SSブログ

客観的世界認識 [社会]

素晴らしい晴天の日。最高気温も20℃台中盤と比較的低い。秋らしい朝だった。
今日は午前中に歯科医に検診に行く日で、散歩の一環として片道30分を歩いていった。
8:30に家を出たらシャツ一枚では肌寒く感じ、上からもう一枚羽織った。
しかし帰路は10:30を回って、日差しは強烈となり、シャツ1枚で十分だった。
◎ 朝澄むも 昼は汗かく 彼岸前

現今、マスコミは、民主党政権の話題で持ちきりである。何か夢を感じるのだろうか?
甘っちょろい記事が多い中で、Y新聞の“気鋭の目 民主政権 ①”、という記事が面白かった。
鳩山政権への期待と注文を論客で鳴らす気鋭の学者に聞くというスタンスである。
注文という点で、鳩山由紀夫の署名入りで掲載されたニューヨーク・タイムズ紙の論説を取り上げて
米国の主要紙に日本の政治指導者が論説を載せることに賛成しながらも、「真意が伝わる様に
文面も発表媒体もタイミングも、考え抜いて発信することこそ指導者の責務だ」、と批判している。
要は、鳩山由紀夫氏は、現在の世界の情勢を客観的に認識していないのではないか?という
ことである。鳩山側の言い分は、日本の雑誌に寄稿したものを抜粋して鳩山事務所で英訳して
掲載したものだという反論があったと言う。しかし気鋭の先生は、「うっかり載せてしまった
というのは言い訳になっていない」、と切り捨てている。

この論説事件は、功名を焦って騒ぎ立てた偽メールとまるで同じパターンである。
功名を焦って、不用意に投稿し、不味い結果になったら、あぁじゃこぅじゃと言い訳する。
これでは、居酒屋での一般庶民の論争よりも劣るのではなかろうか。

鳩山新総理が、日本の雑誌に寄稿したという記事の締めくくりに、「EUの父」クーデンホフ・
カレルギーが、86年前に『汎ヨーロッパ』を刊行したときの次の言葉を引用している。
「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」。
功名を上げることばかりに気を取られている人には気付かないだろうが、この言葉の裏には
「多くの悲惨な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、悲惨な現実として終わった」と
いう現実がある。蛸壺人間の多い日本では警戒すべき側面である。客観的な世界認識を欠いた
理想主義を国民が支持する時、マスコミも偏った報道で事実を隠蔽し全体主義へと傾斜する。
そのような状況に陥った時の恐ろしさを日本人は忘れかけている。如何なものか。  
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。