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大局観の欠如? [社会]

今日の新聞によると、鳩山内閣の支持率は、小泉内閣に次ぐ歴代2位の75%だそうだ。
こういった高支持率となると、マスコミや一般市民も現内閣の批判がし辛くなるだろう。
情報統制によって、国民に事実を教えず、悪政に悪政を重ねながら、国民を第二次世界
大戦に引きずり込んだようなことにならぬように注意が慣用である。

昨日は、客観的世界認識を欠いた理想主義は、マスコミも偏った報道で事実を隠蔽し、
全体主義に傾斜する傾向があると書いたが、既に、その兆候は顕著に現れてきている。
その兆候とは、首相官邸からの“各省庁の報道機関との記者会見の原則禁止”のお達し。
この一事を見ても、民主化ではなく、情報統制による秘密主義により、政府に都合の悪い
意見をいう自由を封じて、自分達の理想を何が何でも達成しようとしている事がわかる。

そもそも「官僚主導を政治主導にする」という表現そのものが、民主主義に反している。
国民は、優秀な官僚と健全な官僚組織によって、正しい行政活動を期待しているのであって
政治家が官僚を支配することを期待しているわけではない。政治家が大局観のある方針設定
をすることによって、官僚と官僚組織の行政活動を正しく導くことこそ大切なのだ。
官僚も国民であり、ある意味で政治家よりも国民に身近な存在であるから、その言論を封殺
するなどという方向を、組閣直後に打ち出すなど、全く大局観を欠如している。
優秀な官僚でさえも出来ないような、或いは官僚であるから出来ないような、もっと大局的
政治の方向に向けて、新しい手段や組織をつくるのは良いとしても、官僚の主体性を殺す様な
言論統制を早々に言い出すなどは、まったくお門違いも甚だしい。

日本の官僚には、優秀な能力を自らの保身や出世ために使うという日本的体質の傾向もある。
このように、頭から押さえつけるやり方を通せば、官僚の質は、ますます低下するのでは?
今回の内閣の中には、古い昔に戻したいという情熱に燃えている人もいるようだ。
「友愛」、「義理と人情」の浪花節で、ユートピアを夢見させようと言うのであろうが、
世界認識、大局観、そして歴史認識も含めて余りに幼稚な集団だ。その成果は覚束ない。
国民も、政策のうちで自分の耳に快いところだけを聴いて安心している傾向がある。その内
様々な課題が重なって、政権交代だけでは解決しなくなるような奈落に落ち込まぬように
マスコミも、国民一人一人も、民主主義を守るために良く見張っていこう!如何なものか。
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客観的世界認識 [社会]

素晴らしい晴天の日。最高気温も20℃台中盤と比較的低い。秋らしい朝だった。
今日は午前中に歯科医に検診に行く日で、散歩の一環として片道30分を歩いていった。
8:30に家を出たらシャツ一枚では肌寒く感じ、上からもう一枚羽織った。
しかし帰路は10:30を回って、日差しは強烈となり、シャツ1枚で十分だった。
◎ 朝澄むも 昼は汗かく 彼岸前

現今、マスコミは、民主党政権の話題で持ちきりである。何か夢を感じるのだろうか?
甘っちょろい記事が多い中で、Y新聞の“気鋭の目 民主政権 ①”、という記事が面白かった。
鳩山政権への期待と注文を論客で鳴らす気鋭の学者に聞くというスタンスである。
注文という点で、鳩山由紀夫の署名入りで掲載されたニューヨーク・タイムズ紙の論説を取り上げて
米国の主要紙に日本の政治指導者が論説を載せることに賛成しながらも、「真意が伝わる様に
文面も発表媒体もタイミングも、考え抜いて発信することこそ指導者の責務だ」、と批判している。
要は、鳩山由紀夫氏は、現在の世界の情勢を客観的に認識していないのではないか?という
ことである。鳩山側の言い分は、日本の雑誌に寄稿したものを抜粋して鳩山事務所で英訳して
掲載したものだという反論があったと言う。しかし気鋭の先生は、「うっかり載せてしまった
というのは言い訳になっていない」、と切り捨てている。

この論説事件は、功名を焦って騒ぎ立てた偽メールとまるで同じパターンである。
功名を焦って、不用意に投稿し、不味い結果になったら、あぁじゃこぅじゃと言い訳する。
これでは、居酒屋での一般庶民の論争よりも劣るのではなかろうか。

鳩山新総理が、日本の雑誌に寄稿したという記事の締めくくりに、「EUの父」クーデンホフ・
カレルギーが、86年前に『汎ヨーロッパ』を刊行したときの次の言葉を引用している。
「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」。
功名を上げることばかりに気を取られている人には気付かないだろうが、この言葉の裏には
「多くの悲惨な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、悲惨な現実として終わった」と
いう現実がある。蛸壺人間の多い日本では警戒すべき側面である。客観的な世界認識を欠いた
理想主義を国民が支持する時、マスコミも偏った報道で事実を隠蔽し全体主義へと傾斜する。
そのような状況に陥った時の恐ろしさを日本人は忘れかけている。如何なものか。  
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中央と地方 [社会]

政権交代で、中央集権から地方分権の時代に移行できるか?各方面からの期待は大きい。
一方、高速道路無料化などの政策に賛成する知事がいない事が、今日の新聞で報じられた。

そもそも、民主党のマニフェストに掲げた政策は、従来通りの中央集権体制をベースにして
予算配分を高速道路無料化や子育て支援等の新政策に振替えることを前提にしている。
民主党は無駄を省いて、新政策に回す政治資金の見通しはあるというが、子育て支援などは
時限立法ではなく半永久的に続けるなら、一時的なものだけでは間に合わない。
従って中央官僚の費用を削減したとしても、地方からの運上金召し上げが減少するという構図に即、切り替わるのか?疑問であるし、すぐに地方の予算枠が大きくなる訳ではない。

私は、地方分権に関して不安を感じている。
その理由は、県知事、市長村長、県会議員、市・村会議員の選挙が概して低調なことにある。
それは立候補者に代わり映えがないからであり、地域の古い体質を打破できないからだ。
そのような古い体質の地方に権力を分散すれば、ますます地方は閉鎖的になっていくだろう。
そしてまた、都会に人が集中し浮動票が増え、都会の一人勝ちとなって、中央集権を復活せざるを得ない。現在、中央官僚が肥大し、その費用を地域に運上金として召し上げているが、
それで損をしているのは、過去の栄光から脱落した一部の府県だけではなかろうか。
多くの地方では、運上金と、交付金のバランスが取れている?だから、従っているのだろう。

今の民主党の考え方を聴いていると、国家戦略室を作って中央官僚を統制していくという発想
で、中央官僚の合理化を図ろうという意欲は感じられるが、中央集権を地方分権に即移行する
という考え方ではないようだし、また当然そう有るべきだと思う。

外交、内政を含めて、国内の納得だけでなく、世界という取り留めも無いものを相手とした
納得をも取り付けて、なおかつ、中央官僚や、政治家の数を減らしていくというのは至難の業
であるが、そのような舵取りをすることを政権政党は求められている。昨夜も、「たけしの
世界サミット」という番組を見たが、日本人の蛸壺振りには辟易した。番組を面白がらせるというよりも、そういう番組にするしかない日本人の狭量さを見る思いがした。民主党も、日本の
政治を面白がらせるだけなのか?政権政党の責任を自覚して欲しい。如何なものか。
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閑話’90915 [閑話]

この所、仕事が途切れているので、昨日に続いて今日も早朝のゴルフ練習に行った。
実は、昨日の練習がとても調子が良く、特にウッド関係の当りが良かった。
ドライバーは、キャリーで200ヤードに届く球が何発も出たし、スプーン(3番ウッド)、
クリーク(5番ウッド)も芯に当たって素晴らしい飛びであった。その調子で、後半アイアンも
当りが良くなって、5番アイアンを使って、150ヤードをキャリーでピタリと飛ばせた。
何か、大切なポイントを掴みかかっているという思いがあり、今日も行って駄目押しをしよう。
そうすれば、一段上のクラスにジャンプアップできるのではないか?と思ったのである。

今日も、最初はアプローチの練習からはじめて、5番アイアンまで番手を上げて行き
昨日と変らなかったので、いよいよポイントが掴めたかな?と思い、ウッドに取り掛かる。
クリークは昨日と同じくらい。元々得意なクラブで問題なし。次にスプーンに取り掛かる。
ここで大渋滞。当りがおかしくなってしまった。バックスウィング、トップの位置、
ダウンスウィングの始動タイミング、肩の回転、グリップ、スタンス、その他様々な点を
チェックしまくり、何とかまともになったが、何か昨日とは違う。ドライバーはそこそこに
飛んだが、昨日よりは真っ芯の当りが少なかった。やはり昨日は“神が降りてきていた”?
私のような初心者レベルでも、やはり、時々“神が降りてくる”ようだ。コンペで優勝する
時などは、日ごろ出ないようなスコアが出るものである。それは“神が降りてくる”からか?

今日は「老人の日」と言うらしい。昭和41年(1966)に国民の祝日「敬老の日」となったが、
2003年からは国民の祝日「敬老の日」は、9月第3月曜日に引越しした。ところが高齢者団体
から反発が相次いだため、老人福祉法第5条を改正して9月15日を老人の日、同日より1週間を
老人週間としたということである。結局、国民の祝日「敬老の日」は、老人を敬愛し、長寿を
祝うというよりも、通勤・通学の人々の休日を増やすことが目的のような気もする。
ちなみに、日本以外に、「老人の日」・「敬老の日」などは無いそうである。諸外国では
老人パワーが強い為だろうか。それとも、無視されるほど、弱体化しているのだろうか?
日本も最近老人パワーを警戒する声も聴かれるが、敬老精神の衰退と警戒感は比例する?

メタボ同志の飼い主とワンちゃんの散歩姿に、今日もお目にかかった。それで川柳?
◎ お互いの メタボ労わる 犬散歩  お互いもたれ合っている? いかがなものか。   
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祝9年連続200本安打 [希望]

朝方は晴れていたが、午後からの散歩は曇り空となり、傘を用意しての散歩となった。
この所、傘を持って散歩する機会が無かったが、雨か晴れかハッキリしていたからだろう。
残念というか、運良くというか、雨は降らず薄日が差して結構暑苦しいフィニッシュだった。
20090914イチロー挨拶.jpg
昨日の諸見里しのぶの優勝に刺激されて、午前中はゴルフ練習に
行って帰宅したらイチロー・スズキ(35)の9年連続200本安打
達成のニュース。先ずはめでたい事である。現地時間の13日、
テキサス州アーリントンのレンジャーズ・ボールパークで行われた
レンジャーズとのダブルヘッダーで各1安打を放って今季200安打
とし、大リーグ史上初の9年連続200安打を達成した。
(写真は観衆に挨拶するイチロー)

かつてイチローを取り上げたブログは三度ある。8年連続200本安打を達成し、
連続200安打の大リーグ記録に並んだ2008.09.21、WBC決勝で劇的優勝の立役者になった
2009.03.25、そして張本勲氏の日本プロ野球最多安打記録に並んだ日米通算3085安打を
満塁本塁打で飾った2009.4.17、のブログである。

こうして振り返ると、今年のイチローは胃潰瘍(かいよう)で開幕8試合を休んだし、
また、8月下旬から9月始めに左ふくらはぎの張りで9試合欠場が続いたにもかかわらず
昨年の8年連続200本安打達成よりも8日も早いスピード達成だったことが分る。

イチローは、年々歳歳進化し、野球が好きになり、従ってさらに自分の全生活を野球にかける
ことができるのだろう。その上に、イチローには“神が降りてくる”。イチロー自身、
2009年WBC・韓国との決勝の延長戦で決勝打を打った瞬間のことを「神が降りてきた」と
言っている。これは、2009.08.18のブログ「ゴルフと弓術」で紹介した、弓術の大先生が
ロウソクで照らした薄暗がりの中で二本の矢を射て、一本目が的の中心を射抜き、二本目が
最初の矢を割いて的を射たという現象と同じようなものである。名人には神が降りてくる。
イチローのストレッチングは凄い。座ってほぼ180度に開脚できる。正に「柔よく剛を制す」
その上、“神が降りてくる” のだから進化は無限?背番号の51歳まで現役?如何なものか。
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諸見里アッパレ! [希望]

今日は、日本女子プロゴルフ選手権の最終日だった。昨日と打って変わって好天に恵まれた。
ゴルフも見やすかったが、とりあえず、歩数稼ぎのためにビデオに撮って散歩に出た。
帰宅後、諸見里しのぶが一人6アンダーで優勝を決めた経緯をジックリと見せてもらった。
090913諸見里.jpg
昨日は雨にもかかわらず7アンダーの諸見里を筆頭に、
-5,-3,-2,-1と合計5人がアンダーだったが、今日は好天なのに
2位以下は崩れた。今日は諸見里も1、3ホールでつまずいた
様だが、4番でバーディをとって立ち直った(写真は4番バーディ
に繋がった1打)。本人の心境は「優勝したい、2週連続Vをやり
たい、グランドスラムを達成したい」と千々に乱れたのに、以前の様に崩れる事はなく、
“しのび”切った。名は体を現すという。しのぶは、正に、“しのぶ!”であった。

私は、以前のブログ(2007.09.30:ゴルフ師弟物語)で、
日本女子オープン選手権に優勝した時の諸見里しのぶを取り上げて書いたことがある。
その時に、精神面に弱さがある諸見里が見違えるほど安定感があった理由を、
キャディを勤めていたゴルフの師匠・江連氏の的確なアドバイスに見出した。
画面で諸見里が、師匠に頼りきっているように私には見えたのである。
そして、自力で気分転換できるようになる事が諸見里の今後の課題と締め括った。

先週の優勝の時もそうだったが、今週の諸見里も、精神面が強くなっていることが
画面からビンビンと伝わってくる。解説者も何度も言っていた。
キャディとのやり取りも画面から見られたが、二年前とは全く異なる。
若く可愛いのだが、実に堂々とした態度で風格さえ感じさせる。
二年前と比較してみると、明らかに大きく成長していることが実感できるのである。
今回のキャディは、キャディ通算17勝目を挙げた清水重憲氏ということで、師匠ではない。
勿論、今回のベテランキャディが優勝に貢献した事は間違いないが、
二年前と違って諸見里しのぶは、このところ急成長しているようである。
考えてみれば、愛くるしかったしのぶちゃんも、もう23歳。立派なトッププロだ。
二年前に私が出した課題は見事に克服したといえるのではなかろうか?如何なものか。
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政治と批判的精神 [社会]

2001年4月、日本では第一次小泉内閣発足。9月11日には米国で同時多発テロ。
あれからの8年という歳月。長かったようで短かった現在に至る様々な問題を考えよう。
8年という歳月で米国の信念は揺らぐ事は無いのか?日本は様変わりしたが、内容はあるか?
米国のイラクやアフガン戦争の継続を見るとき、昨今の日本の政治状況を見るときに、
思い出すのは、20世紀の偉大な哲学者:カール・ポパーの批判的精神である。

一般市民が批判的精神で把握しなければならぬ問題は、遠大な目的を達成するという信条と
その手段との整合性である。米国のイラク・アフガン戦争の継続は、テロ撲滅という信条の
ために、手段を省みず正当化していないだろうか? 日本の政権交代はどうか?
小沢民主党幹事長は、政権交代、そして自らの信念を達成するという目的のためには、自ら作った企業献金規正法に触れる行為をしておきながら、手続き上問題ないと言張り、検察の横暴だと言っていた。政権交代は手段であり、真の目的はもっと先にある。民主党が政権を執ったことによって、これから日本の中に大小さまざまな変化が起こるだろう。それは、政権交代という手段を、国民が小沢元代表の企業献金問題を無視して、選択したためである。

欧米には、アメリカ独立戦争や、フランス革命という大きな血の代償を払った結果として築き上げてきた思想があり、それらは、大衆を含めた広い合意が成立している。様々な経験を経て、大きな文脈で捉え、事の大小・軽重について、集団・派閥(諸々の閥)を超えた合意基盤がある。
それに引き換えて、日本は今もって集団主義、直感主義であって、集団・派閥を超えた合意形成は裏取引のようなものがなければ成立しがたい。このような土壌においては、批判的精神は機能せず、変化が大きければ大きいほど、行方を定めず暴走する可能性がある。
その縮図が現在の自民党である。衆議院選敗北後の党内主力議員の発言を聞いていると新旧の違いが鮮明となり、合意形成も無理なように思えてくる。自民党は小泉改革を受けて、自らの
自浄作用によって近代政党に脱皮するものと期待していたが、そうではなかったのか?

世界情勢も憂うべき状況であるが、日本も民主党政権になったことに楽観できる状況ではない。
明治維新から第二次世界大戦へと進んだのは日本的体質・批判的精神の欠如だ。
今回の政権交代による変化が大きいほど、先行きの見通しが付きにくい。民主党、自民党共に、
批判的精神を養い、大きな文脈の中で、事の大小・軽重を計って欲しい。如何なものか。
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京都散歩’090910 [散歩]

2009.09の京都周辺散歩も、今日が最終日である。連日2万歩を越える散歩に疲れを感じる。
昨夜,京都タワービル内の本屋で「京都 歩く下京 時遊自在」 という¥300也の格安ガイドブックをゲット。下京区130周年記念誌だからか?7コース詳細地図付でグルメ、ショッピングも含めて
観光スポットが細かく解説されていた。今日は、このガイドブックを供に散歩することにした。

最初は、六条通りと七条通りの間、東本願寺の真東にある渉成園という東本願寺別邸のお庭。
東本願寺が分派の後、徳川家康、家光等から寄進されたのがはじまりという。我が家は東本願寺
の檀家だからか立派な冊子を頂いた。その冊子によると、庭園は“池泉回遊式”、作庭は洛北の
詩仙堂を開いた石川丈山( じょうざん、天正11年(1583) -寛文12年 (1672)、江戸時代初期の文人)という。“渉成園”という名前は、陶淵明の有名な漢詩「帰去来の辞」の一節、
「“園日渉以成趣” 意味は:田園で、日々、趣きある生活を送る」 からとったという。
この詩は、若い頃には上級官僚であった陶淵明が、政変のために零落し、41歳の時にお金に
困って小役人になったが、世智辛い役人生活に順応できずに、“帰りなん いざ”と詠いだした。
その一節をとったというこの園は、陶淵明の帰りついた田園とはだいぶ違うような気がする。
DSC090910回トウ廊.JPG
ともあれ、園内には、瀟洒な建物、珍しい建造物、そして美しい庭があった。写真は、その内の1つ、屋根付の回棹廊(かいとうろう)。
屋根付の橋は世界にあるが、日本の屋根付橋については、
http://www.civilnet.or.jp/gallery/bridge/yane/nippon.htmDSC090910回トウ廊3.JPG
を参照されたい。
私が屋根付橋で最初に印象付けられたのは、ヨーロッパだった。
日本の屋根付橋は、両側の建物をつなぐ渡り廊下風?が多い。
また、長さや幅も不十分である。それでも日本の屋根付橋を見て回りたいという願望はある。

その後は、菅原道真公の乳母・文子が最初に道真公を祀ったという文子天満宮、弘法大師作という高さ約2.5mの駒止め地蔵、五条楽園の御茶屋街と歌舞練場、などを巡った。
軽めの京都散歩ではあったが、一日一万歩のノルマは達成できた。如何なものか。
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宇治散歩'090909 [散歩]

今日は重陽(ちょうよう)の節句、陽の数字である奇数の一番大きな数字である9が
重なる日であることから「重陽」と呼ばれる。私の父の誕生日である。それかあらぬか、
突然、50年以上も前に父と行った黄檗山(おうばくさん)万福寺のことを思い出した。
今日も京都散歩を継続するつもりでいたが、急遽、宇治散歩に切り替えることにした。
コースは、万福寺とその塔頭、宇治上神社、興聖寺。
DSC090909万福寺総門.JPGDSC090909万福寺摩伽羅.JPG
万福寺は黄檗宗というあまり聞きなれない禅宗の
大本山である。なぜ急に思い出したのだろう。
昨日、思出話をしながら妻と桂川の堤道を歩いたからだろうか。そんな事は今迄もあったのに
人間の記憶というのは不思議なものだと思う。
最初の写真は総門。総門は、中央の屋根を高くした牌楼(ぱいろう)式で漢門とも言うらしい。
屋根の上のシャチに似た動物はインドの想像上の動物・ワニ。
ガンジス河の女神の乗物で、摩伽羅(まから)というそうである。
DSC090909万福寺回廊.JPGDSC090909万福寺道.JPG
境内を歩きながら、親父と行ったときの記憶を取り戻そうとした。縦横に走る道と諸堂をつなぐ回廊(写真)が、わずかに私の脳裏によみがえっただけだった。当時、親父について歩いたことが余程大変で、また強烈であったがために回廊と道だけを思い出したのか?建物や、18羅漢、四天王、仏像、額や聯など沢山の見どころがあった。50年前はダメな生徒だったが、今回は良く学んだと思う。これも親父が連れて行ってくれた賜物か。
DSC090909宇治上神社.JPG
その後、山際を三室戸寺に向かって歩き、途中、隼上り瓦窯遺跡、源氏物語の宇治十帖に出てくる蜻蛉の史跡を経て源氏物語ミュージアムを見物。さわらびの道を通り、宇治上神社に参拝(写真)
ついに時間切れで興聖寺参拝はあきらめ、宇治最後の楽しみ
宇治金時を賞味することにした。宇治川のほとりの茶店に入り
川面を眺めながらの宇治金時クリームは、散歩の疲れを癒すには十分すぎた。
今夏を惜しむにふさわしい本場のお味であった。如何なものか。   
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早すぎる彼岸 [散歩]

今日はご先祖のお墓参りのために、“さあ、京都へ行こう!” である。
盆や彼岸の中日にはなかなか墓参りができないので、彼岸より少し早めの墓参りをする。
青春切符を9月10日までに使い切るために、彼岸には早すぎるお墓参りということになった。
我が家のお墓は京都・嵐山の南、桂川のほとりにある。京都駅から嵯峨線に乗換え、嵯峨嵐山までJRを利用し、そこからお墓までを今日の散歩の経路とした。気軽な京都散歩という次第。

この経路は、これまで何度も何度も歩いたものである。子供たちがまだ小学校にも行っていなかった頃には、子供たちを桂川で水遊びさせたこともある。桂川は、嵐山の上流は“保津川”、嵐山の近辺は“大堰川”、そしてその下流を“桂川”と呼ぶ。最近、正確に知った。子供たちを桂川で水遊びさせるというアイデアは、その頃はまだ元気だった父が言い出した。水遊びの好きな子供たちはなかなか水から上がらなかった。もう40年近く昔の事である。
DSC090908松尾大社.JPG嵐山は京都でも有数の観光地だから、この経路上には沢山の見所があり、まだ見物や参拝をしていないところも多い。今日は、何時でも行けると思ってまだ参拝していなかった松尾大社(左の写真)にはじめてお参りした。写真でもわかる様に、背後には拝殿におおいかぶさるような松尾山が控えている。松尾山には松尾大社の旧鎮座地の磐座(いわくら)がある。松尾大社の創建は、大宝元年(701)秦氏のオサが磐座の神霊を勧請して社殿を建てたことに始まる。松尾大社は”酒の神”としても有名である。境内の裏には亀の井という霊泉が湧いており、この水を混ぜると酒が腐らないという伝説があるという。京都の中心を東西に通じる四条通りの東端は八坂神社、西端は松尾大社ということになっている。

無事、お墓参りを済ませた後は、散歩の疲れを癒すお楽しみの川床料理が最近のコース。
鴨川の夜風に吹かれながら、美味しい料理でビールを飲むのは最高である。
川面に、照明の加減か、対岸の二つのシルエットが大きく、くっきりと浮かび上がって見えた。
その影に気づいて、しばし眺めていたが影は微動だにせず、まるで石像のように見えた。
しばらくすると、スッと寄り添い、額をくっつけたかと思うと、スッと離れた。すごく清潔で
ロマンチックな恋人同士の影はしばらくして消えた。鴨川の夢かうつつか? 如何なものか。

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