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国会'11.05.23中継雑感 [社会]

昨日、今日と雨天が続く。昨日は夕方から上がり何とか散歩のノルマを果たした。今日は
震災復興特別委員会と銘打った国会討論を視聴。冒頭の質問者は自民党総裁・谷垣禎一氏。
原発事故対応における事故直後の問題点を追及する場面だった。相変わらずの‘逃げ菅’?
菅首相は質問の趣旨が分らない、何が問題なのか分らない、と分らないことだらけである。
いつもなら早々にスイッチを切るか、チャンネルを切替えるのだが、今日は辛抱した。
菅首相は、何故こういう態度に徹する事ができるのか?その要因と対策を考える為である。
しかし一時間が限度?延々と続く菅首相や政府閣僚の話には、ホトホト疲れてしまった。

国会中継の視聴を諦め、雨の上がるのを待たず雨天散歩を決行。一日一万歩のノルマ達成。
そんな雨天散歩途上、今朝の国会中継における菅首相らの「逃げ」の問題を考えた。
考察は、‘逃げ菅’の態度は社会人、政治家として許される態度か?否か?という事である。
これは主観的な問題だから、政治・社会制度によって異なるだろう。仮に絶対権力者(例えば
絶対君主、宗教的独裁者)の存在する社会では絶対権力者が決定する?然らば民主主義社会で
はどうなるか?現在の日本は首相公選制ではないから、国会(衆議院)の国会議員による判断と
なる。全員参加民主制であろうと代表制民主制であろうと、多くの人を説得しなければ、首相を
交代させる事は難しい。従って、私は菅首相の何処に問題があるかを、明確に指摘して、
多くの民衆を説得することを考えた。

そして、私は‘逃げ菅’の答弁を思い出しながら、以下の様な仮説で彼の問題点を整理した。
1.菅首相の思考態度は、科学主義的客観主義と呼べるようなものである。
  その証拠に、都合の悪い政治的行動に関する質問に関しては、自らの行為は議事録内容に
  還元されてしまっている。その行為に纏わる自分の思いや理念は簡単に捨象される。
2.政治活動における科学主義的客観主義の思考態度は、社会のためにならない。
  民主党は小さな党の寄せ集めで出来た党のために党員とリーダ層が乖離、非民主的党運営
  を行ってきた。それを民主的に見せかける手法の一つが科学主義的客観主義?

菅首相の答弁を聞いていると虫唾が走る。何故なら無機質な答弁によって、自己の正しさを如何
にも客観的事実の様に主張するからである。従来の首相で、自己を客観的に正しいと言う顔を
した人はいなかったのでは?政治活動は、人間の活動の中で最も主観的な活動だから。
しかし菅首相のガードは意外と固い。彼が、大震災対策をまるで、日常の事務処理のごとく
平然とこなして、一向に疲れを見せないのは、あの大惨事にも全く心を乱されないからでは?
その根本に科学主義的リアリズムがあるとすれば、非常な危険思想の持主?如何なものか
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