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教育の重要性-④ [社会]

教育は、言語、情報を読み解き、活動に活かす方法論を学ぶもの。言語、情報の読み解き方、
活かし方が不味いと、洗脳されたり、利用されたり、騙されたりする。だから大切だ。
私の「2010-07-21言語による疎外[歴史]」というブログで、言語の発展が、「社会化」、
「共同化」から「個性化」、「自立化」へと人間を導くと書いた。そして「個性化」、「自立化」
と共に、同時並行的に「孤立化」、「疎外化」も起こることをも指摘した。
“言語”という代物に翻弄されないために、「教育」・「学習」があると言えるのではないか?
英語は理性的だが、日本語は感情的などと唱える人も居る。言語の表現は人間によるのでは?
人間として正統な教育を受けないで、現代の「うそ」と「本当」の入り混じった情報化社会に
乗り出すと、海図のない航海に出たように、情報の大波に翻弄されて、難破してしまう。

今日、私のブログにnice!をくれたmizukami-takuyaブログ(2011-01-30国旗国歌:訴訟)
http://mizukami-art.blog.so-net.ne.jp/ 
を訪問した。そうしたら、「尊敬すべき先生方が、自分の国の国歌を歌わなかったり、国旗に礼を
しなかったりする姿を見たらどうでしょうか?・・・中略・・・是非、一般人としての意見をお聞かせ
ください。」という要望があった。そこでコメントしようと書き始めたら、意外と長くなってしまうので
自分のブログで、一般人としての意見を述べたいと思う。

国旗国歌問題は、保守的社会習慣と個人的思想・信条の対立という構造の如く見せかけます。
個人的思想・信条の問題は、他人の意見を参考にする場合、その人物を無闇に信用せず、
様々な角度から検討して、参考に値するか否か?を識別する必要があります。
これは丁度、他人との会話において、世間話なら余り他人を斟酌せず、話を聞いても良いが、
お金の支払いに際しては、詐欺師か否かを斟酌するのと同じ要領です。

現代は金儲け情報だけを大切にし思想・信条の情報を毛嫌いする傾向がある。それが政治家など
思想・信条イカサマ師の格好の餌食となって、結局「孤立化」、「疎外化」につながる。
拝金主義は、「孤立化」、「疎外化」の回避策として益々盛んであるが、拝金主義は、「孤立化」、
「疎外化」を深刻化させるだけではなかろうか?様々なイカサマ思想・信条を見抜く力をつける事
は、少々の小金持ちになるよりもズッと精神的に豊かな人生が送れる?
いかがわしい思想・信条の詐欺師が、何処に潜んでいるか分ったものではない。
引っかからないための細心の注意が必要である! 如何なものか。
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教育の重要性-③ [社会]

道徳教育で大切な事は、何だろうか?様々な考え方があるだろうが、私の考えは、
1.学ぶ環境と姿勢。 2.互恵に立った批判精神。 3.人間としての責任感。
まあ、人それぞれの考え方があるから押し付けるつもりはサラサラない。

さて、国旗国歌訴訟の高裁の結果が、新聞その他に掲載されていた。
それらの中で平成11年の国旗国歌法の衆院本会議での採決では、当時党代表の菅直人首相や
前原誠司外相、枝野官房長官らは、反対票を投じていたという。菅首相は、今国会答弁では
いろいろと事情があって反対票を投じたのだと言い訳していた。言い訳の多い人?

平成維新を掲げる民主党は、政権交代後、どのような国家観・道徳観で運営していくのか?
明治維新では、日本が列強から自主・独立を勝ち取るために「天皇一元化国家」構想を考えた。
平成の開国を叫んでいる菅・民主党政権が、何の国家観・道徳観もなく混沌とした国際情勢を
乗り切れると、思っているのだろうか?
平成維新、平成の開国とは、米国がダメなら中国になびこうということなのか?

国旗国歌訴訟事件は、明らかに、従来の国家観・道徳観を異にした人々のものである。
平成維新を掲げ政権交代した民主党政権は、従来の国家観・道徳観を否定するがために「維新」
と唱えたのではないのか?即ち、国旗国歌訴訟事件を起こした人々と同じ穴のムジナ?
そう考えるのが普通だろう。平成11年・国旗国歌法採決で反対投票したのが良い証拠である。
然るに言を左右して自己の思想・信条を曖昧にし、枝野幸男官房長官は、28日の記者会見で
高裁判決を「是」とするような発言をしている。

三権分立を隠れ蓑に、判断を司法の手に委ねて、“知らぬ顔の半平衛”を決め込む手口は
尖閣諸島沖での衝突事件の時と同様である。「維新」を唱えているのに、国家観・道徳観も
曖昧、様々な国家的問題への対処も責任逃れをして、政権に拘るのは、なぜなのだろうか?

現代の戦争は、テロ、ゲリラという形態に変わった。テロ、ゲリラ活動というのは、善良な
市民に紛れ、市民を犠牲にしてでも自己中心的手法で、既成社会を破壊する活動である。
それで思い当たった。国権の最高機関である国会を牛耳る政権与党の有志は、時今だ至らず
と考え、日教組等の活動を野放しにする口実として、司法の判断に従う手法を考えた?
日教組等の活動の続行によって、国民の精神を破壊し、自分達に都合の良い自己中心的人間を
増殖させるという狙いである。即ち、従来の日本を一新する本当の維新である。



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教育の重要性-② [社会]

教育は限られた紙幅で語れるものではない事を承知の上で、教育問題を「道徳教育」という
観点から昨日に続き、今日読んだ「週刊新潮」2/3号の記事も参考に論じておきたい。
「週刊新潮」の2/3号の記事とは、“正気を疑う「日教組」亡国の教研集会”である。この
集会も昨日参考にした2011.1.25産経msn.comの内容と、同じ取材対象の集会である。

私は、何かを「金の牛」として、それに囚われて物事を考えないように努力しているので
記事に書かれている様な一方的非難(異なる立場からの水掛け論)をしようとは思わない。
そこで、一例を挙げて、私が何を言いたいかを示してみようと思う。
日教組の教師が書いたという文言「(日教組の教師が)生徒に(北方領土問題を相対化する
教育で)知恵を付ける事で、権力者の作り上げたシステムが壊されて、困るだろう。」と
いうのは、権力者の示す「道徳教育」システムを壊すことを意味している。

また、「大阪の学力は45くらいでええ。人権を大事にして共生で優しい子に育てばええ」と
いう教師もいる。二人に共通している点は、「権力と戦っている」という自己満足である。
しかし領土がどこの国のものか分らん。学力はええ加減でええ。それで人権を守り、共生して
やさしい人間に育つと、本気で思っているのだろうか?

そこで日教組は、現行の「道徳教育」や「教育基本法」に反対ならば、どういう精神的教育を
考えているのか?明らかにすべきである。最早、政権党の支持団体であり、政策提案も可能?
しかし、日教組の活動は、体制内における反体制活動?差し詰め、平成維新の志士気取り?
明治維新の場合もそうだが、武闘派では、政策など思いもつかないか? 

「教育」は国の基本。終戦後、日教組は、「天皇一元化国家」の旧体質が残っているとして
それを否定する左翼思想の最前線として位置づけられてきた。それで日教組は野放しになり
日教組にかき回されて、「道徳教育」の明確な方針が、曖昧なままになっている。
そして、そういう影響のためか?日教組が支持する民主党が自ら維新を唱えて政権を奪取した。
そこで権力者の責任として、日教組の教育の考え方に対して、立場を明確にすべき時がきた。
権力に楯突く団体を許容するなら彼らの唱える教育内容に!許容できないなら日教組の体質
を改善すべきだ。権力奪取後まで武闘派を野放しにするのは、最早、権力者ではない。
日教組の是非を問う。それを曖昧にしたら政権を担うに値しない事は明白? 如何なものか。
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教育の重要性 [社会]

教育(精神的育成)は、現代日本で緊急かつ最大の問題。しかしかつて第二次世界大戦前に
国家から受けた教育が「忠君愛国」の「洗脳教育」だったのではないか?と考える人も居る。
しかして、国家からの教育論争に関しては、戦後、「左右対立」状態のまま65年半が過ぎた。
この様な状況を受けての政権交代。しかし迷走続きで、民主党の教育に関する考え方が
「子ども手当」の様な物質面のみで、一向に精神面の教育に対する考え方が見えない。
日教組を支持母体とする民主党政権が、今まで練ってきた考え方を発表すべき時ではないか?
そんな中で、菅政権の2次改造内閣が発足して国会論戦が始まった。

1.27・国会中継で中曽根弘文(自民党)が、「徳育」を主なテーマとする質問をした。
質問のポイントは「道徳教育」として自民党時代、13.4億の予算が、事業仕分けで 6.3億と
半減以下に切捨てられた点の追及であった。しかし菅は、その点に何の応答もなかった。Responsibility(責任)を感じられない。長いモラトリアム時代に蓄積したものをチラリとでも
見せるか?と、少しは期待したが外れ!期待する方が間違っている?
菅は、昨年6月、10月の所信表明、今回の施政方針でも、精神的な教育問題に関する言及が
ないと、中曽根弘文も指摘していた位である。ないない尽くしの民主党である。

2011.1.25産経msn.comに、2011.1月に開催された日教組教育研究全国集会の模様
紹介されていた。「北方領土はどこの国の領土か分からなくなった」と児童に問いかけた教師も
居たという。日本の“非”だけを強調する歴史観や国際情勢を無視して単純に「戦争は恐い」
というイメージを強調する「平和教育」の授業報告も多かったという。産経論調を割引いても
義務教育の場が、中途半端な精神的成長の人間、即ちモラトリアム教師によってかき乱されて
いる事は伺えた。この様な教育現場では「忠君愛国」の「洗脳教育」はありえない?

しかしオーム心理教を引合いに出すまでもなく、中途半端な人間は、ゲーム、薬、酒、etcに
洗脳されるのである。しっかりとした自らの拠り所を創生する力を育てるために、学校は
大きな役割を担っている。少子化の原因は、今の教育状況を見て、子どもを生んでもまともに
家庭で育てられる自信がないと思う人が増加しているところにある。菅首相は、教育は
学校だけでなく、家庭や地域でも育てて欲しい、と言っていた。そういうチームワークを
形成するためにも、「道徳教育」の予算を削る方向ではないだろう。党利党略で、日教組の
有り方に何にも出来ないのでは、一国をあずかる政権とはいえないだろう。如何なものか
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国会中継と政治記事 [社会]

今日の国会中継を見ていて、菅首相の答弁を聴きながら情けないなぁ~!と思った。
そういう思いが覚めやらぬ中、新聞や雑誌の記事を読んでいて面白い事に気付いたのである。

政治ジャーナリスト・藤本順一が、与謝野馨を入閣するよう菅首相を唆(そそのか)したらしい。
週刊朝日・2/4(2011)の「上杉隆×原口一博×藤本順一の政局鼎談」に、昨年11月から
一貫して、与謝野入閣を唱えていたらしい。菅首相は、その暗示にまんまと引っかかった?
藤本氏曰く、「菅さんの頭の中の構造がわかるんですよ(笑い)。必ずこう振れると」
一ジャーナリストに頭の中まで見透かされてしまうとは!しかも民主党の路線と違うのに
強引に引っ張ってくるとは、どういう神経をしているのだろうか?

新聞紙上の報道によると、与謝野氏は、'9年の衆院選で公認を受けた時、「当選後、離党などの
反党行為は一切行わない。」という誓約書に署名しているという。自民党の比例代表で議席を
得たのに、政敵である民主党政権と組んだ与謝野氏を、石原幹事長は、「平成の議席泥棒」だと
批判を強めている。与謝野氏の問責決議案で揉めるのでは?と、鼎談で原口一博もいっている。

新聞で、哲学者・佐々木中氏は、詭弁を弄する政権政党の対応から来る無力感について
「ナチスが出てくる時の雰囲気」になぞらえていた。他国になぞらえる必要はない。日本でも
第二次世界大戦前、1920年代、慢性的な不況、独占資本の形成、関東大震災、金融恐慌等に
よって、政党政治、議会政治への不信感が高まり、軍部独裁へと傾斜していく。

ここでよく考えなければならない事は、黒船がやってきた幕末や、資本主義経済や国際社会、
或いは日本人の経済力、知識・理解力が未成熟だった1920年代とは大きく異なる事である。
我々は、当時よりは賢くなっている?我々は、既に、自分達が不完全な愚か者であることを
よく知っている。人類は今だ民主主義よりもマシな政治制度を、考えつかない愚か者である。

そこで私はこう考える。民主党の政権はもう御仕舞いだ。だからといって政治不信になっては
いけない。それは「狭量な理想主義者」のする事である。現実的に実現しそうな理想を追って
国民はまた、負託すべき政治家を選択して考え方を正せばいいのである。国民が確りすれば
キッと信頼できる政治家は出てくるだろう。皆、それぞれの重荷を背負って生きているのだ。
自分は自分の責任を果たす。相互にしっかりと信頼を築く努力をする。如何なものか
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第177通常国会開催 [社会]

昨日、第177通常国会が開催された。
菅首相は、最大の焦点である11年度予算案と関連法案について3月中の成立を目指している。
その為には財源問題を解決する社会保障と税の一体改革、小沢政治資金問題などの大きな課題
を突破しなければならない。そもそも社会保障の問題が急浮上した原因は、民主党の無責任な、
「子ども手当」等を含むバラマキ政策だ。また小沢問題も何時迄マゴマゴするつもりなのか?
民新党の亀井代表は、「実行しない政策は、絵に描いたもちですから。実行することが第一」
と語ったというが、言外に「実行できない」と言っているのでは?
月刊「文芸春秋」2月号、赤坂太郎著“「小沢切り」と「大連立騒動」の行方”という記事を
読むと、亀井発言をそうとりたくなる。

そこで、この記事における「大連立騒動」問題を追ってみよう。
昨年、秋の臨時国会を前に、菅は公明党との連携を模索し始めた。しかしそれが読売新聞に
すっぱ抜かれて、うまく行かなかった。公明党が補正予算案に反対する決め手となったのは、
内閣支持率の低下であった。続いて自民党に大連立を持ちかけたのである。しかし、既に、
「対決による倒閣」方針を固めていた谷垣は、仲介者が読売新聞グループ本社会長・渡辺恒雄にもかかわらず、「その時期ではありません」と、丁重に断ったと言う。

参院選後、7/25夜にも亀井は、菅に「三分の二」を使うように進言した。社民党を引き入れて
「三分の二」で乗り切ろうという算段である。しかし菅は提案に慎重で、公明、自民との連携を
模索していた。提案から4か月余り、連携挫折で八方塞の中、亀井に、「仰るとおり」と、
提案にのったと言う。12月に入って、菅―福島会談がセットされた。しかし、社民党は、
武器輸出三原則の見直し、11年度予算での普天間移設経費の計上などに反対した。

見てきたように公明党や自民党のみならず、社民党までもが、民主党政府の足元をみて好きな
ことを言っている。今国会の菅首相の施政方針演説を、社民党の福島党首は、
「ごった煮演説、支離滅裂演説」、「中華料理と洋食と和食を同時にごった煮して入れている」、
「国民の生活が第一から、本当に思えば遠くへ来たもんだという演説になっている」と語った。

「小沢切り」問題も、すでに7ヶ月を超えて、なす術もなくのんべんだらり。
菅首相は、決断力というほどのレベルではなく、一般的判断力すら乏しい?
内閣を引継いでわずか7ヶ月強だが、見るとおり、あまりにも後手ばかり引いている。
囲碁には、形勢逆転の可能性がなくなると投了というのがある。そろそろ投げ場では?
末期的症状の民主党・菅内閣。三月には、政権の投了か? 如何なものか。
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生き様と道徳 [希望]

昼食時、日テレ「おもいっきりDON!」の「今日はDONな日?」で
故・横井庄一さん(1915-1997)がグァム島で発見された日だと紹介していた。
今から39年前の昭和47年(1972)の今日である。

横井さんの生き様は、私たち日本人にとっても、また様々な国の人々にとっても色々考えさせ
られる出来事だったと思う。しかし当時、私はあまり深く考えなかった。そこで改めて考えた。
横井さんは、当時の「生きて虜囚の辱めを受けず」といった軍事教育を受けて出征した。従って
米軍の投降の呼びかけにも応じず、会いたかった母親にも会えなかった。自分の人生の最も充実
した時間のはずの26歳~57歳の31年間を戦争とジャングルでの孤独な逃避生活で過ごした。
そういったマイナス面だけを挙げれば横井さんは、為政者のご都合主義に踊らされた?

しかしジャングルでの生活、それも戦争状態としての逃避生活を28年間継続すると言う事は、
他者からの強制だけではできないのでは?受けた教育を自分なりに消化した結果ではないか?
彼は、常に積極的に前向きに生きていた?そして、生きる楽しさを自ら作り出す工夫をした?
そのことは、どんな時代、どんな社会に生きる人々にとっても、大切な事ではないか?
だから、彼は、困難な時代、困難な環境の中で、時代の流れ、為政者のご都合主義にも負けず
己の生き方を貫き通した稀有の人、非凡な人、真の浪漫主義道徳の人だったのだ。

以前のブログで夏目漱石の「文芸と道徳」という講演における浪漫主義道徳と自然主義道徳の話
を書いたが、漱石の意図は当時の狭量な理想主義者への批判で、その世間の風潮に便乗する
為政者、既得権者のご都合主義に踊らされるな!という警告だった。決して浪漫主義道徳を
批判したものではない。真の浪漫主義道徳とは、横井さんのような立派な道徳なのである。
漱石の警告は無視され、不幸な戦争に突入してしまった。しかしこの警告は現代にも通用する。

現代の自己中心的な行動をとる人々は「狭量な理想主義者」、裏を返せば、似非浪漫主義道徳者
であり、今の日本は、そういう風潮に便乗する為政者、既得権者のご都合主義に踊らされている
とみることができる。
現代は自然主義道徳の時代?横井さんの様な立派な根性で如何なる苦難にもめげず生き延び
られるだろうか?そういうことを考えれば、現代の人々は民主党を含む「狭量な理想主義者」
や、その便乗者のご都合主義をしっかりと判別するべきではないだろうか?如何なものか。
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「てっぱん」17週・鍛える [物語]

今週のNHKTV小説「てっぱん」の題は、「鉄よ叩いて強くなれ」。
鉄平(森田直幸)が、モラトリアムの時期を卒業する物語であった。モラトリアムとは、
大人になるのに必要な猶予期間。人生航路の進路確定が1つのターニングポイントだろう。

鉄平は、兄・欽也(遠藤要)の課長とのトラブル、或いはあかり(瀧本美織)の大阪での生活
についての心配を理由に、父親の跡を継ぐという進路決定に迷いが生じた。
兄に譲られて、能も無いのにノウノウと居座るような意気地なしとは思われたくなかった?
また、このまま単調な社会人生活に入って良いのだろうか?もっと広い世界を見てみたい!
という気持もあっただろう。だからプリン騒動をキッカケに、あかりを追って大阪に出た。
モラトリアムの再開である。

学生時代も含めてモラトリアムの時期は大切である。人生に対処する覚悟の時である。
自分を見つめる。夏目漱石が100年前の和歌山講演でいった、「内発的開化」である。
(内発的開化については、ブログ・まどかのつどい日誌・2007.12.08開戦記念日参照)
余談だが、民主党は1993-1995年の細川・羽田・村山内閣から、十数年のモラトリアム期間を
経て政権交代した。だがモラトリアム期間の蓄積がみえない? 叩かれても強くならない?
何かというと自民党のせい。党派を越えた提案などといって自ら責任を負う覚悟すらない。
思いつきの政策も、人からの借り物ばかり。血の滲む様な思いで考え抜いた跡形すらない。

モラトリアム期間中、鉄平は自分なりに努力していた。出前で知合った年寄りのために修理や
買物を手伝っていた。また、ベッチャー・初音(富司純子)をはじめ下宿先の伝さん(竜雷太)、
田中荘の中岡徹(松尾諭)・民男(前田航基)親子、駅伝君(長田成哉)、笹井拓朗(神戸浩)等
とも人間関係を築いてきた。そうして見聞を広めながら、自らの思いを見つめ直した。

モラトリアム卒業のキッカケは、父・錠(遠藤憲一)の突然のぎっくり腰の発症。
しかし、即、卒業の運びにはならない。尾道に戻っても、自分の活躍する場所がない。
両親も甘い顔はしてくれない。鉄工所の従業員にも冷たくあしらわれる。そんな中で、
父・錠の親友・久太(柳沢慎吾)から、今度、職場復帰するためには「跡継ぎ」としての覚悟、
従業員やその家族にも責任を負わねばならぬ覚悟について言って聞かされる。
覚悟を決めた鉄平が必死で思いついた皆の為の一手。それが「即席車椅子」。鉄平が父・錠を
乗せて作業場に入った時、従業員・石田(金谷克海)が「社長、いいもんできましたねぇ!」と
言った。この一言が、モラトリアム卒業へのターニングポイントになった。
苦しい状況の中で、独力で問題解決へ知恵を絞る。これこそ、責任者に期待されている。
民主党は、国民の期待を見事に裏切った。再度、モラトリアム? 如何なものか。
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与謝野氏入閣・光と影 [社会]

今日は24節気の1つ大寒。一年で一番寒さの募る時期である。
今日は今季一番の寒さではないが、午後の散歩で感じた風は、大寒の底冷たさがあった。
◎ 大寒や 菅再内閣 何処へ行く
たちあがれ日本創始者・与謝野馨が、離党し菅再改造内閣の経済財政担当大臣等に就任した。
衆参あわせて400人以上の民主党議員を差し置いて一本釣り?
衆議院選挙区が同一の前任者・海江田万里氏との交代は、選挙区選挙民の意向に反する?
(直前の総選挙では海江田氏が当選。与謝野氏は比例区での当選)
様々な批判要素を抱えた人事であるにも拘らず、菅首相は敢えてこの「火中の栗」を拾った。
自分は大火傷をしても、国民の利益を最優先した菅首相の健気な最後のご奉公なのか?
与謝野馨はそれほどの逸材なのか? ちゃんと筋は通っているのか?

以前読んだ2010.01.20発行の与謝野馨著「民主党が日本経済を破壊する」を改めて読んだ。
今日は奇しくも、著書発行から、丁度一年。何かのめぐり合わせ?
以前読んだときには、最後に締めくくっている言葉に感動した。
“日本の将来に責任を負う私たち国会議員は、高齢化という21世紀の大課題に対応した
福祉社会の実現に向けた「切れ目のない安心保障」の構築と、国民負担について、
「党派を超えて」共通の土俵に上り、虚心坦懐に一つの円卓につくべき時である。”

読み返してみて、与謝野氏の「民主党批判」の凄まじさを思い知った。それと共に、
閣内に与謝野氏を呼び込むという曲芸を敢えてした理由も改めて確認した。
それは、著書の最終(第七)章:「民主党よ、耳障りな議論から逃げるな」に集約される。
◎ 安心・安全の社会、 ◎ 皆保険・皆年金、 ◎ 中負担・中福祉
という、麻生内閣の下で作られた報告書から引用した政策案の実施要請である。
この政策案に精通した与謝野氏を起用して、消費税増税という課題を福祉政策と抱き合わせて
難局を乗り切ろうというのである。

私は、この事に気付いて、巌流島決闘での武蔵のセリフではないが、「民主党 敗れたり!」
と思った。出まかせの隠し財源を言い募って、甘い汁を餌に、政権奪取したものの、単なる
パフォーマンス、スタンドプレーのみの事業仕分けで終わった。その上に、ついに自民党の
政策を、人付きでパクるという。それでは、政権交代しなければ良かったということでは?
民主党に、人材がいない事はすでに良く分かっていたが、ノミほどの根性もないのだろうか?
この菅再改造内閣の行動は、内閣の存立基盤のみではならず、民主党政権の存立基盤さえも
ないことを白日に曝してしまった。もう解散、総選挙しかない? 如何なものか
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モンスターペアレントと負のサイクル [希望]

友人からの情報で、教師がモンスターペアレントを提訴したニュースを知った。教師→モンスターペアレント
提訴は始めての事らしい。労働災害の件数でハインリッヒの法則というのがある。
1つの重大事故には29の軽微な事故があり、その背後に300の不安全行動があるというもの。
この法則を今回の事件に適用できるなら、教師→モンスターペアレント提訴の裏には教師側から見て
モンスターペアレント的不平不満現象が、300件は隠れていると見るべきかもしれない。

今後、教師→モンスターペアレント提訴は社会現象になる可能性もある?そこで教師→モンスターペアレント
提訴問題を私の言う「負のサイクル」という観点から読み解きたい。「負のサイクル」とは
労働災害等に例えれば、潜在的不安全の段階で対策を講じて事故を未然に防止すべき所を、
未然防止の歯止めが利かなくなり、事故増加のサイクルをたどる事である。制度が立派でも
運用上のplan-do-see学習が不味ければ、「負のサイクル」を断ち切る事はできない。

まず、義務教育課程の子弟を持った一般的モンスターペアレントについて、私なりに整理しておきたい。
モンスターペアレントとは現象であり、それを体現する人々は経済的弱者のみならず地理的その他の
理由で私立学校に行かせられない富裕層も含まれていると考える。公立の義務教育課程は、
従来からの伝統を引継いでおり、現代における父兄の多様な要望を受入れる体制にない。
従来 社会風土的には義務教育課程は共同生活、集団行動の訓練の場と位置づけられ、
戦前は富国強兵を育成する色合いが濃厚であった。戦後、民主主義が受け入れられたが、
従来からの社会風土が、ある意味では悪平等主義に傾く可能性を内包していた。
もう一つの現象は精神的側面において従来の教育を受けたペアレントが、教育基本法に謳われて
いる教育の目標とは程遠い歪んだ精神的発達でモンスターになっていると考えられる事である。

この様に概観すると、教育風土には欠陥ともいえる部分があるとはいえ、民衆の多くは、それを
受入れているようにみえる。そういう曖昧な状況でモンスターペアレント現象は、国家やその下の教育
(家庭教育を含む)や制度、社会風土の問題なのだろうか?
教育基本法を読む限り、制度に大きな欠陥があるとは考えられない。
モンスターペアレント現象が、未だ少数派であることからすれば、モンスターペアレント現象は国家やその下の
教育(家庭教育を含む)や制度、社会風土問題もさることながら動的な行動連鎖の結果では?
即ち、制度運用上のplan-do-see学習の問題、「負のサイクル」問題ではないかと考えられる。

それが今回、一歩踏み込んで教師からの提訴までになった。公共の場で教育者と一般人が
同次元で争い、裁判所で決着を付けることになった事は、深く受け止める必要がある。




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