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おひさまと国会中継 [閑話]

今朝の参議院震災復興特別委員会・東日本大震災復興基本法案の国会中継視聴していると、
岡崎トミ子(民主党・宮城)が、被災者のために様々な内容を要求しているので驚いた。
避難所の仮設住宅、一般のホテルなどをはじめ、至れり尽くせりの様々な要求内容だった。
被災者が、お気の毒、大変、可哀相、ということなのだろう。
まあ、贔屓的に見れば、被災者の身になって、よくここまで細かく要求内容をまとめた?
しかし、私の目から見れば、選挙民に対してのスタンドプレーという風にも思える?

「東日本大震災」だけでなく、様々な災害や災難に会って困っている人は他にも居るだろう。
そういう人々と、「東日本大震災」の被災者との違いは何なのか?
そういった点をキッチリ詰めて、それ以外は、他の被災者と同等の扱いで良いのでは?
兎も角、東日本大震災復興に関して、もっと論理的に攻めるべきではなかろうか?
今のような泥縄議論では、一般被災者との格差問題が勃発することも考えられる。

ルネッサンスや宗教改革以来人間は、自然や特権者、更に西欧に対して反抗してきた。だが
日本は現代も、昔と同様に特権者から(見せ掛けの)お恵みを受け、それに騙されている?
確かに、日本人は西欧と異なり、自然に反抗するのではなく、共生して来た。
その伝でいくと、日本人は、特権者に反抗するのではなく、共生して来たのかも知れない。
だが国会が真ともな議論の場ではなく、選挙民へのパフォーマンスの場で、地域利益誘導が
特権者との共存のための仕組みだとすると、日本の国の将来は、暗闇では?

昔は、それでも「神」を信じて、生活が苦しくとも「心」に平安をもたらすことができた。
今は、「物」しか信じられない。物を追いかけている内は「心」を誤魔化す事が出来ても
「物(住む場所など含む)」が無くなると、人間関係も危ぶまれ、「心」は安らがない。
それで、再び、物を追いかけることを継続するのであろう。
「神」や、物を追いかけて紛らわす以外に、「心」に平安をもたらす方法がある。
失われた物は再び元に戻すことはできないが、大変な時に笑ったりして元気になろうという
心を持ち続けることによって、それが力となって人の関係も豊かになる。(串田和美の言)
今朝の「おひさま」で、陽子(井上真央)が、“教え子が可哀相”と言うのに対して徳子
(樋口可南子)が、“先生に可哀相と思われる教え子は、本当に可哀相だ。”といった。
どんなに苦境にある時でも、悲観的に考えない事の大切さを、端的に表していると思った。
現代の政治家も、自分の身の安泰ばかりを考えるのではなく、本当に国民の事を思うなら
可哀相と言う陽子を真似ないで、徳子の言葉を心で受け止めたら! 如何なものか
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