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新鮮な出会い_E [現代詩]

「倚りかからず」という詩と出会った縁で、三日間、茨木のり子の詩を通して、
彼女の思いを、生きた時代背景なども織り込んで、辿ってみた。
最初は、生前最後の詩集『倚りかからず』と、初めての詩集『対話』の中の詩を比較対照し
彼女の半生を概観。素晴らしい成長の跡、融通無碍の心境を見出した。
二日目は第二詩集『見えない配達夫』を取上げ、同名の詩「見えない配達夫」は、ネットや
電子メールを予言した未来予測詩ではないか?と読んだ。彼女が未来に対する不安や不満を
抱いていたにも拘らず、未知への期待が彼女の人生を支え、成功の大きな柱となったのでは?
そして三日目は第三集目の詩集『鎮魂歌』の詩をもとに、詩の難しさ、表現の極致に迫った。
その試みは大胆不敵。三日の命のカゲロウが、寿命万年の亀の寿命を気遣うに似ていて、
世間一般から見ればお笑い種? だが私は大真面目である。

さて今日は同世代の須藤陽子(TV小説「おひさま」のヒロイン・陽子がのり子よりも4歳年上)と
比較するというチョッとずれた視点から、茨木のり子に迫りたい。
時代背景・育成環境が、それぞれの生き様に、どの様に影響するのか?どう違ってくるのか?
茨木のり子の詩や、随筆からどういう情報が読み取れるのか?
(「おひさま」は、現在進行形であり、未知の部分も多い。)

今までのドラマの展開と、茨木のり子の詩を読んだ現段階で、私の感じた事は以下の通り。
1.二人共、敗戦前には軍国少女であったろうといえる。戦後の事は「おひさま」の展開待ち。
2.陽子(井上真央)が、軍国教師の竹刀の下に身を挺して児童を守った昨日の場面
  茨木のり子だったらどうするだろう?という疑問。

陽子が竹刀の下に飛込んだ昭和16年、のり子は随筆「はたちが敗戦」で書いている。女学校の
中隊長に選ばれ、号令は凛々と響き渡り、全校400人を裂帛の気合で一糸乱れず動かせた、と。

第二詩集『見えない配達夫』の中に、「悪童たち」という詩がある。
“春休みの悪童たち 所在なしに わが家の塀に石を投げる
 石は 古びた塀をつきぬけて硝子窓に命中する
 思うに キャッとばかり飛び出してゆく私の姿を 見ようがための悪戯で
 ・・・・以下略・・・・”

陽子が、この詩の様に“キャッとばかり飛び出してゆく姿” を、私は想像できない。




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新鮮な出会い_3 [現代詩]

茨木のり子の第三詩集は『鎮魂歌』(1965年発行)
この詩集に収められている十数編の詩の中で、文字通り鎮魂歌と言えるものは二編か?
最初の詩「花の名」は、彼女のお父上を偲んだもの。はっきり「鎮魂歌」といえる。
9番目の詩「本の街にて」は、書肆ユリイカ代表だった伊達得夫(1920-1961)の挽歌。
茨木師匠のお教えに従って、私の心に響いたこれらの詩を取上げてみたい。

詩「花の名」では、
“わたしは告別式の帰り
 父の骨を柳の箸でつまんできて
 はかなさが風のようです
 黙って行きたいです”  という帰宅途上の汽車の中で茨木のり子は、
饒舌で無作法な登山帽の男にやたら話しかけられる。最初の出だしから酷いものだ。
“浜松はとても進歩的ですよ” “と申しますと?”
“全裸になっちまうんです 浜松のストリップ そりゃあ進歩的です”
告別式の帰りという状況で何故、こんな男の話相手をするのか?最初は不可解だった。
そうだ!詩は創造!こんな話が、ソックリそのまま実話であるはずがない。大部分は創作?
なるほど、こういった極端な対比によって、悲しみを浮き立たせようという寸法か?

詩の題名の「花の名」は、登山帽の男に花の名を訊かれた事に因んでいる。
花の名を訊かれて、上の空で「泰山木」と答えた茨木のり子は、次の様な思い出を書く。
“女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか とてもいいもんだよ
 父の古い言葉がゆっくりとよぎる
 ・・・・中略・・・・
 いい男だったわ お父さん 娘が捧げる一輪の花
 生きている時言いたくて 言えなかった言葉です
 棺のまわりに誰も居なくなったとき
 私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた
 氷ともちがう陶器ともちがう ふしぎなつめたさ”

そして、東京駅で別れた後で、訊かれた花は「辛夷(こぶし)」だと気付く。
そこでまた話が真実味を帯びてくる?やはりこれは実話?という疑念がわいてくる。
それともやはり、生の体験と、何らかの情報を幾つもつなぎ合わせたモンタージュ詩? 

 


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新鮮な出会い_2 [現代詩]

茨木のり子の第二詩集『見えない配達夫』(1958年発行)における
冒頭の同名の詩は、様々な場所や事象と時間との関わりを考察した哲学的な詩?
事象と時間とを繋ぐものとして、見えない配達夫を想定している。
地の下には見えない配達夫がいて、地の上には、国籍不明の郵便局があるという。
1958年(昭和33年)は、映画・「ALWAYS 三丁目の夕日」の時代。
従って「見えない配達夫」の創作時には、ネットや電子メール等は影も形もなかった。
しかし、詩に出てくる“見えない配達夫”や“国籍不明の郵便局”は、
考え様によって、ネットや電子メールを予感していた! と取れなくもない。

詩「見えない配達夫」は、
“未知の年があける朝
 じっとまぶたをあわせていると
 虚無を肥料に咲き出ようとする
 人間たちの花々もあった”  という聯で締め括っている。
私は、この詩には、未知への期待と共に、虚無的な思いが綯い混ざっているように感じた。
茨木のり子の第二の詩集『見えない配達夫』は、冒頭の同名の詩が象徴している様に思う。

詩「ぎらりと光るダイヤのような日」は、
この世との別れの日に、自分が本当に生きた日が余りに少なかった事に驚くだろう、という。
それは、本当に生きた日とは何かに、疑問を投げかけているようにも思える。
「敵について」、「生きているもの・死んでいるもの」、「世界は」などの詩は、
敵か・味方か?生きているものか・死んでいるものか?人間か・けものか?
を見分けることの難しさを言っているようにみえる。
それら、二つは寄り添い、一緒に並び、いつでも何処でも、姿をくらまし、
姿をくらまし

茨木のり子は未知への虚無的な疑惑・不安に抗し、未知への期待を懸命に繋ごうとしていた?
それは、詩「わたしが一番きれいだったとき」や詩「夏の星に」に示されている?
若さを反省し、長生きして頭の中を満たし、心を満たし、良い仕事をしようと思うのである。
また、“夏の星”に魅せられたわたしは、地上の宝石を、欲しがらない、というのである。




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新鮮な出会い [現代詩]

DSC08756茨木.JPG私は、元来「現代詩」を余り好きでなかった?和歌や俳句のある日本では、短い詩形で十分ではないか?と思っていた節がある。そんな私が、茨木のり子という詩人と最近「新鮮な出会い」をした。大正15年(1926)に生れた彼女は、平成18年(2006)に亡くなっているから、詩を介しての出会いである。最初に出会った「倚りかからず」という詩は、同じ題のついた1999年発行の詩集に掲載されている。この詩集は、例外的に良く売れたらしい。残念ながら当時の私は、詩を読みたくなるような心境ではなかった。

茨木のり子に興味を持った背景には、TV小説「おひさま」の主人公・陽子と同世代であることもあった。詩人・茨木のり子との新鮮な出会いに心が踊り、速読した幾編かの詩を基にして、ほんの少しだけ彼女の生々しい生き方を探ってみた。

初期の詩集を読むと、彼女の苦悩が透けて見える。例えば1955年発行の詩集『対話』
「もっと強く」という詩の最後で、「ああ わたしたちが もっともっと貪婪にならないかぎり なにごともはじまりはしないのだ。」という雄叫び。55年体制に対する不満。60年安保闘争へ向けての意欲が感じられる。しかしまた、次の詩「小さな渦巻」では、「ひとりの人間の真摯な仕事は おもいもかけない遠いところで 小さな小さな渦巻をつくる」といい、最後には、「私もまた ためらわない 文字達を間断なく さらい 一片の詩を成す このはかない作業を決して。」と、結ぶ。個人と集団との間で、引き裂かれている?
そして、最後の詩「準備する」で、その分裂を回避することなく、うたいあげる。最後の方だけを引用しよう。「あるいはついにそんなものは 誕生することがないのだとしても 私たちは準備することをやめないだろう ほうとうの 死と 生と 共感のために。」

詩「倚りかからず」は、「自分の二本足で立って何不都合やある」といい、「倚りかかって良いのは椅子の背もたれだけ」と、下手なオチ。しかしユーモアたっぷりに結末をつける。
詩「倚りかからず」の前の詩が、「時代おくれ」。河島英五の同名の歌を思い出すが、詩の内容には次のような下りがある。「そんなに情報集めてどうするの そんなに急いでなにするの 頭はからっぽのまま」・・・中略・・・「何が起ころうと生き残れるのはあなたたち まっとうとも思わずに まっとうに生きているひとびとよ」。そして「倚りかからず」の後に続く詩は、「笑う能力」という題で、読むと腹が捩れるほど面白い言の葉が続く。種明かしをすると面白みがなくなるから最後のオチだけ。
オチは「気がつけば いつのまにか 我が膝までが笑うようになっていた」
初期の詩集にはない清々しさ、融通無碍の老境がしのばれる。 如何なものか
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「おひさま」第6週・子の旅立ち [物語]

今週の「おひさま」の話題は、陽子(井上真央)の師範学校受験と結果通知、茂樹(永山絢斗)
の旅立ち、卒業式当日の出来事、育子(満島ひかり)と真知子(マイコ)の家出、陽子の師範
学校への旅立ち、などがある。しかし書くとなるとなかなかまとまりにくい。
まあ今週のポイントは、真知子と陽子の便所立て籠もり攻防戦と、育子の東京脱出作戦だろう。
陽子は反乱の片棒は担いでも、自身の人生はスイスイと流れに乗って、故郷の先生として着任。
運命は決して人を平等には扱ってくれない。

真知子と陽子の便所立て籠もり攻防戦こそ紛れもない「お便所同盟」? 真知子の父・相馬剛三
(平泉成)は、屈強の男を三人連れて陽子の父・良一(寺脇康文)の家に逃げ込んだ真知子を取り
返しに来る。良一の制止も聴かず良一を男達に抑えさせ、強引に家の中に侵入し、最後は便所の
ドアを大木槌で叩き壊して連れ帰った。真知子と陽子の必死の抵抗、良一やタケオ(柄本時生)
のサポートもむなしく、真知子のささやかな抵抗は終わった。
一方、育子は初志を貫徹して東京に脱出成功。三人三様の人生への旅立ちであった。

真知子や育子と似た話が「てっぱん」にもあった。あかり(瀧本美織)の親友・加奈(朝倉あき)が
見合いを嫌った家出騒動である。しかしその時の父親・久太(柳沢慎吾)と今回の相馬剛三とは
いろんな意味で違っている。その異同について少々考察してみよう。

同じところは、娘を可愛がっている。娘の幸福を考えている。見合いを勧めた。ことだろう。
違っているところは、久太は、最終的に娘の意思を尊重したが、剛三は尊重しなかった。
また、他人の家屋に侵入し、壊す行為は剛三しかしなかった。
更に、久太には素晴らしい忠告者(あかりの母親・村上真知子(安田成美))がいたが、剛三には
いなかった?居ても聴く耳を持たなかった?

こういった違いは、時代の差(昭和14年<1939>と平成21年(2009)戦争を挟んで70年)が
大きな要因。時代による人の考え方や感じ方、社会構造・社会の可視化度合いの違いもある。
現代では社会的基盤が整っているから、子の自主性を尊重できるが、昔はそうではなかったと
言うのが一般的見方?その見方は正しい?このドラマは、子の自主性尊重の是非を、時代だけを
理由にしていないと、私は思う。何故なら親に無断で自主性を貫いた育子が、今までの展開だと
恐らく成功者になったようだからである。育子の今後の展開を待たねばならないが。






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健康に感謝! [健康]

今朝は先日の検査結果を聞きに散歩を兼ねて病院に出かけた。待ち時間が最少で済むという
9時の予約だった。時間通り診察室に招き入れられ、全て完了して時計を見たら9時10分。
先生からの説明と私の質問等の正味時間はたったの4分。支払いを済ませ10分間は最短?
検査結果は、病気の可能性が最少という評価だった。この結果なら、年齢を考慮しても、
次回検査は、「2年先で十分」と言われた。健康に暮らしている事に毎日感謝しているが、
こういう場合は一際、感謝の念が強く湧き出てくる。私は自己中の現金者だろうか?

さて昨日のブログを書いた後、疑問を抱いていたHSP・熱ショックプロテインだが、
病院での時間がかからなかったので、図書館などに行って調べてみた。HSPは、
様々な生物種に存在し、そのアミノ酸配列は系統発生過程で、よく保存されているという。
そういう一般的な存在が、今頃、なぜ注目されているのだろうか?
どうも、「知らぬは亭主ばかりなり!」ではないが、私の不勉強だっただけに過ぎない?

生物は、エントロビー増大の法則に従う宇宙の中で、エントロピーを減少させる構造化、即ち
新陳代謝と進化によって生残りを図っているが、HSPは、その生残り戦略を担う分子だった?
いわば、生物を生物たらしめる為の最重要分子群であり、着々と解明されつつある。
とはいえHSPが初めて発見されたのは1974年。分子シャペロン機能の認識も1980年代半ば。
「この世」の存在を可能にする、即ち人間における高度な意識の発達を可能にしているのは
HSP・熱ショックプロテインではないのか?これからの進展に興味津々である。

人間の60兆個の細胞が、新陳代謝による生滅を繰返しながら、個体と意識の連続性や健康を
整然と維持している事は、私にとって不思議の極みであり、ただ感謝するのみだった!
そうした摩訶不思議な活動を実現する担い手が、HSP・熱ショックプロテインらしいのだ。
HSPは、免疫システムにおいて、T細胞の指令に従い、整然と活動して生命を守っている?
免疫システムが、ガン細胞や感染細胞等を認識できるのも、HSPのシャペロン機能らしい。
HSPが、多彩な機能(魔法のような機能)を持っているのは、そういう観点から納得できる?
もちろん、こういう風に仕組みがわかったからと言って、生命の不思議に変わりはない。
HSP・熱ショックプロテインが、注目を浴びているのは、まだまだ知られていない機能を
発見できれば、従来の難病・奇病の治療にも役立つのではないか?と考えるからだろう。
HSPの“魔法の機能”が全ての人に、そして全生物?に宿っていて生態系を形成している。
生物は構造的に親戚であるだけでなく、生存と進化の戦略においても親戚?如何なものか
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HSPの健康への貢献? [健康]

今日は、ローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の誕生日に由来する「看護の日」。
ナイチンゲール(女史)の日とも呼ばれる。(英語ではInternational Nurses Day)
看護士を志す人たちは、女史のことを勉強しているだろうが、今日、一般社会では
我々の少年時代のように、常識になっていないのではないか?

女史が生れた頃は世界で最も早く産業革命を起したイギリスでも、鉄道もなく、自動車、電灯、
電話、飛行機もなかった。しかし女史の亡くなった時には鉄道、自動車、電灯、電話は当前に
使われるようになった。飛行機さえ1909年にドーバー海峡を飛び越え、航空界の目覚しい発展
が予想されていた。こうした外界の様々な変化に伴い人々の生活様式、思想も大きく変化した。
これらのあらゆる困難を乗越えて、女史は、しっかりと真実を見つめて生きた。女史の志望は、
勉強して看護婦になることだったが当時の病院は教養ある良家の子女が働く場ではなかった。
女史は、看護婦を女性の為の立派な職業とする高度な教育訓練の確立、女性の地位向上に
捧げた。女史の生き様・こころざしから、現代の我々が学ぶべき事は、たくさんある様に思う。

前置きが長くなったが、昨日、「ためしてガッテン」“大検証!体温アップで超健康の真実”
を見た感想を書いておきたいと思う。
「ためしてガッテン」は、2009-02-22の「オレオレ詐欺防止」以来度々取上げた。
その多くは、2009-06-16以来の「魔法の運動」即ち、スロージョギングの話題だったが、
認知症に関しても少し書いた事がある。老化防止には人並みに関心を持っている?

今回放送分の体温アップによる超健康効果については「?」というのが私の意見である。
体温上昇で体内に増える熱ショックたんぱく質(HSP)なる物質の正体が良くわからなかった。
HSPは、傷つきやすいたんぱく質を修理して細胞を強化。老化防止や免疫力に深く関係?
HSPは、体温が約38℃以上から増加。運動、更には精神的ストレスでも増加するらしい。
この物質が、日常生活でもパートナーとして役だってくれるのか?もっと知りたい!という
番組制作の動機は解明されたのか? 少なくとも私には、良く理解できなかった。
HSPに関する私なりの理解は以下の通りである。(間違っていればご指摘を!)
1. 病人に関しては、高熱(38℃以上)でHSPが増加するから健康体に復帰できるのだと思う。
2. 健康人に関しては、高熱にする必要性に疑問がある。(時間がかかり且つ危険性あり)
3. 健康人に関しては、運動や精神的ストレスによる方法が、良いのではなかろうか?
  但し、スロージョギングは体温上昇効果なく、高熱効果は期待できないらしい。
  この点が、高齢でスロージョグ信奉者の私には納得がいかない所。 如何なものか
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ああ菅直人 君を憂う [社会]

詩人・与謝野晶子の詩「君死に給うことなかれ」の始めは、“ああ、弟よ、君を泣く”。
月刊「文芸春秋」六月号の石破茂(自民党政調会長)の記事の題は「菅直人 君、国滅ぼし給う
ことなかれ」。明らかに、与謝野晶子の詩のパロディであろう。「立ち上がれ日本」経由で民主党の
大臣に納まった与謝野馨氏(与謝野晶子の孫)のことも憂いての題名選択だろうか。

この記事の内容は大震災後の菅首相の失政を明らかにし、今後の方向性を示したものである。
菅首相の失政については、大きく3つの項目にくくられている。
1)官僚機構を旨く使っていないこと、2)組織統治がなっていない事、3)個人行動の問題。
1)、2)、3)の順に私見を交え解説したい。

1)の解説と私見
官僚機構は、血税で賄われて様々なノウハウを蓄積し、あらゆる事態に対応する備えをしている
「国民の財産」である。大震災のような事態に有効に機能させない事は、国民の財産を捨てている
事に等しい。というのが石破氏の言い分である。
私は、2009-09-28のブログで、エズラ・F・ヴォーゲル著“ジャパンアズNo.1”で日本の強みは
① 中央政府のリーダシップ、 ② 政府の政策・計画、③ 企業と政府の連携、
④ 柔軟な集団主義による合意形成、など、であったことを取り上げた。
これらの強みは、官僚の優秀性を示すものであり、政治家と旨く連携してやってきた。
この官僚の優秀性を維持しながら、世の中の変化に対応する変革が、政治・経済・官僚・庶民に
求められたのである。民主党(或いはみんなの党)が、喧伝するような官僚制度改革ではない。
官僚制度改革は、私の考えでは、行き過ぎた天下りや、談合体質の是正が求められたのである。
然るに、民主党は何を勘違いしたのか、馬鹿げた行動に出て、官僚からの信頼を失った。
そのツケが、今回の大震災の対応に回ってきた。被災者は、二重の被災をした事になる。

2)の解説(私見も石破氏の意見と同じ)
やたらめったら本部や対策会議を立ち上げて、指揮命令系統が曖昧になっただけではなく、その
ための膨大な資料作りに、官僚機構が忙殺されて、多くの「国民の財産」の浪費につながった。
その結果として、対策が遅れてしまっている。この様な問題点とその対策について、自民党は
再三にわたって提言してきたがどういう訳か聞き入れられなかった。と石破氏は指摘している。
3)の解説と私見
菅首相のスタンドプレー的な個人プレーの問題に関しては、様々な指摘がなされているから、
そのいちいちを挙げるのではなく、「大連立提案」に関する石破氏の意見と私見を書く。
「大連立」を自民党が拒否したことを悪くいう人もいるが、日本国憲法の第66条、第3項によって、
大連立に限って政府をつくる等できないというのが、石破氏の意見である。


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成長と差別 [閑話]

今日は午前中に検査のために病院に行った。知人から、これだけはやっておいた方が良いと
三ヶ月以上前に忠告された検査である。病院嫌いの私は1日延ばしに延ばしていた。
時候も良くなり、ふと思い立って一週間ばかり前に予約をしておいたのである。今日は、
問診と検査で、特に問題もなく、目的の検査結果は後日、聞きに行く事になった。
病院での順番待ちのために持参した小冊子「愚禿(ぐとく)の名のり」を読んでいて
感じたことを、今日は書きとめておきたいと思う。著者は一楽真・大谷大学教授。
この前、法然展・親鸞展と共に東本願寺に参詣した折に購入。価格:300円。本文41頁

法然・親鸞らは専修念仏の教えのため、遠流(おんる)の刑で四国と越後に流された。
知っている人は知っている?死罪以外で最も厳しい刑罰だった?それで僧籍も姓名も剥奪。
親鸞は許された後、苗字に、「禿」という字を時のお役所に届出たという。「愚禿親鸞」の
誕生である。「禿」という字は、僧衣は着ているが、戒律を守らない生活のための見せ掛け、
上辺だけの僧侶という意味があるらしい。(涅槃経に出ているとのこと)
著者・一楽氏は、親鸞が「禿」を雅号などの私的な名乗りではなく苗字として名乗った事に、
注目している。「僧」でも「俗」でもない、そういう二項対立的な思考の枠を超えた世界を
「禿」の苗字で表現したのだという。

もう一つ大切なことは、「専修念仏」がどうして迫害を受けたのか?ということである。
この問題も、私など愚者には分ったようで分らない。著者は、「念仏ひとつで皆が平等に
助かるというのでは、自力本願で修行している人々にとっては立つ瀬がない」からだという
趣旨の事を書いている。私は、以上のような小冊子を読んで、ハハァ~ン!と感じた。

数千年前に意識を獲得した人間は、L.ワトソンの記述する一匹目のサルの如くに、意識を
自力で開化させ、発展させ、成長した人間が成功した。そして二人目以降が追随した。
その後、物欲の俗界に飽足りない人間が精神的な成長を遂げ、僧界を結成し、俗界と対抗。
僧界のリードで、「僧」と「俗」の二界で左脳と右脳のバランスがそれなりに取れていた?
しかし時代と共に僧界も俗界に取込まれ左脳偏重となる。そこで新たな精神的指導者(例えば
キリストや法然・親鸞のような人)が出てきて、左脳と右脳のバランスをとってきた?

西洋科学の発展は左脳開発の武器を豊富に供給する事が可能になり、多くの人がその武器を
使って自力で自己の才能を開花し、成長する事に夢中になってしまったのではなかろうか?
まるで、ゲーム機で遊ぶ事によって、そういう才能を開花させて喜んでいる子供のように。
近・現代の人間は、喜んで科学を玩具にして成長する子どもだったのではなかろうか?
だが、左脳偏重で、人間の従来の間違いを再生産し続ける社会では取り返しがつかない?


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過去・現在・未来 [閑話]

今日は、「アイスクリームの日」とか。
横浜の町田房蔵という人が、明治2年(1869)の5月9日に日本で初めてアイスクリームを
製造販売されたことを記念する。町田はアメリカで酪農技術を学んで明治元年に帰国した
出島松蔵にアイスクリームの製造方法を学んだ。最初に町田が販売したアイスクリームは
メリケン渡来の超高級菓子だったのではないかという。
今日も夏を思わせる暑さだったので、散歩途中のJoycafeで「冷しぜんざい」を喫したが
アイスクリームも入って、なんと\299円也。150年で庶民も楽しめる時代である。

話は、少し堅苦しくなるが、人間の生き方の過去・現在・未来に関するメモ。
法然展・親鸞展を連続して観覧し、親鸞の口称念仏の本質を会得したと思った。そして
人間の生き方の本質は昔も今も変わらない、という前提に立っている自分に気付いた。
それで、その前提が、果たして正しいのか?否か?少し、調べてみた。

1つは、従来の思想の系譜を辿る事による見方である。
西欧的な理性による「脱構築」の果てに、解答は見つかるのか?
「知」で「知」を克服できるのか?自己矛盾した発想を止めるべき?
(以上、cf.仲正昌樹著「集中講義!日本の現代思想」)
同書の目的が、人間が動物化、家畜化する未来を憂慮してのことらしい。
しかし、記述内容は決して明るい見通しがあるようには見えない。

2つ目は、生物進化の観点である。
私は突然、「100匹目のさる」のことを、即ち、L.ワトソンの「生命潮流」を思い出した。
親鸞の悟りが、世間に広まった後、衰退した理由は、そこから見出せそうか?
「生命潮流」という本は‘生物学的進化と意識’という観点から書かれているから、実に
長い(何万年も前から、そして意識が芽生えた3千数百年前からの)スパンで考えている。
その中に、現代に関する問題意識として、次のような記述がある。
“問題は均衡を保つこと。(近現代の)われわれは、偏った方向に重きを置きすぎ
技術と理性の側に落着いてしまったためにバランスを失い、代償を払い始めている”

最後の方には、素晴らしい(将来の人類を救済するかも知れない)才能を持った子どもが
精神薄弱児や自閉症児の特殊学級に入れられて、才能が押しつぶされている話がある。
「教育は、既成のイメージで、人間の従来の間違いを再現するコピー人間を生産する事に、
その全精力を費やしている様に見える」 という指摘は大変に重いものがある。



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