SSブログ

政治と義 [閑話]

昔、神の教えに従う忠義の人々は「義」を行う事によって、その見返りとして「利」を得た。
「利」は「義」の代償で、「義」の後に来るものであった。
時代が下って「義」は、神の教えを行うのではなく集団の総意を行う事と解釈された。
昨日今日の「おひさま」では、タケオ(柄本時生)が召集を受けて出征するにあたり、
親子三人が須藤家に押しかけて、会食する場面があった。出征を嘆く母親ハル(角替和枝)に
タケオは「自分がお国のために役立つ事は誇らしい。だから嘆くのはやめてくれ」と言っていた。
当時は日本という国家集団が決定した戦争遂行が「義」であり、それを信じて頑張った時代。
あの時代も「義」は「利」に先んじるものであった。

「おひさま」で、母親ハルが愚痴る姿は涙を誘う。女優・角替和枝は、柄本時生の実の母親
というから、演技も真に迫って名演技だと感じた。我々は悲惨な戦争の結末と、その後の
世の移ろいを知っているから、利己的な母親を非難するどころか同情し母性に心打たれる。
お国の為という言葉に踊らされた人々はバカをみたと感じている、というのが現状である。

さて、昨日の国会討論では、追及する谷垣総裁と、逃げる菅首相は「すれ違い?」
「震災復興特別委員会」と銘打った国会討論の場で、菅首相は質問の趣旨が分らない、
何が問題なのか分らない、と「分らない」「分らない」を、オームのように繰返していた。
国の命運をかけた震災復興のための国会討論で、震災復興という「義」より自己保身、
党利党略のための「利」を優先している姿勢が明らかであった。

敗戦後の時代の流れで現代日本は国家への不信感が根強い?従って現代では「復興のための
議論とはいえ、自分の幸福、自分の地位保全、政治的立場の保全という“利”を優先すべきだ」
という菅首相の姿は、止むを得ない?私には、そういう利己的姿はタケオの母親ハルと重なって
見える。そうすると政治は主観的だから「利」を優先する菅首相の行為にも納得がいく?

この時、私の心に母親ハルからの抗議が届いた。彼女の抗議の趣旨は以下の通りである。
1.私の場合は、かけがえのない一人息子の生命であり、菅首相の犠牲とは天地の差あり。
2.私は、一庶民の立場である。菅首相は、国家の最高権力者で、影響度が大きく異なる。
3.第二次世界大戦は「義」に疑問が残る。今回の復興対策の「義」に疑問の余地なし。
私は、何とか時代の変遷、価値観の変化から、菅首相を弁護するために、「おひさま」の
タケオの母親ハルを引き合いに出して、政治の主観性という観点から論じた。しかし弁護に
無理があったようだ。現代にも明らかに「義」はあり、優先すべきでは?如何なものか
nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。