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日本の季節感 [大家族]

20090922バッタ.JPG今日はシルバーウィーク最後の祝日・秋分の日である。
娘から、20日は家の近くでザリガニ獲り、22日にはバッタと
コオロギ捕りに行った写真を送ってくれた。
写真はバッタ?コオロギはどこ?孫達の連休最後の日は
どんな過ごし方をしているのだろうか?
◎ 秋分の 日は暮れて明日 また輝け

毎日が休日の私は、今日も曇天の中を散歩に精出した。
最高気温も25℃を下回っているようで、歩けば汗が滲んでくるとはいえ、昨日よりもさらに
凌ぎ良くなったが、夏をこよなく愛す私は、日一日と遠ざかって行く暑さが名残惜しい。
秋分の日に“ゆく夏を惜しむ”というのは季節外れの気もするが、“暑さ寒さも彼岸まで”
というのだから、全くメチャクチャな季節感でもないのではなかろうか。

日本の四季に関する叙述について系統的に調べていないが、清少納言が枕草子の中で書いて
いるものが古いのではなかろうか?(清少納言は生没不詳で10世紀後半-11世紀初期の人)
枕草紙の四季に関する叙述を簡略化すると
「春はあけぼの。夏は夜、月の頃はさらなり。秋は夕暮。冬はつとめて(早朝)。」

道元禅師(生年不詳- 1253)は、四季を織り込んだ和歌を残している。
◎ 春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり
また、小堀遠州の『茶の湯の栞(しおり)』に書いてある記述では
“春は霞、夏は青葉がくれのほととぎす、秋はいとゞさみしさまさる夕べの空、冬は雪の曉”
道元禅師を師と仰ぐ良寛(1758 - 1831)は、辞世の句として、次のように読んでいる。
◎ 形見とて何残すらむ 春は花 夏ホトトギス 秋はもみじ葉

道元、遠州、良寛の表現も素晴らしくて文句の付けようは無いが、清少納言の季節感は
すべての季節に、ピタリと調和する一日の遷り変わりの時刻に統一していて簡潔である。
特に、「秋の夕日がさして山の端が近く感じられる夕暮れ時が素晴らしい」というのは、
人生の憂愁を知る人の澄み切った情感が伝わってきて枯淡の味わいがある。如何なものか。
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