SSブログ

政治と批判的精神 [社会]

2001年4月、日本では第一次小泉内閣発足。9月11日には米国で同時多発テロ。
あれからの8年という歳月。長かったようで短かった現在に至る様々な問題を考えよう。
8年という歳月で米国の信念は揺らぐ事は無いのか?日本は様変わりしたが、内容はあるか?
米国のイラクやアフガン戦争の継続を見るとき、昨今の日本の政治状況を見るときに、
思い出すのは、20世紀の偉大な哲学者:カール・ポパーの批判的精神である。

一般市民が批判的精神で把握しなければならぬ問題は、遠大な目的を達成するという信条と
その手段との整合性である。米国のイラク・アフガン戦争の継続は、テロ撲滅という信条の
ために、手段を省みず正当化していないだろうか? 日本の政権交代はどうか?
小沢民主党幹事長は、政権交代、そして自らの信念を達成するという目的のためには、自ら作った企業献金規正法に触れる行為をしておきながら、手続き上問題ないと言張り、検察の横暴だと言っていた。政権交代は手段であり、真の目的はもっと先にある。民主党が政権を執ったことによって、これから日本の中に大小さまざまな変化が起こるだろう。それは、政権交代という手段を、国民が小沢元代表の企業献金問題を無視して、選択したためである。

欧米には、アメリカ独立戦争や、フランス革命という大きな血の代償を払った結果として築き上げてきた思想があり、それらは、大衆を含めた広い合意が成立している。様々な経験を経て、大きな文脈で捉え、事の大小・軽重について、集団・派閥(諸々の閥)を超えた合意基盤がある。
それに引き換えて、日本は今もって集団主義、直感主義であって、集団・派閥を超えた合意形成は裏取引のようなものがなければ成立しがたい。このような土壌においては、批判的精神は機能せず、変化が大きければ大きいほど、行方を定めず暴走する可能性がある。
その縮図が現在の自民党である。衆議院選敗北後の党内主力議員の発言を聞いていると新旧の違いが鮮明となり、合意形成も無理なように思えてくる。自民党は小泉改革を受けて、自らの
自浄作用によって近代政党に脱皮するものと期待していたが、そうではなかったのか?

世界情勢も憂うべき状況であるが、日本も民主党政権になったことに楽観できる状況ではない。
明治維新から第二次世界大戦へと進んだのは日本的体質・批判的精神の欠如だ。
今回の政権交代による変化が大きいほど、先行きの見通しが付きにくい。民主党、自民党共に、
批判的精神を養い、大きな文脈の中で、事の大小・軽重を計って欲しい。如何なものか。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。