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おひさまにかんどうした? [閑話]

「おひさま」も戦前が終わり、今日から新しい時代の幕開け。しかし陽子(井上真央)は
教師として、軍国主義教育をしたという、厳しい批判にさらされる可能性がある。
終戦後の日本は、戦前の道徳観と連合国が押付ける先端的平和主義、民主主義、などとの
整合性をとる必要性があった。当時日本の道徳観は軍国主義で歪んだものになっていた。

現在、菅首相も厳しい批判に曝されている。民主党国対の役員室に「菅どうした」、
「百害あって一利なし」、「宰相不幸社会」などという「書」が、貼られたという。
閣僚も党執行部も菅首相を批判し、国民の8割が早期退陣希望(各種世論調査)。
「手柄は自分がとり、汗は他人にかかせましょう」という人生遊泳術は、相変わらず。
例えば、最近では、原発再稼動に関して、海江田万里経済産業相に責任を押しつけ。

日本には、現場責任、実行責任に比べて、職務系列の管理責任が曖昧な伝統がある。
2005年4月JR福知山線で発生した脱線衝突事故(死者107名/死傷者総数669名)で
管理責任を問われたJR西日本前社長・山崎正夫被告の公判がやっと2011年6月開かれた。
従来の慣習では、立件するのも難しかったが、今回は検察が頑張ったのだろう。
事ほど左様だから、玄海原発再開問題も、首相が再開を明言しなければ首相の責任は
形式的で曖昧になる可能性は十分にある。海江田氏も、功を焦ってはいけないのでは?

最後に「おひさま」で、陽子が責められる「軍国主義教育」の原点を復習しておきたい。
軍国主義は、日清・日露の戦勝などから発した誇大妄想による、現実認識の誤りである。
西洋的主権国家の列強国に居並ぶ事ができたという歓びに目が眩んでしまった。
その頃から、西洋文明吸収を急ぎすぎ、政治家、軍人、その他の専門分化が始まった。
そのために帝国主義国家を目指しながら、同僚であり、実力的には超大先輩でもある
西洋的主権国家群を敵に回すという、理屈にも計算にも合わない戦いを始めたのだ。

戦後の日本は、当初、様々な論争を通して、リアリティを模索した。
そういう状況の中で、陽子の問題も、広い視野から判断された可能性はあると思う。
しかし、そういった広い視野からの議論も、戦争体験の風化と共に、普遍的知性による
リアリティの模索は廃れ、経済成長の波と共に、また専門分化(たこ壷化)が起った。
歴史観、教育観などを十分に整理せず、戦前同様、専門外は知らぬ振りで突っ走った。
だから菅さんのような、人間性にも劣る人が首相になってしまうのではなかろうか。
「おひさま」では、戦後をどのように語るのか?興味津々! 如何なものか

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