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「おひさま」第17週・家族 [物語]

「おひさま」第17週の御題は「夫婦になる」だが、初めての喧嘩で“夫婦になる”?
チョッと甘いのではないか?そう思って、様々な家族の形という観点から取上げた。
初めての夫婦喧嘩で、和成(高良健吾)が怒った顔がなかなか良かった!
今まで和成の笑顔がキリッと引き締まった表情で、でれでれしていないのが良かった。
それで怒った顔は恐ろしいと想像していたが、やはり予想通りに鬼気迫る厳しい表情で
須藤陽子(井上真央)も恐れ入るのではないかと思ったが、そちらの方は予想ハズレ!

翌日、朝食の時に夫婦喧嘩の勝敗は、徳子(樋口可南子)・道夫(串田和美)夫婦に
和成の負けと判定され、道夫に、「父と同じ道へようこそ!」と祝福?されてしまった。
その上、和成は直後に決定的なパンチを食らってしょんぼりと出勤。近所の岩本保子
(吉村実子)に、「近頃、歩き方がお父さんソックリ」と言われたのだ。
丸庵の家族は、これで「女系家族」に決定、ということか?

家族の形に関しては、“女系”、“男系”などの構造的分類と共に、「甘え」などの
ソフトウェア的な分類の仕方もあるのではないか?
今週は、“甘え”に関する話題が二つあった。祖母・富士子(渡辺美佐子)の話は、
昭和21年の大晦日に、明日はお別れというときの挨拶として語られた。
東京に帰る富士子に、徳子が「無理をされているのでは?」との問いに応えて曰く
「無理したり我慢したりするのは大事。あなた方にこれ以上甘える訳にはいきません。
まだ、シャンとした人間で居たいのです。・・・」
もう1つは、夏子先生(伊藤歩)の陽子への忠告である。夏子先生の話は、和成が
日向子の面倒を見られなくなり、村上貞夫(斉木しげる)・カヨ(渡辺えり)夫婦に
面倒を見てもらった時に、陽子への忠告として語られた。
「貴女はチョッと真面目で、頑ななところがある。甘えなさい。甘えられる人には
甘えなさい。悪いことじゃない!」 そうなのだ。甘え上手が良いのである。

2つの挿話から甘えは度を越してはいけないが、甘えることの良さも教えてくれる。
甘えの限度を心得ているのが「甘え上手」である。富士子などは、その典型?家族には、
甘え上手と下手な家族がある。陽子の育った須藤家は、母・紘子(原田知世)が病弱で、
甘え下手の傾向があった。無理や我慢は大切だが、適度な息抜きや癒しが必要なのだ。
甘え下手な家族の中で育つと、世の中で苦労する事も多い。問題児も出る。丸山家や、
夏子、育子(満島ひかり)の家族は甘え上手?真知子の家族はさてどちら?如何なものか
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「おひさま」第16週・余話 [物語]

第16週では、過去を振り返る場面が幾つかあった。そんな場面を思い起こしてみよう。
最初は、陽子(井上真央)の祖母・富士子(渡辺美佐子)の引止めに伴うもの。
その夜、仮病騒動も落着いて、陽子、徳子、富士子が居間で寛いでいる時を見計らい
いよいよ陽子が、「おばあ様と一緒に暮らしたい」と切り出す。富士子はその申出を
心からよろこんだ。恐らく、それは10年以上前に、初めて須藤家を訪ね、娘・紘子の
位牌に参って、翌日、陽子と飴屋「村上堂」で語り合った時からの願いであったろう。
富士子は飴屋で陽子に、「自分達夫婦は紘子と親子の縁を切った。貴女と私が一緒に
生きる事ができないのは、わかるわよね」と、話して聞かせたことを回想していた。
当時、富士子は陽子たち須藤家の人々に冷たく接しようと心に期していたに違いない。
しかし、陽子と話し、意地っ張りな性格や、紘子が命名した「太陽の陽子」にまつわる
経緯等から、紘子を介し、自分と陽子が太い絆で結ばれている事を強く感じ取っていた?
おまけに、陽子は自分と同じ様に裁縫まで苦手という。
一人娘の紘子には早くに先立たれ、また夫も他界して淋しさの募る富士子にとって、
陽子の「一緒に暮らしたい」という申出は、どんなにうれしかったことであろうか?

もう1つの回想は、育子(満島ひかり)が丸庵を訪問した時に富士子と再会し、一別来の
話題で、育子が東京大空襲に会い、大変な思いをした事などであった。その時に、育子は
「もっと大変な思いをした人が他にいっぱいいる」と言ったのに対して、富士子は言った。
「苦労の重さは比較して決めるものではない。自分の辛さ、大変さを、人と比べて
 大した事はないと思う必要はない。貴女は大変な思いをした、辛かった、悲しかった。
 それだけで良い。誰かと比べる必要なんてない。」
この言葉は、ものや心の豊かさに関しても、通じる言葉ではないか?そう思った。
育子を真知子(マイコ)と陽子が、救出に駆けつける話も回顧された。その話を聴いて
富士子は、「素敵な友情ね」と、絶賛していた。

茂樹(永山絢斗)が、丸庵を初訪問した時に、茂樹と初対面だったのは、道夫・徳子の
夫婦と育子だけで真知子は過去に会っているという話で、その時のことを思い出した。
確か真知子が休校しているのを心配して、陽子だけで真知子の自宅を訪問した時だ。
幼い頃から許婚のある真知子が、松本で春樹(田中圭)と会い、恋をしてしまう。
頭脳明晰の真知子が、大食して許婚に嫌われるという変な作戦を立て、その巻添えで
陽子は腹痛を起こし、茂樹にリアカーで迎えに来てもらった。あの時、茂樹は陽子に
「お前を嫁に貰う男は、世界一の幸せ者だと思うよ!」と言った。 如何なものか
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「おひさま」と女たちの世界 [物語]

今週(第16週)の御題は“女たちの時間”だが、私は「女たちの世界」とひねってみた。
女たちの時間、女たちの空間、即ち女たちの世界に、男は入れない?
まあ、男たちの時間・空間、すなわち男たちの世界もあるのだろうからお互いさまか?
女たちの世界には、独特のマナーがあるようだ。夫を亡くし、安曇野を訪ねてきた富士子
(渡辺美佐子)を、ひき止める時にも、まどろっこしい手続きを踏んでいた。
神蔵(中原丈雄)が下手な芝居を打って富士子を騙す作戦は成功したかに見えたが、実は
富士子は気付いていて、騙される振りをして、孫や丸山家の好意を喜んでいたのである。
こういうマナーは、富士子と陽子(井上真央)との気持を擦り合わせるため、また徳子
(樋口可南子)の気持ちの整理のためにも、必要な手続きだった?

印象的なのが道夫(串田和美)の扱い。そばを毎日探して、夜遅く帰宅したにも拘らず、
富士子に泥棒と間違えられてしまう。また和成(高良健吾)は台本作成で一役かったが、
徳子からは皮肉を言われ、富士子からは下手な台本だと貶されていた。男は、
この様な場面には関係ないのである。女の世界には、「さわらぬ神に祟りなし」か?

女たちの時間におしゃべりは付き物。陽子のお腹の様子を見にきた真知子(マイコ)と
育子(満島ひかり)の三人のお喋りを見聞しながら、昔のことを思い出した。
わが家の子ども達が学生の頃だったと思うが、団欒時に娘が話をして、盛上がった後、
息子が「お姉ちゃんの話にはオチがな~い!」と、よくからかっていた。
男の話には、主義主張とか、落語のオチのようなユーモアとかがないといけない様だ。
真知子の喋りが、陽子の質問で、次々に展開し、ながながとした話になってしまったが
結局は、お見合いをして断っただけの話?真知子の話にも、オチも主張もなかったが、
「こういう話を三人でしたかった。そういう風になりたかった。それが私の戦後の始まり」
という。大切な人が、戦争で亡くなった傷も癒えつつある真知子の近況報告は、大いに
中味があった。女性の話には、オチや主張がなくても、女同士が分かり合える心の陰影を
間接的に伝えるものがある。簡単に価値付けしてはいけないのではないか?

女の世界と男の世界が、摩擦を起す場面が茂樹(永山絢斗)の丸庵初訪問場面にあった。
茂樹が、陽子の姿を「タヌキの置物」と評したのにつられてつい和成が笑ってしまった。
それを見逃さなかったふくれっ面の陽子を庇って徳子が「それを笑っちゃダメだは」と
言ったのをキッカケに、富士子、育子、真知子も次々と和成に非難の言葉を浴びせた。
男は無神経とわかっていても夫は身ごもる妻を無神経に見てはいけない?如何なものか
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2011-07-22散歩 [大家族]

私の散歩コースの一つに「保食神社」というのがある。
今まで、あまり御縁のなかった神社名で、所有している神社関係の本・著者:戸部民夫
「神社ルーツ・血統から探る神様ネットワーク」にも記載がない。気になっていたが、
今日は帰宅後に調べてみようと思った。

「保食神社」から次なる中継点・**第二公園の脇で、カラスの行倒れに出会った。
連れのカラスが、「カァカァカァカァ」、普段と異なりァとカに間がなく 鳴きつづける。
夫婦?親子? 悲しげであり、腹立たしげだった。私に「何とかして」と言っている?
或いは、私が、何もできないでいるから、別の応援を呼んでいるようにも思えた。
暑気あたりか?感電死か? 連れは電柱の電線か支持用ワイヤかに八つ当たりしていた。

今日は、最終中継点(家から徒歩10分)で小銭入れに取付けていた家の鍵を落とした。
帰宅して鍵を出そうとして無いのに気付き一瞬蒼白!妻は長期不在!鍵がなければ大変!
買物の後で小銭入れを出した時に落としたらしい。
再度、最終中継点(スーパー)まで戻って鍵が見つかりホッと一安心!
帰路、小銭入れと鍵を繋いでいた鎖が切れた原因を考察した。
汗(塩化イオン)が沁みこんだ事、鎖が蛇腹ステンレスチェーンであった事により
隙間腐食を起したのではないか?と推定した。当たらずと言えど遠からずではないか。
今日の散歩は、多事多難の散歩になった。私にとって散歩は今や人生!多難もまたよし!
散歩は苦しみも多い。しかしそれが人生の味付けであり、だから些細な事に感謝できる。

帰宅後、「保食神社」をネットで調べてみた。『日本書紀』に登場する神(保食神)らしい。
保食神は食物を生み出し、あるいは増産する神という。これは豊作祈願の神? しかし
稲作、農耕の無事・豊作を守る神は、神社最大系列を誇るお稲荷様がデンと控えている。
そこで、はたと考えた。「保食神社」は、通常の豊作を祈るための神ではない?
そういえば、神話に出てくる保食神が、食物を提供する話が異様なのである(URL参照)
そんな事などを考え合わせた結果、私は、以下のような推測をした。「保食神社」は、
飢饉などの危急存亡の時に、特別にお願いし、感謝する神社?神社の石の鳥居には、
天保9年春3月吉日の字があった。その当時、私の散歩コース辺が大凶作だったかどうか、
岡山市立南公民館のネットは、天保5(1834) 凶作、大飢饉、人民困窮、岡山大火など
天保7(1836) 凶作 天保8(1837)大凶作、飢饉  と書いてある。



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高梁川用水工事記念碑 [歴史]

今日は、孫の世話で神奈川方面に行く妻を駅まで見送り、倉敷イオンに寄った。
雑用もあったが、酒津公園でのスロージョギングを楽しむためである。真夏の日差しを
避ける木陰がふんだんにあり、空気も澄んで風も涼しく絶好のコンディションである。

2008.04.04のブログ「酒津・定点観測」でも少し触れたことのある用水工事竣功記念碑
(用水工事竣工記念碑)を改めて見た。5mはあろうかという巨大な碑である。
酒津貯水池に向かって立つ碑の碑文を改めて眺めた。遠目で判読が難しかったが、
大変なご苦労をした工事であり、完工した喜びが、文面に溢れていた。

そこでもっとチャンと知りたいと思って、高梁川東西用水組合に行って様子を聞いた。
碑の文面に関しては、現代文に翻訳した文章のコピーを頂いたが、後は分らないとの事。
ネットで調べたら、いろいろ分るだろうと思って帰宅後、調べたが余り情報がない。
頂いた現代語碑文は、結構貴重な資料のようなので、要点をかいつまんで記しておく。

用水工事竣工記念碑文(この碑文の日付は、大正14年(1925)4月)
1.高梁川改修の論議は、明治13年、17年の大水害あたりから始まった。
2.時の内務大臣に度重なる請願・陳情。明治25・26年の未曾有の災害で、人命、家畜の
  死傷、耕地・宅地の荒廃により、一層の改修に迫られた。
3.当局の熱心な陳情の結果、明治39年 改修の議案が通過。明治40年 着工に至った。

洪水の対策は出来たが、一方、総社・湛井(たたい)堰による取水で下流が渇水する対策を
とる必要が出てきた。(洪水対策によって、耕地面積が増加した?) 大正5年に
渇水対策として、現在の酒津貯水池を設けると共に、用水組合を統一することになった。
しかし、そのための調査と協定は容易に進まず、前後7年を費やしたという。
その時のことを、「共同施設の利益を体験している今(大正14年)からみれば、まるで
悪夢のようだが、当時は互いに譲るところが少なかった。ともあれ、融和・協調して
合同の目的を貫徹できたのは、実に地方100年の慶賀である」
4.総工費は、当初90万円の予算だったが、欧州戦乱(第一次大戦?)による経費膨張で
  279万円余になった。その内、197万円弱は国庫からの補助だった。

碑文だけを読んでも、全体像は中々浮かんでこない。
何故、これ程の大工事を、一般にわかりやすく、しないのだろうか?
この辺が、日本人が、みんな専門(たこ壷)に閉篭る原因ではなかろうか?


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お仕着せ選挙・2 [社会]

一昨日のブログ「お仕着せ選挙」で、何故、日本の選挙を“お仕着せ”と言ったか?
「選挙権」とは、権力者を選ぶ権利である。それを、いとも簡単に放棄する発言が
一般市民というより、地域行政の責任者・管理者の間から出た事を私は奇妙に思った。
勿論、地域行政の人々は、一般市民の意を汲んで発言したのかも知れない。
しかし、発言の仕方が、「選挙なんかやっている場合ではない」という風であった。
何だか、「選挙をしてやっている」という恩着せがましい言い方に思えたのである。
だから、日本の選挙は、権力者からの“お仕着せ”ではないか?と言ったのである。
“お仕着せ”とは、町家の大店や、豪農が、使用人に着せる「はっぴ」の様なもの。
ご主人の権勢を他人に誇示するためのものである。日本の選挙権なども、日本国家の
権勢を諸外国に見せびらかすためのお飾りなのだろうか?それならば、権力者が勝手に
実施を左右する事も可能であろう。

もう1つ“お仕着せ”で言いたかった事は、多くの日本人は、「話合いで解決することが
民主主義の本質だ」と、思っているということである。だから大連合などの国民不在の
与野党間の談合も、この緊急時だから仕方がないと思っているのではないか?
こういう考え方をしてしまうのは、民主主義を“お仕着せ”でやっているからでは?
民主主義は、話し合いで解決できない問題を平和的に解決する方法に過ぎない。
だから、何の後腐れもなく、話合いで解決できるなら、それに越したことはない。
日本人は、今も、昔からの談合体質を懐かしく思っているのではなかろうか?しかし
思い出してもらいたい。政治的談合に、後腐れのない談合などあるのだろうか?
日本人は、危急存亡の時、理性(左脳)を捨てて、感性(右脳)で生きようとする?

一般市民が「選挙権」の獲得を、長い歴史の多くの人々の血と汗と涙による闘いの成果
として感謝するならば、権力者への安易な妥協はオカシイ? この様な厳しい時だから
民主主義の本質を弁え、理性(左脳)と感性(右脳)をバランスよく働かせるべきだ。
国政選挙まで、地方選挙並みに、大震災を理由に延期するのは、本末転倒ではないか?

政治の先進国・イギリスやアメリカでも、民主主義だけでは、うまく行かない?
単純で飽きっぽい性格の日本人が、民主主義に感謝せず、飽き飽きするのもわかる。
だからと言って、他に何もないから、先祖帰りするのも支離滅裂ではないか?
明治維新、第二次世界大戦敗戦を経験し、道徳は頽廃し、ますます権力者は自己本位で、
偽善的言葉や観念を駆使して止まない。庶民は「快楽」にふけるしかない?如何なものか
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お仕着せ選挙 [社会]

地方選挙を、大震災直後、大震災を理由に延期する特例法を作るという話があったが、
私は、寡聞にして今だ公布されたという話を聞かない。にも拘らず、巷の噂では、
六ヶ月延長しても、選挙をする事は困難だと、片山総務相は言っているらしい。
私は、こういう情報に接して、民主党を軸として、選挙をしたくない連中が、
「六ヶ月間の延長では地方選挙の実施は困難という世論操作」をしていると勘ぐった。
この世論操作は、当然の成り行きとして国政選挙も困難だという世論操作につながる。

しかしこういう世論操作が、唯々諾々と受け入れられる背景があるのではないか?
それは、日本の民主主義は、西洋からのお仕着せだということである。
早い話が、民主主義政治というものを全く信用していない。談合体質だと言うこと。

民主主義の本質は、非常時、話合いで解決しない場合の平和的解決手段という事にある。
今の与野党のように、国民を蔑ろにして、日本を仕切っているのは俺達だと粋がり
談合体質そのままに、与野党が、野合して、政治を私している姿は、戦前の全体主義
そのものの姿ではなかろうか? 勿論、与野党の皆さんは、
「いや、私たちは、選挙民のご意見を聴いた上で、談合している」と弁解するだろう。
確かに、民衆も、「なあなあ主義で、皆でわたれば怖くない」という姿になっている?
元々、日本人は受身で、支配者に従順だから全体主義になりやすいのだと思う。
日本は、東北三県だけではない。外交も経済もある。もし与野党の政治家も、民衆も、
「大震災なのだから、政治のことは、ナアナアで行きましょう!」というなら、
国民全体が、その姿を、どんなものか?良く良くわきまえた上で進むべきだと思う。
戦前の、戦争遂行の場合も、それと非常に似た姿ではなかったか?
「まあ、関東大震災や世界金融恐慌で大変だから、テロも大目に見ましょう。」
「戦争に勝っているのだから、陸軍のミスを大目に見ましょう」という政治家の判断が、
国民の目を眩ましてしまったのではなかったか?

如何なる政治体制であれ、談合で党利党略、私利私欲を追求するイカサマ政治を許して、
国の運命が良くなるはずがない。政治家も、民衆も互いに切磋琢磨して成長しないと
またぞろ、世界の笑いものになるのではなかろうか?
平常時には、重箱の隅を突付くような「談合体質」の議論をしておきながら、
危急存亡の時には大局が見えず、国民抜きの談合政治を意に介さないリベラル?左翼?の
日本の知識人は、どういう知識の持ち主なのか?右翼と何処が違うの?如何なものか
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生きる歓び・命の大切さ [物語]

以前のブログを読み返していて、書き足りなかった2011-06-18の記事を見つけた。
「おひさま」第11週、陽子(井上真央)が、生徒たちに「命の大切さ、生きることの歓び」
を教えてやれない、と悔やむ話だ。私が、この記事で言いたかった事は、
「教師が、国家の教育方針を批判することと、子どもに対する接し方とは別だ」という事。
例えば“教師から「生きる歓びや命の大切さ」を教えてもらわないのは可哀相”というのは
自分の意見を過大評価した尊大で、自己中心的な考え方だと思うからである。
本来、子どもは「生きる歓びや命の大切さ」の多くを、自然観察、家族(両親、兄弟姉妹、
或いは、祖父母)、近所や親戚のおじさん、おばさん、友人等から多角的に学びとる。

陽子の心構えを、そういう考え方では「子どもが可哀想だ」と、正した徳子(樋口可南子)の
導きは、生きることの本質を抑えた素晴らしい指摘だった。こういう指導は中々得がたい。
陽子はめぐり合わせの良い人であり、そしてまた、それを受入れた陽子は賢明な人である。

これ以降は、全くのよた話である。
昨日、湯けむりサスペンス【旅行作家・茶屋次郎】シリーズの2001/07/25放送分
梓川清流殺人事件!一つの殺人と二つの水死!三代にわたる悲劇の謎?飛騨の郷に
旅行作家・茶屋次郎(橋爪功)の推理がさえる! というドラマを、再放送の録画で見た。

このドラマに出てくる悲劇の人・橋戸ユウ(三条美紀)が、大正11年(1922)生れ。何と
陽子と同年の生まれなのだ。しかも生れや生活圏も安曇野や松本の近くだったと思う。
しかし陽子と違い、ユウの人生は茨の道! 13歳で、野麦峠を越えて岡谷の製糸工場に。
二十歳過ぎに工場の検番・浅沼与吉の子どもを宿し、私生児は、産婆の仲介で
戸籍に入れないまま他人に譲る。それからも苦労の連続。まるで、女工哀史そのまま。
昭和40年(1965)7月にユウ→与吉、平成1年(1981)に、ユウの子→与吉の子、そして
2001年、ユウ・79歳で、ユウの孫→与吉の孫、という三代続いた殺人連鎖の幕は閉じた。

「おひさま」もサスペンスドラマも、単なる物語に過ぎないが、「おひさま」第15週は、
陽子が妊娠し、周囲の人々から祝福を受けた。こういう時に、こうして映像で見ると、
その運命の違い、生き様の違いをまざまざと見せ付けられる。「生きる歓び・命の大切さ」
を学ぶとは、本当に難しい。命がけで生きる時に、他人の命は見えなくなる?
命がけで生きるとはどういうことか?命がけで守るものとは何か?共生の道とは?
「命」、「生」にまつわる事柄は、大変におくが深い? 如何なものか
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聖・俗 御伽噺 [閑話]

私は、日本の「聖(僧)」と「俗」に関して、「理性(左脳)」と「感性(右脳)」という
視点から、歴史的時代を追って、大雑把な「おとぎ話」として整理してみようと思う。

日本では、古代に仏教が伝来した事になっている。それまでは土着の修験道や、神道など
呪術的要素の宗教であった。古代以前は、「呪術」という神秘的技を使う「聖」集団が、
権力を握るという構造だった。
古事記・日本書紀(略して記紀)を読んでいると、その権力抗争の基が良くわからない。
何事もない権力継承のケースと、決められた皇太子ではない別の後継者になるケースに
理屈はあるのか?後世の歴史解釈ではなく、同時代的な視点では、恐らく当事者にも良く
分っていなかったのではないか?
そこで、私は、古代社会の「聖」・「俗」は、「感性(右脳)」主体であったと考える。

仏教伝来によって、新たな「聖」社会が、奈良・平安時代に形成された?奈良・平安時代
当時の「聖」社会は、「理性(左脳)」の力を信じて「俗」世間から超越していた?
古代以前の権力者集団(貴族)は、今や精神的に、「俗」世間と変わりなくなった。
「俗」世間は、相変わらず「感性(右脳)」主体で混乱した。「俗」の権力者は、「聖」に
すがって救済を求めた。古代が「聖」と「俗」という社会構造の完成時期ではなかったか?

「俗」世間から「武士団」が台頭し、貴族を棚上げし、実質的な支配者になった。この事は
古代以前の「呪術」による支配が形骸化していたとは言え、現場に密着した支配の始まりで
参政権の拡張と言う画期的な出来事だった。しかし、それが社会的な混乱と経済成長という
複雑な歴史的発展をとげ、「聖」にも「俗」にも、大きな変革をもたらした。

法然・親鸞の口称念仏思想は、「理性(左脳)」を絶対的に信じる従来の「聖」社会の
信念を打破する画期的なものだった。画期的なものには、必ず善悪の両面がある。
誤った解釈をすると、謙虚さを失い、傲慢になってしまう。そして素晴らしい点は、
「聖」と「俗」という二項対立的ではなく、常に物事を柔軟に捉える様な考え方である。
中世社会以降、「聖(僧)」社会も、「俗」世間も、幾多の経験をした後に、鎖国して
日本の「聖」・「俗」は、「理性(左脳)」と「感性(右脳)」の均衡がとれていた?

明治維新で「僧」社会が壊され「感性(右脳)」のシャーマニズムが国家宗教となった。
第二次世界大戦の敗戦後、「聖」社会も「俗」世間も精神的に漂流? 



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民主党政治の終幕? [社会]

今日は、「中元」の日。昔は旧暦で行われる行事だった。道教の行事だという。
三元(上元、中元、下元)というのがあって、その1つが中元。
昨日のブログで、民主党のバラマキ政策の本質を、私なりにえぐり出してみた。
私は、権力者は民衆にマイナスの存在だと思っている。小さい政府の賛成派である。
勿論、地方行政も小さいことを望む。第二次世界大戦後の貧しい時代は、国家による
調整も必要だったろうが、豊かになった今日、政府は小さくて十分だと思っている。
民主党は大きな勘違いをしている。欧米が何時までも進んでいると思っている?

欧米の知識・経験が素晴らしいというのは、日本的な思考・経験との相乗効果によって
輝きを増すのであって、欧米の知識・経験も、革新しないと老朽化してしまう?
民主党の様に、欧米からの借物を店頭に並べるだけの安易な商売では商売にならない。
また菅首相の思いつき政策も酷すぎる。兎も角、民主党の政治は余りに未熟すぎる。
日本丸が難破する前に、或いは、日本丸が変質してしまわないように、速やかに
もっとチャンとした政党にチェンジしてもらいたい。即刻、解散総選挙すべきだ。

「東日本大震災」を理由に、解散総選挙に反対する輩がいるが、そう言う人々は、
自分たちだけのことしか考えない人か、民主党の回し者だと思う。
「東日本大震災」が起きたからこそ、民主党政権を信任すべきかどうか問う必要がある。
バラマキ政策で政権を盗り、その政策が、オルダス・ハクスリーが80年前に予言した
「人間の尊厳を見失う快楽」という薬が入している事を検出した以上、当然であろう。

折しも、今日の午後、32人の民主党若手議員が菅首相の即時退陣求める決起集会を
開いたと言う(msn産経ニュース:2011.7.15 13:45)。 
長島昭久、吉良州司両衆院議員ら衆参両院議員11人が、党所属の全議員に「首相は
政権運営にとり致命的な失態を繰り返している。3条件に関係なく即刻退陣すべきだ」
とする文書を配り、参加を呼びかけた集会だと言う。
私は繰返すが、民主党内の政権たらい回しでは、どうにもならないと思う。
党内に人材がいないからだ。自民党や公明党はどう出るか知らないが、
大連立だけは勘弁して欲しい。また、安易な政界再編成もゴメン蒙りたい。
各党は、再度、自党の方針を良く詰めて、総選挙を戦って、民主党のバラマキではない
新しい政治、小さい政府の政治をやって欲しい。 如何なものか
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