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思慮なき人 [社会]

民主党小沢代表の政治資金規正法違反事件に関して、小沢代表ばかりでなく、民主党全体の
対応が何かおかしいと思いながらも今ひとつスッキリと腑に落ちなかった。 昨日のNHKの日曜
討論会でも、鳩山幹事長は、漆間官房副長官の発言を盾に 「地検による自民党と民主党の
差別」 を強弁していた。 まるで偽メール問題と同じパターン。 民主党という組織そのものが
疑わしくなってしまう。 日本の政治はどうなってしまうのか? 嘆かわしい。

地検特捜部が、金額のもっとも大きな小沢代表に最初に目を付けて立件に持ち込むのは当然の
ことだろう。例えば脱税だって、脱税は犯罪だから全て摘発しないと、大きな脱税も見逃すと
いう論理にならないことは、現実問題として皆分っていることだろう。
「今までこれで問題なかったから法律に違反していないはずだ」 というのも無理筋だろう。
私は自民党の肩を持つわけではない。政党、政治家は大人の対応をとってもらいたいと思う。

古い手帳を繰っていたら、“思慮なき(人)は常に談ず”というフレーズが目に留まった。
隣に“愛は、他のいかなるものにもまして、人を賢明にする”が並んでいた。
“思慮なき・・・云々”は紀元前8世紀後半頃(?)の古代ギリシアの伝説的詩人ホメロスの言。
“愛は・・・云々”は、カール・ヒルティ(1833<天保4年> - 1909<明治42年>)が書いた
「眠られぬ夜のために」の一節である。 1972年の手帳だった。 長男の生れた年だ。

どんな意図で書き留めておいたのか? 今はまったく思い出せない。
“思慮なき・・・云々”の方は、「沈黙は金」と同様におしゃべりを戒めているともとられるが
「深く考えを巡らさない人は、常に強談判する」 とも解釈できる。
小沢代表はじめ、民主党幹部の大部分が、“思慮なき人々” に思えてくる。
“愛は・・・云々”の続きは、「愛のみが、人びとの本質と事物の実相を洞察し、人びとを助ける
最良の道や手段への洞察力を与えてくれる。だから何が最良の処置であるかを問うかわりに
何が最も深い愛し方であるかを問う方が、たいていの場合、確実に良策である。」

政治の世界は権謀術数と偶発性、再帰性が渦巻いており、“思慮”や、ここで取上げた“愛”
などの入り込む余地等ないのだろう。 ただ、この二つの金言は、今回の小沢代表問題での
政界、政治家の特異性をまざまざと浮かび上がらせてくれた。 如何なものか。

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国際女性デー [歴史]

今日は国際女性デー。1904年(明治37年:日露戦争勃発)3月8日にアメリカ・ニューヨークで
女性労働者が婦人参政権を要求して起こしたデモから始まった。この日をドイツの社会主義者
クララ・ツェトキン(女性解放運動の母)が1910年にデンマークで行なわれた国際社会主義者
会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱したのである。
最終的にはロシア革命にまで発展した1917年のロシア・国際女性デーは、首都ペトログラード
で行われた女性労働者中心のデモに男性労働者、更に兵士を巻き込み大規模な蜂起となった。

こうして振り返ると、アメリカ婦人の運動がきっかけとなって約70年の間、アメリカと対立した
共産主義国家が生れたのは歴史の皮肉、偶然性の産物である。その共産国・ソ連も帝政ロシア
崩壊後わずか約70年で崩壊してしまった。歴史的な変化というのは、決して理性的に行われる
ものではないことは明らかだ。例えばオバマ大統領の出現を理性的な現象とばかり買いかぶってはいけないのだ。だからと言って、理性をないがしろにしてもいけないだろう。
歴史の偶然を言うなら、アメリカ女性労働者が起こしたデモの年に日露戦争が始まったことも
面白い偶然である。ロシア革命は、アメリカと日本がそれなりの貢献をした事になる。

偶発性は激しい歴史的な事象を起こす。そこで、我々は幸せを平々凡々の日常生活に求める。
昨日見たサスペンスドラマのワンシーンで小料理屋の女将(大島さと子)が、東京地検検事・
朝日奈耀子(眞野あずさ)に、“幸せのハヒフヘホ”を教えていた。 “ハ”んぶんでいい 
“ヒ”となみでいい “フ”つうでいい “ヘ”いぼんでもいい “ホ”どほどでいい
ささやかな幸せこそ本当の幸せ? 確かにそれはほんとうである。 
しかしそれが意図的に、理性的にコントロールできるのか? 答えは恐らくNo!だろう。
ささやかな幸せを守り通すことが出来ないのなら、一発勝負に出て悔いを残さない。
「だんだん」の夢花は、“一発勝負師”、めぐみは“幸せのハヒフヘホ”派?

今日は全国各地で「国際女性デー」にちなんだ集会や催しが開かれているようだ。
今や女性パワー全開、これ以上女性が強くなると、男性は益々住み辛くなるのではないか。
そろそろ「国際男性デー」を提唱する男性が出てきてもいいのでは?
そんな甲斐性のある男性ならそんなことはしない? 如何なものか。

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だんだん・第22週 [物語]

22_2名取披露.jpg今週のNHKテレビ小説「だんだん」は、夢花(三倉佳奈)の京舞
名取襲名披露の会が華やかな話題だった。
そして松江の観光ガイド・田中彦四郎(曾我廼家八十吉)の娘・
田中節(久保田晃代)の舞妓志願の話が、また降って沸いてくる。
この物語は成長と挫折、失敗と成功の話が、まるで美しい織物を
紡ぐごとく紡がれていく。この世の中が偶然に支配されている事をkubota108.jpg納得できなければ、「だんだん」の物語は理解不能だろう。

夢花は、名取襲名披露の会・歓談の席で、「うちはいっぺん祇園を飛びださな
あかんかったんやて、今、そない思うてます。大勢の人に迷惑かけて、
お母ちゃん傷付けて。そやけど、そないして大勢の人と本音でぶつかった
さかい京舞の心に近づけた気がするのどす」と述懐した。
それに対してめぐみ(茉奈)は、「私はいつも中途半端だけん」と反省していた。
“偶然を必然にしていく”、言い換えれば理解不可能な様々な出来事を、人間にとって理解できる
結果へと導き、「だんだん」と言って感謝できるように生きていくということなのではないか。

免疫学の大家・多田富雄は河合隼雄との対談で、「生物の発生の過程においても全てが遺伝的
に決定されているのではない。偶発的な出来事を元にして異なった身体ができ、異なった個性が
できるという考え方が受け入れられている。」 と語っているのである。我々自身が、個として生れ
出る過程においてさえ既に、数多くの偶然に支配されているのだ。 蛇足を加えると、
多田氏は「生物学的に見て老いとは単一な現象ではなく、多様な現象だ」と言っている。

めぐみ、のぞみのおばあちゃん・はつえ(三林京子)は膵臓肥大で胆管が詰まり入院した。
めぐみは一緒に住んでいて気付かぬ事を後悔するが、石橋(山口翔悟)も自分の父親の症状を
見過ごし、一夜にして父を喪い、医者の道を志しながら、芸能界に転向した経緯があった。
そのことを石橋はめぐみに打ち明けて慰めた。 めぐみは挫折もするが、患者を心開かせて
ストレスを解き快方に向かわせてゆく。石橋とめぐみ、そしてのぞみと康太(久保山知洋)は
着実に“絆”を深めてゆく。 いろいろな偶発的な事件で多様に展開するこの世を、如何様に
読み解くのか、思えば“生きること”は実に興味深い。 如何なものか。

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認知笑or認知症 [希望]

神戸の老人ホームにお世話になっているA氏に認知症の疑いがかかった。
外出先からの帰宅時刻(門限内)が遅すぎるというトラブルからの疑惑である。
昨夜、A氏本人から電話があり、外出を禁じられたなどのいろいろな不満を聞かされた。
その後もA氏の関係者と長時間電話で話し合った。結局、詳細は把握できず悶々とした夜を
すごした。 朝になって、施設の方(S氏)に電話で、長時間かけて状況を把握した。
直接複数面談でないために、やはり状況は、不確定要素が多く不得要領だった。
“認知”という単語は、例えば「愛人に生ませた子を認知する」など特殊な場合に使われる。
普段余り使わな言葉を使ったのは、重要な知識・記憶を失う事を意味するからだろう。

認知症に関して、昔買った本やインターネットなどで調べて、重要な点を再発見した。
1.認知症と間違われやすい状態・病気
  生理的物忘れ * 万人におとずれる老化現象で病気ではない
  うつ病      * 仮性痴呆とも呼ばれ間違われやすい病気 億劫で記憶したくない
2.認知症の発病や悪化には心理的な影響が大きく関わっている。
3.服用薬の量で物忘れや注意力散漫、物覚え悪化といった認知症に似た症状が出る

このような情報と各位の電話での話、A氏の今までの付き合い、性格等を総合して、
私は、A氏は認知症ではないと判断した。アラエイティ相応の生理的物忘れと
何らかの精神的なできごとが重なって、今回のトラブルを引き起こしたと見たのである。
S氏の話からも、生理的物忘れと認知症とを混同しているところが随所にあった。
認知症に関して世間の認識は非常に甘い。私も自衛手段を考えないといけないと痛感した。
重要な知識・記憶には各人個人差もある。認知症と速断するのは心理的にも悪影響する。
自分も今後、こういう立場に落ち込む事をある程度予測して準備する必要があると思った。

 アラエイティ 認知症より 認知笑

「認知笑」というのは、「認知症」という病気ではない年相応の健忘症で他人に可笑しい
と思われる出来事を表現するための私の造語である。
私も、今後、なるべくは「認知笑」だと笑われるように願っている。 如何なものか。

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啓蟄と桜前線 [散歩]

20090305河津桜.jpg今日は“啓蟄”、暖かい日差しに誘われて出かけた。左の写真は
市庁舎を通り抜け、倉敷川にかかった船倉橋の所で撮った。
2006年から千本桜で倉敷川を新名所にしようと植えた河津桜だ。
もっと川下の方に植えたが、最近、船倉橋に少し移動したらしい。
河津桜は、寒緋桜と早咲き大島桜の自然交配種、樹皮は紫褐色で
光沢がある。開花時期は大体1月下旬から蕾をつけだし2月上旬
から花を咲かせ、開花時期は、ほぼ1ヶ月間の長期間にわたる。sakura2009_1気象庁.png
ひと足お先の花便りである。

花便りで思い出したが、今朝の新聞でソメイヨシノの開花予想が報じられていた。 詳しい事を知らなかったが開花予想は気象庁だけでなく、(財)日本気象協会、ウェザーニュース(大手気象情報会社)の御三家が揃い踏みで予測をしているというから面白い。
chart_large_2009日本気象協会.jpg
規制緩和による自由競争の良い所ではなかろうか。 完全自由競争など誰も求めていない。何でもかんでも政治家や官僚がでしゃばるとロクなことはない。20090302_01ウェザニュース.jpg今回の民主党党首・小沢議員秘書等が公共投資の入札に絡むなどの容疑があるのも、官僚による支配構造の問題だと思う。構造改革を批判して利権の甘い汁に群がる人が多すぎる。

御三家の開花予想図を揃い踏みさせてみた。上から気象庁、(財)日本気象協会、ウェザーニュースの順。<図の上でクリックすると拡大される。> 
ウェザーニュースでは地域の協力者を募って、きめ細かな予測をするという。
岡山後楽園では 3月26日とのこと。一方、岡山地方気象台の開花予想は3月27日らしい。
岡山についてはほぼ一致している。場所によっては、御三家の予想が前後十日も異なる。
今後の推移と予想の結果が楽しみだ。 如何なものか。

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散歩閑話・6 [散歩]

今週前半の散歩は近来になく低調である。
週初の日曜日から昨日の火曜日までの3日間で2万歩強、いろいろ事情があるにせよ
一日一万歩を30%も下回るとは情けない。 幸い今日は雨が降らず、二回に分けた散歩で
何とか一日一万歩ペースに戻した。 何とか借金を返済してホッとした心境である。

最近、我流筋トレを併用しているためか、一日一万歩という散歩ノルマに疑問を感じ出した。
いろいろ理屈をつければ付けられなくもないが、簡単に言ってしまえば、歩くのがしんどく
なって来たのかなと思う。 それ以外の大きな理由は合唱練習音源の問題だ。
MIDIなどで入手した音源を、walkmanにストアすることが出来なくなり、散歩中の合唱練習が
新しい音源では事実上できなくなってしまった。MIDI音源をソニックステージというソフトに
取り込むためのソフトが使えなくなったためである。 
MIDI音源をソニックステージに取り込む良い方法があれば教えて欲しいと思っているが
携帯CDで聴けばいいだろうと言われそうで、なんだか相談するのをためらっている。

こんな事を考えていると、散歩も運動だけで続いているのではないことが分ってくる。
他人と話もしないで過ごす日すらある日常、散歩中にすれ違う人との挨拶は何かホッとする。
今日も、二人の中学生(女子と男子)が、それぞれ別のタイミングで挨拶してくれた。
妻との散歩中であったが、二人連れの場合の方が、挨拶しやすいのだろうか?
いずれにしても、青少年少女の優しさに心が温まる。 地方の人との絆を感じるひと時だ。

若い頃、仕事や遊びが忙しくて、生きている事に疑問など感じなかった。
行き詰った時にも、生死の問題は、もっと抽象的だった。
それは、家族や職場や様々な人々との “絆”だか“ほだし”だかに絡まれていたからだ。
自由自在にはならなかったが、自分の存在に疑問の余地はなかった。
年をとり、仕事も段々なくなってくると、社会との“絆”が弱くなってくる。
それだけ自分が自由な身になって、経済的に許されるならば、色々な事に挑戦できる。
しかしそういう自由自在な身は、想像するほど気楽なものではなく不安定なものである。
こういう時こそ、子供のような探究心・驚きへの憧憬・様々な事象や思想に対する敬愛・
挑戦する心・人生の喜びと人生への興味を変わらず胸に抱くことだ。 如何なものか。

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ひな祭 [大家族]

DSC090303雛祭.JPG今日は、朝から雪が降り、冷え込みがきつい。
ひな祭というのにどうしたことだろうか。
三寒四温というが、寒すぎるように思う。

写真は大昔、子供たちのひな祭の記念写真だ。
Shinが幼稚園年少、Keikoが年長、Rokoが小2
昭和52年(1977)の時のものだと思う。
この写真のフィルムは、転勤・転宅で何処に行ってしまったか分らないが、室内で飾っていた写真をデジカメで撮って掲載した。

その後、何年(1981?)か定かでないが、夏休みに妻と子供たちだけで里帰りした時に、
一人暮らしが手持ち無沙汰で、この写真を含めて何枚か引き伸ばして家の中に飾っていた。
重なる転宅でいつの間にか飾らなくなっていたが、当地に帰ってからは、また昔の子供部屋に
飾っている。 今まであまり出入りしない部屋だったが、この所、“我流の筋トレ”で毎日のように
部屋を使うようになり、その度に懐かしんでいる。

さて、一昨日の話題でも取上げた“絆”だが、良い意味ばかりではない面がある。
この字を、「ほだし」とも読む。 “ほだし”とは馬の足を動けないように縛る縄のことだ。
“人情にほだされる”などとも使われるが、人情に縛られるという意味にもなる。
親子の“絆”は強すぎても子供にとって鬱陶しい束縛になる。  しかし、親子の“絆”は、
弱ければ、子供が自立しやすいというわけでもなさそうだ。

さしずめ、大家族に向かってブログを書く私などは、“絆”=“ほだし”なのかも知れない。
子供は、親子の“絆”=“心のつながり”として、それをより所に成長してゆくが、
成長すると共に、“絆”=“ほだし”と感じるようになりそれを乗り越えて自立していく。
私なども、「おくられ人」になるためには、大家族に対して、いつまでも“心のつながり”を
求めて、“ほだし”的に縛ってはいけないのかもしれない。
だが、「おくられ人」としては、いましばし待ってもらいたいものだと考える。
  世の絆 まだまだこだわる おくられびと   如何なものか。

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だんだん・第21週 [物語]

21_4石橋めぐみ.jpgNHKテレビ小説「だんだん」は、のぞみこと夢花(三倉佳奈)が祇園
に戻って3年。 2007年となった。 快速テンポで様々な出来事が
展開されるので、メインテーマが見えにくくなっているが、やはり
このドラマの屋台骨は、縁の糸、人間の絆だろう。 松江や祇園を
舞台に選んだのも、地域独特の人情や絆のためだと思う。
“絆”を辞書で引くと「離れがたい心のつながり」となっていた。

「離れがたい心のつながり」は、家庭、幼友達、師弟、学友、部活仲間等の間で培われ
その縁などから、地域社会や仕事、趣味などを通じて、広げたり、深めたりしてゆく。
例えばのぞみは、祇園の外での経験を芸の肥やしにして、古巣の祇園に帰り“絆”を深めたし
めぐみ(茉奈)も、介護福祉士、看護師の実習経験から、多くのことを学ぶと共に、
石橋(山口翔悟)との絆を深めてゆく。
このようにみてくると、“絆”は、きれい事だけでは築けないことがわかる。
相手に弱みを見せたり、本音をぶつけたり、相手の気持ちを理解しようという心の広がりを
持ち、支え合う気持ち、相手が裏切ることを恐れない心が大切だ。

以前に「本当と嘘の間」というブログを書いた。URLは
http://blog.livedoor.jp/isimoto_3902/archives/2008-11.html?p=2#20081116

世渡りではしばしば、余り本音を言ってもいけないし嘘を言っても問題になる時がある。 
そんな難しい場面では、“微笑”でもって切り抜ける。 それが大人の世界なのだ。

先日のブログ「おくりびと終章」で“人間的交わり”が現代では希薄になっているという事を
書いた。この“人間的交わり”とは、“絆”、「離れがたい心のつながり」のことである。
現代では、故郷を離れ、見知らぬ土地で頑張っている人々も多い。
“絆”は、本当と嘘の間で微笑む心の余裕を持った完璧な交際だけでは深まらないが故に、
いつでも、どこにいても充足されるものではないのだ。
だから、「だんだん」や「おくりびと」に癒されるのだろうか? 如何なものか。


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