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明日も今日の続き? [社会]

最近の政治状況と、「おひさま」の串田和美や満島ひかりのインタビュー番組とを、
頭の中で比較して見た時に、「公共」というものの有り方について考えさせられた。
串田和美が指摘した、戦後日本の演劇発展の中で、見失ったものとは何だったのか?
また満島ひかりが、今、この時点で昭和20年3月の東京大空襲を演じる事への躊躇とは
何なのだろうか?

串田和美は見失ったもの探しの旅で緒方拳と出会い、「ゴドーを待ちながら」を演じた。
この演劇が理解されるようになった理由を、串田はあるインタビュー記事で、
“ ‘ベルリンの壁’崩壊以降、今日の続きが明日じゃないかもしれない、という感覚が
普通になったからではないか?” と言っている。

現在の政治状況は、必死になって、「明日も今日の続き」を取り繕おうとしている?
そして、何か目立った成果を出して、歴史に名を残そうとしている?日本国民の成長を
望まず、子どもの自立を妨げる“太母”のような政治を「正義」と勘違いしている?
立法・司法・行政も、市場経済も、経済管理も社会の調整機関に過ぎない。
調整機能の範囲だけなら良いが、大いに世の中を乱す外乱要因にもなるのである。
菅首相は、エネルギー政策を、この機会に一挙に自分の考える方向に舵を切ろうというが
エネルギー問題は、国民生活の根幹にかかわる大問題である。そういうことをドサクサに
紛れて十分議論もなく政治権力で実行しようとする首相を頂く国は、本当に不幸である。
そういう首相を恥ずかしげもなく担ぐ民主党の人々は、本当におバカさんである。
こんな政治に対して、明確に対抗出来ない野党は、本当に情けない。 如何なものか

今日も梅雨の晴間にしては青空が広く、太陽光線が眩しく、結構きびしい散歩になった。
昨日は右足のくるぶしの芯が痛く、今日はSJ(スロージョギング)はお休みと思っていた。
しかし表に出ると急に走り出したくなり、軽くSJ始動。結局、今日は1時間強のSJ。
SJ終了直前は、熱さのためか、脳天の真ん中に血が固まったような異様な痛みを感じた。
SJを止め、吸水した後も痛みは継続。そんな時にイケメン青年から「暑いですね!」と
声を掛けられた。こんな事は余りないが私もにこやかに、挨拶を返したつもりだった。
だが、どもってしまい、若しかするとその時の私は、相当に危なかったのかも知れない。
「私の心の声は、阿弥陀様の声だ!」 等と過信していると、とんでもない事になる?
しかし、もしそうなったらそうなったで、それもまた、阿弥陀様のお導き?
今日、イケメンと出会ったところも、丁度、知人が勤務している病院の近くだった。
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