題で書き始めた動機を振り返ってみた。
動機は書籍「NHKスペシャル 日本海軍400時間の証言」が、大日本帝国海軍の空白の歴史を
埋める関係者の証言を「現代人に役立つものにする」という目的の是非を考える事あった。
この書籍は、NHKという報道機関から発せられた珍しい、そして真面目な啓蒙書だと思う。
日本のジャーナリズムは、海外の表面的流行を取入れ、常に装いは新鮮だが、戦前・戦後を
通じ大衆や権力への迎合という面で芸能界等と同様に、古い体質が残っている業界である。
その壁を破って成就できたのは、新事実を寄集めの知識によって料理した、従来の啓蒙書
と異なり、関係者が自己の内面を見つめ続けながら新事実と対峙し続け、目的に向かって、
様々な分野の関係者と対話し、議論し続けたからだと思う。

従来の啓蒙書は、事実(例えば偉い人の著書や発言)を内容に則して、翻訳・解釈するもの
だった。現代の啓蒙書は、自己の内面を磨き、広く議論し、内容に囚われないで事実を直視
できるものでなければならないだろう。勿論、夏目漱石は今も、現代的啓蒙活動家である。
「NHKスペシャル 日本海軍400時間の証言」(以下・本書と呼ぶ)は、漱石の様な偉人が
1人で成したものではなく大勢の人々によって成し遂げられたところに大きな意義がある。

啓蒙思想の系譜は、基本的に近代的個人主義への啓蒙であった。
従って啓蒙思想はご存知の様に、近代の行き詰まりで流行らなくなってしまったのである。
近代の行き詰まりは、理性や合理主義の偏重にあるという。
理性や合理主義が、何故、偏重されるようになったのか?それはルールで縛るためである。
個人が孤立して十分な情報交換が出来ないので、微妙な問題までルール化するからである。

本書は、近代的個人主義への啓蒙ではない。さて、そこで本書は、何の啓蒙なのか?
本書が従来と違い、大勢の人々により成し遂げられた事にヒントがあると、私は考えた。
結論を言おう。
それは「個人を孤立させない」ための啓蒙、理性や合理主義を偏重させないための啓蒙だ。
個人主義は、本来、個人を孤立させるものではないにもかかわらず、社会が間違えて、
個人主義を、「個人の孤立」に向かわせるという流れが止まらない。それを止める啓蒙だ。
本書の事例は、個人主義者でありながら、孤立していたために罪を被ったり、有効な行動が
執れなかったり、という様な教訓が、沢山、得られるのではないか?そして、本書の成立が
多くの自立した人々・個人主義的組織人の努力の賜物だった事も大きな教訓である。今や
個人主義者は、孤高でも孤独でもないのだ。本書はそれを明らかにした。如何なものか
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ファジーな関係 [希望]

今も現役で活躍しているプロゴルファ・青木功と私の関係がファジー?
今日、購入した週刊新潮('11.6.23号)の連載・416を読んで、そう感じたのである。
青木功は、以下のように書いていた。
今年、おれは70歳になっても優勝するための土台作りを目標に掲げた。
俺の座右の銘は「体技心」。技術やメンタルな部分は体力あってこそ鍛えられる。
先のことを考え出したら不安ばかり。自分のために率先して突き進むしかない。
やるだけやってダメなら、その時に考えれば良い。諦める前に、諦めない努力を!
65歳で、日本シニアオープンに勝った時、飯合肇が、「目標ができた」と言っていた。
おれは何時までも、試合の緊張感を味わっていたい。だから誰のためでもない。
おれ自身のために本気で挑戦するつもりだ。

青木プロは、日本における伝説の超有名プロ。
先日の6/15の新聞でも、今年の全米オープン開催に先駆けて、青木プロの話が出ていた。
“「31年前の死闘、俺の誇り」青木功さんに聞く全米オープン” という見出しである。
1980年全米オープンゴルフ、最終日、ジャックニクラウスと、同スコア(204)とし
最終組で回る青木は、1番はパー。だが、その直後、二つボギーをたたいてしまった。
ジャックが打つと一気に騒がしくなる。でも、完全に静かになるまで俺は打たなかった。
そんなずぶとさはあったね。ヤジってきた観客には笑顔で「サンキュー」と応じた。
客だって悪い気はしない。その後は声援を送ってくれたよ、という。
最終結果は、ジャック・ニクラス(272=63-71-70-68)。青木(274=68-68-68-70)
ジャックと共にそれまでの大会記録を更新するスコアだった。青木は2打及ばず2位。
ジャックの272は現在でも大会タイ記録である。青木も現在なお日本勢の最高成績だ。
悔しさはなかった。ジャックと4日間同じ組で回り、ここまでやれた充実感が大きかった。
青木プロは、31年も経過しても話題にしてもらえる実績も誇りもハイレベルの超有名人。

そんな青木プロと、私が、どんな関係があると言うのか?
先ず、私と青木は、同じ日本人で、年齢もほぼ同じ(約1年私が年上か?)。
私も、初心者ゴルフを、約50年間継続しているので、ゴルフ継続歴も比較的似ている?
私も、70歳になっても、ゴルフを継続できるようにしたいと思っている。
ゴルフが上手であろうと下手であろうと、所詮、人間のする事。フラクタル構造のはず。
古来、「先人の形骸を追わず、その志すところを追え」という。ファジーに推論すれば
青木名人の志すところは、私も追うことが可能ではなかろうか?如何なものか
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