親戚訪問 [散歩]
今日は、昔御世話になったおば宅を訪問した。
90歳を過ぎても、久しぶりに会った私のことも即座に思い出し、いろいろとお話した。
聞いてみると、生まれは大正8年、「おひさま」の陽子よりも3歳年上である。
長生きの秘訣を伺ったら、おば曰く、「前向きな気持ち」とのことである。
私などは、ついつい消極的な言葉を吐くことが多い。確かにおばさんはすべて前向きだ。
今はもう、足がお悪くて歩く事はできないが、決して愚痴などはこぼさない。
足が悪くなった事に関する話題も、何度もリハビリで歩けるように回復した成功体験だけ。
だから、私が思うに、彼女は歩けなくなったという絶望感はない?
また歩けるようになるという希望にも拘らないのではないか?と推測してみたりした。
茨木のり子の詩集『倚りかからず』の最後の詩「ある一行」で、
“絶望といい希望といってもたかが知れている
うつろなることでは二つともに同じ
そんなものに足をとられず 淡々と生きて行け!・・・・”
と、謳ったが、その言葉は、まさにおばの思考とピタリと重なる。
「歩けなくなった!」と絶望する必要もなければ、「歩かなければ!」と焦る事もない?
おばの心中に歩けない苦しさがないとは言えないかもしれない。
「年をとるということは、大勢の皆さんのお世話になるという事だと分りました」という
言葉は、大変に含蓄のある言葉であり、深く深く噛み締めてみる言葉だと思う。
そういう「苦」を、消極的に受け止めず、前向きに生きるところが素晴らしい!
帰路は、久しぶりに阪急電車に乗った。
緑の色も濃い六甲山や摩耶山が眩しく、懐かしく、山野を駆け巡った十代の頃を思い出した。
夜は旧友と楽しく歓談。夜の10時前には別れたが、街に活気がないのが気になった。
そういえば、西宮からの阪急の特急も空いていた。平日の午後だからだろうか?
私は、昔と違って、今の静かな街の方が好ましい。如何なものか
90歳を過ぎても、久しぶりに会った私のことも即座に思い出し、いろいろとお話した。
聞いてみると、生まれは大正8年、「おひさま」の陽子よりも3歳年上である。
長生きの秘訣を伺ったら、おば曰く、「前向きな気持ち」とのことである。
私などは、ついつい消極的な言葉を吐くことが多い。確かにおばさんはすべて前向きだ。
今はもう、足がお悪くて歩く事はできないが、決して愚痴などはこぼさない。
足が悪くなった事に関する話題も、何度もリハビリで歩けるように回復した成功体験だけ。
だから、私が思うに、彼女は歩けなくなったという絶望感はない?
また歩けるようになるという希望にも拘らないのではないか?と推測してみたりした。
茨木のり子の詩集『倚りかからず』の最後の詩「ある一行」で、
“絶望といい希望といってもたかが知れている
うつろなることでは二つともに同じ
そんなものに足をとられず 淡々と生きて行け!・・・・”
と、謳ったが、その言葉は、まさにおばの思考とピタリと重なる。
「歩けなくなった!」と絶望する必要もなければ、「歩かなければ!」と焦る事もない?
おばの心中に歩けない苦しさがないとは言えないかもしれない。
「年をとるということは、大勢の皆さんのお世話になるという事だと分りました」という
言葉は、大変に含蓄のある言葉であり、深く深く噛み締めてみる言葉だと思う。
そういう「苦」を、消極的に受け止めず、前向きに生きるところが素晴らしい!
帰路は、久しぶりに阪急電車に乗った。
緑の色も濃い六甲山や摩耶山が眩しく、懐かしく、山野を駆け巡った十代の頃を思い出した。
夜は旧友と楽しく歓談。夜の10時前には別れたが、街に活気がないのが気になった。
そういえば、西宮からの阪急の特急も空いていた。平日の午後だからだろうか?
私は、昔と違って、今の静かな街の方が好ましい。如何なものか