SSブログ

新鮮な出会い_3 [現代詩]

茨木のり子の第三詩集は『鎮魂歌』(1965年発行)
この詩集に収められている十数編の詩の中で、文字通り鎮魂歌と言えるものは二編か?
最初の詩「花の名」は、彼女のお父上を偲んだもの。はっきり「鎮魂歌」といえる。
9番目の詩「本の街にて」は、書肆ユリイカ代表だった伊達得夫(1920-1961)の挽歌。
茨木師匠のお教えに従って、私の心に響いたこれらの詩を取上げてみたい。

詩「花の名」では、
“わたしは告別式の帰り
 父の骨を柳の箸でつまんできて
 はかなさが風のようです
 黙って行きたいです”  という帰宅途上の汽車の中で茨木のり子は、
饒舌で無作法な登山帽の男にやたら話しかけられる。最初の出だしから酷いものだ。
“浜松はとても進歩的ですよ” “と申しますと?”
“全裸になっちまうんです 浜松のストリップ そりゃあ進歩的です”
告別式の帰りという状況で何故、こんな男の話相手をするのか?最初は不可解だった。
そうだ!詩は創造!こんな話が、ソックリそのまま実話であるはずがない。大部分は創作?
なるほど、こういった極端な対比によって、悲しみを浮き立たせようという寸法か?

詩の題名の「花の名」は、登山帽の男に花の名を訊かれた事に因んでいる。
花の名を訊かれて、上の空で「泰山木」と答えた茨木のり子は、次の様な思い出を書く。
“女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか とてもいいもんだよ
 父の古い言葉がゆっくりとよぎる
 ・・・・中略・・・・
 いい男だったわ お父さん 娘が捧げる一輪の花
 生きている時言いたくて 言えなかった言葉です
 棺のまわりに誰も居なくなったとき
 私はそっと近づいて父の顔に頬をよせた
 氷ともちがう陶器ともちがう ふしぎなつめたさ”

そして、東京駅で別れた後で、訊かれた花は「辛夷(こぶし)」だと気付く。
そこでまた話が真実味を帯びてくる?やはりこれは実話?という疑念がわいてくる。
それともやはり、生の体験と、何らかの情報を幾つもつなぎ合わせたモンタージュ詩? 

 


続きを読む


nice!(3)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。