利と義と・3 [歴史]
再放送のNHK番組 「知るを楽しむ・松下幸之助:第2回」 の後半でチラリと映った額縁の
“営利と社会正義の調和” というフレーズを見て、その全文が知りたくて、インターネットで
調べまわり、やっとパナソニック社ホームページ・会社情報の中の「社史」から見出した。
パナソニック社によると、1929(昭和4年)に松下幸之助が定めた綱領で「経営基本方針」として
受け継がれているという。松下電器関係者や幸之助崇拝者なら先刻ご承知だろう。
内容は、「営利と社会正義の調和に念慮し、国家産業の発達を図り、社会生活の改善を期す」
巨人・大鵬・玉子焼が嫌いな反体制派(本当は玉子焼だけは好き)、かつパナソニック社とは
無関係・無縁、幸之助のファンでもない私がなぜ、苦労してここまで捜し求めたのか?
それは、2009.01.25のブログ「利と義と」で直江兼続や上杉謙信のことを考えたからである。
松下幸之助も “義” の人ではなかったか? ということを確認したくなったのだ。
この綱領を探しているプロセスで、いくつかの情報が目にとまった。 以下に書く内容を
私は頭から信用しているというのではない。当然、伝説に彩られている部分もあるだろう。
だからこのブログを 「歴史」 に分類している。
◎ 1929(昭和4年)世界恐慌が波及し、企業の倒産等が相次ぐ中、積極経営で従業員を
一人も解雇することなく不況を乗り切った。工場は止めるが給料はそっくり払う。
そして手のあいた社員みんなで在庫品を売り歩くことにした。
3カ月もせずに倉庫はからっぽになったその後の松下電器は、繁栄の一途であった。
◎ 1918(大正7年)創業、90年の間操業を続けている。
1917(大正6年)に樹立したソヴィエト政権は、連邦の成立を経て、1991(昭和56年)に解体
された。 一億人を越える国を束ねるのは大変だ。しかし自国民の支持が得られなかったのは
“義”がなかったといえるだろう。 一方松下電器は今も操業を続けているから “義” がある
とはいえない。だが石油ストーブ等の問題を愚直なまでにフォローする姿はポーズだろうか?
20世紀最大の金融恐慌時、中小企業社長だった幸之助は、従業員の雇用を守ったという。
100年に一度の不況の現代、さて幸之助は、“義” の人といえるだろうか? 如何なものか。
“営利と社会正義の調和” というフレーズを見て、その全文が知りたくて、インターネットで
調べまわり、やっとパナソニック社ホームページ・会社情報の中の「社史」から見出した。
パナソニック社によると、1929(昭和4年)に松下幸之助が定めた綱領で「経営基本方針」として
受け継がれているという。松下電器関係者や幸之助崇拝者なら先刻ご承知だろう。
内容は、「営利と社会正義の調和に念慮し、国家産業の発達を図り、社会生活の改善を期す」
巨人・大鵬・玉子焼が嫌いな反体制派(本当は玉子焼だけは好き)、かつパナソニック社とは
無関係・無縁、幸之助のファンでもない私がなぜ、苦労してここまで捜し求めたのか?
それは、2009.01.25のブログ「利と義と」で直江兼続や上杉謙信のことを考えたからである。
松下幸之助も “義” の人ではなかったか? ということを確認したくなったのだ。
この綱領を探しているプロセスで、いくつかの情報が目にとまった。 以下に書く内容を
私は頭から信用しているというのではない。当然、伝説に彩られている部分もあるだろう。
だからこのブログを 「歴史」 に分類している。
◎ 1929(昭和4年)世界恐慌が波及し、企業の倒産等が相次ぐ中、積極経営で従業員を
一人も解雇することなく不況を乗り切った。工場は止めるが給料はそっくり払う。
そして手のあいた社員みんなで在庫品を売り歩くことにした。
3カ月もせずに倉庫はからっぽになったその後の松下電器は、繁栄の一途であった。
◎ 1918(大正7年)創業、90年の間操業を続けている。
1917(大正6年)に樹立したソヴィエト政権は、連邦の成立を経て、1991(昭和56年)に解体
された。 一億人を越える国を束ねるのは大変だ。しかし自国民の支持が得られなかったのは
“義”がなかったといえるだろう。 一方松下電器は今も操業を続けているから “義” がある
とはいえない。だが石油ストーブ等の問題を愚直なまでにフォローする姿はポーズだろうか?
20世紀最大の金融恐慌時、中小企業社長だった幸之助は、従業員の雇用を守ったという。
100年に一度の不況の現代、さて幸之助は、“義” の人といえるだろうか? 如何なものか。