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時代と人間 [歴史]

DSC090205歴史ガイド.JPG「NHK大河ドラマ 歴史ハンドブック 天地人」(左の写真)を
読みながら、天地人の時代と、ペリー来航辺りからの近代とを比較
したらどうかと思い立った。
1467 応仁の乱     1853 ペリー来航~1960 安保闘争
1586 秀吉太政大臣  1960 所得倍増計画 高度成長
1603 家康征夷大将軍 1973 第一次オイルショック
1633 鎖国令       2008 金融恐慌

二つの時代の人物比較を行うと面白いだろうと思う。
“あ○う”現総理は明るさにおいて秀吉と匹敵するか? 秀吉もろくに
字も読めなかったらしい。 日本の宰相には余り“学”はなくても勤まるのだろう。
但し秀吉は出世と共に勉強して立派になったという。 改めるに遅すぎるということはない。
“あ○う”総理と秀吉の最も大きな違いは、育ちの違い、若い頃の経験の違いだろう。
最近の総理はあまり苦労を知らないようで、池田隼人元総理にも大蔵大臣の頃に、「貧乏人は
麦を食え」という失言をしている。しかし岸政権の反省から、池田政権は「寛容と忍耐」を全面に
国民との対話を重視する低姿勢をとった。 池田隼人には名追悼演説が残っている。

1960年10月12日,三党党首立会演説会(於・日比谷公会堂)の壇上、暴漢によって刺殺された
日本社会党中央執行委員長・浅沼稲次郎を追悼する池田隼人の国会演説(同年同月18日)は
社会党議員が涙を拭う程に感動的なものだったという。 池田隼人追悼内容概略は以下。

「前略・・浅沼君は性明朗にして開放的であり、・・・ 君はまた大衆のために奉仕することをその
政治的信条としておられました。 文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆
に訴え続けられたのであります。・・・君は日ごろ清貧に甘んじ、三十年来東京下町に質素な生活
を続けられました。国民は・・・かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。
・・・ ここに、浅沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。」
浅沼委員長は 「義」 の人、直江兼続的? 惜しい人を亡くした。 
社民党をはじめとする野党諸君! 浅沼委員長に恥じない活動を! 如何なものか。

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