SSブログ

体験活用 [大家族]

今日も暖かで散歩には絶好の天気。仕事が途切れているので十分歩ける。
先週同様に、週初日だからと、2万歩を目標に出かけた。
ちなみに、先週は、初日、2万歩超が利いたのか、久しぶりに週間・10万歩超を達成した。
最初は快調だったのだが、昼食で食べ過ぎたせいか途中からおかしくなり、2万歩の目標には
何とかとどいたものの、何だか口も利けないほど疲れてしまった。

昔書いたメモ帳をパラパラとめくっていたら、丁度19年前に息子(当時17歳)と議論した後らしい
内容のメモを見出した。リアルな「直接体験」と間接的な「伝聞」との問題の様だった。
内容は、“百聞は一見にしかず”(百回の伝聞よりも一回の実体験の方が優れている)という
ことわざは真実である。しかしそれだけで十分か? 実体験をロジカルに受け止めるために
言語情報(書物など)による経験も必要だ。 といったものだった。

何かの話から、息子は私がやたら本を買って何の役にも立っていないのではないか?
という日頃の不満をぶつけたのだろう。思春期真っ只中、親に対する反発もあったろう。
それに対する私の苦しい応戦だったようである。 書物の力、先人の力を借りずに直接体験を
自力で論理化できる人には、書物は不要だろう。私には残念ながらそれだけの力は無い。

こんな昔話を取り上げた理由は、一昨日話題にした、香山リカ著「私は若者が嫌いだ!」を
読んで、気分が滅入っていたからである。この書物に登場する現代の“著者が嫌う若者像”が
私にはまったく理解できなかったからである。 話題に上った若者達の体験は、どんな体験を
積み重ねてそうなったのか? 想像できないのである。 出来るとすれば、彼らは夢遊病者の
ように人生を生きているとしか言いようが無い。 その傾向は、家庭事情で多少前後するが
高度成長期前後からはじまり、世の中の風潮として定着しだしたのが、1980年頃からではなかろうか? 正に香山リカ登場の時代からである。

自己の体験をリアルな体験として定着させるためには、「言語化」が不可欠なのだ。
体験の「言語化」とは、頭の中で弄ぶことではない。 直接体験を、生きることに役立つ体験
として活かすためには、体験の「言語化」の積み重ねが必要だ。少なくとも凡人には。
如何なものか。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。