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ファジーな関係 [希望]

今も現役で活躍しているプロゴルファ・青木功と私の関係がファジー?
今日、購入した週刊新潮('11.6.23号)の連載・416を読んで、そう感じたのである。
青木功は、以下のように書いていた。
今年、おれは70歳になっても優勝するための土台作りを目標に掲げた。
俺の座右の銘は「体技心」。技術やメンタルな部分は体力あってこそ鍛えられる。
先のことを考え出したら不安ばかり。自分のために率先して突き進むしかない。
やるだけやってダメなら、その時に考えれば良い。諦める前に、諦めない努力を!
65歳で、日本シニアオープンに勝った時、飯合肇が、「目標ができた」と言っていた。
おれは何時までも、試合の緊張感を味わっていたい。だから誰のためでもない。
おれ自身のために本気で挑戦するつもりだ。

青木プロは、日本における伝説の超有名プロ。
先日の6/15の新聞でも、今年の全米オープン開催に先駆けて、青木プロの話が出ていた。
“「31年前の死闘、俺の誇り」青木功さんに聞く全米オープン” という見出しである。
1980年全米オープンゴルフ、最終日、ジャックニクラウスと、同スコア(204)とし
最終組で回る青木は、1番はパー。だが、その直後、二つボギーをたたいてしまった。
ジャックが打つと一気に騒がしくなる。でも、完全に静かになるまで俺は打たなかった。
そんなずぶとさはあったね。ヤジってきた観客には笑顔で「サンキュー」と応じた。
客だって悪い気はしない。その後は声援を送ってくれたよ、という。
最終結果は、ジャック・ニクラス(272=63-71-70-68)。青木(274=68-68-68-70)
ジャックと共にそれまでの大会記録を更新するスコアだった。青木は2打及ばず2位。
ジャックの272は現在でも大会タイ記録である。青木も現在なお日本勢の最高成績だ。
悔しさはなかった。ジャックと4日間同じ組で回り、ここまでやれた充実感が大きかった。
青木プロは、31年も経過しても話題にしてもらえる実績も誇りもハイレベルの超有名人。

そんな青木プロと、私が、どんな関係があると言うのか?
先ず、私と青木は、同じ日本人で、年齢もほぼ同じ(約1年私が年上か?)。
私も、初心者ゴルフを、約50年間継続しているので、ゴルフ継続歴も比較的似ている?
私も、70歳になっても、ゴルフを継続できるようにしたいと思っている。
ゴルフが上手であろうと下手であろうと、所詮、人間のする事。フラクタル構造のはず。
古来、「先人の形骸を追わず、その志すところを追え」という。ファジーに推論すれば
青木名人の志すところは、私も追うことが可能ではなかろうか?如何なものか
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被災者の心に明りを! [社会]

「東日本大震災」で、大切な人を亡くし、大事なモノを失くされた方々は、
時間が止まってしまった!そしてあの日の前に帰りたい・・・・・・・! と感じられるだろう。
そういう方々のことを思うと、万感、胸に迫り、言葉もない。それでも無慈悲なようだが、
悲観を楽観に切り替え、敢えて、そういう皆さんに強く生きて頂きたいと祈っている。

人は原則、楽観的にできていると思う。今週の「おひさま」でそれを証明しよう。
昭和19年(1944)元旦。陽子(井上真央)が丸庵の前の通りで、夫が出征中の宮下啓子
(初音映莉子)の子どもに独楽回しの妙技を披露していた。のどかな正月風景である。
そんな時、役所の人が通りかかり啓子が急に強くおびえた。不審に思った陽子が訊ねると
その人は戦死公報を届ける係りで、自分に来たのではないか?と、こわがったという。
それを聴いて、陽子も出征している夫を思い、ゾッとして鳥肌が立ったと言っていた。

この話からも分るように、啓子も、役所の人に会うと思い出すのであり、
陽子も、啓子の恐怖心を聴いて、それに伝染するのである。いつもいつも不安を抱き、
悲観的になっているのではない。しかし、啓子のように取り越し苦労の傾向の強い人は
こういう経験が重なると、悲観的気分が継続するようになり、日常化する恐れがある。
そこで大切な事が、災難に立向う時、社会の指導的な立場の人々が、明るい気分で、
前向きに取組むことが、最も大切なことだと思っている。

福島県相馬市の男性(50歳代酪農業)が将来を悲観して自殺したということを聴いた。
今年5月の福島県の自殺者数(速報値)は68人。前年同月と比べて、19人増加している。
(ただし、震災や原発事故との関連は不明とのこと) 私にとって衝撃だったのは
相馬市の男性が、福島第1原発事故への恨み言と思われる言葉を書残していた事である。
「原発さえなければ」という言葉で始まる書置きに私は一瞬、ゾッとして鳥肌が立った。

週間ポスト・6/24号を読んでいたら、仙谷官房副長官や前原前外務大臣が原発輸出を
推進している?原発輸出計画は大震災で中断されたと思っていたが、再開されたのか?
確かに、ご両人や多くの政治家は明るい気分で、前向きに原発輸出に取組んでいる?
だが、私が「明るい気分で、前向きに取組むこと」というフレーズで言いたかった事は
早々に原発輸出を再開するような意味合いではない。原発輸出の再開でも明らかだが
自殺者対策の強化を云々していた民主党政権が、如何に場当たり的な政党か、が明確。
場当たり的政党の政権では、被災者の心に明りをともせない。如何なものか
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生きた教育 [閑話]

TV番組で、「東日本大震災」によるカリキュラムの遅れを取返す算段に汲々としている
学校の先生たちの取り組み話があった。
そこには、生きた教育へのまなざしが皆無に見えた。
確かに生きた教育のために始めたはずの「ゆとり教育」という名の教育は見事に失敗。
現代日本は、チョッとばかり子どもらの成績が、他の国々に比べて落ちて来たと言う事で
詰め込み教育に逆戻り? 久しく学歴社会や、受験戦争の弊害を云々してきたが、
実に情けない!

そうであるにしても、「東日本大震災」は、又とない生きた教育の場であるはずだ。
教育カリキュラムの履行も大切だが、千載一遇のチャンスを、教育の場で如何に活かすか?
という視点も非常に大切なのではないか?
おひさまの陽子(井上真央)が、カリキュラム履行に関する悩みを徳子(樋口可南子)に
打明けた時、徳子は、何故、陽子を肯定しなかったか?
徳子は子ども達のカリキュラム履行だけが、教育ではない事を体で知っていたのだと思う。
(昨日のブログ「おひさまと国会中継」も参照下さい)

余談だが、太陽の陽子さんも、昭和18年(1943)時点では、太陽どころかロウソク程度?
これからの物語で明らかになるだろうが、陽子さんは、徳子をはじめ、周囲の人々との
さまざまな経験によって育まれていくのだと思う。
甘やかすだけではなく、厳しく鍛錬しない限り、本当の太陽の陽子さんは育たない。
本当の太陽を見れば分る。太陽は親切で甘やかすばかりではない?

現在は、菅首相や閣僚、そして民主党が「親切」の一手販売で身の安全を図るご時世。
だから、私の話など、聴く耳持たないだろうが、あえて書きたかった。

現代日本はなお、昨日のブログにおける「反抗」と「共生」の様に、欧米との違いがある。
個人の自立という観点からも明らかに欧米とは異なる。
そういう政治風土において
嘘八百のマニフェストを、欧米の政治手法と称して舶来品に弱い日本人を騙し、
政権を盗った民主党の政治手法が、他の政党に伝染すれば日本の国は再び滅びるだろう。
如何なものか
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おひさまと国会中継 [閑話]

今朝の参議院震災復興特別委員会・東日本大震災復興基本法案の国会中継視聴していると、
岡崎トミ子(民主党・宮城)が、被災者のために様々な内容を要求しているので驚いた。
避難所の仮設住宅、一般のホテルなどをはじめ、至れり尽くせりの様々な要求内容だった。
被災者が、お気の毒、大変、可哀相、ということなのだろう。
まあ、贔屓的に見れば、被災者の身になって、よくここまで細かく要求内容をまとめた?
しかし、私の目から見れば、選挙民に対してのスタンドプレーという風にも思える?

「東日本大震災」だけでなく、様々な災害や災難に会って困っている人は他にも居るだろう。
そういう人々と、「東日本大震災」の被災者との違いは何なのか?
そういった点をキッチリ詰めて、それ以外は、他の被災者と同等の扱いで良いのでは?
兎も角、東日本大震災復興に関して、もっと論理的に攻めるべきではなかろうか?
今のような泥縄議論では、一般被災者との格差問題が勃発することも考えられる。

ルネッサンスや宗教改革以来人間は、自然や特権者、更に西欧に対して反抗してきた。だが
日本は現代も、昔と同様に特権者から(見せ掛けの)お恵みを受け、それに騙されている?
確かに、日本人は西欧と異なり、自然に反抗するのではなく、共生して来た。
その伝でいくと、日本人は、特権者に反抗するのではなく、共生して来たのかも知れない。
だが国会が真ともな議論の場ではなく、選挙民へのパフォーマンスの場で、地域利益誘導が
特権者との共存のための仕組みだとすると、日本の国の将来は、暗闇では?

昔は、それでも「神」を信じて、生活が苦しくとも「心」に平安をもたらすことができた。
今は、「物」しか信じられない。物を追いかけている内は「心」を誤魔化す事が出来ても
「物(住む場所など含む)」が無くなると、人間関係も危ぶまれ、「心」は安らがない。
それで、再び、物を追いかけることを継続するのであろう。
「神」や、物を追いかけて紛らわす以外に、「心」に平安をもたらす方法がある。
失われた物は再び元に戻すことはできないが、大変な時に笑ったりして元気になろうという
心を持ち続けることによって、それが力となって人の関係も豊かになる。(串田和美の言)
今朝の「おひさま」で、陽子(井上真央)が、“教え子が可哀相”と言うのに対して徳子
(樋口可南子)が、“先生に可哀相と思われる教え子は、本当に可哀相だ。”といった。
どんなに苦境にある時でも、悲観的に考えない事の大切さを、端的に表していると思った。
現代の政治家も、自分の身の安泰ばかりを考えるのではなく、本当に国民の事を思うなら
可哀相と言う陽子を真似ないで、徳子の言葉を心で受け止めたら! 如何なものか
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おひさまと串田和美 [閑話]

TV小説「おひさま」で陽子(井上真央)の舅役を演じる串田和美について今日、お昼の番組
「スタジオパークからこんにちは」を見て、いろんな事がわかり面白かった。
「おひさま」の見方にも奥行きが出て、これまで以上に楽しめるのではないかと思った。

さて、放送内容で最初に驚いたのは、串田和美の年齢である。昭和17年(1942)生れという。
何と、68歳のお爺さんとの事。昨日のテレビで、老化を抑えるサーチェイン遺伝子が取上げ
られていたが、串田和美は、この遺伝子が常に活性化しているのか?
青山祐子アナや近田雄一アナとの対話も、淀みなく的確で、しかも中味の濃い話をサラリと
語る。同年輩の私は「お主、出きるな!」と一瞬間、怯んだ。

冗談はさておき、妻・徳子役の樋口可南子は、昭和32年(1957)生れで、53歳。
長男・和成(高良健吾)は陽子の3歳年上だから23~24歳。さて和成の両親が役者と同年輩と
仮定すれば、和成は、父親が43~44歳、母親が29~30歳で生れた子という事になる。
最近の役者さんは、10歳位は若しく見えるから、昭和18年時点で徳子は43歳、道夫は58歳?
道夫・徳子夫妻の年齢差と役者さんの年齢差に相関があるのか?ないのか?
徳子が、家付きの娘で道夫が婿養子(恐らく立派なそば職人)という事で、15歳程度の
年齢差があるのか?その辺のことが、今後の展開で明らかにされるのか?楽しみである。

年齢の事ばかりで長くなってしまった。番組で一番、感じた点は、
「演劇の地位が東京の中でドンドン向上していく事。それはそれで良いこと。だけど見失って
いるものもあるのでは?」と考えて、ロンドンに放浪の旅に出た事だ。
もう1つは、昨日のブログで書いた、「当時の大人たちは窮地に立つほど余裕を見せた?」と
言うことを、別の言葉で表わしてくれた事である。串田和美は次のような表現をした。
1.ドラマでは、大変な時に笑ったりして元気になろうとしながら、それが力となって
  人の関係も豊かになる。現代は、便利になりすぎ発達しすぎて、チョッと揺らぐと、
  どうして良いかわからない。うろたえてしまう。
2.“おひさま”の時代は、まだほんのチョッと前の事。このドラマを見て、若い人たちも
  いろんな事に気付いてくれたら良いな!

「東日本大震災」を“未曾有”と言うが、戦争を知らない人も、関東大震災を知らない人も
様々な文献が存在し学ぶ事は可能である。“未曾有”を連呼するマスコミ、政治家等を、
少し批判的な目で見て、本来の人間のあり方を考えるのも大切では? 如何なものか
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「おひさま」第10週_② [物語]

「おひさま」の第59回(金)は、陽子(井上真央)の空襲警報の初体験話があった。
この経験が、ご近所へのお披露目(普段の付き合い)のキッカケになったという筋回しだ。
その直前 徳子(樋口可南子)が陽子を思いやり、陽子としみじみ語り合う場面があった。

前日から新しい家族になった陽子と姑の徳子。和成(高良健吾)の居なくなった空白を
痛切に感じていた二人は、これから、どのように暮らせば良いのか?迷っていた?
徳子は、自分のこと(家付きの娘で養子をとった身)を打ち明けて、「私はお嫁さんのことは
分らない。だから、嫁を貰ったのではなく、新しい娘ができたと思う」と、語りかける。
「娘だから遠慮しない、気も使わない、怒るし八つ当たりもする。そんでも良いかい?」
陽子「うれしいです」。徳子「良かった。それじゃドンドンケンカしよう。」 そして
改まった口調で、「私と陽子、良い組み合わせだよね、キッと!」間をおいてしんみりと
「娘を亡くした母親と母を亡くした娘と。」更に言葉を継ぎ「世の中は大変だけど、家の中だけは
笑ってよう!そうすれば大抵の事は乗切れるよ!」のセリフの終わった直後に空襲警報!

陽子は初の空襲警報に動転してしまう。なにせ、安曇野にはなかったという。陽子が家族と
住んでいた所は、相当な田舎だったのでは? 本当に松本から通える場所だったのか?
徳子から一番大事なものをもって行け!といわれ、陽子は和成の湯飲み茶碗1個をもって、
防空壕代わりの丸山家のむろに入った。むろには氷用と麹用がある。丸山家は蕎麦屋だから
麹用であろう。町内の数十人が入るむろを持っているのだから、丸山家はご大家である。

避難した陽子は空襲の恐ろしさに身をすくめていると徳子から訓練だと明かされる。しかし
隣家のお姉ちゃん・宮沢節子(白川由美)は風呂に入っていたというから抜打ち避難訓練?
これでは本番・訓練を咄嗟に区別はできないから真剣にならざるを得ぬ。従って、陽子には
真剣に取組んでもらうために学校勤務中に来た訓練予告のことを知らせなかったという事?

私は4歳になる直前終戦になったが、その終戦前に防空壕に避難した帰路、近所が焼失した
のを見た記憶がハッキリ残ってる。夜明け前?道路際は鎮火し下火だったが、大規模な火事で
暗い中の火が鮮やかで幼い脳裏に刻み込まれたのだろう。2007.11.22のブログにも書いた。
私は当時の避難に関し他に何にも思い出せなかったが、このおひさまの避難訓練を見ていて
何となく思い出した事がある。防空壕の暗い中で大人たちが結構明るい気分であったことだ。
ドラマの様な軽い冗談を言っていた雰囲気ではなかったか?暗い防空壕の中で怖がりの私が
結構リラックスしていた?当時の大人たちは窮地に立つほど余裕を見せた?如何なものか
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「おひさま」第10週 [物語]

田植えも大分進んで、追い込みの時期?土曜日で、子どもや孫が手伝ってくれている?
◎ 田植機に 孫と相乗り 雨上がり
「おひさま」も60回。4割を消化したが、物語の時間経過は11年だから、単純計算でいうと
あと28年しか語れない?  となると、1970年頃で終わってしまうが、さてどうなるのか?
今週の前半は「見合い結婚」で一応取り上げた。さて後半、話題はいろいろあるが、整理が
難しい。従って「別れの朝」(木)を取上げた。和成(高良健吾)の出征で別れると言うのに
和成は嫁の陽子(井上真央)にも両親(樋口可南子・串田和美)にも、普段通りの生活様式で
別れたいと要望した。やはり学校に行きたくないという陽子を無理矢理、見送ってしまう。
両親も、門口までも見送らせないで、調理場で別れの挨拶。

もし戦争のない状態なら、いくら戦前でも結婚休みくらいはあったのではないか?昔は、
結婚とは特別の儀式だった。結婚式翌日の「別れ」を普段通りにやりたいというのは和成の
身勝手な我儘ではないか? ジメジメした別れ方をしたくない気持は良くわかる。自分も
引き込まれて落込んでしまう?しかし生きて帰ってくるならまだしも、戦死なら女たちは
一生涯、悔いを残し和成から自由になれないのではなかろうか?母親や嫁の気持を考えれば
むご過ぎる? だが強さも弱さもひっくるめて、それが人間の魅力でもあるとするならば、
そういう面を正直に出して、心に長く刻み込むやり方もまた、一つの愛の表現なのかも?

学校に行った陽子は音楽の時間、唱歌 ♪兵隊さんのお陰です を、歌いながら目には涙が!
歌いながら、自分の夫が戦地に行っているということを、ヒシヒシと実感するのであろう。
授業の終わった後、夏子先生(伊藤歩)に、夫の無事な帰還を泣きながら訴えていた。
この回の放送が終わった後、「朝イチ」に切替ったのにすすり泣きの声がする?あれまだ
終わってなかったか?なんと有働アナが泣いている!「おひさま」放映中は号泣していた?
「朝イチ」共演者が、作り笑いでハラハラしているので、そう推定したが?どうだろうか。

太陽の陽子から、ふと「一隅を照らす」という言葉を思い出した。4割を消化した段階で
陽子は、太陽のように世界を照らすのではなく、陽子の周りを明るくする人と考えた方が
良さそうに思った。「一隅を照らす」という言葉には、色々な解釈があるらしいが、
「一隅を照らすとは、立場立場になくてはならぬ人になること」と、言う人もいる。私は
「一隅を照らすとは、謙虚で前向きに自分の役割を遂行し、自立して周りを明るくする事」
と考えている。 陽子が私の言う様な「一隅を照らす」人か?見守りたい。如何なものか
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見合い結婚 [物語]

先週から今週前半の「おひさま」は、陽子(井上真央)と和成(高良健吾)の見合いと結婚の
話である。どんなに暗くて、つらい時にも、明るく生きる事は大切である。
それにしても、春樹(田中圭)が、それを見たさに早く帰宅した結婚前夜の花嫁の挨拶。
親父さん(寺脇康文)から陽子に「長い間、世話になった!」と先手を打った挨拶は型破り。
涙を流した寺脇の熱演は、お見事な先手必勝演技だった! 実に珍しい結婚前夜の話である。
それで、気付いたのだが、この一連の物語は、見合いからして型破りだったのである!

現代は知らず、昔のお見合いは、仲人(媒酌人)を通して申し込むのが普通のやり方では?
それなのに、和成の母親(樋口可南子)が、自ら単身乗り込むというのは奇襲戦法か?
そういう仲人なしの見合いだから、和成自身が見合いの席上で断るというのも前代未聞?
更に破談になった妙齢の陽子が、和成とその両親、親父さんを前にして、激しい愛の告白。
そして、目出度く結婚にゴールイン!超ゲンダイ的な見合い結婚。これぞ「現代の超克」?

「おひさま」第57回の結婚式も、当時(昭和18年)としては、おかしい面もあった?
陽子が、終始、笑いすぎていたように思う。家の世話から逃げ出せてヤレヤレッての?
昔は公式の場では「正直に自分の気持を出すのはハシタナイ行為」という風に考えられていた。
昭和40年代の結婚式でも、「花嫁がニコニコしすぎ」と、親族からブーイングがでたのを
記憶している。勿論これは、ジョークであったが、昔の花嫁は様々な気使いをしたものだ。
真知子(マイコ)が地味な服装で列席していたのは、時局を考えた慎み深さの表現であった。
育子(満島ひかり)は、派手な服装で派手な立ち居振る舞い。貧乏人は飾り、金持は控える?
白紙同盟の三人の中で、正常な時局観は真知子だけだった? 

昭和18年(1943)は、日本連合艦隊司令長官・山本五十六戦死、アッツ島日本軍玉砕、
9月には同盟国イタリアが無条件降伏。山本五十六の戦死は、新聞で報道されたようだが、
アッツ島やイタリア降伏の報道が、当時一般になされたかどうか?詳細は知らない。もし
報道されたとしても、事実の伝達だけでは一般人が正確に状況を理解する事は難しいだろう。
現代のように大小、取り混ぜて各種報道されても、一般人が状況をどれ程理解しているか?
様々な利害関係の立場によって、興味の対象も内容の理解の仕方も様々であろう。
例えば、「東日本大震災」の、原発事故の、中央政界の、何が一般人に伝わっているのか?
そう考えると、先週から今週前半の、陽子と和成の見合い、そして華やいだ今日の結婚式の
話題が、時局から考えても決しておかしくはないと言えるのではないか?
「東日本大震災」で一時、色々な自粛が言われたが、行き過ぎた自粛も如何なものか
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幸福と不幸の間 [閑話]

最近、散歩歩数が明らかに多くなっている。週、10万歩以上をキープしている。
現在の万歩計は、当日までの週間歩数合計がボタン1つで表示してくれるようになっている。
この処、毎日起床直後(当然、当日の歩数はほぼゼロ)に、週間歩数合計をチェックする。
それでも10万歩を超えている日が続いている。今日なども散歩後の週間歩数合計=約13万歩。
何だかすごく豊かな気持になる。この気持に、幸福へのヒントがありそうに思う。

そろそろ「幸福と不幸の間」に、話を移して行きたいと思う。
菅首相は、「最少不幸社会」ということを掲げた。しかし、このお題目は、戦後日本政治が
常に追い求めてきたことであって、全く、何の新鮮味もないのではなかろうか?
現代の日本は、既に、どの国にも劣らない「最少不幸社会」になっていると言えるのでは?

現代日本では、地震、火災、交通事故、医療事故、山崩れ、洪水その他、あらゆる災難が
あるにも拘らず、従来の社会に比べて、人々は、安心していたのではなかろうか?
最も良い証拠が、原発事故である。デタラメ委員長の言うことを信じてしまっていた?
結局、人間にとって全ての災害は、自分に起きる確率でしか考えないのではなかろうか?
従って、全国で様々な災害や事故が多発していても、しょせん確率でいえば小さいから
大した問題はないと考えて生きているのである。これが、「最少不幸社会」では?
現代日本は防災対策(山崩等々)、建築・土木構築物(道路、トンネル、橋、高架、線路)、
生産工場、発電・送電設備、電車・飛行機・自動車、医療設備、通信設備等の安全設計と
保全技術、他の様々な設備、技術の開発・運用によって、「最少不幸社会」を構築してきた。

今回の「東日本大震災」は、そういう確率の問題だけではない事に、気付かせてくれた?
自分の身に降りかかってくる災難は、確率では論じられないのである。大津波の来襲に対し
避難場所にとどまるか?もっと高所に避難するか?確率では弾き出せないのである。
絶対大丈夫と思ったものが全く頼りないものである。頼りないものを大丈夫と思い込む。
即ち「色即是空 空即是色」。絶対大丈夫=全く頼りない。頼りない=大丈夫。ということ
専門家にお任せするしかないかも知れないが、お任せは、また頼りないことである。
「最少不幸社会」もまた、夢を見させてくれるだけの、仕組みであるに過ぎないのだ。
「最少不幸社会」の最少不幸組とは何なのか?「東日本大震災」の被災者なのか?
被災者になっていても不幸と感じない人もいるだろう。最少不幸組に入っていない人は、
幸福なのか?全員が幸福ではないだろう。「最少不幸社会」という幻想の中で夢を見ている
人々こそが、幸福と不幸の間に彷徨っている人々ではなかろうか? 如何なものか。
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「おひさま」第9週 [物語]

さて、「おひさま」第9週は、週末が忙しくて、なかなかまとめ切れなかった。
第9週は、見合いから婚約成立までの展開が、奇妙奇天烈で理解できなかった事も一因?
一番こだわった点が陽子(井上真央)の泣き上戸による記憶喪失である。記憶のない陽子が
どうして、こういう風に客観的に物語れるのか?不思議だったが、以下の様に了解した。
現代の陽子が約70年前を回顧しているのだから、多少の齟齬は仕方がないだろう。また
前後して知り得たことを、物語の中でいちいち説明するわけにもいかないではないか?
まあ、重箱の隅を突付くような細かな話は、止めようと思う。

気を取直して再度、一週間のビデオを通しで見て、何かが見えてきた。昭和8年(1933)に
実母を亡くした陽子は家族の母代りとして、昭和18年(1943)まで頑張ってきた。そんな時
和成(高良健吾)との見合い話が持ち込まれた。和成の母・丸山徳子(樋口可南子)とは
昭和13年(1938)からの知り合いだった。陽子は何となく、母性を感じていたに違いない。
その徳子が持ち込んできた見合い話に、陽子が乗り気になったのは当然ではなかったか?
その様な陽子の夢を、和成は、また彼なりの誠実さで、縁談を自ら断って壊してしまう。

しかし、既に次兄・茂樹(永山絢斗)は、航空兵として出陣して音信不通。
長兄・春樹(田中圭)も半年後には軍医として戦場に赴くという。そして父・良一(寺脇康文)も、
名古屋の戦闘機工場から新戦闘機開発への参加要請を受けて、参加を決意したという。
陽子は、安曇野の家に一人ぼっちになってしまう。暗雲垂れ込める当時の日本において
女一人で生きていくには、大変な不安があるだろう。「東日本大震災」で結婚願望の女性が
増えたという。この平和な時代ですらそうなのである。
第二次世界大戦における日本の犠牲は死者・約350万人?正に歴史上未曾有の出来事だった。
死者数だけで比較すれば「東日本大震災」の約100倍以上に相当。実感できない規模である。
昭和18年時点で、そんな大災害が予感されたわけではなかろうが、陽子が大きな不安を感じ
信頼のおける人間関係を求めたのは、当然であったろう。生きるための予知能力である。
丸山道夫(串田和美)・徳子夫婦には、和成の他に6歳で夭折した陽子と同い年の妹がいた。
徳子は、女学生時代の陽子を娘のように見守ってきて、息子の嫁にと願ったのである。

酒の力を借りて本音を吐くのはハシタない。しかし陽子は自分の意志で飲んだのではない。
いわば、天が陽子に酒の力を与えて、勇気ある告白をさせてくれたと解すべきではないか?
陽子と和成の最終的な決断は、本人達と、その家族(和成の父母、陽子の父兄)すべてに
最良の決断だといえるのではないか? 今後の展開が悲しくも証明する?如何なものか
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