SSブログ

八百長相撲 [閑話]

いつもの事ながら、大相撲が八百長で、マスコミは大騒ぎになっている。
新しい四季の始まりの日である「立春」に、八百長相撲の話題は相応しくない?しかし、
ドラマ「フェイク」の視点から考えたら、何か変わった見方が出来るか?と敢えて取上げた。
スポーツの観戦は、競技者が力量を競う中で、咄嗟の判断、瞬間的な動きの美しさなどを楽しむ
ものではないか?それは丁度、骨董品の鑑賞において、造形の秘技を愛でるのに似ている。

大相撲には、「八百長」は決してあってはならない!と、決め付けているようだ。
それはあたかも、「世の中に骨董品の贋作はあってはならない」という言葉と等価に聞こえる?
それとも、大相撲の八百長と、骨董品の贋作とは、同列には論じられないというのか?
何はともあれ、マスコミの取扱いは、大相撲を特殊扱いしているように見える。
思い出すのはプロレスリングである。プロレスは八百長ではなく、「シナリオ」だそうだ。
骨董品の贋作は、芸術を解さずステータスシンボルとして欲しがる無教養な人間が騙されても
本人が満足していれば、真贋は明らかにならず、さらに商売は繁盛するだろう。

野球やサッカー等のプロスポーツ、演奏・演劇やサーカスでも、所詮、見世物は観客が満足して
何ぼのものである。観客が、スポーツや芸術の鑑賞よりもステータス的見栄で競技場や舞台に
足を運んでいるなら、スポーツや芸術の真価に関係なく満足するだろう。そして観客に正しく
鑑賞できる知識・教養がなければ八百長や偽物に簡単に騙され、問題は顕在化しないだろう。

判断力が弱い子ども等を騙すのは明らかに悪いが、そういう人たちにも、宣伝で、無理矢理、
購買意欲、消費行動を煽っている今の世の中、騙し同様といっても過言ではなかろう。
そんな世の中で、大相撲だけは、別次元の神聖なものでなければならないというのか?
今の大相撲ファンというのは、大相撲の八百長を見抜く力量のない人がほとんどなのか?
相撲協会のお歴々は、八百長を見抜く力量がないのか?あるいは、相撲の真贋は難しい?
専門家も分らない真贋なら、見物の甲斐ありと言うべきではなかろうか?

大相撲の土俵は狭く、怪我の可能性もある危険な場所である。力士も人の子である。
現在は、年間、6場所、一場所、15日制であるが、昔は、2場所で、11日制もあった。
戦後は、昭和27年までは、3場所、15日制。昭和31年までは4場所、15日制。
高度成長と共に、6場所、15日制で巡業もある。猛烈社員も流行らなくなった現代、
大相撲の制度疲労も限界に来ているのだろうか? いずれにしても、偽物があるから
本物の値打ちが益々高くなる。真贋を楽しむのが、人生のポイント? 如何なものか。
nice!(3)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 3

コメント 2

スイミングママ

こんにちは。
いつも、見るだけですみません。
マスコミのあおり方は、ひどいですね。
日本の伝統を守ることは大切ですが、どこかに偏りがあるような気がします。
私は、朝青竜が好きでした。
相撲道からは、外れるでしょうが、好きな力士でした。
motoさんが、そのようなお考えを持っていらっしゃるのは、驚きでした。
これからも、いろいろ、教えてくださいね。
ありがとうございます。
by スイミングママ (2011-02-05 09:20) 

moto

スイミングママさん
私のブログの貴重なコメンテータとしていつも有難うございます。
大相撲の事件に対するマスコミの反応には、伝統擁護と、伝統廃絶(例えば国旗・国歌訴訟など)との奇妙な共鳴現象がその背景にあると思います。
そういうことが、ことの真相を不透明にし、民衆を不安に落しいれ、過激な扇動に乗じる隙を与える事になると思います。

人生は、事の真贋を極める「道」だという表現もあり?
そういう観点からすれば骨董趣味にもそれなりに意味があるでしょうね。
朝青龍については、幾つかのブログでそれなりに詳しく書いているので、
重複は避けます。悪しからず!
by moto (2011-02-05 12:41) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

民主党包囲網首相訪米日程 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。