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「だんだん」と再帰性 [物語]

先週末02/07のブログでNHKテレビ小説「だんだん」を“生き方” という視点で整理した。
相変わらず、様々な事件が起こるが、この視点は、結構使えそうである。
めぐみのバイト先の福祉介護士・高林知美(辻沢響江)とヘルン先生(曾我廼家八十吉)の
関係も7歳の娘・節(西村利久)が素直に受け入れてくれて、一件落着の様子。
また、花鶴(京野ことみ)と男衆(茂山逸平)との関係も収束に向かう。 石橋(山口翔吾)
も、医者になる決意をして、自分のことは整理されてきたようだ。 
呉服問屋“一条”も、悪友・後藤(伊武雅刀)の悪ふざけから主人・隆康(夏八木勲)が思い
付いた和装コートの洋装化で光明が見えてきたようだ。 反物による洋装化というアイデアは
康太(久保山知洋)の献策でもあった。 先回りして言ってしまうと、のぞみ(佳奈)と康太
が結婚して“一条”を継ぐというような気もしてくる。

周りが段々と片付く中、のぞみは、強い絆で結ばれている人々から心配される。
石橋からは、「歌で生きていくならなぜ舞妓の衣装が着られなかったのか? 君の大切なもの
は祇園ではないか?」と、そしてめぐみ(茉奈)からは、「祇園を捨てたというけれど捨てて
いない。プロ意識も何もかも祇園で培ったものではないか。」と言われてしまう。

嘉子(鈴木砂羽)と忠(吉田栄作)は離婚の危機、真喜子(石田ひかり)も不安定な心理状態
で澤田(平岳大)との結婚を決意しそうだ。 嘉子も真喜子も、更年期には早そうに思うが、
子供たちが自立し始めて空疎な気分に陥るのもわかる気がする。 濃厚な人間関係であるが故
の行き違い、チョッとした偶然やキッカケから、大きな人生の転機が訪れる。

ソロスの「再帰性」の理論は、このドラマの脚本家・森脇京子の追及したいことと重なる部分
が多いと思う。「再帰性」では、“誤解” が歴史を動かすといい、その様な 「歴史」 の
展開の仕方を探求する手段として解明したのが、「再帰性」の理論だという。
このドラマも様々な事例を提示して、 “偶然”や“誤解” から派生する“過ち”や“悲劇”等
から、人生をよりよい方向に導く手法を見出すことを視聴者に委ねているのだろう。
ソロスの「再帰性」の理論は、実際の人生体験の中で、或いは様々な書物や物語体験から、
自ら紡ぎだすべきものである。 人からの借り物では何の役にも立たないだろう。“偶然”や
“誤解”に勝とうとするのではない。楽しむ余裕がベターな方向を見出す? 如何なものか。

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