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敬老と核密約 [社会]

今日は「敬老の日」。新聞の社説では高齢化そのものを、“憂うべきものでない”と断って
いるが、社会保障制度に不安があることは否めないようで、暗いイメージを払拭できない。
「敬老」とは名ばかりで、前世代を支えてきた人間は用済みで、現役世代への負担を強いる
邪魔物的存在というように聞こえてくる。これでは、老人は使い捨て的存在という事になる。

こういう風潮は、老人の生活や介護の負担を負いたくないという身勝手からくる。
それでは、昔はどうかというと、昔も今と変らず身勝手な人はいた。献身的な家族の犠牲を
強いることによってバランスしていたのではなかったか?家族や知人がなるべく相互扶助で
明るく楽しく負担をしていたのが大半とはいえないだろう。お金がすべて解決するわけでも
ないように思う。様々な福祉にかかわっている人々に、互恵の、相互扶助の優しい心が無いと
うまく回って機能していかないと思う。介護を受ける人も、介護をする人も、制度を運用する
人も、互恵・相互扶助の優しい心をもって事に当たる必要がある。

このように、あらゆる問題は、白か黒か?正か邪か?ではなく、常に人の心の問題と結び
ついているのである。互恵・相互扶助ということを互いに慮って、事に当たるという事は、
客観的な社会認識ということが非常に大切になる。後期高齢者医療制度についての民主党の
大騒ぎなど国内の社会保障制度に関する問題も、民主党にどれだけ優れた客観的社会認識が
あるか不明であり、互恵・相互扶助の精神から見て不安が残る。

しかし、国内問題は国民が辛抱すれば済む問題であるからまだ優先順位は低い。
「核密約」について、岡田克也外相は大上段に調査!調査!と騒ぎ立てているが、朝日新聞の
“核密約、「事前協議制度」解釈の違い” (9/21朝刊)という記事は概略以下の通り。
 《60年の安保条約改定で始まった「事前協議制度」で、日本側は当初、寄港・通過を協議対象になると理解。米国側は対象外と解釈していた。その後、日本政府はひそかに解釈を米側に合わせ、寄港・通過を黙認。非核三原則(67年)の「持ち込ませず」は最初から空洞化していた。》
このような内容は、既に日本の一般国民でも十分に推測可能でうすうす感づいていた。
内密で調査すれば済む話にもかかわらず、大声で喚き立てるのには、計算しつくされた
素晴らしい意図があるに違いない。そうでないなら、蛸壺的思考の社会認識の甘い国家で
あるということを世界に曝していることになる。如何なものか。     
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