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「おひさま」第8週 [物語]

今週は昭和18年(1943)になり、NHKTV小説「おひさま」も32%を消化した。大正11年(1922)
生れの陽子(井上真央)は21歳。ドラマ開始からの11年で、32%は、結構大きな比重では?
10歳から90歳までの80年間の中に占める青春時代の重みは、均等には割り振れないだろう。
しかし陽子世代の人々は、自己の青春時代を、あまり語っていないのではなかろうか?
理由には、青春時代の自己の価値観が定まらず、戦前と戦後の価値観の違いを意識して物語る
事が難しいということもあるのではないか?また長い戦後の価値観に慣れてしまった現在では
聞き手側に戦前の価値観が不自然に思われることも多いだろう。

例えば、5/23(月)のオープニングのシーンで、小学唱歌「兵隊さんのおかげです」
♪ 肩を並べて兄さんと 今日も学校へ行けるのは
   兵隊さんのおかげです お国のために お国のために戦った
   兵隊さんのおかげです 兵隊さんよありがとう
という歌声が教室から聞こえてくる。「軍国主義」絶対反対の私など、一瞬、嫌な気分になる。
しかし考えてみれば、そういう感覚も、戦後の行過ぎた洗脳によるものかも知れない?
現在、東日本大震災の被災者児童等が、自衛隊に置き換えて歌ってもおかしくはないだろう。

召集に嘆く母親(角替和枝)を慰めるタケオ(柄本時生)の言葉、「・・・・お国のために働くのは
やっぱりうれしいよ!男としちゃ。間違ってるかね?おじさん!」にも、当時の若者の素直な
気持が表れている。 今週の最後、茂樹(永山絢斗)との別れを物語った後で、
現代の陽子(若尾文子)が話相手の房子(斉藤由貴)に言って聞かせた言葉
「あの戦争(第二次世界大戦)は間違っていたんでしょうね。でもね、私だけはそう思わない。
死を覚悟したあの気持を無駄なんて言わさない。・・・尊敬する。・・・誇りに思う。」は、
この物語の背骨ではなかろうか?
こういった気持は、近親者を亡くした多くの人々にもあることを、私はよく知っている。

吉村昭が、「関東大震災の震災記念日の番組で、関東大震災の報告書・「震災予防調査会報告」
を読んだ人が誰も居ないので虚しさを覚えた」と述べている。「東日本大震災」を未曾有の災害
といって大騒ぎするが、犠牲者の数で言えば、関東大震災の比ではない。
更に言えば、第二次世界大戦による甚大な被害を思い返せば、「東日本大震災」に対する対応も
少しは違ってくるのではないだろうか?起こった事象を、時間的に少し離れた角度から見るという
発想がない。だから、起こった当座は、近視眼的に右往左往と大騒ぎするのだが、時間がたって
しまうと、色んな価値観の変遷に流されて、すぐ忘れ去られてしまうのではなかろうか?
それは、関東大震災も、第二次世界大戦も同様である。



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