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散歩閑話・6 [散歩]

今週前半の散歩は近来になく低調である。
週初の日曜日から昨日の火曜日までの3日間で2万歩強、いろいろ事情があるにせよ
一日一万歩を30%も下回るとは情けない。 幸い今日は雨が降らず、二回に分けた散歩で
何とか一日一万歩ペースに戻した。 何とか借金を返済してホッとした心境である。

最近、我流筋トレを併用しているためか、一日一万歩という散歩ノルマに疑問を感じ出した。
いろいろ理屈をつければ付けられなくもないが、簡単に言ってしまえば、歩くのがしんどく
なって来たのかなと思う。 それ以外の大きな理由は合唱練習音源の問題だ。
MIDIなどで入手した音源を、walkmanにストアすることが出来なくなり、散歩中の合唱練習が
新しい音源では事実上できなくなってしまった。MIDI音源をソニックステージというソフトに
取り込むためのソフトが使えなくなったためである。 
MIDI音源をソニックステージに取り込む良い方法があれば教えて欲しいと思っているが
携帯CDで聴けばいいだろうと言われそうで、なんだか相談するのをためらっている。

こんな事を考えていると、散歩も運動だけで続いているのではないことが分ってくる。
他人と話もしないで過ごす日すらある日常、散歩中にすれ違う人との挨拶は何かホッとする。
今日も、二人の中学生(女子と男子)が、それぞれ別のタイミングで挨拶してくれた。
妻との散歩中であったが、二人連れの場合の方が、挨拶しやすいのだろうか?
いずれにしても、青少年少女の優しさに心が温まる。 地方の人との絆を感じるひと時だ。

若い頃、仕事や遊びが忙しくて、生きている事に疑問など感じなかった。
行き詰った時にも、生死の問題は、もっと抽象的だった。
それは、家族や職場や様々な人々との “絆”だか“ほだし”だかに絡まれていたからだ。
自由自在にはならなかったが、自分の存在に疑問の余地はなかった。
年をとり、仕事も段々なくなってくると、社会との“絆”が弱くなってくる。
それだけ自分が自由な身になって、経済的に許されるならば、色々な事に挑戦できる。
しかしそういう自由自在な身は、想像するほど気楽なものではなく不安定なものである。
こういう時こそ、子供のような探究心・驚きへの憧憬・様々な事象や思想に対する敬愛・
挑戦する心・人生の喜びと人生への興味を変わらず胸に抱くことだ。 如何なものか。

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