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散歩閑話・7 [大家族]

DSC090326丸山.JPGこのところ花冷えか、風は冷たいがお天気続きで
散歩には好適である。
左の写真は、3-26に京都の円山公園で撮った。
しだれ桜は、染井吉野よりも早咲きなのか?
金曜、土曜と余裕が無く、昨日やっと地元の桜を
見に行ったが、意外と4分咲き程度だった。
DSC090330酒津.JPG
その代わり、柳の黄金色の花が印象的だった。
柳は、冬場に幼児のおかっぱ頭の様に刈り込まれて
花の時期にも、あまり目立たないことが多い。
また桜見物で見落としてしまうことも多いのだ。
写真は、3-30に酒津貯水池で撮ったものである。

◎ 風そよぐ 水面(みなも)に映える 柳かな
20090330ハムスタ.jpg
昨日から妻は孫達のところに手伝いに行った。孫達はアスレチック公園に
行って遊んだとの事。写真は、コウタロが頑張って回しているところである。
引越後の最初の春は濡れ落葉よろしく一緒に行ったが自宅を離れると
ほとんど “借りてきた猫” 状態になってしまうので以後は自宅待機である。

今日は美観地区を散歩したが堀端にある桜が5分咲き位にはなった。

◎ 願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃
という辞世の通りに、如月(陰暦二月)の望月(満月)の日になくなったという
西行(1118年 - 1190)の和歌に続いて、道元(生年不詳- 1253)は
◎ 春は花 夏ホトトギス 秋は月 冬雪さえて 冷(すず)しかりけり
と、日本の四季をすべて歌いこんだ。そして、道元を師と仰ぐ良寛(1758 - 1831)は、
◎ 形見とて何残すらむ 春は花 夏ホトトギス 秋はもみじ葉
の辞世を残したという。 数百年を超えて受け継ぐ伝統と創造性のバランス 如何なものか。

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日本と欧米の倫理観 [社会]

今日の朝スパに小沢代表の40年来の盟友という石井一民主党副代表が出席して、“小沢も昔は
後暗い所があったが今は心を入れ替え本気で国のために頑張っている” と語った。要するに
過去の事をほじくり出して落とし入れようとするのは陰謀だ、という訳である。 確かに法律には
“時効” というのがある。 今回の問題を寛容な精神で受け止めよ!との説である。

人は完全ではない。過ちを犯すこともあるだろう。
自らの立場を素直に説明して、国民を納得させれば、大したことにもならないと思う。
そうした上で、検察や自民党に問題があるなら正すのも良いだろう。 ニュースキャスターの
鳥越氏は陰謀説のようだ。 事情通としてそのような疑いがあるかも知れない。
大体、一般のテレビドラマでも、検察に大物政治家の圧力が掛かるという話が頻繁にある。
日本ではそういう駆け引きが、実際に結構あるのだろう。 日本的秩序維持方法の1つだ。

1000歩譲って、起訴事実は数年前のことで本人は心を入れ替え、日本の改革に打ち込んで
いる事や、何らかの垂れ込みや陰謀があったことを認めたとする。 それでも今回の小沢代表や
民主党の検察非難はお門違いだと思う。 ザル法だから法の違反をすることが「大した問題で
はない」というのでは、日本的民主主義の精神にも、欧米の民主主義の精神にも沿わない。
社会秩序の枠外にあるという、恣意的特権階級の意識構造だからだ。

従来の日本的民主主義で秩序を保つ方法は法律だけでは律しきれない複雑な方法である。
様々な抑圧が掛かり,それに耐えねばならない。今や、経年疲労に耐えられず問題だ。
欧米的寛容な倫理観を見習い、日本に取り入れることによって社会秩序を保とうとするなら
「KY」等が流行語になるような風土、何かで差別したがる気質、さらには出る杭を打つ根性
に対する対応方法、そして様々な伝統的な遺産等の継承方法に関する再考が必要だろう。

第二次大戦によって、大変な打撃を蒙ったが、終戦後は日本の未来に夢を持つことが出来た。
今や日本は欧米をも凌ぐ経済産業大国になった。 しかし今の日本の未来にどんな夢がある?
日本的社会秩序を守ることから生じる複雑な抑圧に耐える古い時代に先祖帰りするのか?
抑圧から逃れるために、いつか来た世界制覇の道をまた歩み続けるのか?
それとも抑圧から解放される精神性豊かな第三の道を探るのか? 如何なものか。

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小沢続投は民衆のためか? [社会]

NHK日曜討論090329_01.jpg今日のNHK「日曜討論」で西松建設の政治献金事件に関して
与野党6党の幹事長書記局長が議論しているのを聞いた。
小沢代表の公設秘書が逮捕されて3週間、3/24、地検特捜部の
起訴内容は3千5百万円分の虚偽記載。結局、小沢代表は続投を
宣言した。 こういった事実関係を踏まえての討論である。
相変わらずの民主党の強気発言には辟易、頭がおかしくなる。

変らぬ鳩山代表の検察批判があり、「検察捜査や報道のあり方も含め調査する、外部専門家も
入れたチームを設置する」との考えを述べていた。 確かに強気の構え、反転攻勢だ。
一部の専門筋によると起訴内容が “虚偽記載” だけなら小沢の「勝ち」。代表続投表明、検察
への徹底批判展開をするだろうとの意見もあった。そのような予測通りになってきた。

しかし、そんな黒い霧の立ち込めている小沢代表を頂いている民主党を、民衆は本当に求めて
いるのだろうか? 今も強く小沢を押している人々は、結局は自民党に飽き足りない既得権者
に過ぎないのではないか? 民主党が政権を執ってよろこぶのは、多くの一般民衆ではなく、
自民党などから鞍替えした既得権者ではないのか? 
自党の暗闇を覆い隠して、どんな世直しをするというのだろうか。

今回の日曜討論を聞いて、民主党以外の与野党が、結構足並みが揃っているのが面白かった。
わが意を得たと感じた。わが意とは、「政治資金規正法は政治資金の透明性を上げるという
基本理念に基づいたものであり、小沢代表が『大した問題ではない』などと言っているのは、
まったく理解できない。その程度の事で大事な時期に問題にするのは検察、引いては政府与党
の陰謀だ、等と言うのは、それこそ民主主義の基本を忘れた考え方である。」

民衆に分りやすくして、民主的に政治が行われることこそが大切なのだ。
オバマ大統領の政治資金が潤沢なことと、小沢代表の政治資金問題を一緒くたに論じる輩も
いるようだが、そういうのを “味噌も糞も一緒にする” という。
民主主義の基本は、ルール(法律)に則った法治国家として、政治は民衆のためのものという
ことで、一部の政治家や権力者、専門筋のためのものではないのである。 如何なものか。

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「だんだん」最終(第25)週 [物語]

2008.10.01見出した今年度 後半のNHKテレビ小説「だんだん」も今日でお別れだ。録画して
一度も欠かさず見続けたのは、50年近い朝ドラの歴史中でこれが初めてだと思う。 この物語は
双子の主人公めぐみ:三倉茉奈・のぞみ:佳奈が18歳(2000.08.16)の誕生日に出雲大社の
境内で偶然出会うところからから始まった。回顧シーンでは忠が中学卒業で家出や、双子の
生まれる1年前(1981・昭和56年)に忠:吉田栄作と真喜子:石田ひかりが出会った縁(えにし)
や、忠の父・宗助:岸部一徳が50歳で亡くなった時の事件なども語られた。物語の最後は、2011
(平成23年)という未来で閉じられた。約30年間を25週間、150回で物語ったという事になる。

今週の見所は、何といっても節分の祇園の行事「お化け」だろう。日頃見かけない装束の俳優さん
を見ることができた。石倉三郎のバカ殿ぶりは本家の志村けんよりも様になっていた。志村けんに
抗議されねば良いが\(^o^)/ 花雪:石田ひかり、花鶴:京野ことみ、涼乃:木村文乃の“白浪
三人男”も、あでやかさといい、劇中人物の役柄を織り込んだ気の利いたセリフといい、文句の
言いようが無い。 お茶屋遊びをさせてもらった感じである。 感謝!感謝!

今週の真面目な見所は、石橋:山口翔悟とめぐみの桂米朝扮する患者への取組みである。
悩む石橋に先輩医者の後藤:伊武雅刀が地域医療のあり方について、教え諭す。
私も“認知症”に関して勉強させられたが、周りの人々は早期発見、早期治療という視点が強い。
しかしそういう考え方の中に、患者との真の係わりを面倒がっている側面は無いか?
責任を問われる心配をしていないか? 先輩医者の教えは、現実にはなかなか難しかろう。
だが面倒がらず、少しでもそういう方向で努力することが大切なのではなかろうか?

田中節(花知):久保田晃代の育成に関して厳しすぎるのぞみと居場所の無い康太:久保山知洋
という問題を残した最終週、どんな結末になるか心配させられたが、花知と久乃:藤村志保の
連係プレーで一件落着、シジミ汁と石橋の5人が知夫里島・赤壁の大自然の中で「いのちの歌」を
歌い上げて大団円となった。 最終日、康太とのぞみ、節を迎え、松江の人々が宴会を開くが、
その中で口下手な忠が名演説をした。淡水と海水の混じる宍道湖に譬えて、めぐみとのぞみが
結んでくれた京都と松江は、互いに認め、まじりあって豊かになっていく、というのだ。 
様々な人が居り、様々な事件や葛藤がある。世は悲喜こもごもである。 しかし互いに認め合い
信頼しあう。 そこから豊かな人間関係が育つのではなかろうか。 如何なものか。

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民主主義の根幹 [社会]

今朝のテレビ朝日・スーパーモーニングを見ていたら、また小沢代表問題が取上げられた。
もうアキアキしたからチャンネルを変えようと思ったら、“民主主義の根幹を揺るがす” 等と
穏やかならざる言葉を耳にして、暫らく目を離すことができなかった。 後から考えれば
これがTV局の狙いで、まんまとその罠に嵌ったという訳だが、感じた事を書きとめたい。

話の骨子は公設第1秘書逮捕が、“民主主義の根幹を揺るがす” 検察の横暴、という話だ。
積極的発言者は、原口一博・民主党衆院議員、山口一臣、大谷昭宏の両コメンテータの三人。
三人に論拠の違いや温度差が有りそうだったので、彼らの発言背景をネットで少し調べた。

原口は、政治資金規正法を正しく運用することが 「民主主義の基礎」 だと言いたいらしい。
本人ブログ・2009/03/20(Fri)に、法の目的、基本理念と共に、自論を披瀝していた。
ブログに示された、政治資金規正法の基本理念 第二条 2に、“政治団体はその責任を自覚し
その政治資金の収受に当たってはいやしくも国民の疑惑を招くことのないように、この法律に
基づいて公明正大に行わなければならない。” とあるが? 西松建設は本来してはならない
個人への企業献金を、ダミー組織を介して、個人献金に見せかけていた事を認めている。 
その行為が、仮に何らかの陰謀であったとしても、規正法の基本理念に背いている事は明白。
検察が事件に関与したとされる公設第一秘書を取調べ逮捕したことは “民主主義” を守り
こそすれ “民主主義の根幹を揺るがす” 等とは、まったく意味が良くわからない。

山口一臣は、“裁判員制度” という観点から、検察の行為を行き過ぎと判断して、そのような
行為が、“裁判員制度” を失敗させ、“民主主義の根幹を揺るがす” という説のようだ。
随分と、先走った取り越し苦労と言わざるを得ない。 私も “裁判員制度” には多くの不安を
感じている一人であるが、日本という組織が成長していくためには何時かは渡らなければ
ならない橋である。 やると決めれば失敗を恐れず、実施途上で “負け犬” にならず、
失敗経験をも活かして達磨さんの 「七転び八起き」 の精神で、強くなっていくしかないのだ。

紙数は尽きたので大谷批判は省略したい。 
ただ一言だけ、左翼的プロパガンダならば、過激なものでも許されるのか? ということだ。
左翼革命が正しかった時代はとっくに過ぎた。 話合いの時代ではないか? 如何なものか。

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停電 技術伝承 新聞 [社会]

昨日は、午後3時過ぎに京都に着き駅前のホテルに泊まった。部屋に入って駅の方を見ると
何台も消防車が集まりパトカーまで出張ってきていた。 火事かと思ったが、火も煙も見えず
既に鎮火したのだろうと思っていた。外出して約1時間後用を済ませて近くを通りかかったら
まだ消防関係者らしい人が大勢で何やら話し合っている。幸い報道関係者らしい人が居たので
その人をつかまえて何事があったのか聴いた。

今朝ホテルで、自宅購読紙の朝刊を見たら、一面の左側に大きく取上げられていた。
昨日の状況を直接見聞した私の感覚から言えば、チョッと大げさな扱いのように思えた。
思い直してご当地京都だから一面なのか? 我家の新聞は一面じゃないだろうと思った。
先ほど、京都から200Km近く離れている我家に帰宅して新聞を見たら、何と一面の6段抜き。
しかも右側である。新聞の第一報というものに、あまり重きを置いてはいけないと思った。

それにしても今回の京都駅の停電事故はお粗末というほか無い。
人間は不完全だから過ちを犯す。だからこそ経験を生かすリスク管理や安全管理技術がある。
高度な科学技術を安全に享受するには、それなりの工夫や知識が必要だ。
そういう認識もなく、高度な科学技術を操る事は、狂人に武器を持たせるようなものである。
停電の原因について明確な報道が無いから軽々には言えないが、現象からは、今回の停電は、
安全装置としての緊急遮断装置が作動した事故で、フェールセーフの事故だったようだ。
しかし非常用電源が作動しなかった訳で、結果としてフェールセーフになっていない。
伊勢丹百貨店の設備と、JRの券売機や改札機とが同一系統から取られているのも問題だ。

最近、団塊の世代が引退するので技術伝承などが心配だと騒いでいる。
今回、電源系統設計も、非常用電源に関する設備も、また受電設備工事の方法についても
過去の様々な経験が生かされていない。 技術伝承が十分でなくなる元を正さねばダメだ。
根本的な問題は、科学技術を利用し、金儲けする事ばかりに熱心(拝金主義)だから、
いつの間にか技術が疎かになり、安全・安心ではなくなるのだと思う。
金儲けのための枝葉末節の技術ばかり大切にせず、その土台となる科学技術の基本を
大切にしなければ、外面ばかり良くて、内面は空疎な人間のようになるだろう。新聞も同じ。
派手だが空疎な記事ばかりでは役に立たぬだけではない。害になる。 如何なものか。

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WBC決勝と小沢続投 [社会]

昨日のWBC決勝戦は、8回からみ始め、表彰式まで見た。 息詰まる熱戦に堪能した。
試合内容が劇的であっただけでなく、その試合をテレビ観戦していた5人のメンバーが
普段はあまりない特殊な組み合わせで、実に印象に残る出来事だった。
私を含めた5人のうち、一人はすでに介護度4、もう一人も、認知症を疑われている。

昨日のWBC決勝戦をみた時の、その場の雰囲気や試合内容などの出来事は、
私の残った人生の中で、思い出に残らなければおかしい。
5人のメンバーと共に体験したあのときの鮮明な記憶が、もしもオボオロゲになるとしたら
そのときには私も認知笑(=健忘症)ならぬ認知症の疑いをもたれても致し方ないと思う。
昨日の5人の出会いと、WBC決勝観戦という出来事は、そういった意味で私にとって
意義深いものであった。

WBC決勝(日本・韓国戦)の関西地区の平均世帯視聴率は、36.5%、
瞬間最高視聴率(関東地区)は、9回裏2死でダルビッシュ投手が打たれ同点となった
場面の45.6%という。 杉内が岩隈の後を押さえたのに
9回は、先頭打者イチローの二塁打の後、中島にバント。またダルビッシュに代え、
裏目に出たが劇的幕切れを演出したのだと思えば、それもまた良きかな!

さて、小沢代表が涙の続投宣言をしたという。
小沢代表は涙を流しながらもまだ「検察批判」を繰り返していた。
それだけではない。民主党の若手大物議員が、テレビ討論で企業献金規正法の解釈について
文句を言っていたが、秘書がカラクリについて知っていたかどうかでシラを切っていたのは
どう解釈すべきなのか? 事務手続きの不備を訂正すればいいというだけなら、さっさと
修正手続きをしたらよかったのではないか? シラを切るから逮捕に至ったのだろう。

いつまで、ごたごたいっているのか?
隠し遂せなくなったら、今度は、検察の政権交代つぶしだという。
検察が、田中角栄だって逮捕したことまで、云々するつもりなのか?
まったく、金脈政治の系譜を継続しているとしか思えない代表をかばうというのは
民主党も同じ穴の狢だということを天下に公言することだ。 如何なものか。

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改革批判を斬る [希望]

小泉改革批判は、様々な思惑が絡んで雑多な考え方が渾然一体となっている。雑多な考え方の
1つには、「日本社会の非日本化」への抵抗、というのがある。 さらには、“個人主義” に
対する根深い不信感が心の底に巣食っている。 そしてアメリカのやらせ改革という見方だ。

金脈政治家の日本官僚機構操縦による改革には、このような批判がなかったことが、かえって
奇異に思えてくる。 列島改造論で日本は随分変わってしまったが、その変り方は非日本化で
はなく、袖の下、談合、贈収賄など 日本の伝統的習俗は健在だったというわけだ。

“個人主義”と異なる日本社会の良俗として「間人主義」という事を掲げて日本人の集団主義
を称揚する。 尤もらしい話で、それだけ取上げると、えらく日本社会がよさそうに思える。
しかし対人関係観の国際比較という日本による統計調査では、“個人主義”に差は無く、
「間人主義」の傾向は日本よりも、欧米の方が強いという結果だった。皮肉なことである。

小泉改革批判の主張の論拠に謙虚に耳を傾ける時、その本質が明らかになってくる。
それは、社会における“信頼関係”の重要性である。 改革に反対する理由は、“非日本化”
というよりも、従来の “信頼関係” が崩れるということへの不安なのだ。
人間関係、特に商売上における “信頼関係” が崩れるという不安を吹聴されれば、
それでも改革は進めるべきだという人は少ないだろう。
しかし談合、贈収賄などでの “信頼関係” をいつまでも続けるわけにもいくまい。
だからこそ、新しい“信頼関係”の構築手段を、創造することが非常に大切なのだ。

先人も 「信」 を得る遺訓を残している。 沢山あるが、少しだけ例示しておこう。
○ 義を先にして利を後にする者は栄える ○ 富めば好んでその徳を行なう 
○ 商売道の尊さは売り手・買い手に利益をもたらし、社会で不足しているものを補うから
○ ガラス張り経営 ○ お得意先と対立しつつ調和する

時あたかも、100年に一度という金融危機、内輪もめしている場合ではない。
それぞれ信念をもって、高度成長期に疎かにされていた“信頼”ネットワーク構築のためにも
改革に立ち向かい、立派にやり抜いていかねばならないのではないか? 如何なものか。

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孫の卒園式 [大家族]

夜来の雨は日中も降り続いた。午後止んだのを狙って散歩に出たが、やはりまた降りだし
久しぶりの雨降り散歩だったが、後半は止んで、何とか初日の1万歩は達成できた。
DSC090322鯛.JPG
今日はKotoの卒園式。 実に目出度い。そこで写真はタイ!
午前中に電話が掛かってきて「おめでとう!」を言った。
式は午後からとの事、無事済んだだろうか?式の後も色々予定が
あるようで今日は家族全員大忙しである。 
式で器楽演奏やるらしいが、器楽はキーボードを演奏する。
園に来て指導してくれる先生にピアノを習っているので、担任は気を利かせてくれたらしいが
本人は乗り気ではないらしい。 どうもピアノの先生が苦手のようである。

卒園に当たってお世話になった先生方にKotoは感謝の手紙を書いたらしいが、電話によると
他の先生には “笑顔で” とか “優しく” と書くところ、ピアノの先生にだけは、「厳しいご指導
をありがとうございました!」。Kotoのためという事は十分理解している。 Kotoと一緒に習った
子供の中には泣いた子も居たらしいが、Kotoは泣かなかったというから大したものだ。

Kotoは、我々夫婦が横浜から当地に転宅した直後に生れたから、Kotoの今までの生い立ちは
我々の新生活と重なり、特別の感慨がある。引っ越して間なしに妻が出産の手伝いに上京し、
私は一ヶ月以上一人暮らしをしたものだった。 丁度 夏の暑い盛りで一人暮らしも楽だったが
あれが真冬だったら大変なことだった。 Kotoは生まれてくる時からジージ孝行だった。

2007年の誕生日に書いたブログ「不思議な地理感覚」に、Kotoの幼い頃の思い出を書いた。
URLは
http://blog.livedoor.jp/isimoto_3902/archives/2007-07.html?p=2#20070718
横浜在住時の我々夫婦が住んでいた家と、Kotoたちの住んでいる家とは散歩で簡単に行ける位
近くだった。 あの頃は、Ryuuも小さかったが、この頃はRyuuの野球チームの練習が、我々の
住んでいた家の目の前の公園であるらしい。 Ryuuが、「あの家にグランパ達が住んでいたんだ。 
もし今も居たら、声をかけて簡単に会えるし、練習も見てもらえるのに!」 というとKotoも
いかにも自分も知っていたというように、「そうね!」 と応えるそうだ。

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だんだん・24週 [物語]

今週の「だんだん」は盛り沢山。 まずは初枝(三林京子)のがん治療行詰まりに伴う様々な人間
模様が見所である。初枝は、康太(久保山知洋) と、のぞみ(三倉佳奈) の結婚式まで生きたい
という目標で頑張ってきたが、抗がん剤の効き目が今ひとつで、医長の中山(宅麻伸)の判断で
一旦抗がん剤投薬を中止することになった。 それでも諦めない石橋(山口翔悟)は、
後藤先生(伊武雅刀)に相談し、多くの専門家で構成するがん治療検討会を通じて
新しい治療方法を探し出した。しかし化学療法の辛さや家族への迷惑などで治療に後向きの
初枝と、母親の辛さを思いやる忠(吉田栄作)は、新しい治療法を拒否した。

もう一つのビッグイベントは、松江・田島家での康太とのぞみの結婚披露宴。 久乃と松江の人々
の和気藹々とした、昔ながらの手作り披露宴が何とも懐かしい。 1955(昭和30年)以降からの
神武景気・消費ブームで、次第に結婚披露宴を外でするようになったが、昭和30年代はまだ家で
やる家庭も多かった。 今はどのくらいあるのか? チョッと知りたい気もする。 
24_2花嫁挨拶.jpg披露宴当日の見所は、のぞみが両親に挨拶する場面(写真)と、
忠が宴で挨拶する場面だった。のぞみの「二人で並んでくれはって
挨拶できるなんて思てもみいひんかった。色々と迷惑をかけて――
生んでくれておおきに」 という言葉は両親とのぞみだけでなく、
関係者すべての思いでもあるとおもう。

忠は胸をたたいて 「いま、ここから皆さん一人一人に感謝の気持があふれちょります。」といい
若い頃の自分の愚かさが人々を傷付け苦しめたことを振り返る。「それでも宿った二人の命が
チャンスをくれ、二人が皆をつないでくれた。これは奇跡だ。」 と。 
そして忠は、この奇跡という思いに至って、めぐみ(茉奈)と石橋が命がけで初枝の治療に
ついてぶつかってきたことに、もう一度、奇跡の再来をかけてみる気になったのである。

こういったがん治療の詳しい経過に関する物語は、今まで “がん” に目をそむけていた我々に
とって大変貴重は情報だ。 奇跡というものに対する考え方が少し変わったような気がする。
生きるということは、確率論的アプローチではなく、常に命がけ、言い方を代えれば、
子規の「病床六尺」でいうところの “平気で生きる” ということなのだ。 如何なものか。

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