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散歩と坐禅 [散歩]

この所、秋雨前線が停滞していて、今日も朝から雨だった。月曜からまた仕事が切れたので
午前中からわずかな雨に傘をささず散歩に出た。こちらに転宅してから7年と3ヶ月、
一日1万歩、7万歩という目標をほぼ達成しながら継続してきた。
金をかけない散歩を心掛けたお陰か? 金をかけないために自宅から開始する散歩を如何に
楽しむか?が大きな課題だった。自宅から歩く散歩は、新ルートの発見には限度がある。
毎日歩いていれば、幾らコースを変えてみても見慣れた風景でしかなくなる。

それを如何に楽しむか?今日もポツリポツリの雨の中、傘をさすかどうか、止みそうか、
目にとまる諸物を活き活きと蘇らせるわずかな雨と戯れながら、昨日の映画のことなどを
思い出した。私にとって、散歩は坐禅と同じような効用があるように思った。
坐禅は自分の内なる心の風景を極めてゆく。私の散歩は見慣れた景色の中に新発見をする。
季節の移り変りや、一日の時刻による違いや、気象その他を感じ取る。
その行為は、自分の内なる世界と、外の世界との交信であり、自分自身の発見につながる。
勿論、合唱練習の音源を聞くとか、妻との会話で景色などそっちのけの場合もあるが。
いずれにしても、“いろんな工夫をして、散歩も長続きしているなぁ~”と、思わず思う。

中村天風のいうように、禅の本領・目的とは、“正しい自覚を基に、真善美の生活を実行し
人間として、本来の務めを果たすこと”であるならば、「正しい自覚」は、出発点である。
「自覚」を辞書で引くと、“自分でさとること”とある。そして、“過ちを自覚する”という
例文が出ていた。“正しい自覚”というのは本来、目的語がないと意味が通じない。
しかし、「自分」という目的語を省略した形と解釈すれば、“自分で自分のことを正しく
さとること”ということになる。その反対の“自覚していない”は、“自分で自分のことを
わかっていない”と言う事になる。

道元のいう坐禅=只管打坐(しかんたざ)と、中村天風の言葉をあわせれば、
“自分本来の務めを果たすには自分を自覚する事がはじめであり、またおわりでもある“。
即ち、“自分を自覚する事”を持続的に繰り返さなければ、自分本来の務めを果たせない。
これは裏を返せば、自分本来の務めがない者にとっては自分を自覚しなくてよい事になる。
現代は“自分を自覚しなくてよい者=本来の務め無く欲の有る者”が溢れている?如何なものか。
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映画<道元禅師> [物語]

昨日、久しぶりにイオンに行ったが、たまたま映画『禅ZEN』というのが、ワンコインで
見られるというので今日の10:50からの切符を妻と二人分、買い求めた。今日の降雨率は、
午前60%/午後50%ということで出かけには少し降っていた雨も、途中で止み、帰宅時まで
何とかもってくれた。今日は、映画見物の往復を散歩に当てるという贅沢な散歩だった。

この映画は、道元禅師(正治2年(1200)-建長5年(1253))のお話ということである。
映画の内容は、駒澤大学総長・大谷哲夫先生の著書『永平の風―道元の生涯』が原作とのこと。
映画は道元の幼い頃に母親が荼毘に付されるところから始まる。そして病床の母親と幼い道元と
が、浄土や阿弥陀様に関する会話の回想、そして禅師が、貞応2年(1223)に宋(中国大陸)に
渡って修行する場面へと展開していく。

この映画で、私の印象に残った点は、道元が説いたという、「死んで仏に会ってどうする?
生きて仏に会わなければ何になる?」、「生きて自分の中にいる仏に会う方法が、只管打坐」
ということである。只管打坐=ただ座禅をする。悟りを開くためではないそうである。
私の聴き違いかもしれないが、座禅そのものが生きる糧、生きる力になるということだと思う。
私が身近に親しんでいる「安定打坐考抄」中村天風著、という本に、禅の本領・目的とは
“自覚を完全にして、真善美の完全生活をなさしめ、人間としての本分を完とうすること”
という説明がある。古い本なのでいささか理想主義的で、現代人には馴染みにくいだろう。
しかし何が真っ当か?が分らなくなっている現代では、只管打坐は、真っ当な人間として
生きる力・糧を「真っ当な人間を自らの中に見出す」ことによって得られるのではないか。

もう1つこの映画で感じた事は、道元が説く「執着を捨てる」ということである。
道元は執着を捨てたからこそ生きている間に、権力者や弟子からの尊敬も、信徒からの敬慕も
そして死後遠く時代を隔てた人々(中には良寛などもいる)からも慕われ尊敬され続ける。
いわば、道元禅師は、すべてのものを捨てることによってすべてのものを得たのである。
現代の様々な問題を解決していくために「執着を捨てる」という視点は大切だと思う。道元は
宋からの帰国後、その成果を自己に問い続け、“柔軟心”を得てきた、と結論付けたという。
坐禅→「執着を捨てる」→“柔軟心” →生きる力・糧、と私なりに読み解いた。さて日本よ
経済力等のソフトパワーだけで世界に立ち向かう精神的準備は十分か?如何なものか。      
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ジャパンアズNo.1 [歴史]

今日も午前中は晴れていたが、午後の降水確率は50%というので傘携帯散歩となった。イオン
からの帰路、心配していた雨は一度降ってから止んだ様子。帰宅まで傘を差さずに済んだ。

さて、“ジャパンアズNo.1”という昭和54年(1979)に出版された本があった。著者のエズラ・F・
ヴォーゲル(昭和5年(1930)生れ)は、アメリカ合衆国の社会学者である。
同書は、戦後日本経済が成功した秘訣を解明し、当時停滞していたアメリカに活を入れた。
日本を鑑として日本的経営ノウハウを学びとり、復活のキッカケをつくった重要な本である。
日本は、その本の示す通りに’80年代に未曾有の繁栄を欲しい儘にした。
しかし、その後、日本は’90年代に入り、バブル崩壊に苦しみ、それで小泉改革へと繋がる。

同書は、’80年代に繁栄を誇った日本経済を象徴する言葉として今でも思い起こされる。
同書が、日本の強みとして指摘した点は、
① 中央政府のリーダシップ、 ② 政府の政策・計画、③ 企業と政府の連携、
④ 柔軟な集団主義による合意形成、などであった。
日本企業の評価は’80年代では、“ジャパンアズNo.1”と持ち上げられて良い気になっていたが、
’90年代になって、日本企業の「日本的経営」に対する評価は大きく変わっってしまった。
日本企業の特性は、社会や文化に深く根ざしたものであって、急激に変化できる性質のもので
無いにもかかわらず、この様に評価の変化が起きたのは、競争の土俵が変ったからだと思う。
即ち、企業の「組織能力」から、規制緩和による自由貿易拡大、グローバル化である。

さて、小泉内閣が、その流れに沿って、打ち出した構造改革は、当時絶大な支持を得た。
① 地方分権、 ② 規制緩和、 ③ 政・官・業の癒着の防止と綱紀粛正、
④ 公正で透明なルールに基づく市場競争、 ⑤ 官僚政治改革、郵政民営化、であった。

国民は現況が、市場競争によって臨時雇用が増えたために格差社会になったということで
また、政・官・業の癒着の防止と綱紀粛正が、中途半端だということで自民党にお灸をすえた
のだろう。しかし今の民主党の舵取りは、マニフェストに沿うだけだ。それで問題ないのか?
民主党は、真の実情を踏まえた上での決断ではなく、マニフェストを“金の牛”とし囚われて
しまっている。選挙結果の偶像崇拝=人気取り政治=衆愚政治と見えてくる。如何なものか。
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彼岸明け’09秋 [思い出]

DSC090926秋の鯛.JPG今日も晴天。彼岸明けというが中日を除きこの所、30℃前後の
真夏日が続き、散歩で一汗かいた。まるで夏に逆戻り?
夏の暑さをこよなく愛する私にとっては嬉しい限りであるが、
夏嫌いの人々には、随分、迷惑なことであろう。
写真は散歩途中で求めた鯛である。お皿が直径約30cmだから
結構、大きな秋の鯛、紅葉鯛である。早い海流でもまれた鯛が
身が引き締まって美味しいという。瀬戸内では鳴門海峡や明石海峡でもまれたものを最高と
教わってきたが、これは大阪・神戸を中心とした関西ブランドであろう。瀬戸内海では、
沢山の島々が散在している。海流の早い海峡は至る所にある。この鯛の獲れた下津井も
塩飽諸島などで潮の流れは変化に富んでいるのではなかろうか。関西ものに劣らず美味だ。

2009-01-19のブログで、同じ魚屋さんでメバルとカレイを買って、今日と同じように写真を
撮って掲載した時に、母の魚の新鮮度を見分ける話を書いた。そんなことから、幼い頃、
市場への買物のついでに、映画を見に連れて行ってもらったことを思い出した。
今日のテレビで、最近、映画が随分と流行していること、この9月、10月だけで130本に
近い沢山の映画が、公開されたという話を聞いたこととも関連があると思う。

母と一緒にみた映画で、鮮明に覚えている映画が「南総里見八犬伝」(昭和29年:1954)
である。5部に分かれていて毎週、連続して封切られた。八犬士に東千代之介、中村錦之助
などが扮していた。昭和29年といえば、私が中学入学の年だ。今から思えば、
あの頃の中学生は幼かったのかも。戦後の映画界は、1950年代後半「黄金期」を迎えたという
ことだ。私の記憶に残る「南総里見八犬伝」は、黄金期を迎える走りだったことになる。

段々、思い出してきたが、映画を一人で見に行ってはいけないという校則か何かで、母に
泣きついて見せてもらった様に思う。母は優しい人だったが、真面目な性格だった。だから
何時、「こんな映画を見るのは止しなさい。」といわれるか、ビクビクしていた。
良くぞ5週間連続で母が辛抱して付き合ってくれたものと、改めて感謝の気持でいっぱいだ。
映画界の盛衰は激しく、東京オリンピック(1969)を過ぎ、1970年代後半に「斜陽期」に
入っていく。映画を余り見ない私には現在の映画の復興理由・背景が不明だ。如何なものか。
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保全策内包の革新策 [社会]

今日読んでいた技術雑誌に“プリンテッドエレクトロニクス(以下PEと略)”の話が出ていた。
そこで描かれている未来のPE製品群が家庭内に氾濫している状況を読んで、私は、こんな家に
今の若者や、中年の人は住みたいと思うのだろうか?と思ってしまった。20年後には40兆円を
超える市場(現在のカーエレクトロニクスを超える)になるという。
低価格化が進むらしいから壁掛け絨毯のような巨大薄型テレビ、有機EL照明カーテン、
電送シートテーブル等といったPE製品の家庭内氾濫もありうるのだろう。

思えば、信仰心厚い錬金術師が、「科学」という魔法を入手して以来、科学の力が、様々な
迷信や呪縛から人間を解き放ち、人間は自由によって豊かさと幸福を手に入れたかに思えた。
数百万年前に誕生して現代まで生きた無数の人々の人生は、今の日本人に比べて過酷なもの
とおおむね思われているだろう。しかし、本当の試練は、これからが本番なのかも知れない。

西洋文明が、近代化を達成して以来、世界は、地球規模の環境保全問題に突き当たるまでは
“革新”こそ豊かさと幸福に必須のものと信じてきた。そして、環境保全問題に気付いた後にも
正に二元論よろしく、“革新”と“保全”の二刀流で切り抜けられると思っている。
しかし果たして現在の問題は、そんな甘っちょろい論法で解決できるようなものか?

テロリスト達が、善良な市民を隠れ蓑にしている事は、良く知られた事実である。
日本に於ける改革の対象も、明確に善良な市民と識別する事には相当な困難を伴うだろう。
小泉改革が、高い志にもかかわらず、歴代総理の行政改革同様に挫折しかかっているのも
そのような微妙な問題を内包しているが故である。政権交代後の民主党は、今や意気天を
つく勢いで、官僚の膿を出すのだと躍起になっている。改革はそんな単純なものではない?
或いは、米軍の様々な横暴を排除し、対等な協力関係を築くと息巻いている。個々には
尤もな点があるのは当然だ。しかし官僚の膿摘出という程度の認識の甘さでは、この複雑な
世界に対応できず、自己中心的な自己陶酔認識に陥る危険性は大きいと言わざるを得ない。
マニフェスト選挙で勝ったから、何が何でもマニフェスト通りに仕切っていくという。
しかし、それが、“保全”を備えた“革新”という本当の日本、引いては世界の改革ではなく
日本国内の人気取りであるなら、民主党の取組みは政権奪取の党利・党略に過ぎないだろう。
自己中心的な自己陶酔認識と党利党略の政党政治であってはならない。如何なものか。
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仕置きの見直し [社会]

今日は快晴、俳句の季語では、“秋の空”、“秋の天”、“秋高し”、“秋晴れ”、・・・・と
覚えるのが大変なくらい沢山あるのを見ると、古来、日本人の心を捉え続けてきたのだろう。
飽きることなく感動を繰り返してきた日本人の心の柔軟さに、心底、喜びを感じる。

そういった日本人の柔軟な感覚、思考、体質は、超グローバルな視点からいえば何の問題も
ないという事になるのかも知れない。しかし私は浪漫主義的な立場をとらない。
芸術や文芸と政治の領域では、直接的に人々に大きな影響(多くは被害)を及ぼす割合の桁
が異なる。従って実現不可能な理想主義に引きずられて、大きな時代の波を起こし、人々を
巻き込んだ第二次世界大戦のようなことにならないことを、私は、切に祈っている。

こんなことを書くと笑われるだろう。しかしながら当時、昭和2年(1927)の世界金融恐慌
から、226事件まで9年、第二次世界大戦開戦(1941)まで14年もあったのだ。
昭和の金融恐慌が起こった同じ年に、小説家・芥川龍之介(茶川ではない)は服毒自殺したが、
「或旧友へ送る手記」という遺書に、自殺の理由を、“将来に対する唯ぼんやりした不安”と
書いている。これをインテリの脆弱さと切り捨てるのは簡単だが、事はそう簡単ではない。
同書には、この“ぼんやりした不安”の理由は小説「阿呆の一生」で解剖したと書いている。
小説「阿呆の一生」の終章に、“彼は彼の迷信や彼の感傷主義と闘おうとした。しかしどう
云う闘いも肉体的に彼には不可能だった。「世紀末の悪鬼」は実際彼を苛んでいるのに違い
なかつた。”という一節がある。

「世紀末の悪鬼」とは何か?恐らく、多くの研究者による議論がなされているだろうが、全く
の素人である私の意見は、日清戦争の勝利と、三国干渉による遼東半島還付条約にかかわる
様々な問題を含んでいると考える。明治28年(1895)のこの出来事から、日露戦争、そして
昭和2年の世界大恐慌へと繋がってゆく。昭和2年の流行語は、「モガ」、「モボ」や
踊りの「チャールトン」、そして、「ぼんやりした不安」などだった。こうして振返ると
一般民衆は、芥川の苦悩を省みずに、大正ロマン時代の贅沢の幻影のみを追いかけていた?
日本人の柔軟な体質は、様々な変化に柔軟に対応していける。それだけに、方向転換の時に
余程、注意しないと、世論と、実現不可能な理想とが合体してトンでもない方向へ走る?
政治家も人の子、使い捨てばかりではなく、今回の仕置きを見直すべき?如何なものか。
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日本の季節感 [大家族]

20090922バッタ.JPG今日はシルバーウィーク最後の祝日・秋分の日である。
娘から、20日は家の近くでザリガニ獲り、22日にはバッタと
コオロギ捕りに行った写真を送ってくれた。
写真はバッタ?コオロギはどこ?孫達の連休最後の日は
どんな過ごし方をしているのだろうか?
◎ 秋分の 日は暮れて明日 また輝け

毎日が休日の私は、今日も曇天の中を散歩に精出した。
最高気温も25℃を下回っているようで、歩けば汗が滲んでくるとはいえ、昨日よりもさらに
凌ぎ良くなったが、夏をこよなく愛す私は、日一日と遠ざかって行く暑さが名残惜しい。
秋分の日に“ゆく夏を惜しむ”というのは季節外れの気もするが、“暑さ寒さも彼岸まで”
というのだから、全くメチャクチャな季節感でもないのではなかろうか。

日本の四季に関する叙述について系統的に調べていないが、清少納言が枕草子の中で書いて
いるものが古いのではなかろうか?(清少納言は生没不詳で10世紀後半-11世紀初期の人)
枕草紙の四季に関する叙述を簡略化すると
「春はあけぼの。夏は夜、月の頃はさらなり。秋は夕暮。冬はつとめて(早朝)。」

道元禅師(生年不詳- 1253)は、四季を織り込んだ和歌を残している。
◎ 春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり
また、小堀遠州の『茶の湯の栞(しおり)』に書いてある記述では
“春は霞、夏は青葉がくれのほととぎす、秋はいとゞさみしさまさる夕べの空、冬は雪の曉”
道元禅師を師と仰ぐ良寛(1758 - 1831)は、辞世の句として、次のように読んでいる。
◎ 形見とて何残すらむ 春は花 夏ホトトギス 秋はもみじ葉

道元、遠州、良寛の表現も素晴らしくて文句の付けようは無いが、清少納言の季節感は
すべての季節に、ピタリと調和する一日の遷り変わりの時刻に統一していて簡潔である。
特に、「秋の夕日がさして山の端が近く感じられる夕暮れ時が素晴らしい」というのは、
人生の憂愁を知る人の澄み切った情感が伝わってきて枯淡の味わいがある。如何なものか。
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日本的体質 [社会]

今日は曇天。散歩も凌ぎやすいが、歩いているとやはり汗がでる。
今日が何で休日なのか時代遅れの私には分らなかったが、「国民の休日」というらしい。
聴くところによると、2007年の祝日法の改正によるらしい。2002年6月から毎日が
休日になってしまった私にとって、祝日法は全く関心の外。こんなことも知らなかった。
散歩の途中で美観地区にも立ち寄ったが、大勢の観光客でにぎわっていた。先日、福山で
合唱仲間と呑んだ時に、たまたま同席した福山の方が倉敷は観光客が多くてうらやましいと
盛んに言われていた。私には直接的恩恵も無いので当り前の様に思っていたが、住民として
間接的な恩恵もあるだろうし、何よりも元気をくれる。確かに観光客に感謝すべきだろう。

Y新聞の2009年9月22日付朝刊一面で、世界20か国を対象に英BBC放送と共同で実施した
「経済的豊かさ」に関する調査結果についてテレビのニュースショウで取り上げていた。
新聞を読んでみたら、日本の格差社会を強調する書き方だったが、ニュースショウの解説者
は、移民を大量に受け入れているフランス・ドイツ等に比べ、ほとんど移民もいない日本が
不満を持っている事に注意を喚起していた。調査結果は以下の通り。
「あまり公平ではない」、「全く公平ではない」を合わせて不公平感を持っている割合。
フランス=84%、ロシアとトルコ=77%、ドイツ=76%、フィリピン=74%、日本=72%
英国=57%、米国=55%、中国=49%、オーストラリア=32%
カナダは不公平感の割合を書いていないが「公平だ」はカナダ=58%、オーストラリア=64%

英国や米国も移民等の問題もあるだろうに、日本より相当低い。
日本人の「不公平感」には様々なことが考えられるが、ある種の漠然とした不満だと思う。
このような漠然とした不満は、昭和2年の世界金融恐慌後にも生起したのである。
大正ロマン時代を謳歌した当時の人々に最早、明治時代の辛抱に耐えられなかった。

その行く先が戦争の暴走へと繋がってゆく。軍隊に問題はあったが、途中経過では相当の
人々が随分甘い汁を吸い、その周辺の人々も巻き込まれ、引いては大勢の人々が戦争を肯定
していたのだ。そのような国民自らの反省も無く、第二次世界大戦後、軍人や軍隊を悪者に
して、問題を中途半端にした55年体制以降の日本的体質を、今回もまたうやむやにしたまま
その時と同じ手法で、自民党や官僚を悪者にして、問題をすりかえるのか?如何なものか。  
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敬老と核密約 [社会]

今日は「敬老の日」。新聞の社説では高齢化そのものを、“憂うべきものでない”と断って
いるが、社会保障制度に不安があることは否めないようで、暗いイメージを払拭できない。
「敬老」とは名ばかりで、前世代を支えてきた人間は用済みで、現役世代への負担を強いる
邪魔物的存在というように聞こえてくる。これでは、老人は使い捨て的存在という事になる。

こういう風潮は、老人の生活や介護の負担を負いたくないという身勝手からくる。
それでは、昔はどうかというと、昔も今と変らず身勝手な人はいた。献身的な家族の犠牲を
強いることによってバランスしていたのではなかったか?家族や知人がなるべく相互扶助で
明るく楽しく負担をしていたのが大半とはいえないだろう。お金がすべて解決するわけでも
ないように思う。様々な福祉にかかわっている人々に、互恵の、相互扶助の優しい心が無いと
うまく回って機能していかないと思う。介護を受ける人も、介護をする人も、制度を運用する
人も、互恵・相互扶助の優しい心をもって事に当たる必要がある。

このように、あらゆる問題は、白か黒か?正か邪か?ではなく、常に人の心の問題と結び
ついているのである。互恵・相互扶助ということを互いに慮って、事に当たるという事は、
客観的な社会認識ということが非常に大切になる。後期高齢者医療制度についての民主党の
大騒ぎなど国内の社会保障制度に関する問題も、民主党にどれだけ優れた客観的社会認識が
あるか不明であり、互恵・相互扶助の精神から見て不安が残る。

しかし、国内問題は国民が辛抱すれば済む問題であるからまだ優先順位は低い。
「核密約」について、岡田克也外相は大上段に調査!調査!と騒ぎ立てているが、朝日新聞の
“核密約、「事前協議制度」解釈の違い” (9/21朝刊)という記事は概略以下の通り。
 《60年の安保条約改定で始まった「事前協議制度」で、日本側は当初、寄港・通過を協議対象になると理解。米国側は対象外と解釈していた。その後、日本政府はひそかに解釈を米側に合わせ、寄港・通過を黙認。非核三原則(67年)の「持ち込ませず」は最初から空洞化していた。》
このような内容は、既に日本の一般国民でも十分に推測可能でうすうす感づいていた。
内密で調査すれば済む話にもかかわらず、大声で喚き立てるのには、計算しつくされた
素晴らしい意図があるに違いない。そうでないなら、蛸壺的思考の社会認識の甘い国家で
あるということを世界に曝していることになる。如何なものか。     
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官・業癒着問題? [社会]

昨日の曇天を挟み今日もまた素晴らしい晴天で、真昼の散歩は日差しが強いとはいえ、一日
又一日と暑さも和らぎ、散歩の厳しさを思い出しながら、暑さが懐かしく床しく思われる。
◎ 秋空に 暑さ偲ばる 散歩かな
今日は「食育の日」(‘19’を“育”と読めるためか?)というらしい。“食育”とは何?
1. 知育、徳育及び体育の基礎となるべきもの
2. 様々な経験を通じて「食」に関する知識と「食」を選択する力を習得し、
健全な食生活を実践することができる人間を育てる  という事らしい。

“食育”に関する情報は、内閣府ホームページの‘共生社会’という政策の中の‘食育推進’
という施策に掲載されている情報から、掻い摘んで解説したものである。今や、官僚の記者
会見だけでなく、ホームページ等で様々な情報が公開されている。
官僚が政策を国民へ分りやすく伝えるための、このようなホームページの作成などを含めて
鳩山内閣は、政治家によって統制(即ち、許可制とか、基準も明確にしないで、取消し等を
命令すること)するというのだろうか。それではますます国民と政治は隔離されるだろう。

今朝の新聞では、朝令暮改の典型のように、「官僚会見、必要なら容認」となった。
但し定例会見は、やはり止めさせるという。ホームページで様々な情報公開が為されている
にも拘らず、官僚の定例会見を禁止するというのは何を意図しているのか?勘繰りたくなる。
この周辺に、官界・業界の癒着問題の温床が隠されている、と言うのであれば理解可能だ。
鳩山政権が本気で、官・業の癒着構造、即ち、政官業のトライアングルを壊すために避けて
通れない重要ポイントというならば、「国民の知る権利」とは別次元で考える必要がある。

「国民の知る権利」はいささかも減じてはならないが、特定の業界人だけが秘密裏に美味しい
話を入手し、その見返りに官僚が、天下りするというための記者会見ならば止めるべきだ。
そうであるなら、鳩山内閣は自らの立場を、偏らない情報公開を積極的に推進する開かれた
政府であることを、もっともっと強調すべきである。そして、鳩山総理も小沢幹事長も、
自らの政治献金問題に関してスッキリした説明責任を果たすべきである。
そうでなければ、結局、官界抜きで、利権を政治家の独り占めにしようとしていると
勘繰られても致し方ないのではなかろうか? 如何なものか。   
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