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「てっぱん」20週・居場所 [物語]

今週のメイン・キャストは、田中荘の住人通称画家の笹井拓朗(神戸浩)だった。
初音(富司純子)が親戚の葬儀に金沢に行った留守に田中荘も空巣に入られて、笹井の大事な
ペンダントの絵が盗まれる。お父さんが息子・拓朗を描いた絵である。お父さんのことを良く
知らない笹井は、「どんなお父さんが描いてくれたのか?」と想像しながら、
「預けられた所で、ズッとズッと待っていました。」と語っていた。

落ち込む笹井拓朗に責任を感じ、泣いて謝るあかり(瀧本美織)に、笹井は悲しみをこらえて
「悪いのは泥棒です。」という。どんなに悲しく落ち込んだ時でも、思いやりに感謝する心を
忘れない笹井拓朗と心優しいあかり。なんという素晴らしい光景か!と陰ながら感動した。

空巣に入られた日は、不用心だからと、親友・篠宮加奈(朝倉あき)があかりの部屋に泊まり、
何故か、浜野一も笹井の部屋に泊まった。その時の一こまが印象に残っている。
それは加奈が下宿の廊下で滝沢に、「親からもらった大切なもんて何?」と質問したやりとりだ。
滝沢が「別に何もあらへんなぁ~」との返答に、「マラソンに挑戦できるような立派な身体を
もろたんと違うん?」という、鋭い突っ込みを入れたのだ。滝沢は、改めて洗面所の鏡に映る
自分を見つめて考える風だった。感謝の材料は、いくらでも転がっている?

空巣と間違えられた欽兄(遠藤要)は、母・真知子(安田成美)から言付かった「腹帯(別名:岩田
帯)」をのぞみ(京野ことみ)に持参した。会ったこともないのに!とのぞみは驚いていた。真知子
は、あかりの育ての親である。あかりがのぞみにどんな思いを抱いているか?よくわかっている
のだ。「腹帯(別名:岩田帯)」は、あかりつながりでの応援団のしるしなのである。
昔は、そうやって苦労を承知で人とのつながりをつくったのである。先日、「無縁社会」という番組
があったが、無縁になる一番の理由は、人間関係を鬱陶しいと思って嫌うところにある。鬱陶しい
人間関係を嫌って自分の居心地の良い場所(番組での若者はそれを「自分の居場所」という言葉
で飾っていた)を求めれば、結局、無縁社会の住人になるのである。無縁社会でなく、有縁社会で
自分の居場所を見つけたいのなら、力で勝ち取るか?真知子やあかりのように人を勇気付ける
「心優しい人」になるか?或いは、面倒な人間関係の「苦労を愉しむ」心構えが必要である。
人間関係に囚われない事を、「自由」と履違えているのではなかろうか?

笹井の父親の遺品を空巣に盗まれた話と腹帯以外に、「てっぱん」20週は、父親に関する別の
物語もあったのであるが、紙幅の都合からこれで筆をおく。機会があればまた別途書きたい。
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絶望を愉しむ [希望]

今日は、月刊誌「Will」3月号の西部邁の記事“「平成の開国」は日本民族の集団自殺だ!”の
読後感を書いておきたいと思う。2010-06-09のブログ「民主党は文明の敵?」でも西部邁の
記事を取上げた事があるが、今回の記事の方が格段に平易な文章で書かれている。参考迄に!
記事の最後、「絶望ほど面白いものはない。・・・中略・・・新年をはつらつと迎える事ができた。
民主党さん有難う。」と、締め括られていた。民主党政治も、高齢者の慰みモノに脱したか?

私が、この記事で同意見、違う意見、勉強になった点を、幾つか拾ってみた。
1.法人税減税でも、何の刺激にもならない。
 (2/8新党日本・田中康夫氏は、日本企業の70%以上が無税であることを確認していた。)
2.法人税減税は、外国企業誘致など雇用対策にもならない理由を明らかにしていた。
 この程度のことを、経済界すら理解していない。経団連が大騒ぎしてエコノミストも追従。
3.民主党は、毎日、右、左、右という場当たり的対応で、国民全体が脳震盪に見舞われている。
4.TPPについても、新自由主義と旧自由主義との区別が付いていない。
(記事では新、旧に区別して自由主義を説き、旧自由主義を、国家を中心とする家族、地域社会
 産業体制、政治構造に至る社会秩序の中で、最大の自由をめざすこと、としている。しかし
 私は西部氏の解釈は浅薄と思う。自由主義に新も旧もない。あるのは西部氏の言う旧自由主義
 のみ。他の自由主義はすべて物事を知らぬ人間が思いつく似非自由主義である。)
5.坂本龍馬が言ったという「日本を洗濯する」のセリフを福山雅治が毎週しゃべるのを、醜い脚本
 とケナしていた。日本人の歴史認識の問題を指摘しているのである。欧米の保守思想家は、
 革命とか、維新というような考え方を、150年間一貫して批判してきた。人間は不完全な動物
 であり、常に過ちを犯す可能性を持っているが故に、「理に適っている」と信じて、大規模かつ
 急速な変化をした場合、大間違いをして転倒する。だから経験に乗っ取り、大きな間違いをせぬ
 ようにしなければならないという。日本でも、生きる知恵として昔からよく知っていた事である。
 欧米の保守思想家に教わるまでもない。

科学万能の世の中になっても、人間の生き方を変えてはいけないのでは?何故って、科学は
「理」に過ぎないのである。それに反して、人間は、「理」だけで割り切れず、表現しきれない。
要は、人生、自分の歴史を振り返り、経験の中から社会秩序の真贋を見究め、着実に一歩一歩を
踏みしめて行きたいものである。そして秩序を忘れ、経験を蔑ろにし、気ままに生きる群集たち
による絶望的社会でも、その「絶望を愉しむ」心の余裕を持とうではないか?如何なものか。
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国会中継02.08と社説 [社会]

今日は仕事も半分、散歩も早めに切り上げて、昨日録画していた国会中継を見直した。
紙幅の関係で詳細に書けないのが残念だが、今国会・争点のマニフェストとその財源問題が、
更に具体化し、様々な問題が浮き彫りにされてきた。その一端を要領よくまとめておきたい。
1.民主党が政権交代の選挙で約束した、マニフェスト・財政・経済の施策と、実態の乖離。
 具体的には、民主党が選挙で公約し、国会の議論で明らかにした施策と、その実態は
2.マニフェスト主要8施策:4年間で16.8兆円。完全実施を表明。
  実態は、平成22年度=7.1兆円の内3.1兆円(44%)。平成23年度=12.6兆円の内3.6兆円
  二年間の実施率=34%(6.7兆円/19.7兆円)。後の二年は財源枯渇で出来ない?
3.マニフェストの財源はムダ削減、予算の組換えで捻出。4年間増税はしないと公言。
  実態は、2項の通りで、2年で財源枯渇。税と社会保障の一体改革を言い出した。
  23年度予算財源の捻出の手口からも明らかなように、増税でマニフェストを実行しようと
  しているのは明らかである。なぜなら自民党が、「税と社会保障の一体改革に野党も参加しろ
  というなら、マニフェストを撤回しろ!」と言っているのに撤回しないのが何よりの証拠?
4.家計への直接支援、過度な規制緩和の批判を強烈にアピールした。
  実態は、供給サイトに資金を注入する新成長戦略。そしてTPP参加検討など。

自民党など野党は、民主党が政権を盗った時の約束が守られず、180度方針転換したのだから
解散総選挙するのが筋だ!と主張している。私もそう思うのだが、朝日新聞の社説に凄い事が
書いてあった。驚くべき内容である。以下にポイントだけ示しておく。
「自民党の質問者は政権公約の破綻(はたん)を指摘し、衆院解散・総選挙に踏み切るよう
菅直人首相に迫った。・・・中略・・・その非は責められてしかるべきである。とはいえ、民主、
自民両党が掲げる政策そのものに、乗り越えられないほどの違いがあるだろうか。」
あきれてものも言えない。自民と民主の政策に違いがなくなったのは、政権を盗って迷走の挙句
先人の知恵を借りるしか能のない、脳足りん政権党だから、似てきているだけである。
財源もないのに有ると駄法螺を吹いてのバラマキ政策と、能力も無いのにあるように見せかけた
詐欺で政権を盗み、その上、自民政策の上前を撥ねようとする居直り強盗政権に、何故、自民が
擦り寄る必要があるのか? 本末転倒とはこの事である。
私は、民主党の言行不一致をこのままにして、増税論議に入るのは問題だと思う。
愛知県と市の首長選挙結果を見るとおり、自民、民主に次ぐ第三の道もほのかに見えてきた。
速やかに衆議院を解散して国民に信を問うべきである。如何なものか。
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相撲は国技か? [歴史]

今日のTBSテレビの「ひるおび」という番組で、「相撲の歴史」が取上げられていた。
これは面白いな!と思って、少し調べてみた。幾つか拾って、掻い摘んで、以下に記す。
1.明治時代になって、欧化思想の華やかな鹿鳴館時代には、「相撲は、裸踊りの野蛮なもの。
  廃止すべし!」という若手官僚に排撃されたという。
  (現代の教師による「国歌・国旗」反対と似通ったところがある?
   ただ、相撲を国技として、思想的に排撃しようとしたものではないのではなかろうか?
   それとも、西洋かぶれで(西洋思想に洗脳されて)、保守思想を排撃したのだろうか?
   今となっては不透明だが、現代の「八百長騒動」を読み解く鍵にはなるのでは?)
2.板垣退助が、外国の賓客に相撲を観覧してもらうために相撲興行の常設館を提案した。
  (何せ当時は小屋がけ興行で、晴天でないとできないので、10日の場所が1ヶ月になると
   いうことも、珍しくはなかったらしい。)
3.常設館を「国技館」と命名した経緯については、ネット上でもいろいろと書かれている。
  はっきり言える事は、責任者・板垣退助ではなく、相撲協会の役員だったということ。
  (前2項にも書いた通り、当時の民衆を始め知識人でも相撲=国技という認識は薄い?
   国技館開館の時期は、日露戦争終了直後の明治42年(1909)。欧化主義に反動的になり
   国粋主義が台頭する時期と一致した事が、「国技館」命名によって、相撲=国技という
   認識に、一挙に火をつけた、といえるのではないか?)

今回のマスコミによる相撲の「八百長事件」の過熱は、相撲=国技という認識を強化する方向?
これは、日露戦争後の、夏目漱石の警告を無視して、国粋主義・軍国主義に走った過ちをまたも
繰返す愚を冒しているのではなかろうか? TBSテレビ 「ひるおび」の一部を見習えば?

私は、2011-02-04の「八百長相撲」という私のブログのコメントに対する書き込みで
“大相撲の事件へのマスコミの反応には、伝統擁護と、伝統廃絶(例えば国旗・国歌訴訟等)との
 奇妙な共鳴現象がその背景にあると思います。そういうことが、ことの真相を不透明にし
 民衆を不安に落しいれ、過激な扇動(者)に乗じる隙を与える事になると思います。”
と書いた。

相撲=国技という思い込みを持っている人々は、明らかに、虚像に洗脳されている訳である。
「国歌・国旗」=国家権力という思い込みに洗脳されているのと同じである。相撲=国技?否?の議論
は必要ない。「国」が頭に付く言葉に踊らされない事が、平和な日本に必要不可欠である。
金ばかり欲しがる「守銭奴道」ではなく、事の真贋を極める「道」こそ大切??如何なものか。

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warp散歩の1日・② [散歩]

昨日のブログは「真備町ふるさと歴史館」の北側にある岡田大池に浮かんでいたキンクロハジロの事まで
話した。この鳥の観察がてら、池の周りをぶらぶら散歩した。歴史館や大池の東隣にある岡田小学校は
岡田藩・伊東家の陣屋跡らしい。歴史館から池の東を北に進むと、途中で出島に降りる処がある。弁天島?
その下り口に近辺に関する観光案内板がある。その辺りは横溝正史が特にお気に入りの散歩コースだった
らしい。案内板から正史の疎開先の住宅が近くにあることがわかった。時刻は既に9時半頃。
以前、車で訪ねた時は休みだった正史の疎開先を訪ねて引き返せば、歴史館の開館時刻を過ぎると考え
エイ!ままよ!と再びwarp。

(写真は、疎開先の手前にある「濃茶のほこら」、疎開先外観、疎開先屋内)
201102060957濃茶.jpg201102060959疎開宅.jpg201102061011宅内.jpg




疎開宅で親切な係りのおばさんにお茶をよばれ、ぶらぶら「真備町ふるさと歴史館」に引き返す。
歴史館では係りの方(80歳?)からいろいろご親切にしていただいたが、小原七郎左衛門の詳しい経緯は
分らなかった。また改めて調査したい。
今回、疎開宅や歴史館を訪問して気づいた事がたくさんあった。父は彼の4歳年少だが、同じ世代?
亡くなったのは父が半年早かった。横溝正史(明治35年<1902> -昭和56年<1981>)を、
実は私はほとんど何も知らなかったのだ。

今回のwarp散歩で、横溝作品のテレビドラマの時代感覚が、現代を軸にすると可笑しい原因が分った。
小説とドラマの制作年代が約30年前後ずれていた。昭和39年生まれの作家・岩井志摩子が、「横溝正史に
捧げる新世紀からの手紙」に、岡山生れの同年代人は横溝正史と角川書店は「ぼっけえカッコイイもん」と
刷り込まれたと書いている。私の長女は昭和43年生まれで、岩井志摩子の4歳年下だが、同世代である。
この奇妙な一致。親父の時代と子どもの時代とが同期していて、丁度ハザマの私の時代には横溝正史の
姿は薄かった。何処かにwarpしていたということなのか?

現代は親子の断絶と言うが、親子は元々、構造的に互いに別世界にwarpして生きているのではないか?
三世代による相互刺激は、各世代が、別次元に生きている事に気付き、相互に別次元に興味を感じられる
warpを促す重要な役割を担っているのではなかろうか?如何なものか。
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warp散歩の1日 [散歩]

今日は、時空を縦横に旅する超光速航法(ワープ航法)で楽しんだ一日だった。
今朝は、妻が、真備町での市の催物の手伝いに朝早くから行くというので送って行った。
当初は、帰路も車で帰るつもりだったが、その場になって急に散歩しながらの帰宅に変更。
井原鉄道の吉備真備駅の近くであることを頭に入れて、地図も持たずに歩き出した。

最初は、単に井原電鉄に沿って歩き、川辺宿まで行き、自転車と人専用の川辺橋で高梁川を
渡って清音駅まで歩き、倉敷までJRで、また歩いて帰宅する予定だった。約3-4時間、8時30分
から歩き出したから午後2時頃までには帰宅できるだろうと考えていた。しかし急に趣のある道
を選んで北東に進んだ。まさにwarpした。ワープ(warp)とは、本来は、それる、ひがむ等という
意味である。ひがんでそれた訳ではない。多少時間はかかっても、珍しい所を歩くのだから
日常的な仕事の事は忘れて、散歩を楽しもうと考えた。

散歩途中、とある公園(子ども公園、岡田郡会所跡)で上原井領(かんばらいりょう)用水に関する
説明板を発見。富原の庄屋小原七郎左衛門が、死を賭して他領の農民のために用水路を開き
そのために自領の殿さんから斬殺の刑に処せられたと書かれていた。自領の農民のために、
殿さんに直訴して死罪を被った人は多いが、他領の農民のために、命を賭けた話を私は、
寡聞にして知らなかった。800px-Aythya-fuligula_Tufted-Duck.jpg

この事件をもっと詳しく知りたいと思った。それでフト途中で「真備町
ふるさと歴史館」の道標を見たことを思い出し、訪ねた。残念ながら
開館は10時から。まだ一時間近くある。なかなか趣のある場所で、
大きな池(岡田池)もあった。かもなど、冬の渡り鳥が羽を休めて
いた。よく見ると別の一群が居た。私はわからなかったので散歩途中の土地の人に尋ねたが
分らず、後で市立自然史博物館に寄って調べた。「倉敷の野鳥」という小冊子でわかった。
キンクロハジロ(金黒羽白)と呼ぶらしいが、詳しい事は分からない。朝日に映えて白と黒の
コントラストが強烈な印象を与えた。あまり知られていないのは、当地は中継地に過ぎない
からではないか?(写真参照・出展:キンクロハジロのウィキペディア)

さて、この後、いよいよ、時空を縦横に行き交うwarp散歩へといざなわれる。
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首相訪米日程 [閑話]

日本政府関係者は、米側に「6月下旬に日米首脳会談。5月連休中に外務・防衛閣僚会合
(2+2)を開催する」と、訪米延期を通知したと言う。恐らく、米側は、菅内閣が、この春を
乗り切れるかどうか?不安に思って日本政府に具体的な訪米予定を問い合わせてきたのだろう。
予定の先送り理由は、「事務的な準備」?
すでに米国の軍事的優位性は相対的に低下しており、さらに米国内の財政赤字問題など、国力
も減退している。それに対して、アラブ諸国の問題、北朝鮮の核問題、インドや中国の軍事的
台頭、南シナ海への中国の進出など、世界の情勢は予断を許さない緊迫さを増してきている。
日本も巨額の赤字国債を抱えて、米国から防衛強化の負担をこれ以上負わされるのは大変?

2011.01.26~30まで開かれたダボス会議では、菅首相の演説が、日本の思想・理念を訴えた
立派な演説だったという評価の半面、抽象論に終始した上滑りなものだったという評価もある。
問題は演説の良し悪しではなく、菅首相の思想・理念が、国政において具体的な政治の方向性
や、外交・防衛などの懸案事項を含む諸政策に、どのように活かされるか?である。
菅首相の思想・理念が、多くの政治家や官僚、評論家の合作であろうと、個人的な独創的産物
だろうと問題ではない。菅首相の考え方がチームワークを円滑にし、様々な政治的懸案事項の
処理を、効率的・効果的に進める事ができるかが問題なのである。

私が、菅首相の思想・理念に不信感を持つのは、彼の発言が、従来の党や内閣の方針、或いは
自身の以前の発言とは異なる思いつき発言と考えざるを得ないからである。勿論、ご本人は、
昔から考えを暖めていて思いつきでは無いと仰るだろう。しかし仕事はグループで、チームで
やっているのだから、従来のグループとしての共通認識と異なる話を出されると、それをどう
解釈すべきか、それぞれの人々に考える時間が必要になる。そして、その思い付き的発言が、
度重なると、その考える時間が、相加的ではなく、相乗的に増加する事になる。

「事務的な準備」の問題による予定の先送りというのは、菅首相の思想・理念、言い換えれば、
方針が、適切ではなく、事務方が、どう進めていいのかわからないためだと思う。そこには、
政治主導を声高に言う民主党政治家が、実務的に無能であるということも含まれるだろう。
焦眉の急を告げる外務・防衛問題一つさえ前に進められず、事務的に渋滞してしまっている事
が、菅首相の方針のダメさ、民主党政治のダメさを、如実に物語っているのではなかろうか?
如何なものか
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八百長相撲 [閑話]

いつもの事ながら、大相撲が八百長で、マスコミは大騒ぎになっている。
新しい四季の始まりの日である「立春」に、八百長相撲の話題は相応しくない?しかし、
ドラマ「フェイク」の視点から考えたら、何か変わった見方が出来るか?と敢えて取上げた。
スポーツの観戦は、競技者が力量を競う中で、咄嗟の判断、瞬間的な動きの美しさなどを楽しむ
ものではないか?それは丁度、骨董品の鑑賞において、造形の秘技を愛でるのに似ている。

大相撲には、「八百長」は決してあってはならない!と、決め付けているようだ。
それはあたかも、「世の中に骨董品の贋作はあってはならない」という言葉と等価に聞こえる?
それとも、大相撲の八百長と、骨董品の贋作とは、同列には論じられないというのか?
何はともあれ、マスコミの取扱いは、大相撲を特殊扱いしているように見える。
思い出すのはプロレスリングである。プロレスは八百長ではなく、「シナリオ」だそうだ。
骨董品の贋作は、芸術を解さずステータスシンボルとして欲しがる無教養な人間が騙されても
本人が満足していれば、真贋は明らかにならず、さらに商売は繁盛するだろう。

野球やサッカー等のプロスポーツ、演奏・演劇やサーカスでも、所詮、見世物は観客が満足して
何ぼのものである。観客が、スポーツや芸術の鑑賞よりもステータス的見栄で競技場や舞台に
足を運んでいるなら、スポーツや芸術の真価に関係なく満足するだろう。そして観客に正しく
鑑賞できる知識・教養がなければ八百長や偽物に簡単に騙され、問題は顕在化しないだろう。

判断力が弱い子ども等を騙すのは明らかに悪いが、そういう人たちにも、宣伝で、無理矢理、
購買意欲、消費行動を煽っている今の世の中、騙し同様といっても過言ではなかろう。
そんな世の中で、大相撲だけは、別次元の神聖なものでなければならないというのか?
今の大相撲ファンというのは、大相撲の八百長を見抜く力量のない人がほとんどなのか?
相撲協会のお歴々は、八百長を見抜く力量がないのか?あるいは、相撲の真贋は難しい?
専門家も分らない真贋なら、見物の甲斐ありと言うべきではなかろうか?

大相撲の土俵は狭く、怪我の可能性もある危険な場所である。力士も人の子である。
現在は、年間、6場所、一場所、15日制であるが、昔は、2場所で、11日制もあった。
戦後は、昭和27年までは、3場所、15日制。昭和31年までは4場所、15日制。
高度成長と共に、6場所、15日制で巡業もある。猛烈社員も流行らなくなった現代、
大相撲の制度疲労も限界に来ているのだろうか? いずれにしても、偽物があるから
本物の値打ちが益々高くなる。真贋を楽しむのが、人生のポイント? 如何なものか。
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民主党包囲網 [社会]

今日は“節分”。本来の意味は季節を分ける日ということで、立春、立夏、立秋、立冬の前日を
指す言葉だった。今日は冬から春への変わり目、一年のケジメの日(大晦日)という位置づけで
豆まきなど御祓いをする風習があるのだと思う。今年の節分は、旧暦で元旦に当たる。

菅内閣は、新年度予算と関連法案成立に向けて、ねじれ国会を打開するために参院で公明党の
協力を得て過半数の賛成にこぎつけるか?参院で否決されても、社民党の協力によって衆院で
再可決できる「三分の二」を使って押し通すか?を模索している。しかし2011-02-01のブログ
「2011.2月国会・争点明確」でも述べたが、先日の国会中継における石原伸晃(自民)議員の
「子ども手当の撤回要求」の様子から、民主党・菅内閣の包囲網は、ほぼ成ったと直感した。
その後の国会中継でも、包囲網は着々と進んでいるような気がする。

まず、昨年の通常国会で子ども手当法案に賛成した公明党であるが、「民主党のマニフェストは
腐っている。腐った幹から出た政策に賛成するわけにはいかない」という強硬な意見が党幹部
からでており、反対の方向で調整が進められているという。
一方、社民党は、連立復帰論も根強いが、沖縄選出の照屋寛徳国対委員長は、普天間の県内
移設関連予算が撤回されない限り反対すると明言。党が割れかねない状況で、態度保留?
また小沢氏の処分問題も、「三分の二」と絡んでいる。処分を急ぐと小沢氏に近い衆議院議員が
離反することが予想されるからだ。国民新党の下地幹郎幹事長から処分の時期を3月末以降に
する様に釘を刺されているという。民主党・菅政権は、大きなものだけでもマニフェスト、
普天間問題、小沢処分問題など、三重苦に苛まれている。「社会保障と税制の一体改革」や
「平成の開国」が、如何に絵空事のたわ言であるかがわかる。

菅首相は今日午前の衆院予算委員会答弁で、社会保障と税の一体改革に関連し、子ども手当の
見直しについても、一体改革を議論する「集中検討会議」の議題の一つとする考えを示したと
いう。野党の追及に次々と妥協する姿は、醜さを通り越して、野垂れ死にの憐れさを誘う。
私は、改めて「子ども手当」法案の目的・背景を調べた。そこに書いてあるのは、相対貧困率、
子育て予算率といった統計値の国際比較羅列に過ぎず誠に安直なものだった。相対貧困率とは
全国民の所得の中央値等で決まるものであり、その国際比較にどのような意味があるのかを
充分論議していない。現場を知らない頭でっかちな人間の思いつきそうな政策である。
こんな政策で国民を騙して政権を盗り、居直るような政府に任せたら日本は本当に滅びる。
兎も角、思いつきで政治をする頭でっかちな“鬼”たちを退治せねば!如何なものか。
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NHKドラマ10「フェイク」・⑤ [物語]

今回の物語は、簡単に言ってしまえば痴情のもつれによる殺人事件である。
今回も骨董品(今回は江戸時代から伝わる「深井」と呼ぶ能面)の真贋、舞台で演じた時の面と、
江戸時代から伝わる面が、同一か否かが事件解決の決定的手掛かりであった。しかしそれだけ
だと浦野右(財前直見)の眼力で即座に解決され複雑な面白さに欠ける。今回の面白さは、
浦野右が、偽殺人犯と加害者・被害者と密接な関係者のソックリさんという二つの「フェイク」を
演じた処にあった。捜査主体である浦野右(財前直見)と犯罪者側との識別を曖昧にし、彼女の
発言の信憑性を失わせるという複雑な手法、即ち、パラドックスの手法を用いたのである。

被害者・岩瀬流の能楽師・岩瀬健吾(宮川一朗太)は、名うてのプレイボーイ。右(ゆう)は取調べ
で、岩瀬健吾が自分に「一目ぼれした」と証言した。白石亜子(南野陽子)は「右(ゆう)が一目
ぼれされるはずがない。だからひょっとしたら真犯人かも知れない。」と一瞬疑ったというのだ。
右(ゆう)は、痴情のもつれから殺人に至ったと思われた?この岩瀬健吾が「一目ぼれした」
という原因は、愛人・千香(財前二役)とソックリだったからで、本心からの言葉だった?

今回の物語は、謡曲「隅田川」を少し、わかっていないと面白くない。
私には観能の習慣は無いので、実際に舞台を見た事はないし、謡曲も知らない。
ただ、たまたま、昔、隅田川近辺を散歩した時に、木母寺に参詣し、梅若塚の由来を知った。
“梅若塚とは、数奇な運命によって春も弥生の中日(15日)木母寺の地で身まかった梅若丸
 いう少年貴族の塚。そして翌年の同月同日、里人集まって念仏し弔っている時に、梅若丸の
 母親が訪ねてきたという。愛児の末路を知り悲嘆の涙にくれる。
 その夜、里人と共に、念仏していたときに塚の中より吾が子の姿、幻の如く見え、
 言葉を交わすかとみれば、春の夜の明けやすく、浅茅の原の露と共に消えうせぬ。”
という説話が残っている。それが、謡曲をはじめ、浄瑠璃、歌舞伎、清元などの「隅田川」として
受継がれてきたようである。

ドラマでは能楽師・岩瀬健吾が、愛人・千香の一周忌(年明け)に、流産した自分の愛児を梅若丸
に見立て、梅若童子の戒名を能面の裏に刻んで舞う。「隅田川」は説話にある春の出来事だから
春の演目らしい。岩瀬健吾の振舞いに対して、千香を愛していた夫・水島隆之(高橋和也)の怒り
が殺人に駆り立てた。舞台で演じた時の能面が伝来品と異なることから、岩瀬健吾が舞台で踊る
前に殺されたと分る。能楽「隅田川」の小道具・笹(犯人の指紋が付いている?)が残って
いるという情報の罠にはまり、盗みに入った水島は、其処で御用となった。如何なものか。
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