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「てっぱん」20週・余話 [物語]

先週の「てっぱん」で真知子(安田成美)が、「女は生もうと決めたら子どもの事しかみえとらん
のよ。・・以下略」と、かつての真知子崇拝者(男性)の前で一場の演説をした場面。古臭いセリフ
といえば言えるのに、なぜか印象的だった。それは自信に満ちた真知子の姿勢である。
「てっぱん」の土性骨を支えるセリフの様に思えた。その意味を何度も思い出して考えてみた。

「てっぱん」はあかり(瀧本美織)の成長物語とも少し違う。民主党の「子どもは社会で育てる」と
いうキャンペーン物語かと勘ぐった時もあるが大外れ!そういう民主党の考え方を暗に批判した
物語であると私は考える。現代の子どもの問題は物質ではなく心の問題である。物質も必要だと
物質政策を優先するから、物質の注入が何の効果も得られない結果に帰結するのである。
心を優先しない物質優先支援を上から目線の‘施(ほどこ)し’という。昔はその種の‘施し’は人間の
尊厳を傷つけるから心ある人は慎んだものである。人の心を尊重し、尊厳を大切にした。
現代は物質優先で、今や民主党は党利党略・私利私欲の為に、恥も外聞も無く、上から目線の
施しを大手を振ってバラまき、恥じ入る気配すらない。そういう世相に嫌気が差した女性たちが
子どもを産まなくなっている事に、政治家は気付いていないのか?あきれ果てる。

「てっぱん」は、そういうバカな政治家達に愛想を尽かし、新しい形の母系制社会を視野に
入れているのだと思う。母親や、母親になる現代女性を、カネではなく心で応援することが
「てっぱん」のテーマでは?あかりは、やたら応援したがるが、それを初音(富司純子)が
注意するのも、相手の心を尊重する気配りからで、親切の押売に気をつけているのある。

日本では戦後、「靴下と女性は強くなった。」といわれてきた。その強さをいう場合には、
社会的活動と、人間的活動の両面に分けて考察する必要がある。現代は、社会的活動の面で
女性の地位が向上した分、人間的活動という面で女性の支援(子育てなど)を必要としている。
しかしそれは、札束でほっぺたを叩くような「子ども手当」ではない。女性の社会化に対して
社会の全員が心から向き合う事である。その為には、女性の社会進出にも耐えられる精神的に
強く優しい男性を育成しなければならない。「公助」を頼りにする人々ばかり増え続けたら、
いくら税率を上げても借金は減らないに決まっている。「自助」、「共助」で助け合う社会に
なるための政策を実施しない限り、税金を上げても問題を先送りするだけではないか?

「てっぱん」は、現代日本の柔弱で自分勝手な男性社会原理を頼りにせず、逆境にもめげず
逞しく生きる女性に対して、新しい「共助」のあり方を提案している?
「てっぱん」は、互いの心を大切に思いやる女性への「応援歌」だと思う。如何なものか。
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