SSブログ

改革批判を斬る [希望]

小泉改革批判は、様々な思惑が絡んで雑多な考え方が渾然一体となっている。雑多な考え方の
1つには、「日本社会の非日本化」への抵抗、というのがある。 さらには、“個人主義” に
対する根深い不信感が心の底に巣食っている。 そしてアメリカのやらせ改革という見方だ。

金脈政治家の日本官僚機構操縦による改革には、このような批判がなかったことが、かえって
奇異に思えてくる。 列島改造論で日本は随分変わってしまったが、その変り方は非日本化で
はなく、袖の下、談合、贈収賄など 日本の伝統的習俗は健在だったというわけだ。

“個人主義”と異なる日本社会の良俗として「間人主義」という事を掲げて日本人の集団主義
を称揚する。 尤もらしい話で、それだけ取上げると、えらく日本社会がよさそうに思える。
しかし対人関係観の国際比較という日本による統計調査では、“個人主義”に差は無く、
「間人主義」の傾向は日本よりも、欧米の方が強いという結果だった。皮肉なことである。

小泉改革批判の主張の論拠に謙虚に耳を傾ける時、その本質が明らかになってくる。
それは、社会における“信頼関係”の重要性である。 改革に反対する理由は、“非日本化”
というよりも、従来の “信頼関係” が崩れるということへの不安なのだ。
人間関係、特に商売上における “信頼関係” が崩れるという不安を吹聴されれば、
それでも改革は進めるべきだという人は少ないだろう。
しかし談合、贈収賄などでの “信頼関係” をいつまでも続けるわけにもいくまい。
だからこそ、新しい“信頼関係”の構築手段を、創造することが非常に大切なのだ。

先人も 「信」 を得る遺訓を残している。 沢山あるが、少しだけ例示しておこう。
○ 義を先にして利を後にする者は栄える ○ 富めば好んでその徳を行なう 
○ 商売道の尊さは売り手・買い手に利益をもたらし、社会で不足しているものを補うから
○ ガラス張り経営 ○ お得意先と対立しつつ調和する

時あたかも、100年に一度という金融危機、内輪もめしている場合ではない。
それぞれ信念をもって、高度成長期に疎かにされていた“信頼”ネットワーク構築のためにも
改革に立ち向かい、立派にやり抜いていかねばならないのではないか? 如何なものか。

nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。