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青春と高齢化 [散歩]

私の健康のバロメータに関しては以前にも書いた事があるが、最近、そのバロメータの
警告が深刻化しているのである。此処1・2年前から警報が出ていたのであるが、段々と
回復しない傾向が強くなった。筋トレなども工夫しているのであるが、10月上旬頃から
坂道を歩く散歩を積極的に取入れた。近所の足高山(標高67m)を縦走するのである。
以前にも散歩で足高山に登っていたが、登りは万歩計の計数が少な目に出るので
いつの間にか、散歩の重点が平地中心になっていたが、健康管理には代えられぬ。

今日でもう、足高山登・東西縦走の片道(もう片道は平地)10月=8回、11月=8回
そして、東西縦走を往復 10月=1回、11月=5回 を記録した。
そういう体験の積み重ねかどうか?今日は素晴らしい体験をしたのである。
往路を登りながら、歩みが“サクサク”と実にリズミカルに感じられ、往年の
小学校から高校まで、通いなれた神戸の坂道を登っている時の気分が甦った。
あの青少年の頃の様に、淡々と、何の気負いも負担もなく、ただ“サクサク”と
ただ“サクサク”と、歩いている自分に気付いたのである。
復路でも、その気分を味わいながら、これは何なんだ?何が起っているんだ?と
考えて見た。そして次のような事を思った。
“私は70を過ぎ、ゴルフも下手になるばかりの下り坂の老人?見かけも、肉体も
 老人というレッテルを貼られて当然なのかも知れないが、‘老人’という名目
 (レッテル、形式)では測り知れない内容・中味がある事を主張したいのだ。
 サミュエルウルマンの『青春』という詩で謳われているのは、若い肉体の事でも
 年齢的な精神でもない。赤ちゃんの時から持っている瑞々しい感受性を保つ事、
 そして名目(レッテル、形式)で簡単に物事を決め付けないことだと思うのだ。”

日本は、今や世界に冠たる高齢化社会だという事になっている。国民総生産がどうの
経済成長率がどうの、失業率がどうのと騒ぎ立てるが、それは単なる見掛けだけでは?
格差社会だ、伝統的な束縛だ、なんだかだと騒いでいる人々の心や精神は、見掛けの
名目(レッテル、形式)だけで出来ているのではないか?と疑いたくなる。

薄っぺらな名目(レッテル、形式)だけで物事を判断せず、thickな中味・内容を
瑞々しい感受性でもって、学習・理解して判断するべきではないのだろうか?
政治家・評論家はじめマスコミや識者が、最近の衆議院選挙の薄っぺらな(thinな)
政策論争等に惑わされたら、日本が、碌な事にならない事は明白。如何なものか
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西欧の猿真似 [社会]

私は、このところブログを休んでいたが、それは私生活上の理由ではない。NHK の
TV小説「純と愛」の問題とは何か?を深く追求していた為である。
この問題は、現代の世相に関する様々な問題、例えば“バカ正直な首相”を頂いて
喜んでいる民衆、原発事故で全てが変わってしまう国民性、3年前は民主党、そして
今回は維新の会や石原に踊らされているマスコミ、等々に相通じるものがある。

私は取るに足りない「純と愛」というドラマを問題にしているのではない。背後にある
未知のものを偶像化する現代の日本人の浅薄な脳みそを問題にしているのである。
例えば「純と愛」の脚本家は、西欧の知識を聞きかじって、伝統や文化に縛られて生きる
気の毒な日本人を解放してやろう!と、一生懸命脚本を作ったのかもしれない。そういう
類の脚本家は掃いて捨てる程いる?そんな個人的な問題を一々問題にする気はない。
そんな脚本が売れるとは思わないし、売れたとしてもその場限り。問題にはならない。
「純と愛」というドラマも、決して人気は出ないだろう。その程度の作品である。
問題は、税金に等しい金を国民から頂いておきながら、この手のドラマを垂れ流して
いるNHKと、それを許している、ユルイ日本の現状である。

私は、色々と本を読み返したが、例えばリースマン著「孤独な群衆」(1950)を読むと、
人間を、伝統指向、内部指向、他人指向の三つの類型に分けている。そして
チョッと読むだけでは、他人指向型が、もっとも進歩的な人間として描かれている。
他人指向型は、伝統や文化(家族の絆)に囚われず、広く全世界に開かれたアンテナで
同時代人に学ぶ、というのだ。「純と愛」に出てくる登場人物は、伝統指向、内部指向
或いは他人指向型に当てはまりそうだが、自律タイプの人はいない?また、社会に適応
している適応タイプも少なくて、ほとんどがアノミー(不適応)タイプに見える。
脚本家は、この本で言えば、最も進歩的な他人指向型を追及する物語を考えている?
しかしこの本をチャンと読むと、他人指向型というのは、そんなに簡単に人の意思だけで
なれるものではない。人は生れ立ての赤ん坊の時から外界に対する反応が違うのであって
成長するプロセスで、ただ伝統・文化に反発するだけでは自律的他人指向型になれない。

問題の根源は、現代日本が変化の本質を認識できていないと思える事。「孤独な群衆」は
伝統指向から内部指向への変化の時代には、階級、軍隊、工場間などの闘争という目に
見える変化があったが、内部指向から他人指向への変化の時代は、そういった目に見える
変化はないという。本書の指摘を全面的に肯定する訳ではないが、仮に内部指向から他人
指向への変化があるなら、伝統指向から内部指向への変化と同じではなかろう。また他人
指向型への変化に関しては、夏目漱石の明治末期の評論文・「道楽と職業」〔明治44年
(1911)講演集〕で、リースマンより約40年前に、同様の変化について既に書いている。

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苦痛・悩み・苦労とは何か? [大家族]

今日もまた小春日という時間帯もあったが、午後から冷たい風が吹き出した。
話は変わるが、「東日本大震災」などの例を出すまでもなく、人間には遺伝性の病気、
災難、凶作、交通事故、火災等で、謂れのない苦痛・苦悩が降り懸り苦労が絶えない。
従って人々は、そういう災難や災害の被害者を援助する助け合いの活動が盛んである。
災害保険なども一種の助け合いの活動である。

問題は、助け合いによって被害者の“苦痛・苦悩・苦労”は解消するか?である。
この問題に関して、適当な事例かどうか分からないが、稲盛和夫著「ど真剣に生きる」
の中に書いてある事例を挙げて考えてみたい。問題とは、稲盛氏の会社が「人工関節」
の開発上でのものだった。股関節で成功した技術(製品認可済)を、応用して膝関節に
適用した製品(認可前)を、医者や患者が是非と要望するので提供した事が、認可前と
いう理由で世間から袋叩きにされたのである。

稲盛氏は、「世のため人の為にやった」という思いが強く、非常に悩み苦しんだ。
それで稲盛氏の師匠である臨済宗妙心寺派の管長猊下の所に行って胸の内を訴えた。
すると猊下は、期待した慰めの言葉ではなく、「苦労するのは生きている証拠・・中略・・
災難に遭うのは、過去の業が消える時・・中略・・その程度なら赤飯炊いてお祝い云々」と
仰ったという。稲盛氏は“前を向いて生きる元気を取り戻した”という。

稲盛氏には、臨済宗妙心寺派の管長猊下という飛び切り上等のサポーターがいた。
だから被害者の“苦痛・苦悩・苦労”は解消したという事は言えるかもしれない。
しかし考えてみて欲しい。この種のアドバイスなら、書物や様々な物語を通して
我々一般庶民にも入手可能である。心して目を見開き、耳を傾ければ無数の上等な
サポーターが、“苦痛・苦悩・苦労”を解消するアドバイスをしてくれている。

最後に最近、この問題を考えていて思い出した、私の断末魔の苦痛体験を書いておく。
あれは11年前の11月の事だった。11/5:ERCP検査、検査後不調で一晩、病院泊り
11/6:一旦帰宅後、不調で再度入院。以後の日記空白。11/12:"おもゆ"の三文字。
以下は、11/9の夜、11/8の事を高熱下でメモした、“断末魔の苦痛体験”である。
「何晩も続く腹痛と絶食で、苦しくて苦しくて、何か善い事を考えようと思った。」
その続きは11/9には書き続けられず、その続きを11/11に書きついでいた。
「激痛の中から、突然稲妻が走った。痛みに耐えることのできる思い出。
妻(メモでは愛称)との出会いと交際、結婚、家族との生活。」
そしてその続きとして、11/9の夜に思った事。
「耐えられない痛みのある事。即ち、死を思った。」

私は、11年ぶりにこのメモを読み返してみて、一つだけ成長した点を書いておく。
「耐えられない痛みのある事。即ち、死を思った。」は、間違いだということ。
断末魔の苦しみというけれど、私には、あの時の「急性膵炎」以上の苦しみはない!
と固く信じる。「苦労するのは生きている証拠」という猊下の言葉だけでなく
もっと沢山の人々から、「耐えられない痛みなどない!」、“苦痛・苦悩・苦労”は
生きるためのものだと教えられたから。 如何なものか

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小春日和2012 [和歌・俳句]

この処、気温が下がって冷たい風が吹きすさび、冬の到来を実感していたが、
今日は、風もなく、暖かいお日様に恵まれて、実に気持の良い散歩だった。
◎ 小春日や 見慣れし景色も 輝けり (愚作)
路傍の花々も、何だか眩しいばかりに美しかった。
真っ青な空には寒げなホウキ雲などではなく、ふんわり綿菓子の様な雲が浮かんでいた。

可愛い歌声が聞こえたと思ったら、お婆さんの自転車に同乗していた女の子の声。
十字路で私が追いついたとき、「こんにちは!」と、その可愛い子に挨拶された。
すぐに挨拶を返すと共に、「挨拶上手にできるね!」と一言付け加えた。
互いにバイバイ!と手を振って別れたが、こんな楽しいひと時も小春日のお陰か?

“小春”、“小春日”、“小春日和”などは、俳句では今頃(立冬を過ぎた初冬)の
春めいた日和を意味する冬の「季語」となっているが、芭蕉の時代の季語にはない?
少なくとも私は、芭蕉の作った俳句で、この季語を使っている俳句を知らない。

初冬の芭蕉の句で、こういう春めいた日のチョッと明るい句を探して見たが
なかなか見つからなかった。やっと、それに近いのを見つけたのが次の句である。
◎ 水仙や 白き障子の とも映り 元禄四年(1691) 芭蕉48才
 初冬の日差しが明るく水仙と白い障子を照らして、それらが映え合っているとの意。
 初冬の明るい室内を詠んだ何気ない句であるが、小春日の喜びが伝わってくる?

初冬から暮(立春の前)にかけては、寒い冬を越さなくてはならず、当時の栄養状態や
暖房資源、家屋の構造などを考えると、庶民感覚として、小春を楽しむ暇などなかった
のでは?小春日は、皆、懸命に仕事に励んでいた?従って俳人も、庶民感覚にあわせた
句作を心がけ、時期的に気楽な句は謹んでいたのではなかろうか?
従って初冬の句は、以下の様な、冬に向かっての厳しい心持を詠ったものが多い?
◎ 初しぐれ 猿も小蓑を ほしげなり 元禄二年(1689) 芭蕉46才
 冬はよく時雨れる。初しぐれの時には、特に冷え込みを実感する。散歩の時にも、
 傘を持たないで歩いていて、急に降り出しそうになるとドキドキする。旅なれた
 芭蕉は、冬の厳しさをよく理解しており、この句で、猿に暖かい心情を示したが
 それはなお一層、読者に向かって示されている。読者は、それに癒されるのである。
現代は、小春日をお気楽に存分に楽しむことができる。善い時代か?如何なものか
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解散表明に関する野田首相の評価 [社会]

11月16日解散宣言、12月4日公示で16日投開票というスケジュールが既定路線となった。
1日で様変わりした“政変”である。何だかよく分からないが、異様な雰囲気?一夜
明ければコロリと豹変し、いかにも見通していた様なしたり顔で、皆が粛々と従う姿は、
丸で、67年前の世界大戦敗戦時と同じである。日本人は何も変っていない。後に戦前の
軍部やマスコミを批判した如く、何故即座に民主党やマスコミの悪行を責めないのか?
「日本を変えるんだ!」等とほざく連中は、何を変えようというのか?

さて、それでは表題の解散表明の評価は如何なものか?とザッとネットを検索。
経済界のお歴々の一人は、「民主、自民、公明3党の信頼関係をつくり出した上での
解散表明、非常に力強い」と首相の決断を評価している。また別のお歴々の一人は
「率直に言ってサプライズだった。首相の勇気に敬意を表する」という評価だった。

政界での第三極といわれている「太陽の党」の平沼共同代表は、「率直に言って、
もう少し時間が欲しいが、決まったら全力でやらなければならない」と述べた。
日本維新の会などとの協議を急ぐ考えを示したが、マスコミなどでは、選挙に向けた
政策協議や、第3極結集に不安の声も聞かれる。
日本維新の会・橋下徹代表は、「準備できてるできてないなんて、言い訳なんか通用する
世界じゃない。本当の意味の大戦。自分の持っている力を全て出し尽くします」との事。
また日本維新の会・政治塾生ブログでは、日本維新の会は、都知事選とのW選挙は完全に
「想定範囲内」だとのたまっていた。12月16日開票での総選挙で戦えるか?の
シミュレーションによって公認候補の選定がなされているという。

また地方紙情報などを見ると、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)交渉参加問題に
反対する農家は「新しい政権が誕生して、冷静に議論してほしい」と政権交代に期待。
地方民主党は「党首討論であそこまで踏み込むとは思わなかった。急いで態勢を整えたい」
と野田首相の発言に驚いているという。

野田首相の解散表明を受け、民主党の山崎誠(比例南関東)、富岡芳忠(比例北関東)
両衆院議員が15日午前、同党に離党届を提出。山田正彦衆院議員(長崎3区)も記者団に
離党を明言。長尾敬衆院議員(大阪14区)と中川治衆院議員(大阪18区)も離党の意向を
固めたという。 富岡、中川両氏らは離党後の行き先不明。山崎氏は、「みどりの風」
(参院会派)に合流して国政政党をつくる方針。他にも参加を検討する議員がいるという。
既に熊田篤嗣(大阪1区)、水野智彦(比例南関東)両氏が減税日本に合流、小沢鋭仁
元環境相(山梨1区)も日本維新の会に入る方向。今回の離党組を含めると民主党は、
235人となる。国民新党と合わせても過半数の240議席に届かない。

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今週中に衆議院解散? [社会]

野田首相衆院解散の意向を表明.jpg今日は、ブログはお休みにしようか?と思っていた。
思いながら気楽にネットを散策していたら、何と野田首相が
今日急に自民党・安倍総裁との党首討論中、11/16の解散に
言及したという。(写真は、14日午後、国会内の党首討論中
野田首相(右)が、自民党の安倍総裁に、定数削減の確約を
条件に16日に衆院解散の意向を表明した時の模様)

野田首相は、消費税増税を巡る三党合意形成の過程で約束したとされる年内解散に
ついて、11日、民主党の輿石東幹事長に、正式にその意向を伝達した。しかし
民主党内の反対は根強く、昨日(13日)「党の総意」として、党常任幹事会が、
年内解散反対決議を表明した。
野田首相としては、身内から匕首を突きつけられた形となっていた。

今日(14日)に、民主党は「1票の格差」是正と議員定数削減含む衆院選挙制度改革
関連法案を国会に提出した。首相は、この機に自公側に定数削減実現を条件に身を切る
改革を強調。際どい作戦で、衆院選を何とか「攻めの体勢」に持っていこうという狙い?
元々、民主党は消費税増税法案成立以降、死に体。特に外交・防衛関係での無能振りは
目を覆うものがあった。年内解散の約束を守り、且つ、民主党の総選挙体勢を何とか
攻めの形で取り繕う為に、野田首相は、苦肉の大博打をうったのではなかろうか?

ネット上の最新情報(日経Web刊2012/11/14 17:09)では、
自民党・安倍晋三総裁は、都内の講演で「衆院定数削減は、来年通常国会で成立に
全面協力」を明言した。また赤字国債発行法案、“衆院の1票の格差是正”のための
「0増5減」も16日迄に成立させる考えだという。いよいよ解散か?
16日に解散すれば衆院選は「27日公示で12月9日投開票」
または「12月4日公示で16日投開票」となる見通しだという。
衆議院候補者は、忙しい話である。いやもう準備は整っている? 如何なものか
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PRICELESS・第4話と感想 [物語]

PRICELESSというタイトル命名の理由は今だに、良くわからないが、
“あるわけねぇだろ、んなもん!”という副題は、今回も健在で、縦横に活動した。
まず第1が、ミラクル魔法瓶社長・大屋敷統一郎(藤木直人)が、優秀な取引先である
相模川製作所との契約を突然破棄する様に、模合統括本部長(中井貴一)に命令した事。
第2が、無理難題の3,000個の携帯炊飯器発注を受けたら契約継続をしても良い、という
社長の言葉を真に受けて、摸合がそれを相模川製作所の社長(石井正則)に伝えた事。
第3に相模川製作所の臨時雇用で働く事になっていた金田一(木村拓哉)が、この話を
聞きつけ、様々な人間関係の協力のもと、不可能な受注を可能にしたこと。
第4に大屋敷社長は、相模川製作所が立派に約束を果したにも拘らず、なお相模川製作所
との契約破棄を摸合に迫ったこと。
第5に、それを聴いた摸合が、決然と断を下したこと。
第6に、立派にケジメをつけ、会社を辞めてきた摸合を、妻や子が、追い出したこと。
第7に、摸合が、貧乏長屋?の「幸福荘」に来ること。

以上、第4話には、7つもの“あるわけねぇだろ、んなもん!”がより合わさって構成され
ていたのである。従ってこの物語は、現代の“おとぎ話”と言ってしまえば終わりだ。
しかしこんな荒唐無稽な物語をより合わせて、何か言いたい事があるのではないか?
それが、主題の“PRICELESS”という言葉に込められているのではないか?
“PRICELESS”を辞書で引くと、1.“非常に高価な、金では買えない、とても大切な”と
いう類の意味と、2.“とても楽しい、とても面白い、信じられないほど馬鹿げた”という
意味が書かれている。2.の方の意味合いは、“あるわけねぇだろ、んなもん!”と、
同類に近いだろう。1.の方はどうだろう。非常に高価なものや事はこの世の中に
いっぱいある。だから主題と副題は一致せず「非常に高価なものや事」の物語ではない?

そうすると、この物語は、“とても楽しい、とても面白い、信じられないほど馬鹿げた”
語り口で語られた「金では買えない、とても大切なものや事」の物語なのだろうか?
この事を、主題と副題の意味を合体させて考えると、「金では買えない、とても大切な
ものや事」は、“あるわけねぇだろ、んなもん!”というのが、本物語の主張という事?

私は本物語の主張を以下の様に考えた。“あるわけねぇだろ、んなもん!”というのは
反語である。「金では買えない、とても大切なものや事」は“あるわけねぇだろ”と
思っていたが、発見して、“でもやっぱりあった!”と、私には聞こえるのである。
「金で買えない、とても大切なものや事」等なく、金だけを大切にする現代人も多く
なったが、ある訳ない様なモノやコトの中に、とても大切なモノやコトがあるのだ。
そのことを、この物語は、皆に知らせたいのではなかろうか?ある訳ない様なモノや
コトとは、例えば、金田一がクビになり、自宅マンションも爆破されて野宿した時に
段ボール箱を貸してくれたホームレスのげんさん(五頭岳夫)の行為(好意)である。
その事を忘れずげんさんを気遣い、病気と知って炊き出しなどの食事を運んだ金田一の
行為である。また金田一がげんさん等の協力を得て、3,000個の携帯炊飯器を期限内に
作り上げた話の中にある。これは最初から諦めず、当って砕けろと頑張った処に意味が
あった。今回は前回のラーメン屋の場合と違って、具体的に評価できる成果を出したが
物語のポイントは成果の有無ではない。如何なものか
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石川遼2年振りの優勝と心の平安 [閑話]

石川遼(21)が、男子ゴルフの三井住友VISA太平洋マスターズ:静岡県御殿場市の
太平洋クラブ御殿場コース(7246ヤード=パー72)の最終日(11/11)、通算15アンダで
優勝した。石川のツアー優勝は2010年の同大会以来2年振り、通算10勝最年少記録更新。
最年少の通算10勝記録は、1974年に尾崎将司が樹立以来、その記録が長らく続いた。
今年、池田勇太が26才9ヶ月で破ったが、石川遼は21才1ヶ月でそれをまた更新した。

2010-11-15のブログ「閑話'10.11.15」記事に、2年前の優勝当時の事が書いてある。
2007年のマンシングウェアKSBカップ(岡山・東児が丘マリンヒルズGC)で初優勝。
世界最年少15歳Vとか、ウッズ超えた天才!等とフィーバした勢いが続いていた。
2010-11-15当時、その後の今日まで未勝利が継続されると、誰が予想しただろうか?
とは言え、生涯獲得賞金額は、既に6億円を超えているという。副収入も相当なもの?

しかし才能一つ、腕一本で生きて行く事の難しさ!プレッシャーの凄さは如何ばかり?
遼の様な立場になったら、もう一般人には戻れないのである。皇室の方が一般人の様な
我儘を言うと、様々なストレスを受ける様なものである。
今の若い人は、“世の中が固苦しい”とか、“生き辛い”とよく仰るが、その原因は
自分の我儘、欲望の為である。我儘、欲望は他人とぶつかるからストレスになるのだ。
「好きな事をしたい」 「金が欲しい」 「有名になりたい」 「何かに秀でたい」等
様々な夢や欲望を満足させるためには、「努力」 「辛抱」 「運」が必要である。
石川遼のようなゴルフの才能に秀でた人でさえ、“マスターズ優勝の夢”は遠い。

昨日引用した“大トルストイ”は、ロシアの貴族に生まれ、“血統” “財産” “人格”
“人柄” “才能”など欠けた物は何もなく、名誉もそして人々からの尊敬も獲得した。
それにも関らず、一時期は人生の虚しさを感じて自殺しようとしたという話もある。
そういう恵まれた境遇の人がたどり着いた「生きる意味」について、「人生論」は
噛んで含める様に、繰返し繰返し、様々な表現やたとえ話を交えて述べている。
ただ残念な事に、大トルストイは、悲しいかな!生れついての「持てる者」だった。
だから、財物は全て投げ打つ覚悟さえ持っていたが、劣った人間、欲のある人間達を
許すことができず、彼の信じる正しい生き方に拘った。これも1つの欲?

人が自分を生かしてくれている社会に「感謝」を忘れ社会に何かを期待する限り、人は
社会の欲の渦に巻込まれてしまい、如何なる心の平安も得られないのは?如何なものか
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純対梅ちゃん先生比較論と生きる意味 [物語]

純(夏菜)と梅ちゃん先生(堀北真希)の比較にどんな意味があるのか?
時代背景も違う。梅ちゃん先生は昭和20年~37年の話。純と愛は現代の同時代的話。
従って考え方も違うから、比較には何の意味も見出せないのだろうか? しかし
「純と愛」物語で、トルストイの箴言と思しき言葉が度々出てくる。例えば
“この世には不完全な男と、不完全な女しかいない”などという言葉である。
このフレーズが本当にトルストイの言葉か否かは知らないが、彼自身の夫婦生活での
実感としても、あったのではないか?と、想像できる節もある。

それは兎も角、このフレーズを脚本家が多用するのは、それが肯定的であれ、否定的
であれ、この考え方が、時代を超えて人間の生き方に影響を与えると思ったからだろう。
大トルストイが生きた年代は、1828(文政11年)-1910(明治43年)。梅ちゃんよりも
はるか昔に生きた人である。従って梅ちゃんとの比較にも意味があると思う。

本題の二人の比較だが、端的に父親との関り方を比較対照したい。まず梅ちゃん。
梅子は、医専時代に、友人とのダンスパーティを企画・開催した時に、父親に参加を
要請したが、行かないという。その時、幼い頃の木登りの事を、建造(高橋克実)に
語りかけて「自分たち子どもは、お父さんに見守られているから遠くまで登れた」即ち
お父さんの心遣いによって成長できたのだと説得し、父親の心を和らげたのである。
建造は、昔かたぎの頑固者で、次男・竹夫(小出恵介)は、反抗して父親の敷いた
レールに乗らず我が道を進んだ。学生がダンスパーティなどやるべきでないと反対の
父親に対して、純の様な対応をするなら、建造を更なる頑なな父親にする事は容易?
純は、兄・正(速水もこみち)の結婚式当日において、父・善行(武田鉄矢)に心ない
言葉を投げた。善行との幼い頃の事を、愛(イトシ)の“父親の愛”という解釈まで含め
思い出しながら、「あんたには愛情なんか1つもないから!」と自ら否定してしまう。

梅子と純は、同じ幼い頃の思い出でも、梅子は誰に教わるでもなく善意の解釈をし、
純は、愛(イトシ:風間俊介)の善意の解釈の助けも考慮せず、悪意で人間関係を壊した。
少なくとも、今迄の「純と愛」物語は、二人のナルシシズムという閉鎖的人間関係の中に
閉じこもっていると言わざるを得ない。こういう生き方は人間の生きる意味を理解しない
ものだし、或いは、自分たちだけではなく、周りの人間をも不幸にするのだと思う。
純と愛(イトシ)は、まだ20才代。従って何らかの奇跡が起こって生きる意味を理解し、
真っ当な人間に立ち返ることもあるだろう。しかしその確率は、宝くじに当たる確率?
奇跡を物語る事など簡単である。しかしそんな物語をNHKが語る事は、多くの視聴者に
間違った生き方を示唆してしまう可能性大である。それはNHKがしてはならない事だ。

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「純と愛」第35回感想・NHKの意味 [物語]

第35回を見て、「純と愛」の物語は、「子捨て物語」と位置づけた。
純(夏菜)は父・善行(武田鉄矢)に、愛(風間俊介)は母・多恵子(若村麻由美)に
捨てられたという設定だと思う。古今「子捨て物語」は多いが、これ程情けない物語は
少ないと思う。捨てられる時期が、20才代という非常に中途半端な時期だからだ。
従って、この物語は「半端もの」? 実に、実に、情けない物語である。

話の展開からして、「純と愛」は、捨てられたという被害者意識の元、
“二人ナルシシズム”の世界に浸って夢に邁進するという筋書きなのではないか?
“ナルシシズム”、“エゴイズム”は、反社会的、反生命的な存在様式である。
親子関係が10代~20代で破綻するのは、最早、親の責任だけに帰する事はできない。

今日、純が、善行と対立する中で、少女時代の動物園で迷子になった時の事を語って
父親の愛情を確かめ様としたが、善行が頑な態度をとった為に、純は切れてしまった。
「あんたには愛情なんか1つもないから!」というのは余りに酷すぎる。
親に向かって言うべきではない。売り言葉に買い言葉、
善行も「お前なんか生れてこん方が良かった!」と、言ってしまった。

この善行のひどい言葉には、もう1つ理由があった。愛(イトシ)の観相の言葉である。
善行や剛(渡部秀)の観相結果は兎も角、晴海(森下愛子)の観相の結果が悪かった。
初対面の母親に、いくら純がけしかけたからと言って、野獣に譬え、父親との結婚を
後悔している等と言うだろうか?そして愛(イトシ)の観相において最も問題となる点は、
良い所が一つも見えない事である。どんな人間にも良い所と悪い所がある。人間の本性等
そう簡単に決め付けられるものではない。長所、短所を総合的、重層的に考慮すべきもの
ではなかろうか?それなのに、一方的観測だけを丸信じする純の頭もどうかしている。

純の善行への言葉も、善行の純への言葉も、言ってはならない言葉である。
こんな言葉を、20代の子どもと50前後の親が交わすというのは、余程、変な人たちだ。
こんな少数派の異常性格者を中心に据えて、NHKが物語る値打ちがあるのだろうか?
奇を衒う「文学賞」作品や、俗文学、あるいは売れれば何でもありの民放番組なら知らず
NHKのしかも朝の連ドラで取上げるべきものなのだろうか?大変に疑問である。NHKは、
国民から毎月大枚の放送料を徴収している。それはこんな俗悪番組を作る為ではない!
社会風紀を乱し、健全な青少年の育成を妨げるこの種のドラマを止めろ!如何なものか
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