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「だんだん」第18週 [物語]

今週で「だんだん」も全体の70%を消化したことになる。 その間、「だんだん」という物語
のテーマは何か?を問い続けてきた。このドラマには魅力があると共に、何か危うさというか
橋田壽賀子流の「渡る世間は鬼ばかり」の様な一貫性を見え難くする気配があったからだ。
2008年11月頃のブログで上げたテーマは、歌の力、恋、縁、そして12月は成長と成功だった。
歌、恋、縁、成功には夢や力があるが、恒常性はない。そこで恒常性を求めるために成長とは
何か?を問うのかと思った。しかし今週、めぐみのバイト先の福祉介護士・高林知美(辻沢響江)
とヘルン先生(曾我廼家八十吉)との関係を知り、あぁ~そうか!この物語は“生き方”が
テーマだと気付いたのである。

“生き方”といってもその幅は大きい。忠(吉田栄作)と真喜子(石田ひかり)の結・離婚、
石橋(山口翔吾)の職業選択、健太郎(木咲直人)の反抗、忠のボクシング挑戦、のぞみの祇園
脱離宣言、めぐみ・のぞみ(茉奈・佳奈)の歌手デビュー、めぐみの解散宣言・・・etc.枚挙に暇ない
出会いと葛藤、成功、失敗、再起という人生の山坂を、どのように解釈すれば良いのか?

“生き方” の解釈は、直接なにも語られない。成長とは何か?と直接問うのでもない。
まず人生は偶然の産物だと主張するのである。人間の出生が本人にとって既に偶然としか
言いようが無いだろう。そして生きていることそのものが偶然なのである。
人生の大きな転機となる様々な偶然、例えばめぐみ・のぞみの別れと出会いも偶然だ。
幾つもの偶然の出会いと、そして幾種類ものその影響とが、一見、乱雑に並べられているが、
“生き方” という視点から見たとき、作者の意図が汲み取れて、整理されてくるのである。

人間の知恵や才覚が飢饉や病気等の不幸な偶然を減らすために、大きな成功をもたらしたか
にも見えるが、人間の愚かさ、不完全さには、変わりは無いようにも見える。
ならば、「成長」とは何なのか? 能力や知識の向上や、それを使った成果の多寡だけでもない。
成長とは、“生き方” の“質”なのだ。 「人生」をどれだけ重く受け止められるか?
自分だけでなく他の人や生物の「命」をどれだけかけがえの無いものと考えられるのか?
このドラマから私が感じ取った “生き方” とは、個人的な生き方のみでなく、集団としての
人間の“生き方”をも視野に入れ、その“質”とは何か? その“質”の向上とは何か? を
問いかけているように思えるのである。 如何なものか。

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縁(エニシ)の糸 [物語]

今日は暖かな日和。散歩で汗をかいた。 しかしまだ油断は出来ない。寒い日がやってくる。
仕事が途切れた合間を縫って、申告の準備をしていたが、今日、イオンの特設会場に行って
e-Taxを使って確定申告をしてきた。 パソコンまでたどり着くのに30分以上かかったが、
実際にやり出したら、サポートの方の適切な支援もあって、20分程度で済んだ。
行列に並んでいるときに、一緒に並んでいた人たちと手続きのことでいろいろ話が聞けた。
確定申告で一番厄介なのが医療控除らしい。 e-Taxを自宅でやれるようにする話もあったが
まだ早計だという感触を得た。 年に一度、こんな交流も出来てサポートも受けられて1 時間
程度の申告処理時間を効率化するメリットは、無限にゼロ、またはマイナスと評価した。
DSC08173若者.JPG
確定申告が済んで気分がスッキリしたので私の好きな書店に寄った。
私は “本との出合い” というのを大切にしたいと思っている。
NHK朝ドラ 「だんだん」 の主題歌の歌詞に “この世で出会う人とは
すべて 見えぬ糸でつながっている” というのがあるが、
“本” もまさに時空を超えた 人との出会いだと思っている。
購入した本は、香山リカ著「私は若者が嫌いだ!」(左の写真)
著者はテレビへも結構出ている。比較的まともな事を言っている
数少ない一人とは思っていたが、今まで著書を読んだことはない。

DSC090206信.jpgちょっと目を通してみてなかなか面白そうなので、図書館に寄り
彼女の著者名で検索したら、100数十件出てきた。
その内の三冊ばかりを借りたが、左の写真がその一冊である。
この本は、“だます・だまされる”と“ニセ科学”という両面から
精神科医と科学者が対談する形式でまとめられている。

“だまされる”ということで思い出すのは、山本七平著 「日本人の
人生観」で第二次大戦を経験した日本人の多くが戦後“だまされた”
と言うのが流行になったと書いている。 それに対してこの本では
“だまされない”ことがカッコ良いとして流行れば良いという。
お説、御もっともであるが、日本人に対してはないものねだりか? 如何なものか。

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時代と人間 [歴史]

DSC090205歴史ガイド.JPG「NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック 天地人」(左の写真)を
読みながら、天地人の時代と、ペリー来航辺りからの近代とを比較
したらどうかと思い立った。
1467 応仁の乱     1853 ペリー来航~1960 安保闘争
1586 秀吉太政大臣  1960 所得倍増計画 高度成長
1603 家康征夷大将軍 1973 第一次オイルショック
1633 鎖国令       2008 金融恐慌

二つの時代の人物比較を行うと面白いだろうと思う。
“あ○う”現総理は明るさにおいて秀吉と匹敵するか? 秀吉もろくに
字も読めなかったらしい。 日本の宰相には余り“学”はなくても勤まるのだろう。
但し秀吉は出世と共に勉強して立派になったという。 改めるに遅すぎるということはない。
“あ○う”総理と秀吉の最も大きな違いは、育ちの違い、若い頃の経験の違いだろう。
最近の総理はあまり苦労を知らないようで、池田隼人元総理にも大蔵大臣の頃に、「貧乏人は
麦を食え」という失言をしている。しかし岸政権の反省から、池田政権は「寛容と忍耐」を全面に
国民との対話を重視する低姿勢をとった。 池田隼人には名追悼演説が残っている。

1960年10月12日,三党党首立会演説会(於・日比谷公会堂)の壇上、暴漢によって刺殺された
日本社会党中央執行委員長・浅沼稲次郎を追悼する池田隼人の国会演説(同年同月18日)は
社会党議員が涙を拭う程に感動的なものだったという。 池田隼人追悼内容概略は以下。

「前略・・浅沼君は性明朗にして開放的であり、・・・ 君はまた大衆のために奉仕することをその
政治的信条としておられました。 文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆
に訴え続けられたのであります。・・・君は日ごろ清貧に甘んじ、三十年来東京下町に質素な生活
を続けられました。国民は・・・かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。
・・・ ここに、浅沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。」
浅沼委員長は 「義」 の人、直江兼続的? 惜しい人を亡くした。 
社民党をはじめとする野党諸君! 浅沼委員長に恥じない活動を! 如何なものか。

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モノと消費社会 [社会]

今日は立春である。冬至と春分の中間時点だから、日照時間もざっと1/4長くなった事になる。
夜明けが早くなり、日没が遅くなり、日照時間が長くなることが、何となくうれしくなる。
20090203節分mm.jpg昨日は節分だったが来客があったので我が家も夜は豆まきをした。
RyuとKotoの豆まきの写真も送ってきた。 (左の写真)
Kotoが作った鬼の面を得意げに被っている。
鬼の面が良く見えないのが残念だ。

今日の散歩中に、ひょんなことからレストランなどで提供される
濡れティッシュの便利さに話が及び、色々と考えさせられた。
濡れティッシュが、50年前、100年前、或いは江戸時代にあったら
どんな風に使われたろう。 どれだけ尊ばれただろう。
どんな値段がつくのだろう? などと色々と想像して見た。

そんな事を考えていると、商品とか流通とか消費とかいった言葉が、
昔と現在では、意味合いが、大きく異なるのではないかと気付いた。
マルクス(1818年~1883年)が、商品価値を「使用価値」と「交換価値」に分けて論じたが、
マルクスの生きた時代と現代は大きく変わってしまっているのである。
現代では、マルクスの時代には豊富にあったものが姿を消した。 その補充としてマルクスの
「使用価値」や「交換価値」を代替する「抽象的価値」(ブランド・幻想など)がある。

“濡れティッシュ”は、現代の「抽象的価値」・ある種の幻想、を体現しているように思う。
現代の濡れティッシュは安価な価格だから商品になった。 実質的な価値は小さい。
100円ショップの商品の使用価値は現代では、ほとんど認められていないということだ。

「抽象的価値」は、誰も良くわからないが、それを持たない人は、現代階層社会の上層部には
上れない、誰からも尊敬されない、と思う人々が、「抽象的価値」に群がるのだ。
「抽象的価値」崇拝家族からも疎外されてしまう。 だから金を稼ごうとするのである。
現代は、ものごとをリアルなレベルで実感できなくなってしまったのだ。 如何なものか。

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雨と散歩 [散歩]

今日は節分の日である。 私は、節分の由来など良く知らないで過ごしてきた。
戦争直後の都会の民主主義で育ったためか、伝統的な行事は古臭いだけでなく、
そういうものに拘っていると、新生日本のためによくないような気がしていた。
しかし今では、その頃の都会の教育は反動民主主義教育であったと思う。
日本を再生するには、反動ではなく、真の民主主義を目指さなければならないと思う。
伝統にも味わうべきことはある。 無関心は “愛” の反対語である。

戦後、60有余年、先日のNHKの日曜討論を少しだけ聞いたが、
社民党と国民新党が同じような主張をしていた。 
国民新党といえば、自民党の中でも超保守的というような人々だろう。 
その国民新党と発言内容で社民党は、違いを出すことができない。
いつまで経っても、反動民主主義で、勉強もしなければ、考えを深めることも出来ない。
日本の政治の問題は、野党の問題である。 人材が余りにもお粗末。
トップ人材だけでなく、野党党首の発言がいつまで経ってもあんなに薄っぺらな内容では、
組織として機能しているとは思われず、任せられるような状況とは考えられない。

DSC090203メバル.JPG今日は、雨の予報だったので早めの散歩に出かけたが、
やはり雨が降り出した。とはいっても、最初の30分間位は、
地面がぬれる程度で水溜りができるほどでもなく
傘に雨だれの音もなく、降っているのか止んでいるのか分らないほどだった。

しかし帰りには本格的な雨が降り出した。
途中で、例の駐車場の魚屋さんに寄ったら、また活きのいいメバルがあった。 黒と赤のあいのこか? さしずめ、メバルのオバマ三兄弟か。 
日本のオバマよ何処にいる? 早く出て来い! 日本のオバマ!

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散歩笑劇 [散歩]

0205d3「笑劇」.jpg「笑劇」は、“別大マラソン”観戦中、
トップを走っていた黄色のゼッケン・ムボテ選手が、
32km辺で急に姿を消した時点から始まっていた。 
「トップの選手がどうして消えたの?」と怪訝そうに妻が聞いてきた。 今日は落伍者が多いようだから勘違いしたのかと
「あれはペースメーカだよ」と説明した。
それでこの問題は解決したものと思っていたが、
何かブツブツ言っている。
私は観戦に集中していて、ペースメーカに関して補足説明をしたかどうかよく覚えていない。
気がつくと「なるほどそういうことか! わかった、わかった!」 と一人納得している。

今日から生活習慣病予防週間である。我が家は年中、予防週間?
最近の週間万歩集計によると週末は何かと忙しくてペースダウンする。
週前半に稼がなければならない。 今日は週間万歩集計初日だから“別大マラソン”観戦後
妻に「2万歩」宣言をして元気に出発した。

散歩途中で、また妻は 「なるほどそういうことか! うん、うん、そうか!」 
と一人 納得している。  聞くと「ペースメーカ」の一件である。
「君、笑いをとろうと思っているだろう。」 と言いながら、また笑えてくる。
「ペースメーカって、君はいったい何のことだと思っていたんだ?」
「私は、心臓のペースメーカのことかな? そのペースメーカが不調だから離脱したのか?
と思ったんよ」 「それともペースメーカという会社の社員かなって。」

まったく、笑えてしまう。 大真面目そうなのがおかしいのだ。
今日はブログを休むつもりだったのだが、 “別大マラソン” と関連しているので
この「笑劇」を書くなら今日しかないと思って筆をとった。
妻には、「心臓ペースメーカ」の非常に印象深い切なく懐かしい思い出がある。
その思い出が妻の判断を狂わせたのか? それにしても、それを笑いにつなげるのが良い。
根っから明るい性格に幸あれ! 如何なものか。 (今日は2万歩超え)

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