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「子ども手当」の大義名分 [閑話]

「子ども手当」が、経済格差や知識格差の是正にならない事は、昨日のブログで明らかにした。
それで「子ども手当」の大義は、“少子化対策”一本に絞られてきた。
そこで「子ども手当」が“少子化対策”になりうるのか? 最初に、明らかにしておきたいが
欧米の少子化状況と対策の結果からはっきり言えるのは、「子ども手当」は有効ではなかった
ということである。米国では職業選択、転職の自由度が、欧州や日本に比べて出生率が高い事に
貢献している。また、欧州では、多様な家族のあり方に対して社会が寛容である事、父母双方が
育児をしやすい労働体系の再構築や景気回復による個人所得の増加、等が有効な対策だった。

しかし、日本では、米国はおろか、欧州の対策すらなかなか有効に働かない。そのために、
再度、日本の少子化の原因を明らかにして、少子化の何が問題かを調べたい。

まず、少子化の原因を「少子化 - Wikipedia」でザッとおサライしよう。そこでは、
少子化の原因は、晩婚化で、その背景には、1)結婚・育児の人生における優先順位の低下、
2)結婚や育児・教育環境に高い条件を求める傾向、が挙げられている、という。
特に、女性は職業婦人として生きる道も開けてきて、スマートな生き方も可能になってきた。
この少子化の原因・背景をもう少し掘り下げて考えると、日本では、二重の問題があると思う。

1つは、職業生活に関する誤解である。職業生活は、一見、合理的に見える。しかし、それは
あくまでも最初だけであって、段々と責任が重くなるに連れ、非合理的なものが含まれてくる。
その壁は、男女共にあるが、従来の終身雇用制度ではオブラートに包まれていたのである。
もう1つは、家族(家庭)生活に関する誤解である。家族生活は、本質的に非合理的であるが
現代では、合理的にスマートに、家族的人間関係を操作できると考えているのではないか?

要は、日本の少子化の原因が、晩婚化であるとして、その背景にある職業や家族についての
認識に問題があるために、有効な少子化対策を立案するのに障害があると思われる。
日本は明治以降、不平等条約を解消するために鹿鳴館などを作って欧化政策を進めたが失敗。
戦後も、アメリカナイズされたかに見えたが、どっこい、それも中途半端。結局、日本文化は
相当しぶとい本質を持っているのだと思う。しかし文化的に孤立しては問題である。問題は、
非合理的なものを、本音で分かち合うだけでなく、理性で分かち合うプロトコルを構築する事だ
と思う。嫁姑問題、親子関係、夫婦関係は、操作しようとすると壊れる。本音でぶつかり理性で
分かち合うプロトコルは、西欧諸国とイスラム圏の関係でも必要である。如何なものか
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「子ども手当」と格差 [閑話]

今日も比較的に暖かな日和だった。お勤めの人々やその家族は良い休日だったかな?
散歩の帰りが遅く夕食時になって、レストランや回転すし屋に出入りする人々に出会った。
大勢の家族連れが、待合椅子に腰掛けているのを見ながら、大変だなぁ~!と思った。と
同時に、若い頃、休日に子どもを連れて外出し、皆で外食したことを思い出した。そして
あの頃は、混雑などは苦にならず、家族と過ごした時間が楽しかったことを思い出した。
厳しい仕事の合い間の、家族の団欒だから、少々の待ち時間など問題ではなかったのである。

今日のNHK・日曜討論で公明党や共産党が、「子ども手当」に関して前向きであると感じた。
政治的な立場で、公明党と共産党に、共通するところは余りないと思うが、一つだけ確実に
言える事は、支持団体がしっかりしていると言う事である。そして、それらの支持団体員は、
党によって立場は違うが思想・信条もしっかりして、目指すべき方向性も持っているだろう。

そこで、私は、「なるほど!」と、納得した。
それらの支持団体員は「子ども手当」は、もらい得=子孫繁栄に役立つ、と考えたのだろう。
そうなのである。家庭に余裕があり、思想・信条もしっかりした家庭は、不労所得が増えても
害にならず、ドンドン有益な方向に使うことが出来る。お金を増やすこともできるだろう。
この様な家族が子どもを積極的に生み、健全な子どもを育成するなら「子ども手当」も有効?
もしもそうだとして、そういう家庭が、全国でどの位、居るだろうか?
公明党や共産党を支持する人は、NHK世論調査で現在、6.2%。内支持団体員数は?
その中で、子どもを積極的に生み、育成する家庭は?

さて、「子ども手当」は、格差の再生産につながるか?この命題に対して、科学的あるいは
合理的な回答はまだ明らかではないが、多くの識者が格差の拡大を予想している。
中には、貧困家庭に「子ども手当」が支給されれば一息つけ、格差が縮まると早合点する人も
居るようだが、公明党や共産党の支持団体員の家庭にも、同額支給されることを忘れている。
「子ども手当」が、公明党や共産党の支持団体員の家庭では、もっと上流の家庭に追いつき、
追い越す上昇志向家庭の起爆剤になるかも?仮にそうだとして格差問題は解消するのか?
経済格差を縮小(少なくとも拡大しない)方向にしたいなら、親の所得制限は当然だろう。
格差の再生産への対策は、「現金で買える」対策はないから現金給付ではダメだろう。
党利党略で政策がもてあそばれる悪習が、いよいよ政界内にはびこって来た。如何なものか
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「てっぱん」22週・モヤモヤ [物語]

「てっぱん」も残すところ4週で年度末には終了する。どんな結末を迎えるのか?
人間が生きることは理屈では割り切れない。だからこのドラマをドラマとして見てはいけない?
いわばご近所の物語として見るべきなのだろう。話の展開は理屈に合わず欠点だらけであるが、
突如起こった人生を左右するような大震災が、理屈に合わないと否定しても何の意味もない。
様々な情報に対して、否定的に反応するから、不平・不満、不安・不機嫌が発生する?

あかり(瀧本美織)の母・真知子(安田成美)が心労で倒れた。真知子が磐石の構えで築いた
村上家が、あかりの実父の出現で揺れ動いた。その動揺が、受皿である真知子に集中した。
特に鉄平が第三者的立場で、あかりと実父との将来について、性急に迫ったのが応えた?
真知子は、様々な情報を肯定的に受け止め、全てをプラスに転換したいと願うあまり、気持が
先行してしまって、体に出てしまった?何が起こっても磐石だと思っていたにも拘らず。

あかりの実父の出現は、村上家の面々にとって、予想以上の精神的ストレスを来たした?
阪神大震災の時に、PTSD(心的外傷後ストレス症候群)が話題になった。勿論、ドラマでの
心的ストレスをPTSDと同列に論じられないが、心的ストレスは、そう簡単には癒されない。
あかりが実父と会った後にも引きずっているモヤモヤは、そう簡単に晴れるものではない?

あかりは、自分の思いを語る。語る事によって、少しずつ少しずつモヤモヤは晴れてゆく。
最初は、お好み焼き屋で、下宿人、冬美(ともさかりえ)、岩崎潤(柏原収史)等々に告白。
「会えたんです。本当のお父さん、もう一人のお父さんに会えたんです。・・・以下略・・・・」
そして、親友・篠宮加奈(朝倉あき)を呼び出して、「千春さんの好きじゃった人わかったんよ。
橘さんじゃった。またまたビックリじゃろ。うれしかった。父が誰なんか やっとわかったからね。
父ちゃんらは良かったんじゃろか?・・・以下省略・・・・」。そして、鉄平の電話で真知子の病気を
知り尾道に帰ったときも、欽兄(遠藤要)、鉄兄(森田直幸)や、篠宮久太(柳沢慎吾)、
隆円(尾美としのり)らとも語り合った。
そして真知子退院の夜、食事の席で、あかりは「いつかまた、橘に会いたい」と、家族に
宣言した。さらに、大阪に戻ったあかりは、初音(富司純子)に告げた。
「いまはっきり言えることは、‘村上あかり’はええ名前じゃということ。そう思ったら
尾道の海も山も坂道も、大阪もこの家も、見慣れているのに、初めて見る様に見えたんよ」と。
あかりは、今までの自分から、新しく生まれ変わったのである。これを新しい居場所を見つけた
というのは当たらない。問題は居場所ではない。本人の中味次第なのだ。 如何なものか
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欧州のジハーディスト [閑話]

朝日新聞が「米同時多発テロから10年 欧州のジハーディスト」という特集を掲載していた。3回シリーズらしい。23日の「上」、25日の「中」を読んだ。「上」では、組織背景を持たない移民、「中」では、キリスト教からイスラム教に改宗して母国にテロを仕掛ける若者などの、新たな「欧州のジハーディスト」を紹介していた。この記事を読んで現代青年の「不安(不機嫌)」は、「サリン事件」当時よりもますます深刻化しつつあることが読み取れた。そこで私は、「欧州のジハーディスト」を取上げ、洋の東西を問わず、現代青年の「不安(不機嫌)」を考察した。

「欧州のジハーディスト」の発生には、様々な要因があると思うが、根源的な要因は、科学技術の進歩が、人間の理性を追い越して、一人歩きしているところにあると、私は考えている。科学の進歩は、物質的豊かさや、様々な病気の治療などに大きな貢献をしているが、その恩恵には、大きな格差が生じている。精神的余裕・安定の格差である。精神的余裕・安定の格差は、経済格差とは必ずしも一致しないが、人間関係的格差とは大凡で一致する傾向にある。人間関係的格差とは、「真の人間関係」、「信頼の人間関係」の多少という問題と繋がっている。別の言い方では「真の人間関係」とは、互いの「心の操作」のない関係である。

生産のための機械の操作や、病気治療のための人間への操作と、「人間の心の操作」を区別できない位に、現代では「人間の心の操作」が一般化している。友だちの関心を得るため、選挙に勝つため、販売促進のため、・・・・「マニュアル化」、「コマーシャル」、「エンターテインメント」、その他様々な手法が横行し、人間の心を操作しようとしている。「心の操作」防止の知恵が人間に備わってない。現代青年の「不安」深刻化における最大の理由が、「人間の心の操作」である。

現代の若者は何故、「人間の心の操作」という罠にはまってしまうのか?それは、金があれば何でもできる。金がほしい。金で「人間の心の操作」が出来ると勘違いしているからである。
何故、そんな勘違いをしてしまうのか?マスコミによるいかがわしい芸能情報なども、そういう「洗脳」に一役買っているが、最もおおきな問題はバラマキ政治の一般化。現代の民主党のマニフェスト選挙が、最も良い見本。それも一番目立つのが、「子ども手当」。金を掛ければ子どもが生れる。金を掛ければ子どもが育つ。金を掛ければ子どもが幸せになる。もし、それが本当なら、生粋のドイツ人青年が何故「ジハーディスト」になるか?「人間の心の操作」によって、現代社会は、人間関係が希薄になってしまった。人間が、友だちや家族や地域社会から切離されてしまったら、人からの「心の操作」に操られ、人間ではなくなってしまう。合理性だけを追求し、非合理な部分も我慢しなければならない人間関係を切捨てる心に「不安(不機嫌)」が巣食い、悪魔に魂を売って、社会を破壊しようとするのではなかろうか?如何なものか
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旅散歩2011.02 [散歩]

この処、急に春めいてきた。このまま暖かくなるわけでもなかろうが体が弛む。
体が弛んでも、心はなかなか和らがない。老老介助?
DSC08674淡路島.JPG明石の山奥から淡路島を望んだ写真である。この写真を撮るためにスロージョギングで坂道を上り下りして、散歩の歩数を稼いだ。
老老介助は体が基本。鍛えねば!
右側の上の方に薄っすらと明石大橋の橋脚が写っているのが写真を拡大したら見えるだろうか?夕方、写したから瀬戸内海がはっきり区別できない?薄墨色の二重の山が淡路島。明石側との間に入り江の様に横たわっているのが、瀬戸内海。写真の中央から右は、尾道の海のようだ。

翌日は、墓参りと古い知人(一巡年上)との再会だった。いろいろ病気を経験されたらしいが、血色もよく、お元気そうで何よりだった。性格の明るい方で、それが、元気の秘密のようだ。お会いした日は、肺に水の溜まる病気の完治を医者から知らされた日で、私との再会と二重の歓びとして本当に良い日だったと、喜んで頂いた。よろこびを共にできる事ほど嬉しいことはない。

後は、自分自身の楽しみのための京都夫婦散歩だった。
今回は、臨済宗(禅宗)総本山・妙心寺に参拝した。動機は、京都駅の案内所で見た
「第45回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開 ~戦国・姫君と武将たち~」だった。
実際には、12箇所あったが、一度も行ったことがなかった「妙心寺」に決めた。
京都駅からバス(26番)で、妙心寺で下りて北門から入った。バスは時間がかかるが1日乗車券
500円で何度でも乗れるのが最高である。
妙心寺の境内を散策していて、一人で散歩している方と出会い、夫婦での写真を撮ってもらった。その時に感想を話してくれたが、「妙心寺の境内には驚いた。全くの別世界だ。京都の町中の喧騒が嘘のようだ!」という。聴けば京都の人というではないか!大徳寺の時にも同じような感想を持ったが、妙心寺は大徳寺以上の広大な敷地であり、建ち並ぶ多くの巨大な塔頭寺院は壮観だった。公開・非公開を含めて、文化財に関しては、又の機会もあるかと思う。DSC08695御香宮ソテツ.JPG

最後の写真は、御香宮(伏見)のソテツ
御香宮の主祭神は神功皇后。清和天皇の御世に香りのよい水が湧き出たことから「御香宮」の名を賜ったと言う。伏見の七名水の一つである。ソテツの樹齢は不明としながらも、400年の可能性を示唆している。京都市登録天然記念物
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続「てっぱん」21週・父親 [物語]

さて、あかりの父親に関する悩みと周囲の人々のサポートについて、少し考えて見たいと思う。
あかり(瀧本美織)は、橘を最初は空巣として、次はCDを介して有名な音楽家として知り、
浜野(趙 珉和)や岩崎先生(柏原収史)の仲介で、個人レッスンを受け、親しい間柄となる。
あかりの橘に対する心理的距離は、劇的に縮まっていったのだ。そして、キーワード
“Lady Bird(てんとう虫)”から、橘を千春の好きだった人では?と疑いだす。

橘(小市慢太郎)に会いに来た錠(遠藤憲一)、真知子(安田成美)、隆円(尾美としのり)が、
あかりに見つかってしまい、あかりも橘が生みの親と知る処となった。何しに来たと詰問する
あかりに隆円は、「もう二度と会わんゆうたんは先方さん」、「もう一度会うてくれと頼んだんは
両親の方じゃ」、「わかってやってくれ!」というのに対して、あかりは「わからんよ!
そんなこと頼むために尾道からきたん?うちのお父ちゃんは目の前におる!」と叫んだ。

翌朝、岩崎先生から「ひまわり」の楽譜を受け取ったあかりは、会わずに帰京するという橘の伝言
を聞いて動揺し、浮かぬ顔になって、一人、店(お好み焼き)に出た。それを追って店に出た
のぞみ(京野ことみ)は、「あの人らしい洒落たプレゼントだね!」とあかりの気分転換を図る。
「そうですね。」という気のない返事に、「じゃあ、そんな顔してないで笑った方がいいよ!
あんなに皆に愛されているんじゃないの!」と発破をかけていた。前日から泊まっていた尾道組、
下宿人に近所の伝さん(竜雷太)まで勢ぞろいした“おのみっちゃんグループ”の面々は、
若きリーダの難局に、固唾を呑んで見守っていたのである。

前記の二つのエピソードは、私には、揺るぎない信頼で結ばれた“おのみっちゃんグループ”
(義理の仲とはいえ)の素晴らしさを、見事に表わしているように思えた。
前半のエピソードは、実の親娘でもなかなか言えない娘の苦しい胸の内を皆にぶちまけたもの
であり、後半のエピソードは、血が繋がっているとはいえ、希薄な人間関係の生みの父親を、
どう位置づけてよいのか?の迷いだと思う。生みの父親を知らないあかりと似ているのぞみは、
あかりより冷静に状況を観察できるから、もし橘が生みの父親だったら、自分ならこういう物語に
するだろう、という発想が湧くのだろう。だからあかりの仏頂面が気になった。また、のぞみには
揺るぎない信頼で築かれた“のぞみちゃんグループ”がないから、“おのみっちゃんグループ”
が見えず、あかりの気配り不足を注意するのだ。“おのみっちゃんグループ”は、あかりが、
出生の秘密を知り成長した成果。村上家の鉄の結束と、初音(富司純子)ばあさんのど根性を
土台とした“おのみっちゃんグループ”の成長=あかりの成長なのだ。これぞ「自助」、「共助」の
具体的姿?のぞみも、その仲間入りするのだろうか?如何なものか。
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「てっぱん」21週・父親 [物語]

今週の「てっぱん」の題は「ひまわり」。生みの親 橘(小市慢太郎)が、「ひまわり」という
題名の曲を別れの挨拶に贈った。今週は父娘の出会いと別れが、テーマということになる。
初音(富司純子)は、橘に、父親を名乗ることを禁じた後に、尾道の両親に橘の事を知らせた。
あかり(瀧本美織)はまだ19歳だ。初音も、錠(遠藤憲一)・真知子(安田成美)も、心配は
橘という男が信頼に足る人間かどうかということである。

あかりは、そうとは知らず浜野(趙 珉和)からもらった橘の演奏CDを聴き感激する。そして
浜野、岩崎先生(柏原収史)を経由して、橘の個人指導を受けることになった。
橘は、「君のトランペットには祈りがある」と評する。あかりは一流の先生の個人指導に感激。
生みの母・千春の血か、あかりは、橘に魅了される。

一方、尾道からは、錠、真知子、隆円(尾美としのり)が田中荘に来て、橘と会う。
橘は、「いまさら、父親だと名乗るつもりはありません。」と言い切った。真知子があかりの
気持になって、「父親としてもう一度会ってやって欲しい」という説得も、一晩考えさせてくれ
と言い、翌朝あかりに会わず、「ひまわり」の楽譜を岩崎に託して東京に帰る決意をした。
結局、初音の秘策で、橘は帰京前に、一介の客として、あかりの店に来て一対一で話す。
20年前に、橘が、そのころ付き合っていた人(千春)と二人で尾道を旅行した時の話しである。
二人の尾道の印象や、橘の千春に対する思いなどが主な話題だった。

あかりにとって父親は錠、母親は真知子であり、欽兄や鉄兄との関係も揺らがない。何故、
生みの親 橘のことで動揺したのか?それは、彼の存在を自分の気持の中でどう受け止めたら
良いのか?という不安だったろう。親友・篠宮加奈(朝倉あき)も驚嘆するような大先生が
急に生みの親となるのは如何にも不自然である。しかし完全に黙殺するには、余りにも謎が
多すぎ、知りたいことが山積みしているのである。初音の計らいで、二人が互いに父娘で
あることを知りながら、二人で淡々と話すことによって、様々な不安の霧が晴れていったのだ。
生みの父母は、あかりの物語に欠かす事の出来ない誕生物語のロマンチックな主人公として
位置づけられたのである。生みの母は、てんとう虫のようにお日様に会いにいった。
生みの父もあかりの存在を知らず自由に羽ばたいて行ったという、前向きな誕生物語である。
それは、あかりに、初音や、肉親にも及ばぬ絆で結ばれた家族があるから語れるのだろうか?
それとも現在の環境如何にかかわらず、過去の物語を前向きに受け取る事が幸せを招くのか?
父親が落ちぶれた人だったら?自分が不幸な境遇だったら?どんな物語になる?如何なものか
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民主党・崩壊始まる? [閑話]

小沢一郎の政治献金問題では、既に2009年・衆議院選挙前の私のブログでも再三取り上げた。
8月の衆院総選挙は民主大勝。小沢→鳩山への代表交代でみそぎは済んだのか、と思ったが
強制起訴で再燃。15日・民主党常任理事会で判決確定まで小沢一郎元代表の党員資格停止の
処分を決めた。それを受けた形で、17日午前、民主党の比例代表選出の衆院議員16名が、
民主党会派からの離脱届と新会派結成届を提出した。今回の造反・会派離脱議員は、
民主党大勝のお陰で候補者名簿に小選挙区重複議員より下位に名を連ねた議員まで当選した
泡沫議員の面々だ。選挙区もなく、民主党公認がなくなることを恐れる必要もないとの事。

民主党会派離脱の連中の指摘通り、菅内閣は、公約の修正に修正を重ねている。
2009年に示した民主党の政策は、見事なまでに「ウソ」の塊であったことは明らかである。
菅夫人の著書名を拝借すれば、「民主党になって、いったい日本の何が変わるの?」である。
ウソ公約で政権奪取した後、政権担当能力もなく、自公政権の後をなぞっている。
民主党は小沢を切って「クリーン」を売りにしたいだろうが、日教組など労組とのつながりや
財界とのつながりなど、話は、そう簡単には行かないだろう。
民主党政権は、随分と回り道をし、様々な国益を損じたが、選挙前と代わり映えがしない政策?
となると、一体、あの選挙は何だったのか? 民衆は、何の根拠が有って民主党を選んだのか?
まるで熱病現象、群集心理現象だったというしか表現のし様もない有様である。

菅首相や岡田幹事長は強気の構えだが何時までもつか?あの熱狂の衆院選後、わずか1.5年で
このていたらく、民主党、内閣共に、完全に機能不全に陥った。
民主党にとり政権交代の大恩人である小沢一郎を切って捨てた行いを、国民新党の亀井静香は
現在の民主党を、極左過激派「連合赤軍」になぞらえた。某夕刊新聞では、菅全共闘内閣では
仙谷前官房長官を巡って激しい内ゲバが始まっているという。

離脱派・16人の建前はどうであれ、今回の動きは小沢派の新たな展開の予兆に過ぎないだろう。
小沢、橋下、河村などが連携するという噂もあるが、橋下、河村は目下、政界一番の売れっ子!
そう簡単に小沢とくっつくとも思われない?菅内閣のジリ貧で、首相を変えた政権盥回しか?
それとも、菅首相が大一番の解散総選挙に打って出るか?
それにしても、消費税減税、社会保障改革(改悪?)では、余りにも魅力のない未来である。
どうせ無責任な付和雷同、熱病現象、群集心理現象選挙なら、減税選挙が良い!如何なものか
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「てっぱん」20週・余話 [物語]

先週の「てっぱん」で真知子(安田成美)が、「女は生もうと決めたら子どもの事しかみえとらん
のよ。・・以下略」と、かつての真知子崇拝者(男性)の前で一場の演説をした場面。古臭いセリフ
といえば言えるのに、なぜか印象的だった。それは自信に満ちた真知子の姿勢である。
「てっぱん」の土性骨を支えるセリフの様に思えた。その意味を何度も思い出して考えてみた。

「てっぱん」はあかり(瀧本美織)の成長物語とも少し違う。民主党の「子どもは社会で育てる」と
いうキャンペーン物語かと勘ぐった時もあるが大外れ!そういう民主党の考え方を暗に批判した
物語であると私は考える。現代の子どもの問題は物質ではなく心の問題である。物質も必要だと
物質政策を優先するから、物質の注入が何の効果も得られない結果に帰結するのである。
心を優先しない物質優先支援を上から目線の‘施(ほどこ)し’という。昔はその種の‘施し’は人間の
尊厳を傷つけるから心ある人は慎んだものである。人の心を尊重し、尊厳を大切にした。
現代は物質優先で、今や民主党は党利党略・私利私欲の為に、恥も外聞も無く、上から目線の
施しを大手を振ってバラまき、恥じ入る気配すらない。そういう世相に嫌気が差した女性たちが
子どもを産まなくなっている事に、政治家は気付いていないのか?あきれ果てる。

「てっぱん」は、そういうバカな政治家達に愛想を尽かし、新しい形の母系制社会を視野に
入れているのだと思う。母親や、母親になる現代女性を、カネではなく心で応援することが
「てっぱん」のテーマでは?あかりは、やたら応援したがるが、それを初音(富司純子)が
注意するのも、相手の心を尊重する気配りからで、親切の押売に気をつけているのある。

日本では戦後、「靴下と女性は強くなった。」といわれてきた。その強さをいう場合には、
社会的活動と、人間的活動の両面に分けて考察する必要がある。現代は、社会的活動の面で
女性の地位が向上した分、人間的活動という面で女性の支援(子育てなど)を必要としている。
しかしそれは、札束でほっぺたを叩くような「子ども手当」ではない。女性の社会化に対して
社会の全員が心から向き合う事である。その為には、女性の社会進出にも耐えられる精神的に
強く優しい男性を育成しなければならない。「公助」を頼りにする人々ばかり増え続けたら、
いくら税率を上げても借金は減らないに決まっている。「自助」、「共助」で助け合う社会に
なるための政策を実施しない限り、税金を上げても問題を先送りするだけではないか?

「てっぱん」は、現代日本の柔弱で自分勝手な男性社会原理を頼りにせず、逆境にもめげず
逞しく生きる女性に対して、新しい「共助」のあり方を提案している?
「てっぱん」は、互いの心を大切に思いやる女性への「応援歌」だと思う。如何なものか。
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続「てっぱん」20週・居場所 [物語]

無縁社会というテレビ番組で「自分の居場所」がないと感じる若者の話を聞いて、「てっぱん」と
いう物語も、「居場所を見失った人」の苦労話と見る事もできるのではないか?と思った。
そもそも、この物語の主人公・あかり(瀧本美織)の生みの親・田中千春(木南晴夏)も、「居場所を
見失った人」ともみえる。親元から離れ、当時、トランペットの指導を受けていた先生・橘(小市
慢太郎)の所に転がり込んだが、橘がボストンに留学すると聞き、そこを出て行った。
橘は、「千春はその時、自分の道を探していたのではないか?」と初音(富司純子)に説明した。

あかりもまた、高校3年生の夏に出生の秘密を知り、自己のルーツの大阪と尾道との接点を模索
する旅に出た。あかりも、「居場所を見失った人」にみえる。のぞみ(京野ことみ)も、結婚する予定
だった男の心変わりに見切りをつけて、同棲したところを飛び出し、あかりの親切心に助けられて
田中荘の住人となる。のぞみもまた、「居場所を見失った人」にみえる。

てっぱん・第114回(金)だったと思うが、尾道の村上家で、隆円(尾美としのり)、篠宮久太(柳沢
慎吾)と、錠(遠藤憲一)、真知子(安田成美)夫婦の間で交わした会話が心に残った。男たちが
「のぞみの赤ちゃんの父親は無責任」という発言に、真知子は「女は生もうと決めたら子供のこと
しかみえとらんのよ。中途半端な手助けなんか当てにしとらんわ!子どもが元気で生まれてきて
くれれば、もうそれでええんよ。」と言っていた。それを受けて、久太は、「生れた後は、男は
お払い箱ということじゃ」、隆円は、「女は強し、母はもっと強しじゃな」と言っていた。
昔は、「女は弱し、されど母は強し」と言ったものであった。

私はそこで考えた。母なる女性は本来、自分の居場所が適切な居場所ではなかったか?
その様に発想を180度転換すると、人間は現在の居場所が適切な居場所であり、自律的或いは
他律的に、変わる居場所も、それを肯定的に、前向きに考えることが大切なのだと気付いた。
「人の心は泥棒にも盗めない!」というあかりの言葉は、居場所にも当てはまる。

居場所がないという発想は、心がない、身体がないという発想と同じではないか?
「人の心は泥棒にも盗めない!」ならば、自分の居場所だって誰かに盗られたのではない。
千春もあかりも、そしてのぞみも、居場所を見失ったのではなかった?自分の居場所がないという
被害者意識、後ろ向きの発想ではなく、自分らしい生き方探しをしている(いた)のでは?
そういう妥協を許さない厳しい生き方の果てに無縁社会に行き着いてしまうこともあるだろう。
千春もあかりも、そしてのぞみも、そういう強い女の生き方を物語っているのか?考えてみれば
ベッチャー初音こそ強い女の生き方そのものであった。如何なものか。
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