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おひさまにかんどうした? [閑話]

「おひさま」も戦前が終わり、今日から新しい時代の幕開け。しかし陽子(井上真央)は
教師として、軍国主義教育をしたという、厳しい批判にさらされる可能性がある。
終戦後の日本は、戦前の道徳観と連合国が押付ける先端的平和主義、民主主義、などとの
整合性をとる必要性があった。当時日本の道徳観は軍国主義で歪んだものになっていた。

現在、菅首相も厳しい批判に曝されている。民主党国対の役員室に「菅どうした」、
「百害あって一利なし」、「宰相不幸社会」などという「書」が、貼られたという。
閣僚も党執行部も菅首相を批判し、国民の8割が早期退陣希望(各種世論調査)。
「手柄は自分がとり、汗は他人にかかせましょう」という人生遊泳術は、相変わらず。
例えば、最近では、原発再稼動に関して、海江田万里経済産業相に責任を押しつけ。

日本には、現場責任、実行責任に比べて、職務系列の管理責任が曖昧な伝統がある。
2005年4月JR福知山線で発生した脱線衝突事故(死者107名/死傷者総数669名)で
管理責任を問われたJR西日本前社長・山崎正夫被告の公判がやっと2011年6月開かれた。
従来の慣習では、立件するのも難しかったが、今回は検察が頑張ったのだろう。
事ほど左様だから、玄海原発再開問題も、首相が再開を明言しなければ首相の責任は
形式的で曖昧になる可能性は十分にある。海江田氏も、功を焦ってはいけないのでは?

最後に「おひさま」で、陽子が責められる「軍国主義教育」の原点を復習しておきたい。
軍国主義は、日清・日露の戦勝などから発した誇大妄想による、現実認識の誤りである。
西洋的主権国家の列強国に居並ぶ事ができたという歓びに目が眩んでしまった。
その頃から、西洋文明吸収を急ぎすぎ、政治家、軍人、その他の専門分化が始まった。
そのために帝国主義国家を目指しながら、同僚であり、実力的には超大先輩でもある
西洋的主権国家群を敵に回すという、理屈にも計算にも合わない戦いを始めたのだ。

戦後の日本は、当初、様々な論争を通して、リアリティを模索した。
そういう状況の中で、陽子の問題も、広い視野から判断された可能性はあると思う。
しかし、そういった広い視野からの議論も、戦争体験の風化と共に、普遍的知性による
リアリティの模索は廃れ、経済成長の波と共に、また専門分化(たこ壷化)が起った。
歴史観、教育観などを十分に整理せず、戦前同様、専門外は知らぬ振りで突っ走った。
だから菅さんのような、人間性にも劣る人が首相になってしまうのではなかろうか。
「おひさま」では、戦後をどのように語るのか?興味津々! 如何なものか
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閣僚人事'11.06.27 [社会]

菅首相は、6/27の閣僚人事で、自民党の浜田和幸参院議員を総務政務官に起用すると共に、
夜の記者会見では、退陣の「一定のメド」について、1)2011年度第2次補正予算案、
2)再生エネルギー特別措置法案、3)赤字国債発行法案の成立、の3条件を表明した。
ねじれ参議院の員数合わせのための自民党切崩し仕掛け人は、国民新党の亀井静香代表と
民主党の石井一副代表とのこと。これに、菅が乗り、枝野も、頷いたということか?
浜田氏は、選挙地盤の自民党鳥取県連幹部との折合いが悪く、自民党にいても今期限り?
と、誘いに応じたのだろうという。

自民党の谷垣禎一総裁は、浜田議員引抜きを「自民党の協力は一切いらないということ」と
解釈している。逢沢一郎国会対策委員長も、民主党の安住淳国対委員長に「両党の信頼関係は
完全に崩れている」と指摘した。しかし菅首相は記者会見で「党派を越えて協力してもらう」
という考え方だと述べた。こんな説明で国民や政治家、官僚などが、納得するのだろうか?
民主党の安住氏も「国対上、(野党に)強く言える立場ではなくなった」「こんなことでは
菅首相退陣の3条件法案の成立に、責任は持てない」と述べた。
仙谷由人代表代行も、社会保障と税の一体改革の成案取りまとめが大詰めを迎えており、
「積み上げてきたものが、すべてパーになりかねない」と声を荒らげた。
野田佳彦財務相も閣議後の記者会見で「野党の態度硬化は非常に厳しい状況。頭下げて
協力をお願いするのが筋だ」と懸念を表明。
玄葉光一郎国家戦略相も「与野党交渉のハードルを高くした」と指摘した。

政治が、行儀の良い紳士のゲームでないことは、先刻、皆も承知していることだ。
老獪な政治家である亀井静香や石井一が、後で糸を引いているという今回の閣僚人事。
相当あくどい、寝技、闇討ちなども隠し持っているかも知れない。

民主党政権のこんなゴタゴタの中、今後、何が起こるか予測がつかない。
「コンクリートから人へ」も結局、机上の空論。「東日本大震災」の費用も大変だ。
今後も、関東・東海、南海などの大地震もある。高齢化、少子化もまだまだ進む。
原発問題に伴うエネルギー政策も不透明なままだ。困った人にお金をばら撒く政治が
一概に悪いとは言わないが、国の財政を賄えるキッチリとした政治をしてもらいたい。
しかし政治家は結局、国民不在の権力闘争?ならばバラマキは慎むべきではないか。
それとも、バラマキ合戦で、国を滅ぼして、また塗炭の苦しみから這い上がるか?
自民党も腹が据わっていない?結局、政界再編?バラマキ合戦?破滅? 如何なものか
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「おひさま」に思う(2) [閑話]

福沢諭吉大々先生は「文明論の概略」において、日本人は西洋人より優位だと言っている。
その理由は、先生の同時代人は「一人で二つの人生を経る」或いは「一人で二人分生きる」
ことができるからだ、という。要は、江戸時代の近世文明と、維新後の近代文明を、同じ
一人の人間として体験できるから、素晴らしい智慧が生まれ、良い社会が創れるという事。
福沢先生のような天才的な創造力豊かな発想は、当時の急激に変化する時代に活かす事は
出来なかった。だから、残念ながら、日中戦争、第二次世界大戦の大悲劇を引起した。

そういった観点から「おひさま」の魅力とは何か?を考えてみた。それで診えてきたのは
「おひさま」は、第二次世界大戦の戦前と戦後を生きぬいた人々の同時代証言ということ。
「おひさま」の陽子(八木優希と井上真央)、真知子(マイコ)、育子(満島ひかり)、
良一(寺脇康文)、道夫(串田和美)、徳子(樋口可南子)などは、皆、戦前と戦後の
教育観、歴史観、価値観などが断絶した二つの時代を生き抜いた証人の生き様である。
今週のNHKステラというTV番組雑誌を見ると、今週水曜日(第75回)で終戦を迎える。
「おひさま」は、まさに、戦前と戦後を正確に二等分して語ろうというのである。

福沢諭吉大々先生が「文明論の概略」で教えてくれた「一人で二つの人生を経る」という
教えは、明治維新~第二次世界大戦の時代には活かす事ができなかった。そしてまた、
戦後も、その素晴らしい体験、同時代証言を、一方的な価値観でしか読み取れないという
貧しい世論であった様に思う。菅、鳩山に代表される民主党政権に移行したこと自体が、
貧しい世論を、如実にあらわしている。しかし、今からでもまだ遅くはない。
立体的な視野からの創造的な教育観、歴史観、価値観を形成するべきだと思う。
現代の経済主義に汚れきったマスコミなどの言論に惑わされていると、日本は危ない?

今日の「おひさま」では、茂樹(永山絢斗)の事務的な葉書による春樹(田中圭)の戦死の
知らせに涙も出なかった陽子。だが春樹の残して行った「心に太陽を持て」(山本有三)の
本をみて泣き崩れた。春樹が「心に太陽を持て」という詩を朗読した時を回想したからだ。
「心に太陽を持て」という詩の最後は
“苦しんでいる人、なやんでいる人には、こう、はげましてやろう。
勇気を失うな。くちびるに歌を持て。心に太陽を持て。”
春樹が詩を朗読した時は、兄妹三人が陽だまりの中、何の屈託もなかった。
本当の苦しみや悲しみ、逆境には、その人の心を奮い立たせるキッカケが必要なのだ。
太陽の陽子は、「心に太陽を持て」という詩を契機に立ち直るだろう。如何なものか
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「おひさま」第12週 [物語]

太陽の陽子(井上真央)は、元気で前向きという従来の朝ドラのキャラクターではない?
従来の朝ドラキャラは、育子(満島ひかり)や真知子(マイコ)の親友たちが受け持つ?
陽子は、親友達をはじめ、様々な人々の思いを受止め、相互の輝きを増すという役柄?
その本質は、でしゃばらないけれど、肝心要・重要な所では人の思いを深く受け取る。
ヒロイン役の井上真央は、そういう難しい表現が上手いから、ドラマが成功している?
そう思ったのは、東京大空襲後、消息のわかった育子に会う為に東京に行く話である。

育子の消息調査をはじめ、育子に、病院で再会するまでの主要人物は真知子だろう。
安曇野の帝王こと父・剛三(平泉成)の情報網を活用。育子の惨状を知り、真知子は陽子に
同伴を依頼したのだと思う。大体、陽子は当時、東京の地理がわかっているはずがない。
まして大空襲で焼野原になり、何の目標もない中で病院にたどり着けるか?
剛三の部下などが、影で助けていたとしか思えない。
そう考えると真知子は、大空襲後の育子救出大作戦の中心人物、最大の功労者でもあった?
しかし育子が、真知子と陽子に再会するシーンで印象的だったのは、陽子がその中心人物に
なってしまっていることである。ヒロインが陽子の物語だから、当り前と見るべきなのか?
それとも親友達の思いを受止める陽子の心栄えが素晴らしく、そういう瞬間、太陽のごとく
輝くから、さまざまな個性のぶつかり合いを、マイナスではなくプラスに働かせるのか?
その辺をつぶさに観察するために、少し再会シーンを再現してみよう。

大空襲で瓦礫の中に閉じ込められた育子は、医大生・上原(高橋一生)に助けられた。
上原は育子に一目惚れ。二人はまた空襲に会い、意識不明で病院へ。二人は病院で再会。
育子は快方へ、しかし上原は徐々に四肢の感覚も視力も衰えて行く。
上原は入隊する予定だった。育子を助け、育子と恋することもでき、素晴らしい人生だと
育子に告げて死んでいった。育子を助けようとしなければ、上原は助かった?

育子は、「・・・・上原さん 恋が出来て良かったと言ってくれた。私も好きだなーって思った。
それなのに私 どうしたら良いかわかんねーよ!ねー! どうしたら良い?」と泣き崩れた。
陽子は、育子に安曇野に帰ることを提案し、真知子も帰郷を勧めた。
しかし育子は、泣きべそをかき、二人の顔色を伺いながら、首を横に振った!
そんな膠着状態の中、育子の前に座っていた陽子が育子の左側、そして真知子も右側に。
更に陽子が負傷の左手を庇い、育子を抱きかかえ「一緒に帰ろう育子」、と共に泣くシーン。
陽子が真迫の演技で「もう一人になんてできない・・・・」と言った時、やっと育子は頷いた。
良く聞き取れないセリフだった。この後、横にいた真知子は、そっと育子の右手を握った。
育子は泣きながら一瞬、真知子を見やりまた元の陽子の腕に頭をゆだねて泣き続けた。


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「おひさま」に思う [閑話]

NHKTV小説「おひさま」を視聴していると、さまざまな事を思い出させてくれる。先日も
杏子(大出菜々子)が竹槍訓練の藁人形に真剣に立向い体当たりして‘両親を返せ’と
泣く場面があった。ご近所の人々によるバケツリレーによる消火訓練の場面もあった。
竹槍による軍事教練や、バケツリレーの消化訓練など、今から考えると児戯に等しく
大真面目に行っていたことをバカにするのは、簡単な事である。また、群集心理だ!
いや、付和雷同だ!と、批判することも容易であろう。私もそう思っていた節がある。
しかし、人生を長く生きてきて、また「東日本大震災」などの経過や、政治のあり方を
見ていて、我々は、やはり、何かを見失っているのではないか?と、思うようになった。
見失ったものを探す為に、福沢諭吉大々先生の「文明論の概略」を批判的に読んでみた。

福沢先生は、旧道徳が解体した明治維新後の金儲け万能主義を批判している。
先生は、そういう精神的空白後に、日本人民がなすべき大切な覚悟をまとめられているが
残念ながら、そういう方向ではなく、ご存知の通りに、第二次世界大戦で大敗北した。
大戦後は、明治維新後と同様、旧道徳解体と、擬似民主主義、自由主義で拝金主義となり
福沢先生の「大切な覚悟」は忘れ去られ、拝金主義傾向は、止まる所を知らない。

「おひさま」で、第二次世界大戦の惨状を思い出すにつけて、一体、明治維新って何?と
いう疑問が湧いてくる。「維新々々」と連呼する今時の脳天気な政治家が、いまもなお
「維新」というキャッチフレーズで選挙民の票を稼げる理由を考察した。そして分った!
現代の「維新」も、明治維新における「王政復古」と同様、人民の懐古の至情に訴えると
いう手法である。この手法こそが近代的知識と、「神話」の鼓吹とを両立させたのだ。
ドイツや日本のファシズムが成立し得た背景に、深層心理の活用があったのでは?
そして、現代日本でも、広告宣伝の心理手法を応用して、「維新」を連呼している?

こんな古臭い手法が現代にも通用するのか?「維新」を連呼する脳天気な政治家が充満。
止まる所を知らない日本人民の拝金主義傾向に、バラマキ政治が常識化・一般化?そして
福沢先生が最重視した「外国交際」に関して、民主党政権には「大切な覚悟」がない。
国会議員や地域の首長さん達が、古臭い手法を使って、何時までも日本史上で「維新」を
至上の価値があるかのごとく言いふらすこと自体、日本の知性や叡智を疑いたくなる。
このように見てくると、日本の現実は、見失ったものだらけ? 如何なものか
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明日も今日の続き? [社会]

最近の政治状況と、「おひさま」の串田和美や満島ひかりのインタビュー番組とを、
頭の中で比較して見た時に、「公共」というものの有り方について考えさせられた。
串田和美が指摘した、戦後日本の演劇発展の中で、見失ったものとは何だったのか?
また満島ひかりが、今、この時点で昭和20年3月の東京大空襲を演じる事への躊躇とは
何なのだろうか?

串田和美は見失ったもの探しの旅で緒方拳と出会い、「ゴドーを待ちながら」を演じた。
この演劇が理解されるようになった理由を、串田はあるインタビュー記事で、
“ ‘ベルリンの壁’崩壊以降、今日の続きが明日じゃないかもしれない、という感覚が
普通になったからではないか?” と言っている。

現在の政治状況は、必死になって、「明日も今日の続き」を取り繕おうとしている?
そして、何か目立った成果を出して、歴史に名を残そうとしている?日本国民の成長を
望まず、子どもの自立を妨げる“太母”のような政治を「正義」と勘違いしている?
立法・司法・行政も、市場経済も、経済管理も社会の調整機関に過ぎない。
調整機能の範囲だけなら良いが、大いに世の中を乱す外乱要因にもなるのである。
菅首相は、エネルギー政策を、この機会に一挙に自分の考える方向に舵を切ろうというが
エネルギー問題は、国民生活の根幹にかかわる大問題である。そういうことをドサクサに
紛れて十分議論もなく政治権力で実行しようとする首相を頂く国は、本当に不幸である。
そういう首相を恥ずかしげもなく担ぐ民主党の人々は、本当におバカさんである。
こんな政治に対して、明確に対抗出来ない野党は、本当に情けない。 如何なものか

今日も梅雨の晴間にしては青空が広く、太陽光線が眩しく、結構きびしい散歩になった。
昨日は右足のくるぶしの芯が痛く、今日はSJ(スロージョギング)はお休みと思っていた。
しかし表に出ると急に走り出したくなり、軽くSJ始動。結局、今日は1時間強のSJ。
SJ終了直前は、熱さのためか、脳天の真ん中に血が固まったような異様な痛みを感じた。
SJを止め、吸水した後も痛みは継続。そんな時にイケメン青年から「暑いですね!」と
声を掛けられた。こんな事は余りないが私もにこやかに、挨拶を返したつもりだった。
だが、どもってしまい、若しかするとその時の私は、相当に危なかったのかも知れない。
「私の心の声は、阿弥陀様の声だ!」 等と過信していると、とんでもない事になる?
しかし、もしそうなったらそうなったで、それもまた、阿弥陀様のお導き?
今日、イケメンと出会ったところも、丁度、知人が勤務している病院の近くだった。
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おひさまと満島ひかり [物語]

今日は夏至。曇り後、雨の予報は見事外れ、日中は日差しも強く、散歩は汗だらけ!
今日は少し距離のある散歩コースを想定したが、熱さと、連日の散歩の疲れが出たのか?
汗は滝のように出て、幾ら水分をとっても喉が渇き、熱中症?
しかも右足付け根の中心が、痛くなってきた。それでも、何とか当初の9割は遂行。
お陰で、家に帰ってシャワーの後も、一時、動けず、ビデオを見た。
おひさまに出演中の満島ひかりがゲストになっている「スタジオパークからこんにちは」

私の年代で、満島ひかりは「おひさま」が、はじめてというのは普通ではないだろうか?
「おひさま」の白紙同盟・三人中、私の第一印象で、最も肌に合わないと感じたのは
育子(満島ひかり)だった。当時の女学生に関する解釈が、現代的過ぎるからである。
陽子(井上真央)の結婚式の会場に乗り込んでくる場面は、全く常識外れだった。
ただ、今日の「スタジオパーク」でも取上げられていたが、育子が東京への家出を陽子に
相談する時、父親を悲しませる事に悩み、泣き崩れる場面は、意外なだけに新鮮だった。
そこだけは、満島ひかりの演技にホロリとさせられた。

今日の満島ひかりの生い立ちや、過去のエピソード、或いは現在の人となりなどを聞いて
今後の彼女のおひさまにおける演技が、少し楽しみになってきた。
「おひさま」での、育子(女学生時代)のヘラヘラしたおちゃらけた感じの演技は、
用心深い少女時代の満島ひかりの生き方そのものでは?満島ひかりは、インタビューで、
自分がひねくれ者で、普段はヘラヘラとしていて、目立たない存在だったと言っていた。
芸能界という魑魅魍魎の世界に生きる為の一種の本能というべきか?「保護色」をまとい
容易に本音を明かさず、ジックリと共演者やスタッフを観察するとは只者ではない?

これから本番となる昭和20年(1945)の東京大空襲の場面について、満島ひかりは
「大震災」が起きて同じような境遇の人達がいる、今この時に、このシーンを撮るのか?
という感想を述べていた。同じような境遇の出来事を演ずる事の緊張感や難しさなどは
はっきり表現しない。言外に匂わせ、司会者に言わせる?中々、思いの深い人のようだ。
これから本格的なシーンとなる大空襲での演技をジックリと見てみたい。

余談だが、井上真央とマイコがビデオで出演して、奇妙な瞬間芸を披露してくれた。
満島ひかりは、マイコと真央の第一印象について、仲良くなれない、良い芝居が出来ない
と思っていたというが、これも彼女一流の婉曲話法?表現方法では?如何なものか
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散歩は自力本願?他力本願? [散歩]

今日の散歩は、梅雨の晴間で日差しも強かったが、冷夏を心配される季候だからか、
気温は、そんなに上がらず、風もあって、スロージョギングでも凌ぎやすかった。
スロージョギングについては、2009-06-16のブログ「魔法の運動」で取上げた。
その翌日から実践し始め、途中中断なども含めて、はや、二年も過ぎてしまった。
この二年間でスロージョギングを実施した日は、合計で、474日。 その内訳は
◎ 2009.6.17~年末:71日、 2010年:267日、 2011年始~6.16まで:136日
通算実施率は、6割4分9厘
2009年の8月下旬~11月中旬まで休止していた割には良く続いていると自画自賛!

さて、私にとって散歩、スロージョギングは、健康のための自力本願?それとも
健康である事に対する感謝の気持を表す行為であり、本質は他力本願なのか?
今日の散歩途中に、ふと、そんな疑問が、頭に浮かんだ。

散歩等を振り返ってみると、最初は、単純に健康に良いというからやってみよう!
というノリというか、発想であり、自力本願と言っても、差し支えないと思う。
但し本来、自力本願は相当できる人の道であり、私等に所詮、自力本願は無理だろう。
ところで、「他力本願」とは、どういうことか? 私なりの考えを簡潔に書いておく。
「他力本願」とは、阿弥陀様の本願(高度な学徳、修行の出来ない凡夫を救う)の心が
全ての衆生の心に届いている、即ち人間は阿弥陀様の尊いお心を頂いている事を信じる
ことである。阿弥陀様の目を通して、この世の中を見る事である。

二年続いたスロージョギングや、当地に帰って丸9年続いている散歩等を振り返った時
私の様に飽きっぽい性格の人間が、自力で出来ていると考えるのは不遜の極みではないか?
やはり阿弥陀様のお心が、私の心に届けられていて、そのお陰で続いているのではないか?
今日迄、はっきりと意識していたわけではないが、何時頃からか、自力で継続に努力する
というよりは、継続できる事に感謝する気持が強くなって来た事は確かである。
私の散歩やスロージョギング、筋トレなどが、「他力本願」と言い切れる程に、私の信心は
堅固なものではないが、これからも、我が内なる弥陀の心を探検しながら生きていきたい。
阿弥陀様の目を通して世の中を見た、と確信出来る体験をしてみたい。如何なものか
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おひさまと覚悟 [閑話]

ある本に、「日本は火山列島で、火山爆発の回数記録、カルデラの歴年表を調べていたら
人間の歴史は火山爆発の休閑期を縫うように綴られてきた様に見える」と、書いていた。
人間の歴史の合い間に、火山爆発があると考えるのは、大きな錯覚だ!というのである。
火山爆発は兎も角、日本は台風銀座であり、地震大国、洪水、山崩れなど災害は多い。
日本人の知能が優れているのは、そういった災害に鍛えられたからだという意見もある。
「艱難汝を玉にす」と言う諺があるが、日本は、それを地で行っているという訳だ。

「東日本大震災」における様々な悲惨な実話を、知人などから伝え聞いた陽子世代や
その少し年長の人々は、自分達の第二次世界大戦当時の過酷な体験を思い出すようである。
そういった方々から、戦争中には相当の覚悟をもって生きられていた話を聴いた事がある。
こういった戦争中の過酷な体験を乗越えて、今もお元気で生きている方々は、我々からは
測り知れない強さ、逞しさと共に、限りない優しさに溢れている。
今日のNHKテレビ小説「おひさま」で、陽子(井上真央)の“覚悟”という言葉が聞けた。
時代は昭和20年3月。軍事教練を実施している陽子の学級の生徒たち。その状況について
ナレータである現代の陽子(若尾文子)は、「人を殺す訓練は、嫌な気持ちだったし、
怖かった。しかし私だって、いざとなったら戦う覚悟は持っていた」と、語っていた。
陽子の覚悟に興味津々である。明るい気持を保ちながら、覚悟をするとは素晴らしい!

平常時あるいは災害後に、一般人が楽観的な考え方をもつことは許されるのではないか?
日本列島の火山爆発や、巨大地震などに、いつも悲観的な態度でリアルに考える事が
一般庶民にとって正しい生き方か?楽観的な錯覚も必要ではないか?これを付和雷同的と
非難するのは当らないのではないか?
楽観的な考え方を社会的に模倣するのは生き抜くための学習であり、付和雷同と言わぬ?

だが、一国の首相になるからには、「治にいて乱を忘れず」の心がけが大切ではないか?
戦時中の陽子ですら、いざという時の覚悟をしていたと言うのだから。日本の危機管理は
全て官僚任せの想定だけで、想定外は、知らぬ、存ぜぬでは、政治主導が聴いて呆れる!
民主党はバラマキを主導したいだけだった?
菅首相の首相としての資質・覚悟が各方面から追及されているが、ご本人は至ってお元気で
居直っておいでになる。小沢一派の造反を骨抜きにし、また民主党分裂の危機も旨く回避。
政界はズタズタになって、菅政権の後の構図が完全に不透明になり、菅首相一人幸せ!
仕事がし難いと嫌われている上司で、これ以上の自己中心的人間はいない?如何なものか
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「おひさま」第11週 [物語]

第11週は、昭和18年の大晦日から、昭和19年3月の卒業式、春休中?のエピソード。そして
4月の新学期と新しい学級の話、特に杏子(大出菜々子)妹・千津子(小西舞優)の話へ続く。
春休中のエピソードでは、兄(田中圭)と陽子(井上真央)や父・良一(寺脇康文)との別れ、
許婚を亡くした傷心の真知子(マイコ)への陽子(井上真央)の労り・友情などと共に、敗勢
色濃い戦時下、真知子の父・剛三(平泉成)と良一の大人たちの苦しい心情などが語られた。

陽子先生が、通常の授業では教えられなかった「命の大切さ、生きることの歓び」を
手紙に託して、卒業式に渡そうと考えた。しかしその手紙の束を校長の目の前に散らかして
校長からダメを出されてしまう。それで陽子が落込んでいる所を徳子(樋口可南子)から
聴かれ、陽子は「命の大切さなど」を教えられない生徒達が可哀相だと、説明。徳子から
そういう考え方では、「子どもが可哀想だ」と、陽子の心構えを正したのである。

ここで考えなければならないのは、戦前だから徳子の意見に従わざるを得なかった?
民主的社会なら、陽子の「子ども達が可哀想だ」と言う考え方は正しかったのか?
現代の具体的事例で言えば、国旗掲揚や国歌斉唱問題である。現在の日教組などは
「国旗掲揚や国歌斉唱をやらされる子ども達は可哀想だ」ということになる。
この議論には、様々な考え方、意見があると思う。その一端を考えてみた。

民主的な社会では、正義は常に討論による説得によって築いて行くしかない。
(日本では多くの裁判結果が、相互に矛盾するような傾向にあるので一貫性がない?
 だから、統一的正義があるはずもなく、部分的正義の対立する社会である)
従って政治的対立意見は、決して天下国家や、万民の為だと言い切れるものではない。

この様に、戦前も現代も、どちらも「子ども達」のこと抜きの自己中的な考え方では?
徳子の意見は、そのどちらでもなく、ただ卒業式の子ども達のことを考えているのである。
故に「子ども達が可哀想だ」と考え、国旗掲揚や国歌斉唱に絶対反対を続ける事を正しいと
考えるのは、子ども達のためではなく、自分或いは仲間の考え方を主張しているに過ぎない?

斯くのごとく「子ども達が可哀想」と言う意見も本当に子どものことを思うなら、一人一人
個別事象として、きめ細かく考えなければならない。その事例として期待されるのが
杏子・千津子姉妹の物語である。現代の杏子は、既に伊東ゆかりが演じて登場済みである。
きめ細かなお話に展開する予感がするのだが? 愉しみだ! 如何なものか
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