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「ゲゲゲの女房」11週 [物語]

6月も中旬となり、随分蒸暑くなってきた。暦では梅雨の入りだが今日のところはお天気だ。
初旬から始まった田植えもこの週末か来週末がピークになるだろう。

さてNHK・TV小説「ゲゲゲの女房」では、貧乏神に取付かれそうな夫婦が、小さな赤ン坊を抱え
悪戦苦闘の毎日である。電気を止められて蝋燭で仕事をする。しかし心の余裕か、蝋燭が風で
消えた時に夜空の星の美しさに見とれたりする。赤ちゃんは良く寝る良い子で手が掛らない
らしい。原稿料は3万円が3千5百円に値切られ、電気代を支払うとミルクを買う金もない。

水木しげるの短編マンガに「貧乏力」というのがある。
“運命だ、天命だなどと言っているうちは、貧乏力は生じない”、“こんなに働いてなぜ貧乏
なのか!というイカリが貧乏力を生む。” 貧乏力は一種のエネルギーだそうである。
貧乏力で頑張って、〆切り恐怖力なども加わって金持ちになっても、正体不明の恐怖みないな
ものが横に座っていた。人を簡単に幸福にしない役割をもつ「心配神」というのがいるらしい。
貧乏力で貧乏神を追払っても「心配神」が近づいた主人公は、「貧乏力」で幸福になる!と
叫び、ザ・エンドとなる。作者・水木しげるは「貧乏力」を高く評価している様にみえる。

ならば、「貧乏力」の源泉となる「貧乏神」とは、非常に大切な存在なのではないか?
どうもそうではないらしい。「貧乏神」は異次元の存在で、触らぬ神に祟りなし!
「貧乏神」という水木しげるの短編マンガの話は悲惨である。「貧乏神」は死ぬまで離れない?
従ってどうも貧乏には擬似貧乏と本貧乏の二種類あると考えられる。一方は「貧乏力」に
よって脱出できるが、もう一方の貧乏は、「貧乏力」も湧いてこず、貧乏神に取り付かれた
状況と言う事である。境港には水木しげるロードがありたくさんの妖怪がいたが、なんと
貧乏神だけはいなかった。あな恐ろしきは「貧乏神」!近寄るまいぞ、近寄るまいぞ!

水木しげる著「水木しげるさんの幸福論」の中に、“幸福の七カ条”というのがある。
その第七条は、“目に見えないものを信じる。” 貧乏でも「貧乏力」を備え、鍛えていけば
星の美しさにも人の情けにも気づくことができ、そこそこに生かしてくれることに感謝できる。
個人で抱えきれないリスクを組織や社会が支援してくれれば良いが儘ならぬ事もある。個人
としてギリギリのところまで、例えば「貧乏力」でリスクに挑戦する事も大切だ。社会支援
ばかり頼っていると、本当に「貧乏神」に取付かれてしまうのでは?如何なものか。
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