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体験活用・2 [社会]

20090208鬼1.jpg2月4日のブログ・節分豆まきの写真で、鬼のお面が良く写っていなかったと書いたが、お面の写真を送ってくれた(左の写真)。写真で見る鬼は手も足もあってにこやかに踊っている様にみえる。最近は鬼に対しても優しい寛容の精神とは素晴らしい。お互い友好的で結構々々。 この写真はKotoが撮ったらしい。写真の才能があるように思う。将来は「写真家」?なんて親バカならぬ爺バカか?

さて体験活用であるが、その前に体験学習について触れたい。
最近、企業や学校で体験学習というのが広く行われているが、
注意すべき事は、先生や指導者が介在していることである。
先生などがいないと、学習者は勝手な解釈をしてしまうからだ。
例えば、体験学習よりももっと易しく思われる会話でさえ、相手の言う事を正しく理解するためには
相手の話す“言葉”だけでなく、言葉のつながりによって表現される“叙述内容”とその背景となる
“場面(コンテクスト)”を掌握しなければならない。

麻生総理の郵政民営化に関する発言と、その非難に対する応酬を例に引くまでも無い。
世の中の大部分の会話は、まともな理解の応酬ではなく、恣意的解釈の応酬である。
簡単に言ってしまえば、会話も体験も、いくらでも恣意的に解釈する事が可能である。
しかし、例えば安全のための体験学習で、体験を恣意的に解釈して正しい学習をしなければ、
いざという時に事故を防止できない。

現代の日本では、現職総理の公的発言さえ、“あーじゃ、こーじゃ”の恣意的言抜けが可能な
社会のようだから、現代の若者達が、日々の体験から、「まともなこと」を学びとろうとしなくなった
ということなのだろう。 要は、日々の体験から、「まともなこと」を学ぶための教師として、
誰を、何を信頼していいかわからず、日々流されているのだろう。
しかし、そのような若者を是認したのではどうにもならない。周りの人間全てが“あーじゃ、
こーじゃ”の人間になっても、“我一人正しき道を行く”というのが、本当の「自由」だ。
そのために、古今東西の万巻の書物がある。 如何なものか。

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