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モノと消費社会 [社会]

今日は立春である。冬至と春分の中間時点だから、日照時間もざっと1/4長くなった事になる。
夜明けが早くなり、日没が遅くなり、日照時間が長くなることが、何となくうれしくなる。
20090203節分mm.jpg昨日は節分だったが来客があったので我が家も夜は豆まきをした。
RyuとKotoの豆まきの写真も送ってきた。 (左の写真)
Kotoが作った鬼の面を得意げに被っている。
鬼の面が良く見えないのが残念だ。

今日の散歩中に、ひょんなことからレストランなどで提供される
濡れティッシュの便利さに話が及び、色々と考えさせられた。
濡れティッシュが、50年前、100年前、或いは江戸時代にあったら
どんな風に使われたろう。 どれだけ尊ばれただろう。
どんな値段がつくのだろう? などと色々と想像して見た。

そんな事を考えていると、商品とか流通とか消費とかいった言葉が、
昔と現在では、意味合いが、大きく異なるのではないかと気付いた。
マルクス(1818年~1883年)が、商品価値を「使用価値」と「交換価値」に分けて論じたが、
マルクスの生きた時代と現代は大きく変わってしまっているのである。
現代では、マルクスの時代には豊富にあったものが姿を消した。 その補充としてマルクスの
「使用価値」や「交換価値」を代替する「抽象的価値」(ブランド・幻想など)がある。

“濡れティッシュ”は、現代の「抽象的価値」・ある種の幻想、を体現しているように思う。
現代の濡れティッシュは安価な価格だから商品になった。 実質的な価値は小さい。
100円ショップの商品の使用価値は現代では、ほとんど認められていないということだ。

「抽象的価値」は、誰も良くわからないが、それを持たない人は、現代階層社会の上層部には
上れない、誰からも尊敬されない、と思う人々が、「抽象的価値」に群がるのだ。
「抽象的価値」崇拝家族からも疎外されてしまう。 だから金を稼ごうとするのである。
現代は、ものごとをリアルなレベルで実感できなくなってしまったのだ。 如何なものか。

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