SSブログ

「子ども手当」の大義名分 [閑話]

「子ども手当」が、経済格差や知識格差の是正にならない事は、昨日のブログで明らかにした。
それで「子ども手当」の大義は、“少子化対策”一本に絞られてきた。
そこで「子ども手当」が“少子化対策”になりうるのか? 最初に、明らかにしておきたいが
欧米の少子化状況と対策の結果からはっきり言えるのは、「子ども手当」は有効ではなかった
ということである。米国では職業選択、転職の自由度が、欧州や日本に比べて出生率が高い事に
貢献している。また、欧州では、多様な家族のあり方に対して社会が寛容である事、父母双方が
育児をしやすい労働体系の再構築や景気回復による個人所得の増加、等が有効な対策だった。

しかし、日本では、米国はおろか、欧州の対策すらなかなか有効に働かない。そのために、
再度、日本の少子化の原因を明らかにして、少子化の何が問題かを調べたい。

まず、少子化の原因を「少子化 - Wikipedia」でザッとおサライしよう。そこでは、
少子化の原因は、晩婚化で、その背景には、1)結婚・育児の人生における優先順位の低下、
2)結婚や育児・教育環境に高い条件を求める傾向、が挙げられている、という。
特に、女性は職業婦人として生きる道も開けてきて、スマートな生き方も可能になってきた。
この少子化の原因・背景をもう少し掘り下げて考えると、日本では、二重の問題があると思う。

1つは、職業生活に関する誤解である。職業生活は、一見、合理的に見える。しかし、それは
あくまでも最初だけであって、段々と責任が重くなるに連れ、非合理的なものが含まれてくる。
その壁は、男女共にあるが、従来の終身雇用制度ではオブラートに包まれていたのである。
もう1つは、家族(家庭)生活に関する誤解である。家族生活は、本質的に非合理的であるが
現代では、合理的にスマートに、家族的人間関係を操作できると考えているのではないか?

要は、日本の少子化の原因が、晩婚化であるとして、その背景にある職業や家族についての
認識に問題があるために、有効な少子化対策を立案するのに障害があると思われる。
日本は明治以降、不平等条約を解消するために鹿鳴館などを作って欧化政策を進めたが失敗。
戦後も、アメリカナイズされたかに見えたが、どっこい、それも中途半端。結局、日本文化は
相当しぶとい本質を持っているのだと思う。しかし文化的に孤立しては問題である。問題は、
非合理的なものを、本音で分かち合うだけでなく、理性で分かち合うプロトコルを構築する事だ
と思う。嫁姑問題、親子関係、夫婦関係は、操作しようとすると壊れる。本音でぶつかり理性で
分かち合うプロトコルは、西欧諸国とイスラム圏の関係でも必要である。如何なものか
nice!(4)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。