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「おひさま」第7週 [物語]

今週から昭和16年(1941)、師範学校卒業の陽子(井上真央)は、母校の小学校(有明山国民
学校)に赴任。陽子先生は憧れの恩師・高橋夏子先生(伊藤歩)が同僚で本当に助かった。
何せ校長は鐘を鳴らすだけ。中村(ピエール瀧)等の代用教員がやたらのさばっている。
他の先生も今のところ存在感がない。国民学校は、子供たち(小国民)を歩兵に育てる場所と
中村等が言っていたが、代用教員は、軍部の兵士早期育成計画を担う立場だった?
校長以下、先生諸氏は、そんな風に勝手に憶測して「触らぬ神に祟りなし!」だったのか?

兵士育成の一貫である海軍体操(鍛錬)の授業で、陽子の生徒・ミチオ(鏑木海智)が、皆と
リズムが合わず隊形を乱す。中村が怒って竹刀を振り下ろす刹那、陽子先生はミチオを庇って
竹刀に打たれ気絶したが大事に至らず、すぐに職務に復帰した。中村は職員室に戻った陽子に
謝るが、陽子も自分の非を詫びたので、中村もホッとして陽子が鬼の形相だったと同僚の福田
(ダンカン)に口走る。それを聞きとがめた陽子と中村の口論になる。結局は陽子が折れて
口論は終結した。教室では、圭介(平岡拓真)ら学級の皆に助けられてミチオが海軍体操を
立派にやれるようになった。目出度し!目出度し!?

当時は男尊女卑の時代で、お茶汲みをはじめ、職員室の掃除や宿直室の掃除・準備等は全て
女性教師の仕事だったという。陽子は、忙しいと思っても深くは考えなかったと回顧していた。
また体罰を伴う教育も認められていた時代、ミチオの竹刀体罰に関する陽子と中村の口論も、
深くは考えなかった?ここでは、これらの問題に深く突き進む気はない。しかし何れこの物語の
何らかの事を題材にして、再度、これらの問題にかかわる可能性があるかもしれない。
何故なら、これらの問題は、時代の価値観や道徳観の変遷で割切れる問題では無いからだ。

陽子先生は半年の経験を積んだ昭和16年の秋、後年、夢にまでみる失敗をした。失敗とは、
バケツを壊した幹太(相澤大翔)を叱り、修理完了まで居残りを命じ、それを忘れて帰宅して
しまった事である。最初の起点は、「物を大切にしよう」という学習(修身?)にあった。
「物を大切に」という言葉には、物を作った人(第一次、第二次産業)流通した人(第三次産業)等、
多くの人々のことを思い、感謝する心を育む、という意味が込められている。
ドラマでは修身指導案の作成と失敗との関係を直接には示していない。実際は、修身指導案を
「物を大切に」を骨子として練り、最後の仕上げで書類に書込む段階で愛弟子・幹太の事件が
勃発したのではないかと私は推測する。さすがの陽子も動揺して事件を忘れたい深層心理が、
置去り事件となったのでは?それにしても話が上滑り! 80年を150×15=2250分 即ち
40時間弱で語るのだから、仕方がないか? 「てっぱん」が懐かしい!如何なものか
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