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幸福と不幸の間 [閑話]

最近、散歩歩数が明らかに多くなっている。週、10万歩以上をキープしている。
現在の万歩計は、当日までの週間歩数合計がボタン1つで表示してくれるようになっている。
この処、毎日起床直後(当然、当日の歩数はほぼゼロ)に、週間歩数合計をチェックする。
それでも10万歩を超えている日が続いている。今日なども散歩後の週間歩数合計=約13万歩。
何だかすごく豊かな気持になる。この気持に、幸福へのヒントがありそうに思う。

そろそろ「幸福と不幸の間」に、話を移して行きたいと思う。
菅首相は、「最少不幸社会」ということを掲げた。しかし、このお題目は、戦後日本政治が
常に追い求めてきたことであって、全く、何の新鮮味もないのではなかろうか?
現代の日本は、既に、どの国にも劣らない「最少不幸社会」になっていると言えるのでは?

現代日本では、地震、火災、交通事故、医療事故、山崩れ、洪水その他、あらゆる災難が
あるにも拘らず、従来の社会に比べて、人々は、安心していたのではなかろうか?
最も良い証拠が、原発事故である。デタラメ委員長の言うことを信じてしまっていた?
結局、人間にとって全ての災害は、自分に起きる確率でしか考えないのではなかろうか?
従って、全国で様々な災害や事故が多発していても、しょせん確率でいえば小さいから
大した問題はないと考えて生きているのである。これが、「最少不幸社会」では?
現代日本は防災対策(山崩等々)、建築・土木構築物(道路、トンネル、橋、高架、線路)、
生産工場、発電・送電設備、電車・飛行機・自動車、医療設備、通信設備等の安全設計と
保全技術、他の様々な設備、技術の開発・運用によって、「最少不幸社会」を構築してきた。

今回の「東日本大震災」は、そういう確率の問題だけではない事に、気付かせてくれた?
自分の身に降りかかってくる災難は、確率では論じられないのである。大津波の来襲に対し
避難場所にとどまるか?もっと高所に避難するか?確率では弾き出せないのである。
絶対大丈夫と思ったものが全く頼りないものである。頼りないものを大丈夫と思い込む。
即ち「色即是空 空即是色」。絶対大丈夫=全く頼りない。頼りない=大丈夫。ということ
専門家にお任せするしかないかも知れないが、お任せは、また頼りないことである。
「最少不幸社会」もまた、夢を見させてくれるだけの、仕組みであるに過ぎないのだ。
「最少不幸社会」の最少不幸組とは何なのか?「東日本大震災」の被災者なのか?
被災者になっていても不幸と感じない人もいるだろう。最少不幸組に入っていない人は、
幸福なのか?全員が幸福ではないだろう。「最少不幸社会」という幻想の中で夢を見ている
人々こそが、幸福と不幸の間に彷徨っている人々ではなかろうか? 如何なものか。

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