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「おひさま」第5週 [物語]

NHKTV小説「おひさま」も今週で5週を終わった。全体の1/5を経過した事になる。
陽子という人の10歳から現在の90歳までを物語るとなれば80年間。その1/5ならば
20年は経過していなければならない勘定になるが、ドラマではまだ6~7年の経過である。
ただ今回の物語は、物語の主人公の記憶を辿るという形式で、時々、現代と交差する。
それで、物語の途中経過がそれとなく分る様にしているのが、特徴的ではなかろうか?
例えば女学生時代の陽子(井上真央)の友だち・タケオ(柄本時生)が、現代も生きていて
犬塚弘が演じていた。野菜を届けに来たホンの一こまの中に、激動の時代を生きぬいて
なお、変ることのないタケオの陽子への思い、友情がしのばれるのである。また、
育子が、ガラパゴスから電話をかけてくるシーンがあり、育子が現代も生きており、
人生の成功者になっている事がうかがえた。

現代の物語の聞き手・房子(斉藤由貴)が、陽子(若尾文子)の教え子(伊東ゆかり)を
育子と間違えるシーンがあった。房子は余程の慌てもの?粗忽者ともいう。
大きくなった子どもや旦那に無視されるのも致し方ない?人間的成長が必要では?
育子(満島ひかり)は陽子と同期。幾ら何でも伊東ゆかりを90歳と間違えるのは可笑しい?
これは、若尾文子への斉藤由貴のゴマすりでは?(^^)。伊東ゆかりが怒るよ!(^^)。
舞台女優として大先輩の若尾文子に対する斉藤由貴と伊東ゆかりのリップサービスか?

タケオの演技は柄本時生が犬塚弘を真似たのか?兎も角、タケオの連続性が素晴らしい。
どちらがどちらを真似たというのではなく、お互いに演技が旨いという事か。
犬塚弘は、クレージーキャッツの一員としてメジャーになったが、80歳を過ぎてまだ
頑張っているのは素晴らしい事である。因みにタケオと同期の陽子の現代役・若尾文子は
アラ80だが、80歳になるには、もう2年ばかりある。

今週の御題は「失恋」だったが、来週の御題「旅立ちの季節」の前奏曲でもあった。
小学校の時に奉公にでた田中ユキ(橋本真実)が立派に成長して、陽子に会いに来た。
ユキに会った陽子は、ユキに書き送った教科書の写しが役に立ったことから、直感的に
先生になることを決意した。陽子は、タキとの相互学習から、先生は教えるだけではなく
相手に必要な事を伝えたいという思いこそ大切だと悟ったのではないか?
その思いがあれば、母も望み、そして自分も夢見た先生になれると感じたのでは?
ユキも言っていた。教科書の写しを送る時から陽子は先生になっていたのだと。現代は
ネット等で、自分の欲しい情報を能動的に獲得できるようになった。しかし溢れる情報を
取捨選択する選択眼に関することは、伝える熱意でしか伝わらないのでは?如何なものか
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民主党政権の妥当性 [社会]

民主党政権が成立したのは、2009.08.31の衆議院選挙である。
「子ども手当」などのバラマキ政策で、小選挙区制の特徴を活かし、政権を盗った。
勿論、今回の東日本大震災、福島原発事故は、想定外の政権であった。
将来に向けての「日本のビジョン」は無く、短期・4年間を目途に政権運営するといった。

例えて言えば、民主党政権は日本のことなどお構いなしに、並みの台風を想定した程度の
軽装の舟で、自分達の権力闘争のための航海に乗り出したようなものである。ところが
想定外の大型台風と大津波に出会って沈没寸前という事である。民主党政権が沈没しても
構わないが、民主党政権が権力闘争の航海を続ける限り、日本の危機は増大するのである。

民主党政権が東日本大震災、原発事故という未曾有の大災害を受けて立てる政権でない事は
菅政府の体たらくを立証するまでも無く、政権成立の経緯から火を見るよりも明らかである。
日本の国がおかれている立場や状況というものを、全く想定できない民主党の中で、政権を
たらい回ししても、日本の危機を回避することはできない。今回の大災害は、今後の運営の
仕方によって日本の将来を大きく変える事になる。それにも拘らず、政局を云々するべきで
ないという意見が、いわゆる識者の間で真顔で論じられている。理解に苦しむのである。

政局回避を錦の御旗のように唱える理由、或いは政局にならない理由は何か?
1. どの政党が政権を摂っても、復旧の速度・方向性は、五十歩百歩である?
2. 自民党や公明党は、今や腰抜け政党で、好き好んで火中の栗を拾うことはない?
3. 民主党の利権に群がっている人々が、利権を手放したがらない?
4. 自民党や公明党の関係者も、災害復旧政権では、利権が少なくて妙味がない?
5. 災害復旧がらみの利権を欲しがる連中は、民主党の方が御しやすい?

2.~5.までの理由は、政治利権に絡む利害損得勘定だから、善良な国民はどちらでも良い。
問題は、1.の理由が本当なのか?という事に尽きる。そこの処を徹底的に議論しないならば
日本の将来は暗黒である。どの政党でも結果は同じ、という情けない結論だけは勘弁よ!
やはり、最も政権の経験がある自民党が仕切ったら?被災地における選挙は無理か?兎も角
キッチリとした考え方を戦わせ、談合でも良いから見識ある党で決着すべき?民主党内の
たらい回し政権や人材がいないという理由で菅政権を続行する事だけはご勘弁願いたい!
如何なものか
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子どもの日[雑感] [大家族]

201105051347000.JPG今日は快晴で、風も適度に吹き、実に爽やかな散歩日和だった。
(写真は青空に勢い良く泳ぐ鯉のぼり)
◎ のびやかに 育てと思う 鯉のぼり
◎ 晴れの日や 耐えて忍べよ 幟(のぼり)柱
この季節に目にする鯉のぼりだが、既に鯉のぼりを出していた家が
引っ込めているのに度々、気付くことがある。風の強い日などは
のぼりや幟柱が傷むのを配慮するからか?そんなことを考えながら散歩していると、幟柱が、
子どもの成長を懸命に支える親のように思える。そして幟を時々降ろすのは、子育て中の両親を
支える保育園、幼稚園や学導、そして祖父母や親戚・ご近所の思いやりのように感じたりした。
2011050412390001.jpgDSC_0115-1.jpg
(写真左:東京タワー、右:日本一高い観覧車。本文参照)
子どもの日といっても我子はすでにアラフォー。私たち夫婦に
とっては孫の日?私たちは、離れているので、孫達を育てている
子ども達を十分に支えていない?しかし幸いに保育園、幼稚園や
学導、そして親戚・コミュニティの支援に支えられて孫たちも
立派に成長してきた。小さい頃は連休中に帰郷したこともあった。
最近はどうか?ブログを書き始めた2007年からの子どもの日を
検索したが、残念ながら子どもや孫に関する記事はなかった。

連休中は部活などで忙しいのである。高校生になった一番年長のHarukaは、6月の大会を控え
連休といえども毎日練習らしい。あちこち痛い?らしいだけれど、柔軟性買われ、一年にしては
いいポジションを与えられ張り切っているとの由。中二のNatsuも部活がある。こちらは対外的に
余り強くない部?らしいので、毎日ではないから、コウタロと両親でお出かけもした。東京タワーの
大恐竜展!これは明らかに、コウタロの趣味だ。(写真は、その時のワンショット。タワーが懐かしい)
DSC_0128.jpg
さてもう一方の孫たちは、キャプテン・Ryuの野球三昧とそれを助ける
両親と妹。野球関連写真、その合い間に行った日本一高い観覧車
の写真等を送ってくれた。大感激の試合の模様も伝えてくれた。
その試合は大差(6点差)で負けていたのを終盤で同点とし、
延長戦でも、相手の得点に追いつく死闘となり最後、逆転。Ryuは延長戦2イニングを含む
最後の3イニングをクローザとしてキッチリと役割を果たし、大逆転勝利に貢献した。
そしてその感激に浸る両親であった。妹・Kotoは、引率応援で来ている選手の妹達を上手に
束ねて、妹軍リーダーとして遊び頑張っているそうだ。(写真はRyuのチーム)



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大震災対応[雑感] [希望]

昨日、大震災の対応に関するTV番組を取上げて、その感想を述べた。その中で日本人は、
生半可な西洋文明の大衆化(例えばマルクス主義の悪影響)によって、人間の主人公である
魂・霊性を、丸で迷信のごとき古い考えとして捨て去った、と書いた。
この日本思想史上の最も憂慮すべき悪影響を一掃する一助として、二、三雑感を述べたい。

確か論客の1人、保阪正康氏が今後の対応として「大震災後の価値観を大転換すべき」と
述べたと記憶するが、そういう観点からは「物質 → 魂・霊性」への価値観の転換では?

西洋の近・現代思想が昔の尊い叡智を行過ぎて批判した。例えば独善的(普遍性がない、
或いは、文化に毒されているとか、偏狭な教え)であるというのは、法然・親鸞の教えや
白隠禅師の教えには、全く通用しない。法然や親鸞、あるいは白隠は、そんな狭い了見の
叡智ではない。彼らは、視野の拡大、発想の転換、多様な視点等へと導いたのだ。
白隠禅師には、多くの軸中軸画が残されている。また浄土真宗の教えの中から生まれた
妙好人という人々は、「南無阿弥陀佛」を唱えるだけで、阿弥陀如来の本願を思いやり
如来の心になって、世間を見るのである。

妙好人の1人、讃岐の庄松という人の逸話に、次のようなものがある。
 庄松が、犬の前を通るときに挨拶して通った。それを連れのお坊さんが見咎めて
 「犬等にお辞儀したりするから、人はお前をバカにするのだ!」と言った。庄松答えて
 「犬も十方衆生の中、仏のお誓いのかかっているもの。自分はお誓いを拝むのだ。」と

 友人・菊蔵とご本山へ参詣した庄松が、本堂で横になって寝た。それを菊蔵が咎めた。
 庄松曰く「親のうちじゃ遠慮には及ばぬ。そういうお前は、ママコであろう?」
数多くの妙好人を発掘した鈴木大拙は、日本思想は物心一如の哲学であると言っている。
以上の如き論法で、保阪正康氏が提案した「価値観の大転換」に具体的方向を示した。

現実の世界は、思想的対立や文化的亀裂、物欲による民族紛争や金融危機、災害、事故など
様々な出来事によって流動的である。それは個人の生活、コミュニティ社会、そして全世界
へと波及していく。グローバル化によって、社会は砂状化・流動化しやすくなっている。
物理的災害の対策としての防波堤や耐震強化などの対策も大切である。だが一人一人の心、
感情、精神、そして霊性(魂・人間の主体そのもの)が、家族やコミュニティと連携して
砂状化・流動化を押さえ、ソロスの再帰性を回避しなければならない。如何なものか。
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霊性と憲法記念日特集 [希望]

今朝のNHKの憲法記念日特集~この難局を乗り越えるために~を視聴した感想を書きとめる。
大震災と原発事故で何が問われているか?政治の役割は?という課題に、6人の論客
(元内閣官房副長官・石原信雄、作家・保阪正康、ジャーナリスト・鳥越俊太郎、経済評論家・
伊藤洋一、精神科医・香山リカ、国際人権団体日本代表・土井香苗)が討論。神志名泰裕
(かしな やすひろ)NHK解説委員が司会した。編集の不手際が気になったが良くまとまった?

私は放送を視聴しながら、論客の今後の対応に関する意見と、その対応の障害となる課題を
整理して、そのギャップを埋めるための方策に関して思いをめぐらした。
先ず、論客の今後の対応に関する意見は、以下の様になる。
1.適切な国民負担を避けるな 2.命を最優先する 3.大震災後の価値観を大転換すべき。
4.自己否定と再生 5.危機をチャンスにする力 6.日本力(現場力等)を活かす となる。

論客が考える幾つかの課題は、発言者の意図を理解してまとめた。結果は以下の通り。
1.国民の政治または政治家に期待する内容が曖昧? 2.国民の意識の問題。 3.日本における
民主政治のレベルの低さ。 4.政党が本来の使命を自覚しない烏合の衆。 5.政治家の劣化。
6.ネット社会等による国民の砂状化と流動化現象。 7.メディアが煽るが原因は国民の嗜好? 
8.二十世紀の思想の時代から、世界的に思想の行き詰まりによる世界的な混迷の時代?

大震災を反省の機会として、真面目に生き方を見つめなおす必要がある。そういう反省の基に
6人の論客が示した再生への対応はどれも大切だ。対応に当って、国民の一人一人が政治や
政治家に丸投げせず、自らの家族や地域やグループの問題として取組む事が大切である。
そのための課題として、論客達が掲げた課題を、読み解く必要がある。
1.~3.6.7.の課題には、国民の政治意識、民主主義に関する認識の甘さということがある。
街頭インタビュで中年の男性が、「一人一人が勉強して、政治家を追及しなければ!」という
意見を言っていたが、正にその通りである。では、なぜ、そういう風にならないのか?

それは、論客の1人(土井香苗女史)が言っていたが、選挙民個人と政治家の間に、情報・
知識・思想等の距離がありすぎるからである。女史は、その距離をNGO活動で埋めるという。
女史の新しい取組みに期待したいが、アメリカ仕込みのやり方を真似するだけでは難しい?
女史は心得ているだろうが、受入側が、その志をしっかりと勉強しないと本物にならない?
日本人の民主主義に関する認識が甘いのも、国民意識の砂状化・流動化するのも、結局は、
日本人の対話能力が貧弱で、政治等を論じるコミュニティが崩壊した事に遠因があると思う。
何故、日本人には深い対話が成立しないのか?その要因は、発言内容を、自分と同じ背景を
持った人間だと早合点するからである。相手の意見の背景を理解する努力が足りない。


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山の笑み [希望]

今朝の散歩で、街路の木々や山の新緑が、霞(黄砂?)ながらも爽やかだった。
◎ 里山の 笑みにカスミの ベールかな
もうすぐ立夏を迎える今頃目にする風物は、夏の季語になるものも多いので難しい。
正直に、「新緑」を褒めると、「夏」になってしまう。石楠花も夏の季語である。
「山わらう」は、春の季語。霞も、黄砂も春の季語だが、笑みに黄砂は頂けない?

今日は、東大寺・聖武天皇祭。天平勝宝 8年(756)に崩御された聖武天皇の御忌法要の為、
天皇殿で論議法要「御忌最勝十講」が営まれるという。“論議法要”という4字熟語は余り
お目にかからないが、一般常識では意味が通じないのではなかろうか?その原因は「法要」
という用語にある。日本では、次第に供養(追善供養)を指すようになり死者を弔う法事・
仏事・法会などの儀式祭礼に転用されたからである。「法要」の意味は仏教において釈迦の
教え(仏法)、仏法の要点・要を知ること。従って“論議法要”は、色んな角度から経文の
内容の質疑応答を重ね、釈迦の教え(仏法)を知ること。マイケル・サンデル教授の
「正義」に関する白熱教室をイメージすれば、理解可能なのではなかろうか?

奈良時代には仏教も白熱教室が随所に開かれていたらしいが、今や儀礼化されたのは、
仏教が古いからなのか?私はそうは思わない。私は「南無阿弥陀仏」という口称念仏の教えの
真意を法然展と親鸞展で学んだ。法然も親鸞も末法という爛熟社会で、もう先のない世と
思ったから社会のあらゆる人々を救うには、「口称念仏」しかないという結論に達した?
そして「口称念仏」で救われる生き方が望ましいと考えたのである。
そのお陰で、多くの日本庶民に素晴らしい人々を輩出し、大きな影響を与えた事は、
特筆大書すべきである。法然も親鸞も、時代の要請に応えたのである。

法然や親鸞の教えが、庶民の霊性を開花・発展させ、社会大衆による生産性の向上、そして
余剰生産による庶民の豊かな創造性を生んできた。しかし日本社会の発展や、外圧によって
法然や親鸞の教えが、様々な事柄や異国の文物(江戸時代や明治以来)と表面的に相容れない
ということも事実である。法然や親鸞の教えは実に素晴らしい!それは仏教の真髄でもある。
法然や親鸞が、現代の日本を知れば、もっと別の教え方も考えてくれたのでは?
法然や親鸞は日本に仏教伝来以来、約700年経て、日本人的な鎌倉仏教を建立した。そして
鎌倉仏教の誕生以来、すでに約800年を経過した。法然や親鸞の教えには、現代においても
人々が、自己本来の霊性を把握し、様々な文物を、立派に活かす教えも含まれている!
法然や親鸞の教えを現代に活かす「白熱教室・教師」よ!今こそ出でよ! 如何なものか
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