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大震災対応[雑感] [希望]

昨日、大震災の対応に関するTV番組を取上げて、その感想を述べた。その中で日本人は、
生半可な西洋文明の大衆化(例えばマルクス主義の悪影響)によって、人間の主人公である
魂・霊性を、丸で迷信のごとき古い考えとして捨て去った、と書いた。
この日本思想史上の最も憂慮すべき悪影響を一掃する一助として、二、三雑感を述べたい。

確か論客の1人、保阪正康氏が今後の対応として「大震災後の価値観を大転換すべき」と
述べたと記憶するが、そういう観点からは「物質 → 魂・霊性」への価値観の転換では?

西洋の近・現代思想が昔の尊い叡智を行過ぎて批判した。例えば独善的(普遍性がない、
或いは、文化に毒されているとか、偏狭な教え)であるというのは、法然・親鸞の教えや
白隠禅師の教えには、全く通用しない。法然や親鸞、あるいは白隠は、そんな狭い了見の
叡智ではない。彼らは、視野の拡大、発想の転換、多様な視点等へと導いたのだ。
白隠禅師には、多くの軸中軸画が残されている。また浄土真宗の教えの中から生まれた
妙好人という人々は、「南無阿弥陀佛」を唱えるだけで、阿弥陀如来の本願を思いやり
如来の心になって、世間を見るのである。

妙好人の1人、讃岐の庄松という人の逸話に、次のようなものがある。
 庄松が、犬の前を通るときに挨拶して通った。それを連れのお坊さんが見咎めて
 「犬等にお辞儀したりするから、人はお前をバカにするのだ!」と言った。庄松答えて
 「犬も十方衆生の中、仏のお誓いのかかっているもの。自分はお誓いを拝むのだ。」と

 友人・菊蔵とご本山へ参詣した庄松が、本堂で横になって寝た。それを菊蔵が咎めた。
 庄松曰く「親のうちじゃ遠慮には及ばぬ。そういうお前は、ママコであろう?」
数多くの妙好人を発掘した鈴木大拙は、日本思想は物心一如の哲学であると言っている。
以上の如き論法で、保阪正康氏が提案した「価値観の大転換」に具体的方向を示した。

現実の世界は、思想的対立や文化的亀裂、物欲による民族紛争や金融危機、災害、事故など
様々な出来事によって流動的である。それは個人の生活、コミュニティ社会、そして全世界
へと波及していく。グローバル化によって、社会は砂状化・流動化しやすくなっている。
物理的災害の対策としての防波堤や耐震強化などの対策も大切である。だが一人一人の心、
感情、精神、そして霊性(魂・人間の主体そのもの)が、家族やコミュニティと連携して
砂状化・流動化を押さえ、ソロスの再帰性を回避しなければならない。如何なものか。
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