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warp散歩の1日・② [散歩]

昨日のブログは「真備町ふるさと歴史館」の北側にある岡田大池に浮かんでいたキンクロハジロの事まで
話した。この鳥の観察がてら、池の周りをぶらぶら散歩した。歴史館や大池の東隣にある岡田小学校は
岡田藩・伊東家の陣屋跡らしい。歴史館から池の東を北に進むと、途中で出島に降りる処がある。弁天島?
その下り口に近辺に関する観光案内板がある。その辺りは横溝正史が特にお気に入りの散歩コースだった
らしい。案内板から正史の疎開先の住宅が近くにあることがわかった。時刻は既に9時半頃。
以前、車で訪ねた時は休みだった正史の疎開先を訪ねて引き返せば、歴史館の開館時刻を過ぎると考え
エイ!ままよ!と再びwarp。

(写真は、疎開先の手前にある「濃茶のほこら」、疎開先外観、疎開先屋内)
201102060957濃茶.jpg201102060959疎開宅.jpg201102061011宅内.jpg




疎開宅で親切な係りのおばさんにお茶をよばれ、ぶらぶら「真備町ふるさと歴史館」に引き返す。
歴史館では係りの方(80歳?)からいろいろご親切にしていただいたが、小原七郎左衛門の詳しい経緯は
分らなかった。また改めて調査したい。
今回、疎開宅や歴史館を訪問して気づいた事がたくさんあった。父は彼の4歳年少だが、同じ世代?
亡くなったのは父が半年早かった。横溝正史(明治35年<1902> -昭和56年<1981>)を、
実は私はほとんど何も知らなかったのだ。

今回のwarp散歩で、横溝作品のテレビドラマの時代感覚が、現代を軸にすると可笑しい原因が分った。
小説とドラマの制作年代が約30年前後ずれていた。昭和39年生まれの作家・岩井志摩子が、「横溝正史に
捧げる新世紀からの手紙」に、岡山生れの同年代人は横溝正史と角川書店は「ぼっけえカッコイイもん」と
刷り込まれたと書いている。私の長女は昭和43年生まれで、岩井志摩子の4歳年下だが、同世代である。
この奇妙な一致。親父の時代と子どもの時代とが同期していて、丁度ハザマの私の時代には横溝正史の
姿は薄かった。何処かにwarpしていたということなのか?

現代は親子の断絶と言うが、親子は元々、構造的に互いに別世界にwarpして生きているのではないか?
三世代による相互刺激は、各世代が、別次元に生きている事に気付き、相互に別次元に興味を感じられる
warpを促す重要な役割を担っているのではなかろうか?如何なものか。
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