SSブログ

閑話'09_0829 [希望]

今日は体調が優れない。風邪を引いたのか昨夜半に咳が出て睡眠不足気味である。

2009年08月29日 06:58のAFPBB Newsによると
 陸上、ゴールデン・リーグ2009(AF Golden League 2009)第5戦チューリッヒ大会の
 女子棒高跳びで、ロシアのエレーナ・イシンバエワが、自身が北京五輪で樹立した
 世界記録(5メートル05)を更新する5メートル06の世界新記録で優勝した。
ということであった。

私が昨日のブログを投稿した2009-08-28 17:09から、わずかに14時間後には、
私の予想を覆す、素晴らしい記録を達成したエレーナ・イシンバエワを心から祝福する。
それと共に、これから時間をかけて、自己の不明をジックリと反省したいと思う。
言い訳になるが、昨日の表明は、このような事態になった時に、私の考え方の至らなさを
反省する良い機会になると思ったから書き留めた。良い年をしてバカなことを書くと
さげすまれても、けなされても、甘んじて受け止めていきたいと思っている。

それにしても、棒高跳びの女王・エレーナ・イシンバエワは、想像を絶する素晴らしさだ。
結果論からみれば、競技の中でも人間の至らなさ、不完全さを素直に表に出してしまっても
彼女の巧まざる柔軟さ、強靭さによって、ストレス等を上手にコントロールしたことになる。
ベルリンで敗退した後、わずか10日ばかりで再び、新しい頂点に、難なく返り咲いたことは
イシンバエワからすれば、“夜には寝て朝になったら起きる”という位、自然なことの様だ。

10日前のベルリン大会での敗退も、“一寸、集中できなかっただけよ”という程度だった?
「自信過剰だった」などという言い訳は、関係者への気配りだったと私には思える。
そう思えるほどに、彼女の集中力は、自分さえその気になれば簡単に集中できてしまうという
素晴らしいパワーを持っているのだろう。

ストレスと共存しながら、人間の弱さ・不完全さをどう表現し、どうカバーしながらストレスと
自己をどのようにコントロールするのか?人それぞれ自分の力量に合った方法があるが、
思いも及ばぬ方法があることを肝に銘じて、自分流の方法の幅を深めたい。如何なものか。

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閑話'09_0828 [閑話]

これからの日曜日までは合唱漬で過ぎていくことだろう。
私の尊敬する合唱友達(年齢は同輩だが合唱の大先輩)は暗譜してからが本当の練習だという。
私のような、何をしてもモノにならないグウタラには分った様でよく分らなかった。最初は
“暗譜してから” というが、結局、暗譜が出来ていないのだろう、位に思っていた。
それが、棒高跳び女王:エレーナ・イシンバエワのベルリンでの敗戦理由記事を読んで、
にわかに頭の中が整理されて、より具体的にわかったような気になったのである。

イシンバエワ敗戦の弁は、記事では、「自信過剰」ということになっていたが、
私は、それは怪しいと睨んでいる。ゴールデン・リーグ2009第5戦チューリッヒ大会が、
28日から始まるから、そこでも敗れるようだったら、私の予想が当たっている事になる。

合唱活動は、スポーツ競技と比較すれば、その優劣について素人には分りにくい。
しかし音楽性や発声、合唱技術に優れた人に合唱演奏の優劣を聞き分ける事は容易なのだ。
合唱演奏は一人一人が完璧に歌うだけではなく、相互に溶け合い、大きな一つのうねりとなり
聴衆の胸の中に訴える歌声とならなければならない。そのためには、各パートの歌声や伴奏、
指揮者の意図など、すべてを自らが感じ取った上で、自己表現を実現していく必要がある。
練習中、完全に的に当てるまで練習したとしても、本番には風や湿度、諸々の環境変化もある
弓術のように、合唱本番には、また合唱本番の魔物がすんでいる。
私の尊敬する合唱友達は、演奏会における演奏レベルの目標を、気の遠くなるほど高い所に
置いているからこそ、暗譜後にも、さらに密度の濃い練習を継続できるのである。

本番の競技で気持が入らなかった(コーチは『どうした?技術も助走も良かった。
体はそこにあったが、気持ちが抜け落ちていた』と言った)というではないか。
世界の頂点に立った経験を持つイシンバエワが、その厳しさを忘れていた?
金メダルを取るのも、世界記録を出すのも簡単なことだと思っていた?本当にそうなのか?
私には、コーチや関係者に対する言い訳に過ぎないようにしか思えない。
今回の敗因を「自信過剰」というような安易な理由と考えるほど、トップアスリートの世界は
甘くないと思う。ゴールデン・リーグ2009第5戦チューリッヒ大会の結果に興味がある。
頂点を目指して負けたのではなく、頂点を見失ったものが、頂点に返り咲くのは難しい。
如何なものか。
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散歩'09_0827 [散歩]

スロージョギング、そして合唱の練習や何やかやで、最近、野外観察が疎かになっている。
今日、やっと稲の穂が出てきているのに気付く始末だ。まだ出穂していない田んぼもあるから
品種や田植の時期でバラツキはあるのだろう。今時の稲穂には稲の花がくっついている。
Rice-flower.jpg孫は夏休みの自由課題に“セミ”を取り上げたというから、私は“稲”を取り上げたという次第だ。イネの花に花びらはない。「えい」(実ると「もみがら」になる部分)が開くことがイネの花の開花。1つの穂にたくさんの花が咲くが、ひとつひとつの花はたった2時間しか咲いていないという。花の命は短いのに、立派に米を育ててくれる。本当に稲は偉いと思う。受精(じゅせい)というのは、めしべについた花粉が花粉管という細い管をのばし、めしべの下にある胚のうにとどき、そこで、 ‘胚(はい)’と ‘胚乳(はいにゅう)’という細胞のそれぞれと結びつくことをいう。胚のう.gif受精した子房(将来のコメ粒)はどんどん生長して、開花から5日もたつと、子房はもみの長さと同じくらいにまで大きくなり、その後は横に太り、約30日でもみの中いっぱいになる。(写真と此処までの文章は、インターネットからの受け売りである。詳しくは以下のURL:http://www.agri-ch.net/page/7.html 参照)

稲の生育の件は学校で習ったかもしれないが、私は今回の自由課題で
やっと知った。東大の偉い先生・佐伯 胖(ゆたか:認知心理学者)の
『「学ぶ」ということの意味』 岩波書店という本のことを思い出した。
そこには、“日本語読み書き学級”を例えにして
‘「学ぶ」こととは、相互理解と協力の場であり、学びの共同体づくりであり、「自分の物語」を作ること。お互いが共感し合い、相互に理解・感謝・賞味し合う関係を維持・発展させる原動力。’ と
書いている。他にも沢山いい事が書いてあるから読んでいなければ読んでみたらいかが?

思い出したと言えば、散歩途中に、ひも付き軟式テニスボールで練習している少年がいた。
私も中学に入ったら軟式テニス部に入ろうと思っていたが、小学6年の時に盲腸炎の手術をしてそれをこじらせ、医者から1年間の運動停止を言い渡された。途中からの入部は遅れをとったようでとうとう入らなかった。今日の少年のような練習道具が当時(昭和30年頃)にあれば、
密かに練習を積んで少しは慣れた時点で入部できたのではないかと思ったりした。
実に果敢無い仮説だ。如何なものか。
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SJその後&閑話 [希望]

低調になっているスロージョギング(SJ)に関して、反省と今後の発展のために振り返った。
1旬目、06.17-26/初日より9日連続実施、最終日は、お休み 9勝1敗 通算勝率、0.900
2旬目、06.27-07.06/6月28日、7月5日、6日のみ実施 3勝7敗 通算勝率、0.600
3旬目、07.07-16/13日以外は実施 9勝1敗、30日間の通算 22勝9敗 勝率 0.733
4旬目、07.17-26/17,25日以外実施 8勝2敗、40日間の通算 29勝11敗 勝率 0.725
5旬目、07.27-08.05/余裕の7勝3敗。50日通算 36勝14敗、勝率、0.720
6旬目、08.06-15/5勝5敗。60日間の通算 41勝19敗  勝率、0.683
7旬目、08.16-25/1勝9敗。8.19のみ実施。70日間の通算 42勝28敗  勝率、0.600

このように時系列で経過を眺めると、3旬目がピークで、それからだんだんと疲れているのが
良くわかる。結果論だが、お盆休みに金毘羅参りをして駄目押しをしたということになる。
真夏の最も暑い日々の70日間で、42日間もスロージョギングできたことに先ず感謝である。
散歩だけでなく、スロージョギングを交えた時は、散歩だけの時と比べて頭がスッキリして、
積極的な気持になれるし、ボケも少しは進みが遅くなるような気がしていた。だから、今後も
出来れば継続していきたいと思う。ただしこの暑い時期は少し避けようと思う。

また三原の話に切替えたい。今回、初めて三原の地を歩き三原城のまわりを散策して、改めて
三原城築城者・小早川隆景(こばやかわ たかかげ)という人に興味を持った。
三原城の原型は、沼田川河口の三原湾に浮かぶ小島や中州をつないで築いた水軍の拠点
であったらしい。慶長年間の記録による三原城の城域は、東は(和久原川)から西は西野川の
臥龍橋付近まで約900m、南北に約700メートルもあったというから広大なものだ。

私は、小早川隆景のことを何も知らないが、今回の件で知りえた限りでは、素晴らしい才能を
持った人ではないかと思う。生涯、親に仕え、本家の兄に仕え、その子(甥・輝元)にも仕え
たが、そういった環境の中で自己の生甲斐を精一杯求め続けた人ではなかろうか。世の中では
構造改革、構造改革とやたら構造を変えたがるが、構造を年がら年中いじくっていると社会は
どうなってしまうのか。骨格も何も無い軟体動物のような社会になってしまうのではないか?
西欧的なやり方ばかりではなく、日本には日本らしいやり方があるような気がする。
小早川隆景の生き方には、それらに対するヒントが隠されているかも知れない。如何なものか。      
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三原随想'09_0825 [歴史]

DSC090823三原港.JPG三原は海から山が近い。三原駅から三原港まで歩いたが10分も
掛からなかった。急げば数分。写真は港の岸壁から南に向かって
撮ったもの。三原湾は昔はもっと広く、かつ沼田川の上流まで海だったようだ。倉敷の高梁川も昔は相当上流まで海であったのと同じだ。現在の三原八幡宮の南側も江戸・元禄時代(1700)頃、宮沖新開という新田開発がなされている。その後、土砂による堆積で
沼田川流域は度々洪水に見舞われた。現在の山陽本線や呉線の線路から、山陽本線の出来た明治20年代前半や呉線の起工・昭和2年(1927)当時の大凡の海岸線を想像出来そうである。
写真対岸は干拓地で帝人三原工場。遠景の山近くまで昔は海だったと思われる。
山は左が筆影山・右は竜王山か。春は桜、晩秋から冬は海霧。頂上の展望は瀬戸内海随一の
多島美という風に紹介されている。瀬戸内海は随一の眺望が随所にあるようだ。

◎ 瀬戸内海 随一多し セコないかい? (作者:瀬古内与)
  最近は俳句が浮かばないので川柳風に作ってみた。“せこい”は俗語でずるい、細かい、
  ケチ、などの意味がある。“戸”は「ト」と共に、「コ」とも読めるよね。
  誰がせこいのか、何処がせこいのか?私は、瀬戸内海はせこくはないと思う。
  瀬戸内海は素晴らしい。私はあちこち随一の場所に行きましたが、裏切られた例がない。
  この川柳は語呂合わせの面白さと共に、反語的に瀬戸内海の素晴らしさを強調している。
  瀬戸内海に、眺望随一の場所は多いが、そのどれもが本当!決してせこくはないのだ!

豊臣秀吉は三原城築城者・小早川隆景と一世代若い直江兼続を評して、「この世で天下の仕置きができるのは直江兼続と小早川である」「ただし天下を取るには直江は知恵が足りず、小早川は
勇気が足りない」と続けたという。小早川隆景は、三本の矢で名高い毛利元就の息子・三兄弟の一人である。その元就が毛利隆元・吉川元春・小早川隆景の息子に書き残した「三子教訓状」という文書がある。内容はURLを参照のこと。そのことをこの度、知って感じた事がある。
元就は兄弟仲良く家を守る事、子孫への気配りや先祖供養について伝えるだけでは無かった。
そこには人生を一生懸命生きてきた男の生き様がある。やっと人生を省みながら息子達に教訓を書き残す中で、人生観を、息子達に思い残すことなく書けたことに対する感謝の気持がある。
相応の年齢に達した現代の父親にも同様の願望がありブログをやるのでは?如何なものか。
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三原随想'09_0824 [散歩]

この所、好天が続く。昨日は午後から福山に用があったが、青春切符が余りそうなので、何とか
青春切符を活用しようと、あまりめぐりの良くない頭を捻ってみた。見つけた答えが、三原迄
足を伸ばして見物し、午後、福山まで戻るという計画。三原往復だと、青春切符1回分相当。
三原滞在、2時間半強という時間制限で、今後の散策のための情報収集という目的をほぼ満足
した上に、市内を散歩して、三原城祉という思わぬ史蹟やおいしいものとの出会いをした。
DSC090823びんご焼M.JPGDSC090823びんご焼.JPG
左の写真は、お食事処「つぼみ」の
メニューと、昨日食べた“びんご焼”
三原港,市役所,三原リージョンプラザ
図書館などの駅の南側を散策した後
お城を西からグルッと回って東の
駅構内に入る手前で見つけたお店である。早朝食と散歩の疲れで少し早めの昼食のつもりで入った。名物のたこの入った“びんご焼”が一目で気に入り注文。早々にカブリ付いて一気に食べたために実物は1/4になったが、余りに美味しかったので撮影。のしイカが隠し味になっている。
DSC090823三原城蹟1.JPG
昨日の三原で最大の見所は三原城祉。何が凄いか?新幹線が
三原城祉の上を通っているのだ。福山城が、新幹線のすぐそばを通っているのも驚いたが、三原城祉はその比ではない。三原城祉の事が、あまり知られていないのは、築城時期が永禄10年(1567)と古く、石垣が後世の城に比べて低いから、新幹線から見ても、城とは分りにくいからではないだろうか。私が強く興味を引かれたのは、なぜこんな事態を引き起こしたのか?その要因は何か?という事だった。
少し歴史を紐解いて調べたが、私の手元に在る貧弱な資料では分らなかった。ただ言える事は
山と海の狭い土地・三原では、鉄道を敷設した当時(明治26年頃)は、お城の敷地を通すのがベストであったのだと思う。築城当時は、島をつないで築いたというのだから、お城は海の中につくったようなものだろう。毛利水軍の指揮官として活躍した小早川隆景のお城らしい。

お城に関係した様々な家や人々の栄枯盛衰、また成功も失敗も、喜怒哀楽も、其処に塗り込められて語りかけてくる一幅の枯山水の様に、歴史を顧みる事は、日本的な歴史観であろう。
それなりに心地よいが、しかしまた、歴史を欧米的に省みる複眼思考も大切だ。如何なものか。
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首相ぶら下がり取材 [社会]

今日の“asahi.comニュース”を覗いたら、「首相ぶら下がり取材」を取り上げていた。
同取材は小泉元首相が始め、その後の首相にも引き継がれた日本独特の取材方式だそうだ。
それまでの首相への直接取材は、移動中の首相に記者の代表1人が一緒に歩きながら
質問する形が一般的だったという。記者は記憶に基づいて首相の発言内容を再現し、
他社の記者にも知らせたという。今、考えてみると会見メモなるものの実態が危ぶまれる。
余計な混乱を招きかねないし、本来、中立であるべきマスコミの立場も危ぶまれる。

こうしてみると、小泉元首相の政治改革のスケールが偲ばれるのである。
然るに、この「首相ぶら下がり取材」記事の中で、元政府高官の弁として、
「ぶら下がりを使いこなせたのは、言いたいことを言った小泉さんだけだ。
ぶら下がりは首相には酷だ」と書いている。
これではまるで、使いこなせなかった安倍、福田、麻生歴代首相ではなく、
使いこなした小泉元首相が悪者であるかのような書き方である。
なにやら胡散臭い。この元政府高官も国民目線ではなく官僚中心主義?

この記事の趣旨は、民主党内部の、「ぶら下がり取材の廃止意見」をお知らせする事のようだ。
民主党も手回し良く、鳩山代表が首相になった場合という、獲らぬ狸の皮算用をしている。
鳩山代表は、既に非核三原則法制化などをめぐり、発言にブレが出ており、
複雑な内部事情をもつ民主党としては、政権獲得後の政権運営に与える悪影響を案じ、
鳩山代表による「首相ぶら下がり取材」の廃止を画策中?

こういった問題1つ取り上げても、民主党の自己中体質が明らかだろう。
「首相ぶら下がり取材」は、政党の自己都合で勝手に止める様な問題ではない。
政府の代表として首相が、国民目線で現在進行中の政治状況を解説する場であって、
小泉元首相の創造性によって一旦出来てしまった国民のための政治慣行を、軽々しく
廃止すべきではないし、増してや政党の口出しすべき問題ではなかろう。
「三権分立の大原則も糞もなく一緒クタで、皆で政権とれば怖くない」という、
日本的体質を丸出しに、理性も論理もなく政権を獲りたがる政党で本当に大丈夫か?
如何なものか。     
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8.30衆院総選挙と再帰性② [社会]

前回2009.08.16のブログでは某週刊誌の8.30衆議院総選挙アンケート結果に関して触れた。
今朝の某大新聞でも似たようなアンケート調査をして各選挙区の予想をしていた。週刊誌の
小選挙区ほぼ全議席民主党に比べ自民党:100議席前後で、民主党:約300議席と予想。

今回の某大新聞と前回の週刊誌のアンケート結果を比較しながら総選挙の結果を占ってみた。
さてアンケートの調査対象者は、1選挙区当り 前回、100人 今回は良くわからない。今回の
調査方法では、昨年秋から継続して調査しているとの事。回答目標数が各選挙区で350人に
なるように調査を続けて、回答者総数(目標10万5千)10万9千人強、回答率:51.2%という。
統計的な(即ち合理的な)意味のあるデータなのか疑わしいが、占星術などと同様に、過去の
データと照合して今までそれなりに占いが当たっていたのは、母集団の均質性の故であろう。

選挙や政治にはド素人の私が、急にこの種のいかがわしいアンケート調査に興味を持ったのは
再帰性現象の説明になるのではないかと思ったからだ。この種の統計的には余り意味の
なさそうなデータでも過去の調査データと選挙結果データとの関係を利用して、
その延長線上で予測が当たるならば、ある種の再帰的な現象は起こっていない。
今回の予測と選挙結果が相当に相違した場合、従来と異なる再帰的現象あるいはサンプリングの問題である。ならば、“今回の予測と選挙結果が相当に相違した場合”、とはどういう場合?
それは某大新聞の誤差を含む予測を超え、小選挙区で自民が150議席以上を獲得した場合だ。

もう一つの再帰現象の見方は、自民・公明の全議席数が過半数(240議席)割れの場合である。
自民党の小選挙区議席150以上で現与党の過半数割れの場合、二重の意味で再帰性の現象が起こっていることになる。1つは均質性、或いは集団性に対する決別という意味で、過去のデータにそぐわない。2つ目は、従来の延長線上にない国民の怒り、あるいは過去との断絶願望。

第1の再帰性は、均質性・集団性から既に決別しているなら起こらないだろう。
第2の再帰現象が起こるとすれば、それは小泉政権後の、安倍、福田、麻生の三総理に対する
感情的拒否反応ではないか?そして、その感情は小泉元首相の問題というところまで遡った。
世襲制廃止論議などもこの流れの中で起こった。この論議はまさしく過去との断絶願望から
生れたものだと思う。それは見果てぬ夢?アメリカの禁酒政策のようなものか。如何なものか。
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日本のビジョン [社会]

今朝、安全シンポジウム予稿集の1つの記事で、面白い事が書いてあるのに気付いた。
JIS規格も国際規格との整合化の潮流で検討が行われている。その流れに従って或る工業炉の
JIS規格も改訂が行われたという。面白かったのは、新旧の比較という観点である。
“旧JISでは安全の主体は 「作業者」 であったが、新JISは、「設計者」 である。”という件。

工業設備の安全規格、それも国家規格が、安全の主体をある種の職種に限定するという考え方もどうかと思うが、増してやその基軸が、国際規格との整合化で変わるというのも如何なものか?
勿論、これは予稿集の記事を書いた著者の問題だけかも分らないが、日本的思考形態の特徴を
良く表している様に思う。 日本は、古来あらゆる外来の文物を取り入れて日本流に焼きなおしたというのは言い古された事であるが、現代のこの時点においても、刻々と、昼夜を問わず
日本人(の一部、或いは大部分?)は、西洋の文物をこのように換骨奪胎しているのである。

西洋文物の換骨奪胎作業は、日本の文化であって、それをとやかく言っても始まらない。
問題なのは、そのような状況を踏まえて、今後どのように進んでいくかというビジョンだが、
日本の実態を明確に把握できないが故に、大体が空理空論になって仕舞いがちである。
私の考えでは、日本人の殆どが、西洋文物換骨奪胎派という意味では同類である。
西洋文物礼賛派は、自分も同類である西洋文物換骨奪胎派の意味を勘違いしている。
真の西洋文物礼賛派ならば、とっくの昔に海外に移住しているだろう。余談だが、糸川英夫という学者が、将来(既に現代に近い)は、日本人の1/2は海外移住するだろうと言っていた。

日本人が海外移住に傾かないのは、言語障害で海外移住できないというだけでなく、
血縁・地縁に離れがたい絆、或いはホダシを、感じているからだと思う。日本人にとって、
日本は、そういう掛け替えのない場所であり、国であるから皆と一緒に暮らしたいと思うのだ。
日本人特有の文化によって “西洋文物換骨奪胎” という作業を繰り返すことで、日本の制度や
政治が見え難くなろうとも、言語障害を乗り越えてまで海外移住したくないのが本音だろう。

ならば、今回の衆院選では、バラマキ政策ではなく、日本に何時までも住み続けたい国家への
ビジョンを明らかにして欲しかった。出産・育児を金で買おうとするような政策で、
住み続けたい国家へのビジョンが出来るのか?追い出し政策としか思えない。如何なものか。  
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ゴルフと弓術② [物語]

昨日は、スポーツ紙を読んでいて、石川遼がミケルソンに勝るスコアだったと知って、直感で
ゴルフと弓道(弓術)を結びつけた。先日の全英オープンでも、石川遼の無心のプレーに
タイガーウッズほどの人でも平常心から外れ、初日は石川遼よりもスコアは良くなかった。
二日目もウッズと遼は一緒にまわり、スコアはウッズが何とか遼を凌いだが両人ともに
予選落ちした。先週の全米プロでは、最終日、遼と一緒に回ったミケルソンは、初っぱなの
ミドルホールで、ミラクルのイーグル(2打目直接カップイン)を見せ付けたのに、最後には
崩れて石川よりもスコアを落してしまった。

ミケルソンと石川は、三日目まで全く同スコアだった。世界ランク2位のミケルソンが
70位タイというのは決して調子よくなかったと思う。此処からは私の勝手な憶測である。
ミケルソンは石川と回ることになって、若い後輩とゴルフを愉しもうとスタートしたと思う。
そういう無欲、無心でスタートしたから二打目にカップインというミラクルを起こせたのだ。
しかし、そこで無欲・無心だったミケルソンの心中に意識がシャシャリ出てきてしまった。
石川遼に世界第2位の凄さを見せてやろうという。

弓道とゴルフの大きな違いは、目標とプレイヤとの関係である。弓道では言うまでもなく、
弓を引く場所(射位)と的は一定の距離である(近的:28m、遠的:普通60m)。
ゴルフは、各ホールの距離はコースにより異なるし、日によっても少しずつ変化する。
この大きな違いに関わらず、弓道とゴルフが類似している点は、目標に対するプレイヤの体の
向きである。どちらもプレイヤと目標を結ぶ直線と平行に立つ。この所が面白い。

弓道では、顔を捻じ曲げ、的に向け、目で的を狙う。ここで再び、「日本の弓術」を書いた
オイゲン・ヘリゲルとその師の話に耳を傾けよう。修業4年を経過して、いよいよ射場に出て
それまでは、2m先に置いた藁束の的に射込んでいたが、60m先の的を射ることになった。
その時に大先生は的を狙うな、「私のやり方を見ましたか?ほとんど目を閉じていたのを」
というのである。この大先生の言葉が今や私には実に良くわかる。ゴルフでは球を打つ時に
決して目標を見ない。自分の狙い通りの場所に球を運ぶための感覚は、前もって距離を把握し
風向きその他を計算して養う。その後は、無心に球を打つのである。私は健康管理と精神修養のため、オイゲン・ヘリゲルの弓術師匠の奥義を応用したゴルフ道を究めたい。如何なものか。     
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