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自然観 [希望]

torahiko.syouzou.jpgある事を調べている過程で、寺田寅彦(1878年(明治11年)- 1935年(昭和10年)12月31日 物理学者、随筆家、俳人)の随筆「日本人の自然観」(昭和10年)を読んだ。日本と西欧など外国との自然の違いと生き方、考え方の違いを科学者であると共に、文人でもあった思慮深い視点から述べられている。 例えば次のような話があった。

◎ 蓑とバーバリーコート
  その当時(昭和10年)すでに博物館的存在だった“蓑”を鳥獣の羽毛の
  機構から学んだもので日本の気候的にはバーバリーコートより優れている気がするという。
◎ 和歌や俳句における枕詞(まくらことば)
  枕詞の由来は不詳としながらも、密かに考えている自説を展開している。
  「枕詞は、それが呼び起こす連想によって歌に対する主観の活躍に適した環境を演出する
  役割をするのではないか。」 「日本人的自然観を持つもののみに有効なもの」
寅彦は、文明開化の洗礼を受けて日本人も日本の自然も変わり、また科学技術の発展によって
世界が変化していく事を予想している。そして 「日本人の特異性を大切にすることが日本人の
使命であり、存在理由である。」 と結んでいる。
この随筆を読んでいて、私は改めて日本の自然の変貌と日本人の変質について思いを馳せた。

明治以来、この随筆が書かれた昭和初期までの約70年間の変化、そしてそれから現在までの
約70年間の日本の変化は目を見張るものがあったと思う。概観だけなら寺田寅彦のみていた
日本的景色は少なくなり、西欧と変りなくなりつつある。しかし心や視野は格段に広がっている。
地球温暖化など世界規模の問題から、自然との関係を見直す機運が盛り上がってきた。
日本人は、優しい自然に助けられると共に、地震、風水害など厳しい自然に鍛えられてきた。

自然に異国との差異は少なくなってきたが、幸か不幸か日本人の独自性(特異性)は、寅彦が
満足するか否かは別とすれば相当、維持されていると考えていいだろう。
日本人の独自性は、自然との相互作用で培われ遺伝子となって受け継がれ、国内外の人々と
の交渉の中で、紆余曲折を経ながら、それぞれの人々の中で育っている。
日本人の独自性は自然を尊びながらも一定の距離をとって、寅彦の思惑とは異なる方向かも
しれないが、自律的に自らの個性的な未来を切り開いていると考えるべきだろう。
それぞれに信じる方向に向かって個性的に歩むのみ。 如何なものか。

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